とっくのとうに君のもの

 箸の上げ下げから言葉遣いまで、社会の常識と人間さまの営みを事細かにデンジに叩き込んできた早川アキが、できるだけ覚えさせたくない、と遠ざけていることがいくつかある。
 例えば、煙草。肺を腐らせるのは当然のことだが、デンジがいくらロープ一つで新鮮な肺を取り戻せるのだとしたって、なるべく吸わないでいてほしい。
 何かに依存する人生であってほしくない……なんて健気な話は建前で、単純に煙草を断った俺の前で吸わないでくれ、というのがアキの一番の我が儘な理由だ。
 もっと言えば、夜更けにベランダに出て、手摺にもたれかかって煙草の一本もふかしているデンジを想像するのは、正直ひどくそそられる。うっかり惚れてしまいそうで、そんなことは口が裂けたって言いたくはない。
 あとは、酒。間違いなく、デンジは酒に弱い。
 へべれけに酔って人様に迷惑をかけるだけでなく、酒席で間違ってスターターロープを引っ張ったりしたら、大惨事だ。
 そうでなくても軽い口が酒のせいで殊更滑らかになって、いらないことまで暴露しまくる姿も想像に難くない。お前の中だけの秘密にしてくれ、なんて囁いたところで、きっと喜ばせるだけで終わるのだからどうしようもない。
 ――と、ひとまず酒と煙草を遠ざけておくことに関してはそれなりに気を使っていたアキだったわけだが、まさかここにきて、ダークホースが表れるとは思いもしなかった。
 しかもコイツは酒や煙草と違って、購入の際に年齢確認を必要としない。世の中に溢れかえっている。簡単で便利。
「アキ、アキ、なあ、こっち向いて」
 ジ、ジ、とフィルムを巻きあげる音がする。
 ファインダー越しに見つめられて、アキはあえかな息を零した。必死で眉を寄せて、嫌がる顔をそむける。
「………いま、撮、るなって……」
「ん〜〜、もう、ちょい、顔上げて」
 ぐん、と突き上げられて「うあっ!」と声が漏れる。シャッター音と同時にフラッシュが焚かれて、一瞬アキの視界は真っ白になる。
 ひっ、と息が詰まって、アキは悔しいぐらいに感じいった身体を震わせた。耳まで火照って熱くて、溶けそうになる。
「んっ……んんっ……」
 快感の波が引いていかないうちに深く口付けられて、舌先を絡め取られた。ぎざぎざの歯に軽く舌を食まれて引っ張り出され、あふれてきた唾液をだらだら流し込まれてえづいて、アキは上も下も酩酊状態のままシーツを手繰り寄せた。
 指の先で、何とかデンジの手を離れた悪魔のアイテムを、つまり使い捨てカメラを取り上げようと藻掻く。だけど、こんな時ばかり目敏いデンジはあっさりとアキの目論見を見抜いて、わざとらしく寸でのところでカメラを取り上げてしまった。
 この野郎、と毒づいたアキの潤みきった目元に宥めすかすようなキスを落として、それで許されると思ってるのだから始末が悪い。
 旅行に行ってからどうにも、調子に乗らせすぎたのだ。と、アキは猛省している。デンジの裸の首に、ちゃりちゃりと揺れている白銀の輪っか。取り上げてやろうか、と歯を立てるつもりが、弱いところを責め立てられて霧散する。
「アキ、な〜〜に怒ってんだよ、気持ちくねえの?」
 リズミカルに浅い所を抜き差しされ、腹の裏側を捏ね回されて、それだけでたまらなくなる。 
 言いたかった文句がゴリゴリ良い所を掠められるたびに削られていって、アキの喉からは短くて甘い呼吸の音だけが零れていく。
「あっ、あ、そこ、ばっかり! は、あぅ…… う、ぁ」
 汗びっしょりになったアキの膝裏を掴んでいるデンジの手も、燃えるように熱い。
 ぐい、と膝頭が胸につくぐらいに脚を折り曲げられて、いっそう深くまで穿たれて、ひっ、ひぅ…… っ♡とアキは押し出されるような嬌声を上げた。
