3.声/背面座位

 ドラッグストアで、デンジは新しい入浴剤を物色していた。
 夏らしく涼やかなパッケージの商品が、棚の一番目のつく高さにずらりと並んでいる。涼感成分をうりにしたものが多く、湯の色も似たり寄ったり青色ばかりが目立っている。
 このところの猛暑を考えれば、当然のラインナップかもしれない。毎日とにかく暑い。うだるような熱気に、日中は出かけるのもためらってしまう。アスファルトは焼けて熱をはらみ、夜になっても気温はほとんど下がらない。今夜も熱帯夜だ。
 だからせめて、少しでも湯上がりがひんやりとする入浴剤を選びたい。
 クール、涼感、すっきりミント……似たようなうたい文句がおどる入浴剤の中から、青々とした海のイメージ写真が目立つ箱を手に取ってみる。
 裏返して、説明書きに目を通す。湯の色はまさに海そのもの。でも香りはミントの天然成分。
 はてさて、アキは気に入るだろうか。故郷の海を思い出して喜ぶか、それとも潮の匂いがしない偽物にへそを曲げるか。いたずらに恋しがらせて海に帰りたいと言い出したら、ちょっと困る。
 真夏の海で拾った人魚はうつくしく、北の雪原のように白く、見目の麗しさを裏切って口が悪い。
 一瞬の逡巡のあと、デンジは買い物かごにそれを放り込んだ。思い出したら、会いたくなってきた。早く、帰りたい。

「ただいまア…」
 ぼろい木造アパートの二階は、むしむしと熱気をこもらせていて息苦しい。急いで稼働音のうるさいエアコンをつけて、汗ばんだTシャツを脱いで、デンジは浴室のドアを勢いよく開けた。
 せまい浴槽の中から、返事の代わりに水しぶきがあがる。ふちに肘をついてぼんやりしていたアキが、青い目をまばたかせてデンジを見上げた。
「おかえり」
「水、ぬるくなってねえ? 今日すげえ暑かっただろ」
「今日……も、だろ。どうなってんだ、陸の夏ってやつは」
 頬杖をついたままうんざりした顔でぼやく男の、水面から見えている上半身は、いたって普通の人間だった。
 厚みのある胸に、しなやかな二つの腕。ひろい肩にかかる黒髪は小さな浴室の窓からこぼれる陽光で、つやつやと光って見える。白い肌は雪のように細やかで、でも残念ながら平らな胸にはふくらみがない。つつましやかな色をした乳首がぽちりと浮いている。
 デンジがじっと見つめると、諫めるように水しぶきが勢いよくあがった。むっとした顔の下、上半身からつづく下半身には、ひとの足の代わりに魚の尾がある。にびいろの鱗に長いひれ。海底のどこかを泳ぐ人と魚のあいの子。
 猛暑でやられた頭がいまだ長い夢を見ているのでなければ、デンジはこの夏、海岸線で人魚を拾ったのだ。
「アキ」
「……何だ」
 おざなりに、でもきちんと返事をしてくれる。一人ぼっちで生きてきたデンジに、初めてできた同居人。嬉しくて、思わず意味もなく呼んでしまう。にやにやと顔が緩む自分を感じる。
「だらしねえ顔」
 口ぶりよりずいぶん優しい眼差しを向けられて、デンジはすっかり上機嫌のまま、「へえへえ」と相槌をうった。
 それから浴室のドアを開けっ放しにしたまま、いったん部屋に戻る。ビニール袋の中から買ってきたばかりの入浴剤を取り出すと、急いで風呂場に戻った。
「なあ、アキの好きそうな海っぽいやつ買ってきたぜ」
「海っぽい……?」
 小首をかしげるアキに個包装された一つを手渡し、そちらに気を取られている内に、デンジは湯船の栓をひっこ抜いた。「あっ」と焦ったような声をあげるアキを押しとどめて、蛇口の温度設定を湯に切り替える。
「俺も風呂入りてえんだよ。それ、入れてみようぜ」
 残りの服を脱いでいる間、アキは黙って入浴剤の表示にじっと見入っていた。
 浴槽の中は見る間に水が減って底が見えはじめ、それから湯量を増やすとあっという間に、湯気がたつ。半分まで湯がのぼってきたところで、デンジは「お邪魔しまぁス」と足をいれた。
「おい、狭いだろ」
「オレん風呂だぜ、ここ」
