昼間の喧騒とはうってかわって、放課後の廊下はひっそりとしていた。
廊下の窓から教室の中をのぞく。すると、誰もいないと思っていたそこに、見なれない生徒の背中があった。「不審者やろか?」と心の中で呟いて、後ろ側の扉を開ける。

思っていたよりも大きな音がして、そいつは驚いたように振り返った。癖のついた暗い茶色の髪が踊ってるみたいに揺れる。目を丸くしてこちらを見るそいつを、どこかで見たことがある。いや、知っている。

「……駒沢?」

名前を呼ぶと、ほっとしたように微笑んだ。

「びっくりした。白石君やん」
「それはこっちの台詞や」

駒沢はいつも高い位置で一つに結えてる髪をおろしていた。それだけで雰囲気が変わってしまい、妙にドキドキする。
あー、あれや。浴衣を着た女の子のうなじにドキッとする感じの。
そんなことはさすがに口には出さずにいたが、こっちの思ってることが分かったらしい。

「ああこれ? なんか知らんけど、急にゴム切れてん」
「うわ、縁起悪ぅ」
「せやろ。今めっちゃへこんでてん」
「そーかそーか。で? 何してん。こんなとこで」

あまりにも自然に訊ねたものだから、駒沢は一瞬目を丸くした。が、すぐにその顔を真っ赤にする。しどろもどろになって、何か言い訳を探すように視線を泳がせる。その様子に思わず笑ってしまう。

「なんて、知っとるけど」
「えっ!」
「いつもここで待ってたんやろ。謙也のこと」

言い当てられて駒沢はますます顔を赤くする。

「知らんのはあいつだけや」

こんなにも分かりやすいのに、どうして当の本人は気付かないのだろうか。苦笑いしながら言うと、駒沢は大きなため息をついて机に突っ伏した。

「あー。いややわー。何でやろ」
「謙也はそういうことに踈いからな」
「うん。まあ、それもあんねんけど……」
「けど?」

思わず訊き返すと、駒沢は顔だけ上げる体勢になった。視線は謙也の席の方角にあり、自分とは合わない。そのままの体勢で駒沢はぼそりと呟いた。

「……何で謙也みたいな鈍い奴、好きになったんやろ……」
「……」

何故と駒沢は言ったけど、謙也が好かれるのは当然のことに思えた。
謙也は人を見た目で判断しないし、誰とでもわけ隔てなく接することができるし、思いやりもある。容姿にだって恵まれているし、明るくて話も面白い。俺の自慢の友人だ。
だから駒沢が謙也のことを好きだと知ったとき、俺は密かに「男を見る目あんな」と感心したものだった。

同時に、胸の痛みも覚えた。

別にナルシストというわけではないが、自分の容姿には少しばかり自信があった。周りからの、特に女子からの熱い視線の意味に、気づかないほど鈍感でもない。

「選び放題やん。ええなぁ」なんて冗談めいてこぼす友人の言葉に、軽く笑って「何やねんそれ。相手に失礼やろ。俺は本気で好きな子としか付き合わへんよ」などと言いながらも、内心「本気で好きな子」も自分のことを好きになってくれるに違いないと、そう思い込んでいた。

だから、これは予想外だった。

俺は駒沢のことが好きだった。このまま黙っているつもりはなく、いつか思いを伝えようと考えていた。それなのに思いを伝える前に失恋をしてしまった。実際には失恋ではないのかもしれない。その所為か、悲しいだとかそんな気持ちはあまりなかった。なんというか、拍子抜けした気分だった。

「白石君」
「何?」
「謙也にアホって言うておいて」

駒沢は目を合わせずにそう言った。

ホンマにアホや。
謙也も、俺も、そして駒沢も。

駒沢はきっと俺の気持ちに気づいていない。そうでなければ、謙也のことで相談なんてしないだろうから。そして、そのことが謙也を遠ざけているということに、まったく気付いていない。

謙也は謙也で、駒沢が俺のことが好きだと思っている。まさか自分のことで相談をしているなんて、謙也はみじんも思っていないだろう。人が良いあいつは、自分が身を引くことだけを考えているに違いない。

不毛すぎるやろ……。
駒沢に気づかれないよう、ひっそりとため息をついた。

「なあ、駒沢」

去り際、ふと思い出したことがあって、教室の入り口で立ち止まる。もう少しここに残ると言った駒沢は、顔を上げてこちらを見た。

「“愛は鍵屋を笑う”ってことわざ知っとる?」
「……知らん」

そう言って駒沢は首を横に振った。俺は続ける。

「なんか外国のことわざらしいねんけど、好きっちゅう気持ちは鍵をかけても抑えられへんとかそういう意味やって」

何故そんなことを言い出したのか、意味が分からないらしい駒沢は、目を丸くし首をかしげて、

「何それ? アドバイス?」

と言った。挑発のつもりだった俺は、苦笑いするほかなかった。


2016.05.17
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