「んぁ…… アキん声、今、糞可愛かったァ…… 」
 だらしなく快感に溶けた顔つきで、デンジが惚けたことを呟く。可愛い、なんて全く嬉しくない筈なのに、それでもデンジが馬鹿みたいに褒めてくれるから嬉しくて仕方ないのが悔しい。
 自分で自分に蹴りを入れたくなって、実際に足はプラプラと空中で揺らされているだけで、もう思考も体もグズグズのままアキは重たい瞼を閉じて快感を貪った。
 視界を閉じると、身体の奥の行き止まりを捏ね回されているのが生々しく感じられる。ごりゅ、と内臓を押し上げられるたびに背骨に痺れるような快感が走って、おそろしいことにそれが気持ちいい。
「あっ、あうッ! ん、ん〜〜…… ハァっ、あァっ… !」
「アキ、可愛い、すげえ好き…… っ」
 もっと気持ちよくなって。と吐息混じりに囁かれて、頭の芯がぼやけていく。
 アキは壊れたおもちゃみたいに、こくこくと頷いた。嬉しそうな目が真上にあってアキの体に降り注いでいるのが、見なくたって分かる。
 閉じたままの瞼の裏側に、夏のぎらつく陽光が容赦なく照りつけていた。申し訳程度のカーテンが焼けるぐらい暑い。
 昼間っから、いくらパワーもナユタもいないからって、ろくすっぽ鍵もちゃんと確認しないで、汗だくになってこんなどうしようもないセックスに溺れてる。
 煙草だの酒だの、そんなものをいくら遠ざけていたって、結局一番不純なものをアキはデンジに教え込んでしまった。
 どうしようもない。誰か叱ってくれ。
「あっ、は、ァ…… ッ、あ、あぁっ! うっ、んン〜〜っ!」 
 がつがつと腰を打ち付けられて、一際苦しい悲鳴が喉から迸る。アキのペニスはもうすっかり限界まで勃ち上がって、腹につくほど育ち切っていた。トロトロと先走りを零すそこに、デンジが手を伸ばしてくる。
「ひぁ…… っ! あッ、あ、ばか、さわるな…… !」
「ちんちん、ほっておかれて、かわいそぉ〜〜だからよぉ」
 デンジがふざけた調子で裏筋を撫でて、ぐりぐりと先端をくすぐってくる。僅かな刺激も、コップの淵まで快感をため込んだアキの体を崩壊させるには十分で、アキは呆気なく絶頂に昇りつめた。
「や、あ、ァ、イく…… っ! アぁ――ッ!」
 びくんっ!と腰を突き上げて、アキの体は衝撃に揺れた。
 デンジに弄ばれていたペニスからぷしゅっと精液が噴き上がって、アキの腹の上に白く淫らな模様を伸ばす。爪先まで力が籠もって、アキは体の中で熱いものが爆ぜる甘苦しい感覚に眩暈をおぼえた。
 じわじわ追い詰められるのも、急に高められるのも、どっちだって堪らない。射精した瞬間の気持ちよさと、腹の奥のさみしさが同時に襲い掛かってくる。
「あっ、あっ…… うぅ、ん…… 」
 こまかな蠕動に締め付けられて、デンジの息が熱く湿って、「う〜〜っ…… 」と耐える唸りを零した。そのまま食いしばった歯を少し開いて、アキの耳たぶに甘く歯を立ててくる。
 何もかもに敏感な今のアキにとって、それは全身を戦慄かせるほどの快感だ。
 ちゅぴ、と濡れた音がして、耳のふちを舌先が舐めていく。
 アキは両手でデンジの背中を搔き抱いた。
 密着した裸の胸に、悪魔の尻尾と、白銀の輪が挟まる。揺れているそれらが、デンジの命を繋ぎ止め、アキに生きる意味を与えている。
「ん、んン…… まて、はぁ、ちょ、っと、待て… 」
「はぁ、アキ、アキっ、ん…… 動、きてぇ」
 熱病に浮かされたような囁きが耳朶を擽って、アキは目を上げた。
 目の縁が熱を持って、ぼんやりと霞んでいる。視界いっぱいに映るデンジの顔は汗と唾液でぐちゃぐちゃで、お預けを食らった動物みたいな顔つきで、アキに許しを乞うている。
 その顔で見下ろされると、なんだか全部許したくなってしまうから怖い。頭のネジが緩んでる。夏のせいか?
