明確な境目はなくとも、季節は移ろい、日々は些細な彩りを孕んで変わりゆく。
それは、人の心の在り様も同じこと。
昨日より今日、今日より明日。多分もっともっと君のことが好きになる。
◆
「そういえば、秋物の服、買ってなかったな」
朝食の席で、三回も盛大なくしゃみをしたデンジにティッシュ箱を渡しながら、アキは今更気づいたとばかりに呟いた。
あぐらをかいたデンジは、今日も洗いざらしのTシャツに半ズボンである。
着の身着のままでアキの家に転がり込んできたデンジは、夏の盛りに数枚購入したTシャツやパンツが、今でも寝巻兼部屋着になっていた。
「アキ? 」
「秋、物」
微妙な発音の訂正を促すアキは、つい先日まで半袖で過ごしていたが、今は黒い長袖のシャツに細身のパンツを合わせていた。デンジは裾の伸びた自分のTシャツを引っ張って、少し考える。
「俺ぁ一年中これでも、何も問題ねえけど」
鼻をすすりながら答えたデンジの隣から、パワーが「デンジの分もワシに新しい服を買え!」と横槍を入れる。
「服かぁ……何選べばいいか分かんねえんだよな」
「そうだのぉ、百着くらいあればとりあえず足りるじゃろ」
「お前は洗濯もしねえくせに何言ってんだ」
「パワ子ちゃんのパンツは全部俺が畳んでんだよ」
二人同時に責め立てられて、うぅぅ服ぅ〜、と唸るパワーを適当にあしらいつつ、アキは新聞紙の間から大型ショッピングモールの広告を探し出した。
秋色カラーの大きなチラシには、表面に食料コーナーの目玉商品が、裏面には家具や家電の特価品と共に専門店街オータムフェア開催中の文字が踊っている。
顔を上げて、時刻を確認する。
幸い、休日の朝にしてはわりと今朝は早く動き出している。
「まとめ買いついでに飯も外で食うか……」
独り言めいたアキの呟きに、ぎゃんぎゃん騒いでいたデンジとパワーの動きがピタッと停止する。
一呼吸の沈黙。
「ヤッターーー! 肉!! ハンバーグ! ステーキ!」
食卓を揺らして喜ぶ二人を呆れ半分、微笑ましさ半分の顔で眺めながら、アキは残りのコーヒーを一息に飲み干した。
車で30分弱、郊外の工場跡地にできたショッピングモールは、地下一階地上四階、映画館まで隣接する広い店舗面積と充実した品揃えを誇る一大商業施設だ。
休日ということもあり、家族連れや若者で賑わう入り口を通り抜けながら、三人はエスカレーターで三階まで直行する。
上がった先にある館内マップで、アキは覗けそうな店の位置をざっと確認した。
まずは目的の第一、デンジの秋物。
混みすぎない内にフードコートで昼食、食後のショッピングはパワーの要望も踏まえて考えるとして……。
「とりあえず右から見て回るか」
簡単に段取りを立てるアキの隣から、ものの数分もしない内に二人の姿が忽然と消えていた。右、左、後ろ。無し。
「………嘘だろ」
呆然としたアキの呟きは、通り過ぎていったカップルのいちゃいちゃした会話にかき消される。
信じられない。まだ到着して10分も経ってないだろ。もう迷子かよ。
「糞っ!」
上背180を超えるツラのいい男の容赦ない悪態は、坩堝のような喧騒に飲み込まれて、幸い誰の耳にも届かなかった。
──結局、捜索はものの数分で済んだ。
アキの迷子センサーは遺憾なく性能を発揮し、エスカレーターを挟んだすぐ向かいのフードコートにて無事デンジの身柄を確保。
入口付近にある爽やかなパステルカラーのアイスクリーム屋に気を取られていたデンジの首根っこを掴み、アキは短く溜め息を吐いた。
「16にもなって館内放送で呼び出されたいのか」
説教モードのアキに、デンジは首を竦めて口を尖らせる。
拗ねたように逸らされた視線がややあってアキに戻り、
「だってよォ……そこのアイス、見たことねえ色がぐちゃぐちゃンなってて美味そうだったから……」
と言い訳じみた口調でボソボソ拗ね始める。
「それに……」
「それに?」
「早パイが地図見て一人でブツブツ言ってっから、そっとしとこ〜かと思って……」
アキは盛大に肩を落とした。
「……とにかく、ちゃんと俺の側にいろ」
何気なく口にしたアキの言葉に、デンジの頬がみるみるうちに緩む。
露骨な反応に、アキの方が時間差でぶわっと赤くなった。今の言い回しはおかしかった。
「んじゃ〜〜手ぇ繫ぐ?」
「繋がねえよ」
にやつく頬を軽くつねられたデンジは、いつの間にかアキの背後で平然とアイスにかぶりつくパワーに気付いて、真ん丸に目を見開いた。
「あ〜〜! それ、俺んのだろぉ〜〜〜」
「は? ワシのじゃが?」
「てめえ、あのピンク色のやつのが良いって言ったじゃねえか! その青いんのは俺が頼んだんだよ!」
ベローンと舌をのばして、パワーは全く取り合おうとしない。右手と左手にそれぞれド派手なアイスを持ったパワーは、白々しい顔で両方交互に齧りつく。
「うるさいのお。 ワシが持ってるのは全部ワシのじゃ」
アキを挟んでぎゃいぎゃい言い合いを始めた二人に頭痛を覚えながら、アキはもう一度溜め息を吐いた。
置いてくれば良かった、と心底思う。せめて一人、置いてくれば良かった。
「……うるせぇ」
結局、アキが近くの店舗でクレープを二つ買って与え、二人は渋々和解した。
予定は大幅に狂いつつ、当初の目的である秋服の買い物を済ませることにはひとまず成功した。
