所信表明
「敵が悪だって言い切れるの?」
次の出陣先を決めようとしている私の後ろからそんな呟きが聞こえて、平和ボケした自分の頭がさあっと冷えるような心地がした。
……声の主は、先日我が本丸にやってきた新入り、村雲江だ。これは早いうちに一度ちゃんと話をしないといけないな……。そう思いながら、私は曖昧な笑みを浮かべつつそっと出陣を取りやめ、どう伝えたものかと考えを巡らせ始めた。
***
「村雲くん。私は自分たちのことを、正義でも悪でもないと思っています」
「……え、急に何? っ、いてて、」
自分にとってセンシティブな話題を突然振られ、村雲江は反射的に眉をひそめ、おなかを抱えてきゅ、と背を丸めた。彼の怪訝そうな表情に心が負けそうになるが、言いたいことはここからだ。私は彼をまっすぐ見つめたまま言葉を続ける。
「うちは我を通します」
「我……?」
「そう。私は、何が正しいとか、誰が悪いからとかじゃなくて……私の我、私の欲望のために戦うってこと」
「……主の欲望って、何」
私の言葉を聞いて、村雲江はじっとりとした探るような視線を私に送ってくる。お金、地位、名誉、……色々な可能性を浮かべているんだろう。
欲望というものは、総じて悪に結び付けられやすい。彼は人一倍、そういうことに敏感だと思うから。彼の質問への答えを、私は努めてなるべく早く簡潔に口にした。
「少しでも長く楽しく、こうやって皆と一緒に居たい。以上」
私の返答が予想外だったのか、彼の怪訝な表情に困惑が混ざる。
「あっ、歴史を守るって目的を忘れてるわけじゃないよ。私たちが守ろうとしてる歴史が歪んじゃったら、そこでの話を基にして顕現してる刀……今ここにいてくれてる皆にも影響が出るかもしれないでしょ?」
「だから、私は、私たち自身や政府のことが正しいと思うからでも、敵が悪だと思うからでもなくて。皆と一緒にいたいな、っていう私の個人的な願いを叶えるために、今の歴史を守ろうと思うし……皆に戦ってもらうの」
言い終わり、少し不安になって「どうかな?」と照れ隠しにはにかみながら、村雲江の様子を見る。彼は黙りこんだまま視線を逸らすように目を伏せ、私の言葉を頭の中で咀嚼しているようだった。
その場に沈黙が落ちる。……なんだか気まずくて、もう少し言葉を続ける。
「私の場合はね……まあ、政府の言うことだし、自分に出来ることでみんなの役に立てたらなあと思って審神者になったけど……それから何年も経った今でもわからないことばっかり。歴史修正主義者たちが、本当はどうして歴史を変えようとしてるのか、その理由だってなんにも」
「え……言われるがまま戦ってるってこと……?」
不審げに眉をひそめた村雲江からは若干引かれたような気配を感じるけれど、本当のことだから仕方がない。
「うん、そう。私たちが守ろうとしてる今の歴史だって、もう既に誰かの手によって後から歪められた歴史なのかもしれないし、誰かにとっては正すべき間違った歴史なのかもしれない。けど、それって今の私たちには分かりようがないから」
「それでね、敵が悪って言い切れるのかって話についてなんだけど……」
「ほんとはね、私にも何が正義か悪かなんてわかんないの。だから、私は我を通そうと思う。……正義か悪かなんて、その時は誰にもわかんなかったりするよね。残った資料から後の時代が推測して勝手に決めたりするし……」
「だから、正義か悪かは……今、主にとってはどうでもいいってこと?」
そう私に問うた村雲江の少し低い声色にぴり、と背筋に緊張が走る。気取られないように、なるべく落ち着いて答えようと私は一つ息を吐いてから口を開いた。
「……ううん、考えないようにするってわけじゃないよ。ただ、自分たちの行動の根っこを、正しいか正しくないかじゃなくて、私自身の願いにする。ただそれだけ」
「多分ね、歴史修正主義者のなかには同じように、自分自身の願いで動いてる人もいるんじゃないかな。そういう相手と戦う時に……相手が間違っていて自分たちが正しいから、を理由にしたくないなっていうのもちょっとある」
「相手は相手の願いのために。私たちは私たちの願いのために戦うの。そうしたら、もし政府の方が……私たちの方が悪で間違ってたとしても、きっと後悔しないし、揺らがないと思うから」
「……ふうん」
村雲江は視線を逸らして、自分のおなかを庇うように、ぎゅ、と自分の腕をつかんだ。
「だから、村雲くんにも……良かったら、我を通してほしいなって思う」
「俺の……我?」
「ええと……戦う理由、とか……やりたいこと、みたいな……? ええと、確か五月雨くんは、季語を守るために戦いますって言ってくれてたんだけど、そういうこと」
「雨さんが……、」
村雲江の少し前に仲間に加わった、彼と仲良しらしい藤色の打刀の名を出すと、ぱっと顔を上げた村雲江の表情は目に見えて和らいだ。聞いていた通りの彼らの仲の良さを垣間見て、私も思わず口元が緩む。
「うん。五月雨くんは俳句を詠むの好きだよね。五月雨くん、ここに来てから色々なものを見て……楽しそうにしてくれてて嬉しい」
「そうだ、五月雨くん、花火を見ながら村雲くんのこと話してくれてね。……一緒に村雲くんのこと、待ってたんだよ」
「俺の、ことを……?」
「そうだよ。五月雨くんはもちろんだけど、私もね」
微笑んで、一呼吸おいて、私はもう少し話を続ける。
「うーん。ええとねえ……。そりゃあ、皆の一番の――元々の目的は、歴史を守るために戦うことなんだけど……」
「私たちに協力してくれようって、人の身体を得て顕現してくれたんだから……折角なら人の身体じゃないとできない色々なこと、沢山味わってみてほしいし……ここでの生活を楽しんでほしいなって思ってる。私の個人的な考えだけどね」
「村雲くんは、おなかいたくなっちゃうみたいだから……人の身体は大変だとおもうけど……。なるべく、その痛みが少しでも軽くなるようにしてあげたいし、」
「……俺なんか大事にしたって、いいことないよ」
いつものようにそう呟いた村雲江に、ふい、と顔をそらされる。
「もう、またそんな風に言って。何度も言うけど、私にとって村雲くんはもうかけがえのない大事な皆のうちの一人なんだって。大事な刀の一振りなんだから」
視線を逸らしながらもなんだかんだ話は聞いてくれている彼の様子は、引き取りたてでまだあまり懐いていない犬そのもののようだ。
「……それでいつかは、ここに来てよかったって思ってくれたら嬉しいな」
本当は、私が主で良かったと思ってくれたらすごく嬉しいけれど……そこまではまだ望まないや、そう思って口を閉ざす。
「……ええと、それでね、村雲くん。全部、ゆっくりでいいよ。この本丸で、ゆっくり、好きに過ごしてもらって――いつか、村雲くんのやりたいことが出来たら。その時は、よかったら私にも教えてね」
彼からの返事はない。まあ、言いたいことは大体言えたかな。そう思って、空気を変えようと声色を明るくして話しかける。
「そうだ、この後広間で皆に話をする予定だから……村雲くんも来てね。それが終わったら皆でご飯だよ」
彼の反応を待たずに私は、今日の献立はなんだったかな、と独り言をつぶやきながらその場を後にした。