無料版はここまでです

「明日、ラーメン食べに行くか」とアキが言った。
 明日は休みだったし、パワーは焼肉食い放題のご褒美と引き換えにマキマさんのとこへ血抜きに行ってるし、一昨日のバラエティ番組でラーメン特集を見てからというもの、一度でいいから野菜と肉が山になって積まれた濃厚豚骨ラーメンとやらを食べてみたかった俺は、食い気味に拳を突き上げて「行く!」と叫んだ。
「イエ〜〜イ、ラーメン!」
「寝坊したら無しにするからな」
「しねえ! ずっと起きてる!」
「ちゃんと寝ないと連れて行かねえ」
「九時に寝まぁす!」
 公安庁舎の廊下、隣を歩いているアキがフフって感じでちょっと微笑む。横を通り過ぎた事務のお姉さんが二人とも、ちらっと顔を寄せ合ってアキのことを見上げてからキャ〜って喜んでいた。分かるけどさぁ。
 アキはまぁ、ツラがよくて背もそこそこ高いし強ぇしチョンマゲだけどシュッとしているし料理もうまいけどさあ。分かってっけどさあ。お姉さん、俺んことは全然見向きもしなかったぜ。つまんねぇよな。
「なんだよ、急に」
「早パイばっかモテんのずりぃよなぁ」
 ちょっと笑っただけなのにィ。
「お前はヘラヘラし過ぎだ」
 アキはぶっきらぼうに呟いたけど、それでもなんだか嬉しそうだった。
 最近アキは結構笑う。別に悪くない。悪いか良いかで言えば良い。むしろ百点だ。アキは俺ンことが好きだから、そういう感じになってるのが馬鹿な俺にもちゃんと分かりやすくて良い。
「帰り、コンビニ寄っても良いか?」
「アイス買ってくれんならいいぜ〜」
 澄ました顔で「ストックあんだろ」なんて言っちゃってる早川センパイは、先週、愛の告白ってやつを俺にしたのだ。流れでキスもしてしまったのだ。ベロキスまでしちゃったのだ。濃くてやべ〜やつをベロベロしちゃったのだ。超気持ちかった。
 でも、あれ以来アキはなんか嘘みたいに普通だった。告白したからアキは俺の恋人ってのになったんじゃないのか。普通、ベロキスした関係ってなんていえばいいのだろうか。俺ぁ義務教育受けてねーから分かんねえけど、恋人って普通は男と女がなるヤツなのかもしれない。じゃあ恋人じゃないのか?
 友達、も、なんだか微妙だ。姫パイとはゲロキスもして友達になろうって言われてオッケーしたけど、愛の告白はしてなかったよな。
 アキとオレ、どういう関係なのか分かんねえ。
 段だら坂を下りながら、俺はそう自問自答するはめになった。難しいこと考えると頭良くなるけど疲れんだよな。
「ラーメンさぁ、アキと俺とで行くの?」
「パワーもいたほうが良いか? でも野菜マシマシラーメンだろ、お前の食べたい店」
「そうなんだけどオ、三人一組で割引っつってたぜ。あの店。もう一人いたほうが安くなんねぇ?」
 俺はうまいモンの記憶力に関してはマジで最強だからちゃんと覚えてる。テレビ番組の放映に合わせて、来週いっぱいまでは三人一組ご来店で一人二百円サービス引き、しかもチャーシュー肉一枚追加のキャンペーン実施中だったはずだ。
 パワーを連れていったら絶対、野菜をぶちまけて店内でひっくり返って駄々捏ねるのは分かってっけど。早パイには俺やパワーだけじゃない、ラーメンぐらい誘えばついてきそうな知り合いがそれなりにいることを、俺だって知ってる。どうせなら、ツラのいい女とも行ってみたい。さっきの事務のお姉さんみたいな。テレビ画面の向こうでラーメンの熱い汁をふぅふぅするグラドルの唇、エロかった。やっぱいいぜ、ラーメン屋。
「お前、ちゃんと金勘定はできるんだよな」
 妄想の中で湯気と汁まみれになってテカっていた唇は、アキの声を発して現実に俺を引き戻した。信号が赤なので、二人並んで立って待つ。
「そりゃ、借金返してっときに騙されたらムカつくだろ? だからちゃんと勉強したぜ」
 ふうん、とアキは感心してるんだか呆れてるんだか分からない声で返事をした。でも馬鹿にされているわけじゃないことは分かる。アキは俺のことをしょっちゅう馬鹿だって言うけど、頭の中身を馬鹿にはしない。俺んことが好きだから馬鹿にしないしラーメンも食べてくれる。
