とおくの春

 デートといったら映画だろ、というデンジの謎理論に押しきられ、朝から映画館を二人ではしごした。
 流行りの映画はアクションシーンが派手で見どころが多かったが、ストーリーは序盤から結末が透けて見えるような安直な筋書きだった。男と女が出会って困難を乗り越えて愛をはぐくむお決まりのパターンだ。
 塩気の濃いめなポップコーンを無造作に放り込みながら、ラストの軽いラブシーンまで適当にやり過ごした。ハッピーエンドのキスから始まる次作への匂わせを含めて中々したたかな商業魂を感じたのだけど、デンジはわりと満足そうだった。
 元々女優がデンジの好きそうな、つまりマキマにどことなく似た風貌をしていたのも、プラス評価に繋がったのかもしれない。
 二本目はミステリー仕立てのやや暗めな演出が洒落ていた。演劇じみた台詞回しは少し鼻につくと思ったが、慣れてくるとこれが中々面白い。ただデンジは途中から寝ていたので、映画の趣味はどうやら合わないらしいことだけは分かった。
 まあ、薄々気づいていたことではあるが。


 スクリーンの暗さに慣れた瞳を、春の陽光がまぶしく迎える。
 映画館を出ると、ぐしゃぐしゃに泣いた顔やら鼻息荒いニワカ映画批評家やら、大量の客たちに押し流されるようにして、隣接しているショッピングモールへと移動する波に瞬く間に飲みこまれた。
 春の陽気に浮足立った若者達がごった返すパステルカラーの店内は、つい昨日の夕方、道路を挟んだ向こうで悪魔が出たことなんて、まるで知らない顔をしていた。
 右も左も、色とりどりの春めいた服や靴がならんで客を誘っている。甘くていいにおいが漂うだだっ広い通路を、右へ左へ縫いながら歩いて、硝子張りの広大なフードコートに点在する椅子とテーブルの一つを占拠した。
 デンジは念入りにコート内を二周して、ステーキ肉の分厚い鉄板をよだれを垂らしながら持ってきた。
 焦げついた肉の舌触り、香辛料の染みこんだ湯気、じゅうと焼け付くソースのにおい。どれもこれも食欲をそそって、自然と腹の空き具合を自覚する。
 額と鼻の頭に汗をかきながら、競うように食らいついた。合間に噛み合わない映画の感想をはさむのも忘れなかった。
 油脂分たっぷりのしょっぱい物を平らげたあとは、キンキンに冷えたビール……とはいかないので、代わりに奇天烈な色をしたアイスクリームを注文した。
 綿菓子のようにふわりと口の中でとろけるくせに、舌に強烈な色をのこすのが可笑しかった。
 子どものように舌を出して見せびらかすデンジの無邪気な鼻をつまんで笑ってやると、デンジは可哀想なぐらいむせていた。わざとじゃなかった。でも、ちょっと罪悪感。


 デンジときたら四六時中Tシャツを伸ばして着古しているので、たまにはボタンの付いたシャツの一枚も見繕ってやることにした。
 無難に色の落ち着いたものを選んだ。柄物を合わせると、いよいよチンピラ感が増すので、くれぐれも気を付けるよう言い含める。
 でも多分、デンジの柔らかい金髪には、黒が一番似合う気がした。
 例えば学生服のようなシンプルな黒。
 そうだ。デンジはきっと学ランが似合う。


 互いに一つずつ紙袋を片手にぶら下げて外に出る。日はすでに背の高いビルの向こう側に隠れて、黄昏のぬるい風が首筋を撫でた。
 タクシー乗り場も電車の駅もすぐそばだったのに、デンジの背中は反対側へと進んでいく。
 帰路につく人々の喧騒から逃れるように、裏通りをいくつか折れ曲がって通り過ぎて、やがてぽっかりと開けた小さな公園が見えてきた。



 小さな木道がくねくねと三日月をえがいて、小さな公園のふちを囲っている。
 桜の花びらが満開に近い密集具合で枝を色づかせ、日中は恋人達の穴場スポットにでもなっていただろう一帯も、夜が満ちはじめた今はもう静けさを増していた。
 丈の長短ばらばらな草むらに所々埋められた自動点灯機がぼんやりと足元を照らす中、デンジはようやく歩みを止めた。
 春の世界の中で、二人の濃い影が溶けてゆく。



「……ンで、ど〜だった? デンジくんのサイキョーデートプラン」
「思ったより良く考えられてた」
「すげぇ上から来やがった」

 アキはそっと視線を流した。
 向かい合っているデンジの肩越しに、眠らぬ摩天楼のネオンサインが、桜の枝の隙間から透かし模様のように散らついていた。
 あのどこかに今夜も悪魔が湧き出て、デビルハンターがそれを命を削って倒している。血みどろになって、なりふり構わず、それがすべてと信じきって。
 渦中から離れてみると、なんて小さな功績だろうと思った。
 人の営みがつくりだす眩しい生のエネルギーはあんなに温かく、したたかで、力強い。人一人の手で守りきれるものなんかじゃ到底なかった。
 誰かが悲愴な気持ちで背負えるほど、平和は小さくなかった。それでよかったのだ。
 俺も、お前も、きっともうちょっとくらい我儘に生きたって良かったんだ。
 
