薔薇のトゲ、猫のツメ


 貴方はまるで猫のようね。
 そう形容した私のことを、彼はにゃはは、と猫っぽく笑い飛ばしていた。
 だってそうでしょう? あなたは突然現れて、そして気まぐれに消えていくのだから。


 彼と私が出会ったのは、少し前のこと。私がダイモンエリアで、破壊活動をしていた時の話。
 沢山の人がいる中でも彼は一際目立っていた。派手な格好をしているとか、決してそんなのではなかったけれど、彼のまとう雰囲気が、周りの人とは全然違ったから、思わず私はその姿に声をかけた。


「……名前は?」


 そうね、その行為は今思えばいわゆる「逆ナン」とかいうやつかしら。
 魔女としてではなく、十六夜 アキとして、仮面をせずに話しかけるのはとても勇気が必要で、声が震えてしまった。
 そんな私の姿を見て、彼はふっと笑う。そして極めて優しい声で一言、


「名前」


 闇にのまれたような真っ黒な髪を靡かせて、彼はそう言った。
 金色の目を優しく私にむける。あまりにも綺麗なその目に射抜かれて、呼吸が苦しくなった。
 止めて、止めて。私をそんな目で見ないで。

 話しかけたのは私なのにね、あの頃は、ずっとそう思っていた気がする。
 私は黒薔薇の魔女。その仮面をすぐに見抜かれて、壊されてしまいそうで、思わず逃げ出した。私は黒薔薇の魔女でいなければならなかった。

 名前はそんな私のことも受け止めてくれた。初めて声をかけたその次の日も彼はそこにいて、今度は向こうから声をかけてきた。
 こんにちは。ただそれだけだったけれどとても暖かな言葉で、泣いてしまった。
 けれど彼はそんな私に驚くこともなく、私の背中を優しく撫でてくれた。

 それから私達は何度か交流した。彼の親が病気で死んでしまったこと、将来の夢が見つからないこと、好きなカード、食べ物……たくさんたくさん、話を聞いた。
 私から話をすることはほとんどなかったけれど、彼は楽しそうに私に話をしてくれた。

 そんな日々が終わったのはその数ヶ月後、遊星と私が初めて会った日。
 あれから私は彼に会うことはなかった。ディヴァインに止められていたのもあるけれど、ディヴァインが居なくなった後は後でパパやママとの時間を増やしたり、遊星たちといっしょにいたり、アカデミアにいたりと、彼に会う時間はなかったから。
 寂しかったけれど、仕方なかった。そもそも、名前が私のことを覚えているかわからなくて怖かった。


「……いないのかしら」


 ……それでも今日、久しぶりにこのダイモンエリアに来た。もしかしたらいるかもしれない、と思って名前と出会ったあの場所に来た、けれど。

 いないわね。
 もうすぐ海外に留学するから、もし、彼が私のことを覚えていたとすれば、最後に挨拶しときたかったんだけれど。
 ……さすがにあれからもう二年以上経っている。いなくったっておかしくはない。
 はぁ、と少しだけ肩を落として踵を返した。


「……もしかして、アキ?」
「!」


 後ろから声がして立ち止まる。聞こえてきたのは、随分と久しぶりな気がする低い声に心地の良さを感じて涙が溢れそうになった。
 ゆっくり振り替えれば、黒い髪に金色の瞳。あぁ、探していた、猫のような彼。


「名前……!」
「はは、本当にアキだ。……久しぶり」


 久しぶりにあった彼は記憶にあるよりも大人びていた。記憶よりも綺麗に笑う彼に、今すぐにでも抱きついてしまいたかった。
 ああ、愛しい。
 久しぶりにあったというのに、その感情が溢れて止まらなくなる。
 苦しい、愛しい。
 何もできない私を見かねたらしい名前が、小さく口を開く。


「どうしたんだ?」
「あの、えっと……」


 言葉に詰まった。なんだか、遠くに行ってしまう気がしたの。貴方が遠くにいくなんて、……考えたく、ないのだけれど。そもそも、私が貴方から距離をとっていたというのに。
 ん? と首を傾げるその仕草が猫っぽくて、ああ、何年たっても変わらないのね、なんて考えていたら彼が指を鳴らした。


「……そうだ、ついでだし伝えておく、会うこともないと思ってたんだけど……。俺、留学するんだ」
「え?」


 思いもよらない言葉に思わず声が漏れた。
 留学? 誰が? 私が? 違う、今の流れだと彼が、だ。
 私が伝えようとしたその言葉を、彼は私に向けて言った。どうして、と顔を上げれば、彼はあの頃と変わらない優しい目で私を見る。


「俺さ、なんていうか……人と関わるのが苦手でさ……お前が話しかけてくれる前なんてずっと一人だったし。
 でも、アキと出会って…思ったんだよ。あぁ、人ってこんなにあったかいんだ、って。
 だから、俺。そのぬくもりを失わせないような仕事につきたくて」


 ぬくもりを、失わせないような。その言葉にはっとして彼を見る。そんな偶然、あるわけない。そう思いながらもその言葉を待っている。
 もし、もしも、私の夢と彼の夢が重なるとしたら。


「俺、医者になりたい」


 彼の猫目が、表情が綻ぶ。ああ、あぁ!
 ほら、やっぱり貴方は猫なのね。私の前に表れたと思ったら、すぐに消えようとするんだから。
 でも、今回は。


「そう。……一緒の職場になれたらいいわね」
「え?」


 聞き返そうとする名前に、半ば強引に唇を重ねた。
 名前が私を忘れてしまわないようにと、長く、長く。彼の唇に薔薇のトゲを刺すように、深く。


「あ、き?」
「……薔薇のトゲは痛いでしょう?」


 目を見開いた彼はあたふたと自分の唇を触る。ああ、だめよ、私の感覚を忘れないで。唇に触れるその手をとって、首を横へと振った。
 踵を返して、名前から離れる。あぁ、顔が熱いわ。私、こんなに彼を愛してたのね。


「トゲは、抜いてなんかあげないわ。……また、きっと会いましょう?」


 勿論そんな確率が低いことは知っている。だけど、それでも。
 名前とはまた再会できる──そんな予感が、薔薇の香りとともに掠めた気がしたの。



薔薇のトゲ、猫のツメ
(だって彼は猫だもの、きっと薔薇の前に現れるわ)



title…反転コンタクト
2015.06.29 加筆修正


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僕らが生きた世界。