「好きぃ」
「え?」
 やべ、ちょっと漏れちまった。なんでもねぇって誤魔化したら、アキはそれ以上追及してこなかった。代わりに、まだ赤のまんまの信号を穴が開くほど見つめながら、小さい声で呟いた。
「俺は……二人で行きたいから誘ったんだよ」
 青になったので、アキはさっさと歩きだした。白い耳の皮膚がほんのり赤いような感じになってて夕焼けが眩しかった。
 俺は叫びだしたい気持ちを抑えきれなくて、白線の上をはしゃいで走ってコケそうになった。
 アキってやっぱ俺ンこと好きじゃん。好き確定。

◆ ◆ ◆

 ちゃんと寝たから翌日になった。
 アキは始め黒いシャツを羽織ってたけど、制服と同じ色じゃんって俺が言ったら、真剣にクローゼットを開けたり閉めたりしながら見慣れないパーカーとか引っ張り出してきて、可愛くなっていた。俺も一応寝ぐせはとって身奇麗にして家を出た。外に出ると風が結構冷たくて、絶好のラーメン日和だった。
 青色のラインが入った電車に乗って、めあての駅につく。休日の繁華街は祭りみてえに人が溢れていて俺は人の多さに一瞬ひるんだ。生まれたところが田舎だったから、都会のこういう景色には未だにビビっちまう。うまいもんが多くてツラのかわいい女の子がいっぱいいて好きだけど、ムサい男もぼったくりも多いのが都会だからな。
「どうする、まだ腹減らねえだろ」
 改札を出たところで、アキが腕時計を見ながらそう言った。時間は十時半を過ぎたところだった。確かにどうせラーメンを食べるなら、めちゃくちゃ腹が空いてからの方が良い。空っぽの胃にどろどろ豚骨スープを招き入れてやりたいぜ。口の中によだれが溜まってきて、俺はつばを飲みこんだ。暇潰せるならなんでもいいぜ、と返すと、アキは駅から繋がっている大型ビルのインフォメーションに目を通し始めた。背中を向けたアキは、いつものスーツ姿じゃないってだけで、なんか新鮮だった。家でフツウの服着てるのも見てるけど、今日の格好はなんか学生みたいだった。羽織ってるパーカーのせいだな。アキは鏡の前で渋ってたけど、俺は好きだなって思った。しみじみ観察していると、アキがぱっと振り返って俺を見た。
「お前、映画とか見る気あるか」
「映画館、超好き〜」
 何てったってマキマさんと一日中はしごした思い出スポットだ。映画館を回りまくった。途中、マキマさんにおごってもらって舌が溶けそうなほど甘いケーキも食った。マキマさんとの初デート、俺の人生最高ランキングトップテンに入るハッピー体験だ。あれ、この話、アキにしたっけ。
「いや、初耳……じゃあ映画は止めとくか」
 俺から目を逸らしたアキが、何となく悲しげな面持ちでまつげを伏せた。深緑のパーカーに埋もれてる白い首筋を少しだけ引っ込めて俯かれると、こそばゆくて居たたまれない気持ちになった。マジでツラがいい。その美形面でこんな切なげな顔をされると、口の中に溢れるぐらいよだれが溜まってくる感じがして、俺はまたごくんとつばを飲み込んだ。
 アキの唇の奥に並んだ白い歯の中に、俺の唾でべたべたの舌をつっこんだことがあるんだよな、と俺は思った。ベロキスしたときのことを思い返す。唇の内側が濡れてて、上のほうのざりざりしたところを撫でるとアキは嫌がって、エロい息が漏れてて、くらくらして、溶けるみたいな感じで、たまんなくて。
 駅のど真ん中で、興奮しちまったじゃねーか。
「なんならラーメン屋、並んで……」
「いいじゃん。映画で。俺ぁ糞映画もひとしく愛せるぜ〜」
「見る前から糞映画とか言うなよ」
 沈んでいたように見えたアキは、俺がベロキスの脳内リプレイをしている間に気を取り直したのか、いつもと同じ調子で俺の先を歩き始めた。ビルの上は映画館になってるらしかった。寝ちまったら寝ちまったで、アキは許してくれるだろう。
「置いていくぞ」
 へぇへぇと間延びした返事をしながら、俺はエスカレーターを昇っていくアキの背中を追いかけた。