 アキの背中側にまわって、ねじこむように座る。身をよじるアキのからだを寄せて、入浴剤の包みを開けるよう促した。つたない手つきでアキが袋を破る。バスボムには青い粒々がつまっていた。
「これ、何だ?」
「だから入浴剤。入れてみろよ。あ、シュワシュワすっからあんま息、吸わねえ方がいいかも」
「はァ?」
 訝しげなアキの手を取ってやって、デンジは湯の中に入浴剤を落とした。
 小さな粒はすぐに溶けて水面に広がり、たちまち強い泡を生み始める。ゆらゆらと広がる小さな気泡の集まりは、メントールの成分を広げて肌にすぅっとした清涼感をうみだしていく。
「おお、すげえ」
 たちまち広がった海の色に、デンジは感嘆の声をあげた。湯をかき混ぜるように両手を動かすと、その勢いで泡が細かくちぎれて水面を無数に滑る。
「海じゃねえだろ、これ」
「い〜んじゃねえの? 青くてキレイ」
「適当だな……」
 言葉とは裏腹に、アキは俯いたまま、興味深そうに両手で掬った湯を持ち上げたりこぼしたりを繰り返している。
 目の前に晒されたうなじにかかる黒髪に鼻先をうずめて、デンジは潮のかおりを探るように息を吸い込んだ。薄っすらと遠くに揺れるおぼろげな水平線のように、かすかな海のにおいと、人工シャンプーの混ざり合ったにおいがする。
「っ……デンジ」
「んん〜」
 首をすくめて抵抗するアキのからだの前に回した手で、へそのあたりを不埒に撫でる。指の腹でくぼみを擦るように往復すると、ぴくぴくと肩が小刻みにふるえた。
「ん、……う」
 息をこらえるアキの耳を後ろから食みながら、湯で温まりはじめた皮膚のやわさを味わう。
 デンジの足の間にあった尾が、細かな気泡をはらんだ疑似海の中でほどけて、足をうみはじめている。人魚の尾が、湯の中では人の足になることを、デンジははじめて知った。
 蝋が溶けるように形をなくした尾が二つにわかたれて、ヒトの足があらわれる。
 まるい膝頭を立てて、縮こまるように俯いたままアキは身体を丸めた。入浴剤のちいさな泡が、できたばかりの腿にもまとわりついて、デンジはそれを手のひらで払うように撫でてやった。内腿の敏感なところを触られて、アキが大げさに肩をふるわせる。
 まだ陸地を歩いたことのない二本の足が頼りなく湯をかき回す。
「まだ慣れねえ?」
 返事の代わりに、こくこくと頭が縦に揺れる。
「じゃあ、早く慣れねえとな〜」
「っぁ、ぅん……っ、はぁ、ぁ」
 悩ましげな息に、湯の揺れる音がまじりあう。浴槽の狭さをいいことに、デンジはアキの身体を自分の上に座らせ、抱きすくめるような姿勢であられもない場所をまさぐった。
 ひかがみを掴んで少しずつ開かせながら、もう片方の手で胸の突起をくにくにといじくる。
「あっ、や、そこ……ッ」
「固くなってんの、かーわいい」
「うぁ、あぅ……っんん、ァ…」
 嫌がりながらも気持ちよさそうな声色が、湿度のあがった浴室に反響する。汗ばんできたうなじに鼻先をうずめながら、デンジはアキの息が完全に乱れきるまで、胸の可愛らしい粒を指で念入りに可愛がった。
 爪で先っぽを引っかいて、しこりになってきた頃合いにぎゅっとねじる。優しく撫でて、少し強く押し込む。
「ひはぁ……ッ! ぁ、はあぁっ……」
「アキ、おっぱい気持ちいい?」
 デンジの露骨な問いかけに、アキは激しく首を左右に振った。髪がぱさぱさと音をたてて散る。火照って真っ赤に染まったうなじを唇で辿りながら、デンジは薄い肉にやわく歯をたてた。
「ウソつきぃ。気持ちいいだろ」
「……や、あぁ! あぅッ……んっ」
 やさしくすり潰すように触れながら、もう一方の手で膝から脚の付け根へとなめらかな皮膚をたどっていく。すっかり勃ちあがった陰茎を下から上へとスリスリ撫でてやると、アキが子犬みたいに鼻にかかった鳴き声をあげた。
 魚なのに犬じゃおかしいか。魚じゃないからいいか。アキは、かわいいおれの。おれの?