「映画も良かったし、肉も美味かったよ」
「だろォ! 俺はあん中じゃ、あの肉屋が一番オトクで美味い店だと思ったね! あれはぜってえ高級ワギュウってやつだぜ」
「オーストラリアの国旗立ってたけどな」
「それに、服なんか三着も買っちまったし〜」
「デートに来たらパンツ買おうとするなよ」
「あッ、あとォ〜、あとな! アイスも味見し合って間接キスしたぜ」
「ひとくちで半分持っていったアレのことか」

 デンジがぶすくれて、「早パイ、注文うるせえな」と小石を爪先で弄って蹴り飛ばす。
 アキは少しばかり笑って、顔を上向けた。
 夜気にかおる桜のほのかな甘さが、優しく体の芯を満たした。

「でも――ここを最後に選んだのは、すごく良い」

 ありがとう、と小さく口にすると、デンジはしきりに目を瞬かせてから、どもった。
「………あ、そォ……そりゃ、どうも」

 照れたデンジの言い草にちいさな震えが混じっていることを、アキは瞬時に悟っていた。でも、指摘する程の余裕は無かった。 
 宵の空にたゆたう桜のほころびから漏れる春のにおいと、捉えどころのない風が足元からふきあがって、どこか遠くまでいけるような気持ちを煽る。
 春の悪魔がいたずらに心を揺らす。
 
 アキは息が漏れぬよう、下唇を挟んだ。
 デンジが今すぐこの残った片手を取って、揺さぶって、どこか遠くまで行こうと叫んだら、頷いてしまいそうだった。
 そんな微細な心の揺れを互いに察せるほど、デンジと共に過ごした日々が、愛おしくて憎らしかった。
 明日が来るのがこんなに惜しい今日を用意したデンジが、愛おしくてたまらないほど憎らしかった。
 アキの寿命が間もなく尽きようとしていることを、デンジが初めて知った、最初で最後の春が、ゆこうとしている。



「次は……、次来る時は、相手に荷物なんかあんまり持たせるなよ」

 言った傍から「そもそも、今日だっておまえの荷物ばっかりじゃねえか」と冗談めかして苦笑するアキの柔らかな輪郭を、拍子抜けした顔つきで、デンジは眺めた。
 いっそ無邪気なほどの言葉を反芻しながら、随分長い間、ただ眺めた。

「………」
 さら、さらと、微かな葉音が耳をすり抜けて、桜色の薄ぼんやりとした闇の狭間にいると、デンジは眩暈がするようだった。
 ポチタがうずくまった形のまま動かしている心臓の真ん中に怒涛のように押し寄せてくる何かの塊が、情け容赦なくデンジの喉を締め上げた。


 アキと殴りあって喧嘩をしたことがあった。
 アキが死なないように徹夜で神様に祈った。
 アキに笑いかけられると息ができなかった。
 アキが好きだから好きになってほしかった。


 昼間のアキの、全部が全部、鮮やかに思い出せるほどデンジの記憶にこびりついていた。
 光るスクリーンに見入る端正な横顔を、寝たふりをして思う存分盗み見ていた。
 口を開けて肉に歯を立てる雑さも、はみ出したソースを指で拭うときのちょっとした色気も、案外極甘いアイスクリームが好きなところも、堪能した。
 矯めつ眇めつ人の洋服をえらぶ真剣なまなざしも、自分の服にはそれでいて無頓着な選び方をするちぐはぐさも、可愛かった。客にも店員にも見惚れられて、振り返られて、死ぬほど妬けた。

 
「……デンジ?」


 今更、そういうこと、言うのかよ。と思った。
 この期に及んで、これを最後の思い出作りにしようとしてるアキが、憎らしくてたまらなかった。

 
 春の宵と酔いを孕んだ風が頬を撫でて、向かい合う二人の間をすり抜けた。
 わずかな隙間風さえ耐え切れなくて、デンジは無防備に立ち尽くしているアキの片腕をぐいと引っぱるや否や、体勢を崩したアキの体を丸ごと抱き締めた。
 買った紙袋が、ぼてっと音を立てて転がった。
 手放したそれの代わりに抱きしめたアキの体は、憎たらしい程に温かく、もう間もなく形を亡くすなんて到底信じられなかった。
 

「こういうときは……デンジがスキぃ、って、いう流れじゃねえの」

 息苦しいほどの抱擁を押し付けながら、デンジが悪態じみた言葉の切れ端をもぞもぞと零した。
 アキの背中に腕が回り、服の余りを掴んでいる。
 狂おしく合わせられた胸と胸の間で、悪魔と人間の鼓動が共鳴する。素肌に灯火がうつる。

 アキはその全てに酩酊した。何もかもが崩れていく気分だった。
 淡い桜色のしじまの中、甘ったるくおちていく心地好さに身を委ねながら、互いの鼓動だけを頼りに生きて、眠れたら、どんなにか幸福だろうと思えた。
 溶け合うほどに肌を重ねて、ささやきあって、まだ知らない横顔を擦り寄せあって。
 そういうささやかな欲を願い、明日を願う。

 この感情を手放すことの後悔と、今片腕だけで抱き締めた命のかたち、手の中にある温もりを愛おしいと思う、このどうしようもない情動は、アキの知るどんな言葉にさえできるはずもない。

「……デンジ、」

───好きだった、たぶん。とても、おまえのことが。



 言うべき言葉は何一つ形にならぬまま。
 春はとおくへ、ゆこうとしている。

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