◆ ◆ ◆

 一番大きなホールでやってる映画が、ちょうど入場が始まる少し前のタイミングだった。
「俺、先に便所行ってくる」
「分かった。チケット買ってくるからそこら辺で待っておけよ」
 言うなりさっさと勝手に売り場に行っちまったアキと分かれて、俺はロビーの便所に行こうとした。休日だから映画館も激混みだった。トイレの前に男も女もたむろって喋ったり突き合ったりしている。何だよここ、みんなデート中じゃねーか。
 仕方なく男子トイレに向かって歩き始めて、それからふと、俺はマキマさんとの映画館めぐりで学んだことを思い出した。
 そうだ。チケットを買って中に入ってからも、確かすごい数の便所があったんだ。何ならロビーより快適だったっけ。
「便所は後でいいや。それより、ポップコーン食いてえな」
 尿意は切羽詰まってなかったし、俺はひとまずアキに塩とバターのたっぷり香るポップコーンをねだろう、と頭ん中を切り替えた。振り返ってチケット売り場の列を見る。でも、アキはそこに並んでいなかった。背伸びして探しても、いなかった。
「んあ? どこ行った?」
 長蛇の列を作ったチケット売り場はあんまり進んでいなくて、すでにアキが券を買い終えたとは到底思えなかった。なのに、アキは何ともう軽食の列に並んでいて、ちょうど俺が食いたいと思っていたポップコーンの看板を指さして、注文しているところだった。先に食いモンをゲットしたのかと思いきや、アキの右手にはちゃんと券がぴらぴらと二枚のぞいている。
 どういうことだ? 口を開けてぼけっと突っ立っていると、アキが軽食と飲み物を両手に持ったまま器用に人波を抜けながら、こっちに向かってきた。俺に気が付いて、ちょっと目を見開く。
「なんだ、もう行ってきたのか? ちゃんと手洗ったんだろうな」
 アキが俺の手をじろりと見下ろす。いや、便所行ってねえ、とも言い出せず、俺は「おう」とだけ答えた。
「こっち、お前の券」
 アキが映画のチケットを一枚、俺に寄こした。学割って書いてある券だった。俺、学校行ってないのに良いのかよって聞いたけど、アキは良いんだよって素知らぬ顔で押し通した。バイトの男も何も言わなかったからいーけどよ。
 大きなホールはすでに大音量の予告編が上映されていて、どこも人で埋まっていた。端っこの方に席を見つけて、なんとか二人で座り込んだ。アキの隣には先客の男がいたけど、その奥の席の彼女っぽい女が「席替わってよぉ」って急に駄々をこねはじめていた。またかよォ。
「おい、デンジ。それ全部食うと腹いっぱいになるからな。程々にしとけよ」
「分かってるって。なぁ、この映画、どんな話」
「ジャンルでいうならアクション映画」
 いっそう暗くなったホールで、アキが少しだけ俺の方に体を傾けて、ささやいた。なんでもないことを秘密みたいに言われて、俺はちょっとどきどきした。暗がりで見るアキの横顔は、スクリーンの明かりを浴びて不思議な感じがした。
「早パイが見たかったやつ?」
「え?」
「だってさァ、券、最初っから持ってただろ」
 予告が終わって、上映中のマナーを知らせるお決まりの映像が流れ始めた。もう会場に入ってくる人は殆どいなくて、アキが小さく息をのむ音も、俺にはばっちり聞こえてしまった。それから「見てたのかよ」って呟く声も。別に、盗み見してたわけじゃねえけど。え、何でそこで泣きそう? 俺なんも酷いこと言ってねぇし、やっぱそうなんだって答え合わせしただけで。いや、いくらそりゃバディが死んだら泣くし玉ねぎ切ってても泣くアキだけど、今なんでンな顔するわけぇ。
「悪かったな、―――予定してたんだよ、ほんとは」
 ばばーん、と大きな音が鳴って派手に映画のタイトルロゴが全面スクリーンに映し出された。軽快な音楽とともに、主人公の男がかっこいいバイクで砂漠を走っている。俺はそれを半分見ていたけど、全然本当は見てなくて、アキのそっぽ向いた横顔ばっかり見つめてしまった。
 デートじゃん。 あれ、これってデートだったんじゃねえ?
