アカいユウヒ



 日没は嫌いだ。
 山に溶けていく様子が火事を連想させる。雲があれば色味が変わるからまだ我慢できる。でも、今日みたいによく晴れた気持ちの良い日は、カラスが鳴く前に、空が青いうちに帰らないと心がもたない。冬は余計辛い。日が短い分、夏場よりも早く日が沈む。天気のいい日は空を見ないように帰るけど、それでも眩い光がうざったいほどに存在を主張する。
 今の季節は秋。まだ明るいけどそれでも夏よりは紅い。サークルになんて入ってたら、サークルにもよるけど帰る時間が遅くなるから入ってない。一部のやつは私を笑ったけど本当に辛い。今日は講義が日没近くまである日。必修科目だから入れただけで、本当は日没前に済ませてしまいたかった。
 自分の特性を分かっているのになぜか帰りのバス代を忘れてきてしまっていた。帰れない距離ではないし別にいいけど問題なのは日没の光だけ。あれだけは避けたくて早歩きをするけど、青い空がほんのり赤みがかってきていてとても間に合いそうになかった。日傘がないわけではないけど、そんなのただの気休めであってもなくても差はない。
 本当についてない。
「大丈夫か?」
 いつの間にやら近くのコンビニの前で蹲っていたらしい私に優しい声が降ってきた。聞き覚えのある声。下を向いている顔をあげれば予想通りの人物が心配そうに眉を下げていた。
「嵐山、大丈夫だよ」
「顔色悪いぞ」
 ちょっと待ってろ、と嵐山はコンビニへ入っていった。空はもう手遅れなくらいオレンジ色になっていた。こういう日は空が暗くなるまで近くの公園だったり誰かの家で休憩してから家に帰る。どうやら今日はそのコースらしい。紅い光も、紅い空も。今だけはあかいものが見たくなかった。
 コンビニの日陰はそこまで役に立たず、結局コンビニに入ってウロウロすることにした。コンビニは狭いというのに嵐山の特徴的な髪形が見つからない。
「コンビニの前で休んでいてよかったんだぞ」
「うっわ、びっくりした。コンビニの中の方が落ち着くかなと思って、嵐山捜索のついでに歩いてた」
 私が夕日が苦手なことを知っている人はいない。大学の先生方には伝えてあるけれど、それでどうというわけでもない。夕日が苦手だと言っても誰も信じてくれなかった。それなら、と思って誰にも話さず今日まで来てしまった。あぁ、そういえば嵐山ってボーダーだったなぁ。隊服は、赤色だったっけ。ぼんやりしていると、躊躇ない力で手を引かれた。掴んでいる手は嵐山。
「ほら、これからレジに並ぶから外で待っててくれ」
「……無理」
「どうしてだ?」
「その、」
 嵐山の声に他意は見えなくて心配してくれてるんだとわかったと同時にこんなことを彼に話しても理解してくれるかが不安になった。嵐山はそんな奴じゃないと分かっていても今までの経験が不安にさせる。私がずっと言い淀んでいる間にもレジの列は進んで、次というところになっていた。
「そこのスペースで待っていてくれ。急に聞いてごめんな」
 優しい手つきで頭を撫でてきた嵐山。兄妹がいるって聞いたことがあるし、元々の性格もあってお人好しなんだろうな。その優しさに心が痛む。
 今売られているチケットを見ても興味の出るのはなくて、ただぼんやりと形をとらえているだけ。きれいな紅い光が差し込んでいるのが我慢できなくて、窓ガラスに背を向けたけど周りは紅い。なんで今日はこんなに天気がいいんだろう。憎い。
 日の入りは微妙になるけど東向きのコンビニ探せばよかったかも。
「お待たせ。さすがにコンビニ長居はできないからどこかに移動しよう。どこか行きたい場所はあるか? 家に帰りたいなら送っていくぞ」
「近くの公園で休みたい」
 嵐山は何か言いたげな顔をしていたけど、「わかった」と微笑む。さすがボーダーの広告頭。人を安心させるのが得意だ。
 夕日を見たから歩けないだとか倒れるだとかはない。ただ、気分が優れなくなる。酷い時には視界がぐらつくけど、基本はそれ。公園に向かっている間も嵐山はずっと私の体調を気にしてくれて逆になんだか申し訳ない気持ちになった。
「訳を聞いてもいいか?」
