君はモルヒネ


 ずきり、とどこかが痛む音がして、天城カイトは顔を顰めた。今日のバイタルチェックでは不調なところは見られなかったし、そもそもカイト自身何処かが痛い、と思うことなどないのだが。
 気のせいだろうと頭を振ってみたものの、心に引っかかるような違和感は拭えず、カイトは小さく舌打ちをした。無論、そんなことをしたって何の意味もないのだが。
 仕方がない、と半ば諦めにも似た感情を抱いて、カイトは手元にあった連絡端末で己のバイタル面を管理している女を呼ぶことにした。……あの女は、あまり得意ではないのだが。





「どうかしました、カイト様?」
「いや……少し違和感が」
「違和感?」


 程なくして女──名前はカイトの寝室へとやってくる。名前は幼馴染、であったはずなのだが、いつの間にか彼女は自分に距離を取っているような感じがする。元々そこまで得意な相手でもなかったが、距離を置かれて「様」なんて敬称を付けられると余計に居心地が悪く感じる。自分をカイト様、だなんて呼ぶのはオービタルだけでいい。
 極めて事務的に。迅速に。症状を彼女に伝えれば、彼女も事務的に迅速にペンを走らせる。手に持っているのはどうやら今朝の己の体調が書いてあるようで、それを真剣に見られるのはなんとなく気持ちが悪い。腰掛けたベッドが軋む音がやけに大きく聞こえた。
 ……とはいえ、「どこかが痛むような違和感」だなんて抽象的すぎる症状でそこまでメモをとる必要も無いだろうし、それだけで原因を究明できるとも思えない。事実、名前はペンを走らせる手を止めて唸りはじめた。思い当たる原因や病名がないのだろう。
 まぁ、病名がないのは何も不思議ではない。ナンバーズハントなんていう、前例がないだろう、そして身体に多大な負荷がかかるだろうことをしているのだ。前代未聞な症状が己の身に起こったところで、ありえない、などと思うことはできないのだから。


「んー……日頃のハントでの疲労が溜まってしまいましたかね……。今朝のチェックでは疲労具合を見れませんし」
「疲労か」


 何か大きな病気、という訳ではないらしく安心した。否、未知の病という可能性も無くはないが、そんなことは心配したところで仕方がない。答えの出ない問答のようなことをしても建設的ではないのだから。
 どちらにせよ、病気があったところで休むわけにはいかないのだが。足を地につけ立ち上がる。あの違和感は今はないらしい。


「……ナンバーズの反応は?」
「ええと今は……って、まさかハントを? 不調が出ていらっしゃるのに?」
「何か問題でも?」
「大有りですよ?」


 カイトは少しいらついたような瞳で名前を睨み──否、見つめた。お前だってわかっているだろう、という意味を込めてみたのだが、伝わっただろうか。
 カイトにとってのナンバーズハントとは、己が命よりも大切な弟ハルトを救うために必要な行為だ。その過程において他人を危険な目に晒しても、……己の命を削ってでも、成し遂げなければならない所業だ。
 だからカイトは心を殺した。魂を売った。身体を壊す決意もした。そうしてでも助けなければならない命があって、そうしなければ助からない命があって。
 そんなこと、名前だって分かっているはずだ。

 睨み合うような暫くの沈黙の後、はあぁと大きなため息が聞こえてきた。


「……あのですね」
「手短にな」
「いいえ、はっきり言わせていただきます。このバカ、大バカ、おたんこなす!」


 驚いた。低レベルな罵倒にもだが、何より名前が声を荒らげたことに驚いた。少なくとも、彼女が距離を取り「様」なんて呼び始めてからは一度もなかった気がする。
 だが、そんなに怒鳴られ罵倒されるようなことをした覚えはない。だから至極当然の反応として、カイトは少しだけ首を傾げ彼女の次の言葉を待つ。
 すぅ、と彼女が息を吸った気がした。


「身体は資本です。そりゃあカイト様がどのような思いでナンバーズハントに挑まれているか私は知っているつもりですし、ハルト様を大事に思われるからこその行動だということも承知しております。ですがだからといってカイト様が身体を壊していいことにはなりません、ハルト様が快復なされた時に責任を感じるのは間違いなくハルト様ですし、そもそもカイトが身体を壊して今後の活動が続けられなくなったとしたらハルト様の快復見込みは限りなく下がりそれでなくても私が──私──わた──……、」


 止まった。
 矢継ぎ早に言葉を浴びせられたかと思えば、一人称が出てきた時点で我に返ったらしく、さぁ、と顔を青くして縮こまってしまう。……この調子だとおそらく、一度カイトを呼び捨てにしていることも気づいていないのだろう。

 縮こまっていく名前の姿をじっと見つめれば、睨まれていると思ったのか名前の矮躯はさらに縮こまっていく。このまま放置していれば小さくなりすぎて消えてしまうんじゃないか、などと馬鹿らしい思考に至って、目を伏せて息を吐き出した。目を伏せていても名前が肩を震わせたのがわかる。
 怖がらせるつもりは別にない。甘やかすつもりもないのだが。だがそうして怖がられて更に距離を取られても気色が悪いだけなので。


「そうだな。貴様の言う通りだ、名前」
「……え」
「俺がやらねばならぬことを、俺ができなくなってしまえば本末転倒だ。……それに、ハルトに責任を感じさせるのは俺の本望ではない」


 ぼすり。改めてベッドに腰掛け直す。そのまま身体のすべてを寝台に預ければ、瞼が少し重く感じた。あの違和感の正体はわからないが、疲れが溜まっていたのは本当らしい。こうして初めて気づくのは滑稽だ。
 そんなことを頭で考えながら、カイトは小さく口を開いた。


「……名前、今日は休む」
「え、……あ、ええ。その方がよろしいかと」
「身の回りの世話、頼む」
「私に出来ることでしたら」


 無理難題をふっかけるつもりはない。ただ料理をだとか、洗濯をだとか、そういう身の回りの日常的なこと。
 だからそんなに構える必要は無い、なんて言うのも面倒で口を噤んだ。バイタルチェックに加えてこんなことを任せ切りにしていると、いつの間にか名前無しでの生活が出来なくなるのではないか、なんてありえない妄想までしてしまうが、休むと言った以上そんなことをする気力もなくなった。


「……そういえば、」


 ふと思い出して重い瞼を開け視線を動かす。名前の不思議そうな顔がこちらを見ていた。気を抜いた顔は少し、昔の面影を残している。
 なんとなく。その彼女の面影を、手放したくないと思ってしまったので。

 昔のように、名前をからかうことにしてみた。


「……お前は、心配してくれるのだろう」
「…………え?」
「『それでなくても私が』、心配するんだろ?」
「……な、ぁ……!?」


 気づかないとでも思ったか。
 先の名前の言葉を付け足して、そんな風に伝えれば、昔のように顔を真っ赤にしてこちらを見る。
 これからもこの顔を見続けていくのだろうな、と根拠の無い未来を描いて、カイトは再び目を伏せた。その口元に、淡い笑みを浮かべて。




君はモルヒネ
(これだから苦手なんだ)(お前に依存している気分になる)



Title...ポケットに拳銃
2018.01.24 執筆
僕らが生きた世界。