 アキは俺と映画館デートしたかったのかぁ。
 愛の告白もしたし、ベロキスもしたし、「今日から恋人だね」って手繋いで言われたわけじゃねえけど、わざわざ暇潰しの思い付きみたいなフリしてちゃっかり映画の券まで用意して、アキは俺と二人っきりで来たかったんだな。へー。へー。
 全部声に出して言ってやろうと思ったけど、もう映画はどんどん進んでいるし、アキは相変わらず全然こっち見ていなかった。でも座席のひじ掛けを掴んでる指がちょっと震えてて、俺は爆睡している腹の上にパワーが全力で乗っかって来た時みたいに心臓がヒュッとして、それから敵の攻撃にあって吹っ飛んだバイクみたいに粉々に爆発しそうになった。
 俺より年くってて背が高くて「黙れ」とか「言う事聞け」とか偉そうなことばっか言う早川センパイが、可愛かった。可愛いってなんだ。マキマさんみたいに、髪の毛さらさらで華奢で胸がでかくて尻がきゅっと締まってる感じの、やわらけえ女が可愛いんだ。早パイはたしかに、髪の毛さらさらで尻もきゅっと締まってて唇もやわらけえけど、ごつくて胸も筋肉でかちこちの男だ。男なんだけど。
 視線がうるさかったのか、ちら、と困ったような顔で俺を振り向いた。アキは、やっぱ可愛かった。
 ロマンチックな音楽が流れて、女が体をくねらせているエッチっぽいシーンが流れてたけど、俺はそんな事よりもっと体中むずむずするような感触に悶えるのに必死だった。
 家のソファの上だったら、どうにかしてしまえたのに。俺はつまり猛烈に今キスがしたかった。ベロキスじゃなくても良いから、アキのほっぺたを掴んでこっちを向かせて貪ってみたかった。さっきの上映マナー映像には「キスしちゃいけません」って出てこなかったしな。
 でも俺の予言によると、キスをしたら多分アキはめちゃくちゃ怒っちまう。ラーメンもお預けコースだ。だから代わりに俺はアキの方に手を伸ばした。太腿に触りてえな、と思ったけど、そういうのはセクハラ?ってやつだからやめて、手の甲をちょこっとつついた。小指で触れてから、全部の指でそぉっと撫でた。アキが平気な顔して映画を見ながら俺の手をそっと握ってくれた。
 なぁんで俺まで茹でだこみたいに赤くならなきゃならねーんだ。
 映画の内容は最後まで何も頭に入ってこなかった。隣のアキのことばかり考えているうちに、映画は終了しちまった。


 他の観客と一緒にぞろぞろと列になって外に出る。アキは主演のアクションシーンがどうのこうのと褒めていたけれど、俺が手に汗握っていたのは早くふたりっきりになれる場所を探したくて、うずうずしていたからだった。
「そろそろ腹減って来たか?」
 しれっとした声でアキが振り返って聞いてくる。薄暗がりで盗み見ていた時とは違って、その顔はいつもの良識ある早川センパイに戻っていた。なんかずりぃ。さっきまで俺とおんなじ、ドロドロになりそうな顔してたくせに。