「あー、うん。信じてくれるかはわからないけど……」
 気分が悪くなっていた理由と夕日の関係、夕日が苦手な理由、嵐山から貰ったペットボトルのお茶を包みながら話せることを自分なりに伝えた。伝えている最中にもあの日のことがフラッシュバックして少し辛かったけど、嵐山はまっすぐな瞳で私の話を聞いてくれた。
 話し終わっても馬鹿にする声はなくて、「話してくれてありがとう」というなんとも嵐山らしい言葉がかけられた。社交辞令かもしれない、ただ何となく言っただけなのかもしれない。でも、その言葉にひどく安心した。
「嵐山、そういえばボーダーは」
 ぽこ、という音に遮られた。どうやら嵐山のスマホの通知音らしい。嵐山は画面を見て「あー……」と微妙な反応をする。表情はやっぱりか、と言っているように見える。
「すまない……話を聞いておいてなんだが急いでボーダーに行かないといけなくなった。一人にしても大丈夫か?」
「うん。なんとかなる」
 否、なんとかなるじゃなくてなんとかする。今は心做しか心に青空が澄み渡っているような気持ちにもなっていた。
 ボーダーの方向へ走っていく嵐山に手を振り、見えなくなってもその場に立っていた。帰ろうと思って振り向くと、そこには熱い夕日がある。さっきまでは何とかなると思っていたのに、なぜか拒絶反応が出た。お茶はまだ一度も開けていなくて、開ける力も出ないというのと気分が悪い時のお茶は喉の通りが悪く残念なことに気分を落ち着けるには最悪な条件。
 ついてない日はその日中ついていない、なんて誰が言っていたっけ。
 公園の木陰に腰を下ろして深呼吸をするけどなかなか落ち着かない。日が沈むまでここで大人しくしているしかないのかもしれない。別にこれはいつも通りのことで気にすることはない。いつもと同じようにただ日常が過ぎていくだけ。
 なのにどうしてこんなにも心細いんだろう。
 地面に寝転がる度胸は小学生の頃においてきたため、なんとか立ち上がり公園のベンチまで歩いた。ベンチの上に寝そべって冷たいペットボトルで視界を隠す。お茶越しの夕陽はお茶で薄められて少しだけきれいに見える。でも、今更。もう歩く気力は残っていない。眠れば、多少は和らぐかな。静まった住宅街に足音が響いてくる。それはこちらに向かっているみたい。
「あぁ、やっぱりまだここにいた」と数分前まで聞いていた声の主がこちらを覗き込むようにして立っている。お茶で濁って表情なんてわからないのに容易にその表情が想像できる。本当にお人好しすぎるよ、嵐山。
「大丈夫じゃないよな? 迷惑じゃなければ俺が送りとどけるよ」
「ボーダーの急用があるんじゃないの?」
「目の前でつらそうにしている人をほっておけるわけないだろ。仕事は頼りになるチームメイトに任せた」
 お茶を退けるといつの間に着替えていたのか赤い隊服に身を包んだ嵐山が視界に映る。太陽にも夕陽にも負けないその隊服は、嵐山にぴったりで不思議と気分は辛くならない。嵐山は不思議だ。
 動かない私に「この隊服もダメだったか?」と嵐山は眉を下げる。
「大丈夫。大丈夫だよ気にしないで。お言葉に甘えて送ってもらいます」
「そうか、それなら良いんだ」
 嵐山に支えてもらいながら、嵐山に道案内をしながら家までの道を辿っていく。なんとなく、本当になんとなく嵐山を見上げた。個性溢れる髪型にきれいな翡翠の瞳。私の視線に気がついたのか嵐山がこちらを向いて目が合った。なぜか目がそらせなくてじっと見つめていると頭に手を置かれた。嵐山の顔が見えない。
「着いたぞ」
「え、あ、ほんとだ。どうしてここだってわかったの?」
「表札、だな」
「なるほど」
「嵐山、本当にありがとう」と頭を下げれば謙遜する声がかけられる。
 顔を上げれば夕陽を浴びて輝いている嵐山。それは当たり前なんだけど、その姿がとても眩しくてきれいで。偶には夕日もいいなんて思えた。それとほぼ同時に、胸が今までとは違った苦しさを感じたけど気づかないことにした。


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