 一瞬、気が逸れたデンジの腕に、アキが爪をたてた。
「いっ、てェ」
 思わず声をあげたデンジを、振り返って睨みつけてくるアキの鋭い眼差しは、涙の膜を張ってとろとろに潤んでいる。熱に浮かされて、まなじりまで赤く染まった双眸がデンジを虜にする。
「も、……っはやく、しろ」
 待ちきれないとばかりにねだられて、デンジは無意識に喉を鳴らした。
 湯をかきわけて、奥にある窄まりに指を沈めていく。乱暴にしないよう、慎重にうねる内壁をほどきながら、ゆっくりとかきまぜる。
 時々湯の中で指の股を開いてやると、アキは感じ入ったように「んっんっ」と甘ったるいため息をこぼした。指を引き抜くと、追いすがるように腰が揺れる。
 素直な痴態に、いい加減デンジの理性も焼ききれそうだった。
「なあ、もう入れていい…?」
 切羽詰まった声で尋ねると、アキがおぼつかない仕草でうなずいた。
 キスしてえな、と思ったタイミングで、アキが首を捻ってデンジに唇を寄せてきた。やけくそみたいに自分から舌を差し出してきて、中空で手を繋ぐ代わりに先端から絡め合う。
 不器用なアキの誘いは効果てきめんで、瞬く間にデンジの気分を昂らせた。唾液をすすりあい、歯列を舐めて、呼吸のたび小さく引きかける唇を追いかける。
「んぅ、ふ……ぁ」
 キスで意識がそれた隙に、アキの腰をつかんで持ち上げる。柔らかくなった窄まりをがちがちに硬くなった先端で割り開いていくと、アキが悲鳴めいた嬌声をあげて喉を反らした。
「あっ、ぁ……っ、あぁア……ッ!」
「んっ…——あ〜…あつぅ……」
 アキの身体を抱きしめて、ゆるゆると腰のグラインドを深くしていく。さざなみを打つ水面が浴室の何でもない電気にきらきら光って、月をのむ海のように揺れている。ちゃぷ、ちゃぷと寄せる波のリズムで、うまれたての奥を、デンジしか知らない最奥を、やさしく小突き回す。
「ふ、ぁ、ああ……あっ、んっ」
「あ〜、すげえ気持ちいい……」
 浴槽の中で思いきり揺すられて、アキの足が何度かこらえきれずに底面を蹴った。逃げ場なんてないのに、否、逃げようもないからか、いやいやと首を振りながらむずがるアキの髪の奥に、デンジはきつく吸い付いた。ちゅうっと音を立てて耳殻をしゃぶると、アキのなかがまたきゅっとうねってデンジの性器に絡みついた。
「ぅ、ぁ……ッ!  あ……っそこぉッ…!」
「ここイイ?」
「ん、んっ…いい、い、あぁ…!」
 亀頭で腹側のしこりを押し潰すと、アキは身も世もなく喘ぎながら、腕の檻の中で頭を左右に揺する。散る黒髪と興奮で色づいた肌と、生々しい匂いと、声。
 デンジは今更ながら、思い出していた。そういえば。人魚の声には人を狂わせる力があるとか、なんとか。
「ぁ、ん……はぁ……ア!  ふぁあ、あっ……!」
 泣き出しそうな喘ぎ声をもっと聞きたくて、デンジはアキの腰を支えていた片手を前に回した。人型を宿した雄の証をやんわりと揉んでやる。
 凄絶な快感に耐えかねたように、アキの顎が上向く。激しく蠕動する内壁のうごめきに絞りあげられながら、デンジは奥歯を割るほど強く歯を食いしばった。絶頂感がすぐそこまで這い上がってくる。
「んぁッ! あ゙っ、イく、い、く! ひあぁ、あっ……!」
「んっ、アキ……おれも」
 熱源に血液が集まる感覚に、限界を自覚してデンジはいっそう強く腰を押しつけた。あとは本能のままだ。アキの身体をぎゅっと抑え込み腰を突き立てると、奥をぐぽぐぽと出し入れしながら、溜めに溜めた熱を吐き出した。
「———ッ! あ゙ああぁっ……!」
 悲鳴じみた声をあげながら、アキの身体が強張って大きく湯船の湯を跳ねさせる。入浴剤の泡効果はとっくに消えていて、青い海色の中にはアキが吐いた白濁がじんわり溶けて、同化していった。
「ハァ……はぁ……」
 放心したように、アキが天井を見上げる。顎にたまった涙か汗か、しずくが喉の下を伝い落ちていくのを肩口から見つめながら、デンジはぎゅうっと、アキの身体を抱きしめた。
「アキぃ」
「……ぅ、ん……?」
「キスしてえ。こっち向いて」
 涙で濡れる頬を舐めて促すと、濡れた青の瞳が緩慢にまばたいてから優しく細められる。
「デンジ」
 まるで、愛しい人を呼ぶみたいに名前をつむがれる。吸い付くように合わさった唇は、なんだか少し潮の味がする。
 夢中になって際限なく口付けながら、合間にアキが呼ぶ、デンジ、の三文字が、魔性の呪文になってデンジの身体の芯に浸透していく。

 人魚の甘美な毒を浴びながら、デンジは狭い海を堪能するようにいつまでも、アキの唇を貪った。


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