 俺はまどろっこしい気分に耐え切れなくて、アキの腕をつかんで引っ張った。
 出ていく客とやって来た客でごった返しているエントランスを突っ切って、どんどん歩いていく。
「デンジ、どこ行くんだ――」
 少しだけアキの声が揺れていて、不安そうな響きが堪らなくて、どうしようもない。
 エレベーターをわざと通り過ぎて非常階段の鉄扉を開けると、俺はバタンと音を立てて閉じたそこにアキの背中をぐいっと押し付けた。口を近づけて言ってやる。
「今すぐキスしねぇと、俺ん心臓、爆発しそう」
 アキは顔を赤くして、困ったような目つきで俺を見た。ちら、と周りに視線が泳いで、それから大人しく伏せられる。
 良いんだな、と思ったら途端にぐぁっと口開けて頭っから丸呑みしてやりてえほど滅茶苦茶な気分になった。
「っ、ふ……」
 唇を触れ合わせて、一度離してまたくっつける。あーあ。キス、二回目。もうちょっとムードのあるとこでするつもりだったのに。映画みたいに。
「んっ、ふ……」
 ゆっくり唇を合わせてから、ちゅっちゅって音を立てて吸う。やらしいキスだなって思ったらまた興奮して、止まんなくなった。アキの口に舌をねじ込んで柔らかい歯や舌を舐め回したりしてるうちに唾液が混ざってきて、頭がぼおっとしてくる。
「んぁ……」
 アキの口が開いて俺のをぱくんっと飲み込むみたいに動いた。ベロが絡まって、もう駄目だった。食っちまおうと思ったのに、なんか俺が食われそうな気分。やわっこい舌がぴとっとくっついたと思ったら、そのまま俺のをしゃぶるようにじゅうって吸われる。
 目ぇ開けてアキん顔が見たかった。おそるおそる薄目を開けてみたら、アキはちゃんと瞼閉じてて、眉間にシワ寄せて一生懸命って感じだった。ゲロ吐きそうな程可愛い。
「っ、ふぁ……アキ……」
「ん……」
 ぢゅるるって下品な音立ててから、ようやく口は離して貰えた。がっつきすぎたこと怒られるかもって身構えたら、腰に手が回って抱きしめられる。デレの供給過多に俺の息も止まる。
 はぁ、って溜息ついたアキの声が掠れて、なんかちょっと甘かった。耳がかっと熱くなる。俺ん体はずっとポカポカしすぎて、汗かいてるくらいだった。
「アキ……、なぁ、」
「なんだ」
「もー、さぁ……帰ってイチャイチャしようぜ」
 渾身の俺のお誘いを、アキはバッサリ切り捨てた。
「ラーメン食うんだろうが」
「う……、」
 ぐぅ。腹が返事する。そうなんだけどオ。
 アキはくっついてた体を離して、ちょっと皺の寄った服をあっという間に直した。さっきまで抱き合ってたとは思えねぇくらい、いつも通りのすましヅラで「行くぞ」って扉を開け放つ。
 喧噪が押し寄せて、俺は口を尖らせた。もうすっかり乾いちまったここ。アキの唇と、ちゃんとくっついてたよな。俺、ちゃんとアキとキスしたんだよな? え、夢ェ?
