煮えたぎったアスファルトの道路は、深夜一時になっても熱したフライパンの余熱みたいにじりじりとした熱を放ち続けていた。
昼間の地獄じみた暑さに比べれば幾分か和らいでいるが、それでも熱帯夜の不快指数は高いままだ。
デンジは縒れた半袖の襟首をパタつかせて、首筋を流れる汗を拭った。鼻の頭に浮かんだ汗の玉がむず痒く、しきりにしかめ面をしてはだらしのない舌を出す。
「風呂ォ、入った意味ねえじゃん……」
「ついてきたのはお前だろうが。文句を言うな」
にべもないアキの返答に、デンジは出した舌を引っ込めないまま項垂れた。
元はといえば、風呂上がりにアイスキャンデーを勝手に食べ尽してしまったパワーの悪事が諸悪の根源だった。
折角デンジが選んだ箱アイスだったのに。まだ一本も食べていなかったのに。
同情してくれるかと思いきや、アキは「アイスくらいでガタガタ言うな。明日また自分で買えばいいだろ」と言い捨てただけだった。自分はキンキンに冷やしたビールで涼みながら、いいご身分だなァ……、とデンジが恨めしく毒づいたのが午後十時。
その後も、食べられなかったと思うと余計に口の中が氷菓のガリガリ感を求めて、飢える。舌がひらめく。涎が無駄に溢れてくる。
高いびきのパワーを跨いでベッドに寝転がってからも、悶々とウトウトを行ったり来たりしていたデンジは、ふと玄関でアキが靴を履く僅かな音を聞きつけて飛び起きた。それが午前一時、の五分前。
すでに寝汗を掻いていたTシャツを張りつかせたまま、一人忍び足で階段を降りていくアキの背中をデンジは慌てて追いかけた。
そのまま深夜のコンビニまでついていくことにしたわけだが──正直、デンジは既に後悔していた。
あちぃ。もう帰りたい。早く帰ってリビングのクーラーの下で大の字になって眠りたい。今まであのボロ小屋でポチタと二人、どうやってやり過ごしてたのか、ちっとも思い出せない。
「……………あっ、ちくねえ?」
「夏だからな」
不承不承歩くデンジの足取りは鈍く、アキとの距離は次第に開いていく。
デンジがなかなか隣に並ばないことに焦れたのか、アキが眉を寄せて振り返った。
コンビニの煌々とした明かりがもうすぐそこまで近づいている。焼け焦げたアスファルトも、白い光に柔らかく照らされたそこだけは濡れたような光沢を放っていた。街灯に照らされて伸びた影法師がふたつ、真夏の夜に揺れている。
「何してんだ、ダラダラと」
「……そもそも何買いに行くんだよ、ンな時間に」
何気なくデンジが尋ねた問いかけに、アキは押し黙ったまま、ちらりと頭上の電線を見上げた。
不自然な間を挟んで、別に、と素っ気ない返事が寄越される。
再び前を向いて歩き出してしまったアキを一瞬ぼおっと見送って、それからデンジは不意に悪童じみた笑みを浮かべて小走りに駆け寄った。
背の高いアキの横顔を覗き込むようにしながら、ニヤニヤと問いかける。
「ほ〜〜ん……理解したぜ。深夜のコンビニ。野郎が一人。 エッチな本買いに来た、ってわけか」
女も悪魔も見惚れるほど涼やかなアキの目元が、ひく、と僅かに強張った気がした。
が、ちょうど自動扉の開く呑気な電子音が二人の会話を遮るように響いてきて、デンジの意識はそちらへ逸らされた。店の中から溢れ出てきた冷気に当てられて、一瞬で生き返った心地になる。蒸し暑い外気に慣れた肌がたちまち熱を失っていくのが分かって、むしろデンジの両腕には鳥肌が立った。
「おおぉ、すずし〜〜…!」
深夜にも関らず、若いアルバイト店員が「いらっしゃいませェ」と愛想よく声をかけてくる。アキは口を噤んだままさっさと店内へ入ってしまった。
灼熱砂漠の只中でオアシスを見つけた遭難者のように、大した品物も持たないまま棚を物色している客が二、三人ほど目についた。動きはみな緩慢で、いかにも暇潰しといった様子だった。ビール缶棚の前でイチャイチャしているカップルの声だけが、やけに大きく聞こえる。
デンジは冷凍ケースに半ば顔を突っ込むようにして、アイスを選び始めた。パワーに食べ尽くされたアイスと同じものも見つかったが、どうせなら少し高いやつをアキに買ってもらおう、と決める。