 アキは覚束ない左手でデンジの頬を撫でた。自分の薬指に光るリングが、呆れたみたいに光っている。これのせいかも。
「ん…… ハァ…… ゆ、っくり、な」
 言うと同時に、アキは首の後ろに手を回し、デンジを抱き寄せて唇を合わせた。湿って柔らかくて、熱い舌に自分のそれを絡ませる。鼻と鼻をくっつけて頬擦りして、深く浅く口付けながら甘ったれた空気に酔いしれる。
「っ、ハァ…… あ〜〜、た、まんねえ…… 」
 くちゅくちゅと容赦なく腰の動きも再開されて、アキは何度も沈み込んだベッドの中に再び深く押し込まれた。身体の一番深いところに硬いペニスがごりごりと擦り付けられて、呼吸もままならない。 
 苦しい、のに、たまらなく気持ちいい。たまらなく好きになる。一生懸命アキを愛そうと、この身も心も貪ろうとしているデンジが。
「あっ、あ゙っ、んぁっ、あァ〜〜ッ! あぅ…… っ」
 馬鹿みたいに情けない声がひっきりなしに上がってしまう。快楽の波に溺れた身体を持て余して、だらしなく緩んだ口元から唾液をこぼしながら腰を揺すっていると、いきなりカメラのシャッター音がした。びっくりして目を見開くと、アキの痴態をフィルムに収めたデンジが、「へへっ」と得意げに歯を見せてくる。
「やべえな、これ…… 」
 俺いまめっちゃくちゃエロいもん撮ったぜ、と誇らしげに呟いて、デンジは腰を大きく引いた。
「ばっ…… 、んなもん、撮るな…… ァ!」
「いいだろ、げんぞぉ、しないからァ」
 アキが我に返った瞬間を見計らったように、再び押し込められるペニスの硬さと的確さ。アキの泣き所を容赦なく責め立ててくる小狡さ。
「は、ぁッ! あ゙っ、あ゙ぁっ……あっ、や…… 」 
 何度も何度もいやいやと首をふるアキの頤をつまんで、すっかり悪い遊びの虜になったデンジが戯れにカメラを巻き上げる。ジッ、ジッ、とフィルムを巻き上げる微かな音が、いやらしい音になって、鼓膜にこびりつく。
 つくづく、デンジに持たせるんじゃなかった。旅行中だって、デンジが撮った写真はことごとくアキしか写ってなくて。これは惚気じゃなくて。ああ、もう。
「アキ、へへ…… これ、さぁ、カメラ向けっと、めちゃくちゃ締まんの…… っ、知って、た?」
「っ、うぅ、あ、恥ず、かし…… んっ、だっ… て…… 」
 ぐちゅ、ぬちゅ、と卑猥な音を泡立たせながら、アキは腰を揺らめかせて甘えた。熱く蕩けた粘膜を乱暴に捏ね回されて、快楽に染まった声がひっきりなしに上がる。
「〜〜っ! あ、ぁ… い、く…… イク!」
「アキ、かわい…… っ」
 くしゃりと乱れた前髪をデンジの手が梳き上げてきて、焦点の怪しい視線が交じり合う。瞳の奥では情欲と愛欲が熾火のように燃えている。
「あ、デンジ…… 、ん、ン」
 アキが口火を切ると、すぐに甘いキスで塞がれた。角度を変えて何度も何度も啄みながら、息継ぎの合間に舌を絡める。
 その間もずっと体の奥ではぐちゃぐちゃに濡れた粘膜を擦り合わせられていて、アキはとんとん促されるまま射精した。
 びゅく、と精液を吐き出すと同時に、後ろを締め付ける。
 喃語みたいに意味不明な音の羅列でデンジが呻いて、アキの中で精液が弾けた。
 火傷しそうなほど熱い精液をどぷどぷと注がれて、腹の奥から爪先まで甘苦しい痺れが走った。
「…… あ――…… 」
 全身汗だくで、今更のように回っている扇風機のそよ風が気持ちいい。
「デンジ…… 重い…… 」
「う〜〜もう無理イ…… 動けねえ〜」
 達した直後の気怠さに任せて、デンジが全体重をかけてのしかかってくる。アキは避ける余力もないまま、大の字になってベッドに沈み込んだ。時計を見るのも恐ろしい。
 ふと左手の先に硬質な感触が触れて、意識をそちらにやる。カメラだった。
「あっ! アキ、っ、カメラぁ! 壊すなってエ」
 デンジが慌てて跳ね起きる。
 アキは左手に掴んだカメラを握りつぶすほどの膂力で、ベッドの隅にぶん投げた。
「あ〜〜っ! モノ投げんな! カメラやさんに失礼だと思わねえのかよ!」
「うるさい。ふざけんな。金輪際やるな」
 アキはデンジの頬を片手でつねりあげて、叱りつけた。なのにデンジときたら「へっ」と嬉しげに笑って、アキの手を絡め返すと、そこに煌めいている指輪にこれ見よがしに口付けてくる。
 手慣れた仕草に、アキはむっつりと黙り込んだ。
 どこで覚えてくるのか、時々妙に大人びたことをするからたちが悪い。
「いつかよオ、写真じゃなくてビデオもばんばん撮れるようになんねえかな〜〜」
「未来の悪魔によるとそんな未来は永遠に来ない」
 『おめでとう、すぐ来るよ』とおちょくった物言いで予言する悪魔の声には聞く耳持たず、アキはごろりと寝返りを打って両目を閉じた。
 エアコンの稼働音と、扇風機の首を回す音が、耳を涼し気にくすぐる。遠くで蝉が鳴いている。  
 ふとデンジの指先がアキの手に触れて、そのままぎゅっと握り締めてきた。
 夏とセックスの匂いを纏わせた指先が、絡まって汗ばむのも構わずに手を繋いでくる。
 夢の波打ち際まではぐれぬよう、二度と生き急ぐこともないように。死が二人を分かつなら死の悪魔だって縊り殺す。
 まどろみに落ちるまでの数秒間、アキは無邪気で強欲な愛を焼き付けながら、デンジの手をいとおしく握り返した。

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