「デンジ」
 アキが振り返って、俺を呼んだ。まぶしいホールの灯りを背中に受けて、アキの輪郭が光って見える。きらきらして見えんのは俺の目がおかしいからじゃねえんだろうな。
 恋すると世界が輝く、ってさっきの映画のヒロインが言ってたし。アキの目もなんか、うるうるして見えるし。唇も、なんか濡れてみえるし。
 やっぱキスしたんだなって思ったら、俺ん目もうるうるし始めてる気がして、俺は慌てて袖でごしごし両目を擦った。


◆ ◆ ◆


 昼飯時になって通りはいよいよ混み合っていたけど、アキは身長が高いから見失う心配はなかった。連れ立って野良猫みたいに路地をいくつもすり抜けて街を歩いていく。
 お目当てのラーメン屋は、繁華街から外れた細い路地にあった。こぢんまりとした店構えだが、客が引っ切り無しに出たり入ったりしている。店内奥からはジュージューとなにかを焼く音と、食欲をそそる匂いが漂っている。
「ここ、絶対餃子もうまそぉ〜」
 思わず声が漏れちまったのを、アキはちゃんと聞いてくれた。入口の食券機に小銭を入れて、餃子付きが売りの野菜モリモリ特製ラーメンを2つ注文してもらう。
 テーブル席に座って、今見たばかりの映画のあれこれを話題にしながら待つこと十分弱。
「おまたせしやした!」
 店員が運んできたラーメンのどんぶりから、むわっと白い湯気が立ち込める。麺は細めのストレート、スープには背脂が浮かび、メンマやネギなどの具材もたっぷり乗っていた。
 これ、これ。これが食いたかったんだった。パワ子が丼ごとひっくり返しそうな野菜モリモリ豚骨ラーメン。
 俺たちはそれぞれに割り箸を割ると、いただきます!と同時にラーメンに口をつけた。熱いスープが舌を灼き、麺がよく絡む。
「んまぁ〜〜〜!腹にしみるぅ〜〜」
「はふ、んっ……うまいな……」
 アキもラーメンの熱さに息を詰めながらも満足そうに笑ってる。湯気が立ちのぼる丼の中身が、あっという間に腹ん中に消えていく。
 俺はもぐもぐ元気よく口を動かしながら、じっとアキの顔を盗み見た。
 伏せた睫毛だとか、顎から喉仏にかけての滑らかなラインの白さだとか、唇に残るスープの跡がちょっとエロいとか。色気もムードも何もない路地裏のラーメン屋なのに、アキがそこにいるだけで、たちまち心が出来立てラーメンの汁みたいにぐつぐつ煮えてくる。
 触りてえ、撫でてみてえ、アキの全部、食っちまいたい。
「……欲しいなら買ってこい」
 食いにくいんだよ、とぼやきながら、アキが杏仁豆腐を匙ですくってちょっと躊躇った顔をする。俺は素早く身を乗り出して、ぴよぴよ囀るひな鳥みたいに唇を突き出した。
「一口ぃ」
「ばか」
 アキが呆れた瞳の中に照れを隠して、ちっとも馬鹿にしてない悪態をつく。ちゃんと口元に匙が寄せられて、白く滑らかな表面に唇が触れた。
「あまぁ……!」
 ふわんとした食感と優しい甘味が口の中に溶けて、思わず声が出た。アキはもう無言で、さっきより多めにすくった残りを大して味わうそぶりもせずに平らげてしまった。
「ご馳走様でした!」
 二人して手を合わせ、心もお腹もほくほくと満ち足りた気分で店を後にする。
 外は冬の入口にしては暖かな陽気で、久しぶりによく太陽が顔をのぞかせていた。
「今日、いい天気だな」
 アキが空を仰ぎ見て眩しそうに目を細めた。白い頬に日差しが反射して、睫毛の影が長く伸びて揺れてて、キレイだった。
「腹膨れたし、歩こうぜ。何なら手ぇとか繋いじゃう?」
「繋がない」
 素っ気ないアキの返事は予想通りで、でも歩く歩調を合わせてくれるアキはやっぱり可愛くて、駅までの然程目新しくもない街並みが、途端に色鮮やかに輝いて見えた。
「なぁ、アキ」
「ん」
「もうすぐ、クリスマスじゃん」
 街角のイルミネーションが、赤と緑で統一され始めてるのを見上げる。アキが前を向いたまま「ああ」と頷く。
「欲しいものあんの、今言ってもいい?」
「……なんだ?」
 アキの歩調が少しだけ、ゆっくりになる。歩行者信号が点滅を始めたので、横断歩道の手前で二人とも立ち止まった。
