過去にしがみついて涙した
とうさま、とうさま、とうさま、とうさま。
その言葉を何度も繰り返し口の中で呟いて、嚥下する。パーティで賑わう会場のおかげで、その言葉がとうさまに届くことはなかった。
どうかしたのかい、と振り向くとうさまはもう昔のお姿ではなくて、昔よりもはるかに小さく、無邪気な笑顔を私に向けた。
「いいえ、何でもありません、トロン」
私の声も、あの頃より随分変わったものだ。どういう風に、とは言えないけれど。
否、それだけじゃ、ない。いろんなものが変わったのだ。私も、とうさまも、兄さんたちも、弟のV……ミハエルも。
変わってしまったのだ。とうさまが異世界に行ってしまった、あの瞬間から。
「そう? それならいいんだけど。ああ、そうだ。何か変わったことはあったかい?」
「変わったこと、」
驚いた。聞いている意味は間違いなく違うのだろうけれど、私の考えを見透かされたように思えたからだ。
けれどそんなことは絶対にないし、それをトロンに知られてしまえばきっと彼は私のことをバカだと嘲笑う。
だから、私はそんな態度をおくびにも出さずにただ淡々と事実を告げるのだ。
「……ベクターと名乗る少年が、トロンのことを訪ねに来ていました」
「ベクターが? それで、彼はなんて?」
「トロンが元気かどうか、それだけを聞いて立ち去りました。……お知り合いですか?」
「ああ、うん。命の恩人みたいなものだよ」
ということは、彼は異世界の人間なのだろうか。異世界に迷い込んでしまったとうさまを助けた、とうさまの、トロンの命の恩人、ということは。
おそらくこの紋章の力も、あの少年によって渡されたものなのだろう。
……複雑な気分だ。とうさまが無事だったことにはとても嬉しい。
けれど、とうさまは変わってしまった。あと、わがままを言ってしまうのなら、私がとうさまを助けたかった、なんて。
「……時間です、行きましょうトロン」
Mr.ハートランドへ戦線布告をしに。昔のとうさまはこんなことをするようなお人ではなかったけれど、あの頃のとうさまはもういなくて、ここにいるのは復讐者トロンで。
「うん、そうだね」
「……」
「うん?」
ここでトロンが宣言してしまえば、もう戻れない。否、戻るつもりなんて元々ないのだけれど。
W兄さんが凌牙を陥れたあの時から、戻れないことは、知っていたけれど。
だからこそ、最後に。
「……私が守るからね、とうさま」
「……」
とうさまは、答えの代わりに一つ、幸せだった頃の笑顔をこぼした。
さあ、行こう。とうさまの合図で、会場の電気を全て落とす。暗闇の中に涙を隠せば、とうさまは軽い足取りで会場を歩き渡る。
無邪気な邪気を孕んだ声が、会場に響いた。
「僕、ケーキだぁいすき!」
過去にしがみついて涙した
(あの頃にはもう戻れない)
Title…Discolo
執筆…2014.10.26