と、なるとソーダ味は定番過ぎてつまらない。バニラ?いや、チョコミントも捨てがたい。しかし値段的に一番高いのはラムレーズンだ。
「まだ決まらねえのか」
「うァぉ…っ!?」
いつの間にか背後に立っていたアキに耳元で囁かれ、デンジは危うく前につんのめりそうになった。手元が滑って掴んだカップアイスを落としそうになる。すんでのところで、なんとかキャッチした。安堵の息をつくと同時にムッとして振り向く。
「……脅かすなよなァ!びっくりすんだろ!」
アキは子供の抗議をまるきり無視すると、ひょいと長い腕を伸ばして、マンゴーソルベの棒付きアイスを取った。新作、のポップが今になってデンジにも目に入る。
「ズリィ!俺もそれ買うつもりだったんだけどォ!?」
カップアイスを放り出しかけて、一瞬迷ってから、デンジはよく冷えたマンゴー味の棒付きアイスとラムレーズンのカップを、両方掴み取った。レジに向かう背中に追いつき、カゴの中へ急いで入れる。
青いプラスチックカゴの中には、牛乳とパン、缶ビールと、真空パックのベーコンが入っていた。どうやらアキは朝食の買い出しが目的だったらしい。
「んあ、エッチな本ねえじゃん」
「バカ、―――すみません、これも一緒にお願いします」
店員は慣れた手つきでビニール袋に商品を詰めて、アキへ手渡した。入店チャイムが鳴って、また一人、迷い猫のようにふらついた客が入ってくる。
こんな調子できっと夏のコンビニの悪魔は、ひんやり冷気と明るさを餌に、人間を手招いているに違いなかった。
外の湿気を帯びた熱気に晒されながら帰路につく。一旦、店の冷房で冷やされたはずの身体は、あっという間に汗まみれになった。
下から巻きあがってくる夜風が生温く肌を撫でていって、余計に暑さを感じる気がする。
「あーー……あっちィ……」
額に滲んだ汗を拭いながら、デンジは呻いた。Tシャツの背中はすっかりびしょ濡れになっている。その不快感とは裏腹に、足取りは軽かった。口の中にマンゴーの爽やかな酸味と甘みが広がり、鼻の奥に残る香りが心地良い。
「うめえな」
「まぁまぁ」
アキが可愛げのないガキのような返事をする。デンジは棒アイスを咥えたまま、隣を歩く横顔を盗み見た。
うっすら汗が垂れていて、アキの顔は普段より幾分か血色が良い気がした。何より表情が柔らかく見えるのは、夜の薄暗さのせいだろうか?それとも俺の頭が茹だってるから? どっちにしろ悪くねぇなぁ、とデンジは思う。
(こういうのも、案外悪くねぇよな)
昼間よりは涼しい風が吹いてきて、火照った頬を撫でていく。暑いけど、暑いから、無言になったって、うっかり何かに見惚れてたって、いい気がするし。
二十五時過ぎの住宅街には、酔っぱらいの姿もなく、野良犬の影もなく、ひっそりと静まり返っている。
街灯の光だけが陽炎をようやくおさめたアスファルトを照らし出している。遠くに見えるマンション群も、どの窓も明かりが消えている。
自分たち二人だけが、生きているような気がする。うだるような熱気をあびて、二人っきりで息をしているような錯覚に陥る。汗だくになって、声もなく、アキだけがそこにいる――。
そこはかとなく、いやらしくてロマンチックで、ばかげた夏の妄想は、最後の一口と一緒に勢いよく砕いて喉の奥に押し込んだ。冷たくて甘くて美味かったはずなのに、デンジは妙に喉が渇いた気分を味わった。
Tシャツの裾で乱暴に唇を拭う。とっくに食べ終えていたらしいアキは、濃紺の空を見上げて歩きながらぼんやり考え込んでいるようだった。
やがてその視線が不意にこちらへ流れてきて、物珍しそうにまばたいた。
「……熱でもあんのか」
「あ?」
「顔が赤い」
「あぁ〜〜……?そうかァ……?」
尻切れトンボになった返事は自分でも呆れるほど間抜けだった。心臓の中でポチタが何か言っている気がして、胸を押さえる。手のひらに伝わって来る鼓動はいつもより早く脈打っていたが、それはきっと真夏のせいに違いない。
「な――……夏だからなァ!」
声がでかい、と窘めるアキを追い抜いて、デンジは熱くてむず痒くてくすぐったい夜の夏風を浴びながら走り出した。