「一日中、アキが欲しい」
 前を見つめたまま一気に言いきった。今しかない、って気がした。言っておきながら聞こえてなきゃいいのにってぐらい、俺の声はちっちゃかった。
 アキはぴくりとも動かなくて、俺は沈黙に耐えられなくなって下を向く。信号が変わって、一斉に往きかう車のエンジン音に掻き消されそうな声が、鼓膜を震わせた。
「随分安上がりだな」
 ぽそっと漏らされた少し掠れた返事が、夜明けの優しい光みたいにやわらかく、俺の耳と心臓を突き刺した。思わず顔上げたら、アキは俺を置いてさっさと横断歩道を渡っていた。
 歩行者用信号機の上からピヨピヨ陽気なメロディが流れてくるのに合わせて、俺は踊っちまいそうだった。
 手、やっぱり繋いでおけば良かったぜ。


 アパートが見えてくると、気持ちが急に忙しなくグルグル回り始める。
 終わっちまうんだな、デート。
 いや、朝は確かにラーメン食いに行くつもりだったんだけど。デートだった。映画見て、買い物して、隠れてキスまでしたし。
 そうだ。キスしたんだった。思い出したら心がそわそわ落ち着きなくなってきた。
 アパートの階段は一段足をかけるごとに、謎のカウントダウンを宣告されているような心地を寄越して、繋いだ指がじんわり熱くてちょっとだけ恥ずかしい。玄関の鍵を開けて、中に入るまで、スローモーションで世界が明滅する。
 狭い玄関ドアを閉めたらアキに抱き着いて、噛み付くみたいに口付けた。
「んっ、んっ…………」
 アキが珍しく焦ったような顔で、鼻にかかった声をもらした。三回目のキスは、持っている荷物が邪魔でうまくできなかった。三回目なのに。何回やったらうまくなんだ。
 もどかしく腰を揺すると、アキは眉間に皺を寄せて俺を引っぺがした。
「待て、ま、て」
「待てませエん……も〜〜ムリ…むり…」
「なにばかなこと言ってんだ」
 呆れるアキを押しこくって、俺はアキの手首を掴んで、もう一度ちゅって触れるだけのキスをしてから、唇を離した。
「なぁ……だめ?」
 背伸びしたら、なぜか舌打ちされた。顔、コワ〜〜〜。
 アキが持ってた袋を呆気なく捨てて、今度は俺ん首根っこ捕まえて、思いっきり深くキスしてくる。
 アキが俺にしてくれるやつは、全部気持ちよかった。玄関の壁に背中預けたまんま、首傾けて俺とキスするアキは、ちょっとエロ過ぎて目眩がした。くっついてた唇が離れて、代わりにベロだけ出してぬるっとなぞられると、背中までゾクゾクした。
 口移しで餌を貰う生き物みたいにしつこく舌を吸う。アキの唾は、なんか甘い気がする。
「ん、んぅ……ふ……」
「んっ……ぅ」
 夢中でキスしてると、体の奥で燃えてる火がどんどん燃え盛っていく感じがして気持ちいい。お互いの口ん中も外もべたべたになるほど長い時間繋がって、舌の根っこが痛くなりそうな頃にようやく離れる。
 息が切れて、はぁはぁ言いながら顔を見合わせる。
 アキが、きゅっと眉を寄せて、溶けてた顔を引き締めた。
「靴、踏んでる」
「んぇ、あ……わりぃ」
 爪先立ちしてた俺は、慌てて足を浮かした。見上げたアキは、照れて赤くなったりなんか全然もうしてなかった。俺の横をすり抜けて、靴脱いで部屋ん中に入っちまう。
 え、終わりぃ? これって今からベッド行く流れじゃねぇの?
 呆然として玄関に突っ立ってた俺は、慌てて靴を脱いでアキの後ろを追いかけた。
「アキぃ」って甘えた声で呼んでも、アキは振り向いてくれない。大股で歩いてアキは荷物を部屋の隅っこに放り出すと、くるりと俺の方に振り返った。
 それから急に赤くなって、目を逸らす。もっかいするかって糞ちっちぇえ声で呟いたアキが、首まで赤くしてんの見たら、俺はもう何も言えなくなった。
 今度こそ、しっかり目ェ合わせてからキスをする。
 四回目でやっと成功したから、めちゃくちゃ舌入れた。



 っつーことで、アキとラーメン食いに行った話。これでおしまい。
 はあ、続き? 有料に決まってんだろ。

>> list <<