デンジの背が思ったより伸びていたことに、デンジよりアキの方が密かに喜んでいたのは、親心子知らずといったところか。
商売上手なアパレル店員に褒めちぎられ、おだてられ、意気揚々と店内中の衣服を買い占めようとしていたパワーを文字通り引きずり出したアキは、妥協点で買ってやった秋物のコートとシャツを両腕にぶら下げながらショッピングモール内のスーパーを目指して歩いていた。
「パワー……お前、カゴ持つかコレ持つかどっちかやれ」
「フン! ケチくさいのお! 男はたくさんモノを持っていた方がモテるぞ!」
「……別に俺はモテなくていい」
「早パイがそれ言うと多分すげぇ〜嫌われるぜ」
「なんでだよ……」
ぼやくアキを尻目に、ショッピングカートでドリフトしかねない暴走魔人が早くもお菓子コーナーへ突入しようとしている。
恐れおののいたアキは、レジ打ちの可愛いお姉さんを眺めて惚けた顔をしているデンジの首根っこを掴まえて、前方に放りだした。
「デンジ、パワーを止めたら金曜日は唐揚げにしてやる」
「!!! っ、ワン!!」
元気いっぱい飛び出したデンジの背中を見送りつつ、大量の荷物を抱え直す。
アキは貴重な休日を一つも味わえなかった己を慰めるべく、真っ先にビール缶の陳列棚へと別のカートを転がし始めた。
◆
慌ただしくも賑やかな休日を乗り越えると、平日の夜もまた飛ぶように過ぎていく。
「なァ、早パイ、この金曜日についてる丸、なんの丸? 唐揚げの日?」
洗濯物を畳んでいたアキは、シャツの袖をつまんだまま台所の方へ顔を向けた。
カレンダーの前に立っているデンジが、月末の金曜日についた赤丸を眺めている。
アキは再び手元に目を落とし、「病院」と手短に答えた。
「はぁ?ビョーキんなるの今から分かんのぉ? 仮病かよ」
「違う、定期検診だ。おまえは来月。俺の後」
「えぇ〜〜〜俺もあんのぉ!?」
「本来なら、多分おまえは毎月でもおかしくない。悪魔人間は、特異中の特異ケースだからな」
「ゲロぉ〜〜」
Tシャツの裾から手を入れて、ボリボリ腹を掻いているデンジをチラとみる。
あの胸に大穴があこうが、何なら腹から真っ二つに裂けようが、デンジは悪魔の力でいとも容易くよみがえる。
対するアキは、ただの人間である。
人間である以上、メンテナンスは欠かせない。
月末の金曜日は、アキの三ヶ月に一度の定期検診の日だった。
悪魔と契約するデビルハンターは、基本的に契約の代償として己の体の一部を悪魔に捧げることが多い。
例えば眼球や、頭髪。皮膚。爪。
外傷となって見えるものを取引する場合もあるが、中には臓器の一部、寿命、五感など、傍目には分かりにくいものを要求される場合もある。
いずれにせよ人外の膂力を手に入れるための代償は極めて高く、デビルハンターは多くの場合、短命化や体の一部が欠損するといったリスクを背負いながら、悪魔との闘いに明け暮れている。
公安医療センターは、そんな彼らの専属医療機関として、都内某所に建てられた一大拠点だった。
広大な敷地を有する総合医療施設の隣には、物々しい研究棟も併設されている。
悪魔との契約によって肉体に特異な変化を来したデビルハンターの検診や、捕獲された魔人の公正プログラムに関する実験等、秘匿的な研究も行われている──とか。
「ん〜〜、もしかしてパワ子がたまに血抜きに連れてかれてんのもそこぉ?」
「多分な」
今は大の字になっていびきをかいているパワーが、唯一しおらしくなって連れて行かれるのが『血抜き』の日である。
不服そうな顔で言葉少なに連れていかれ、帰ってくると小一時間は拗ねている。
「オレも行きたくねえな〜…ショードクもくせえし……やたら裸の胸ぇ触られて、ガンガンうるっせえ穴ぐらみたいな機械に閉じ込められて、あちこちオッサンがガン見してくるしよ……」
デンジが言うのは、おそらくマキマに拾われた直後、初めての検診で全身をくまなく調べられた一件のことだろう。
思い出しただけでブルブルッと身震いするデンジに、アキは曖昧に相槌を打つことしかできない。
毎度、戦闘のたびに血みどろになるデンジが言うことではないと思うが、それはそれとして、検査が機械的であり時に恥辱を感じるようなものであることは、アキにも少し分かる。
何せアキの特殊な肉体もまた、この医療センターの研究対象として記録されている希少な一被検体であることに変わりはない。
アキの定期検診はむしろ、リプロダクションセンターの担当医でもある河田医師の診察がメインであった。
河田はアキが幼少期に、北海道で世話になっていた町医者の息子である。
二性を体に宿して生まれたアキを好奇の目で穢すことなく、愛情深いまなざしで診て、守って、慈しんでくれた。
めぐり合わせの人の縁で、その河田の息子が公安医療センター併設のリプロダクション科で勤務医となったことを知り、アキは迷わず彼を担当医師にと申し出た。
以来、親譲りのおっとりとした口調が心地よい河田医師に、アキは全幅の信頼を寄せていた。
畳んだはずのシャツを再び広げそうになって、アキは我に返った。
「なあ、早パイの検診ってさぁ」
「……何だよ」
「ちんちんもまんこも両方見られンだろ? やじゃねえの」
アキは何も飲んでいないのに盛大に噎せかえって、驚愕の表情でデンジを見た。
「おまえ、デリカシーって言葉知ってるか」
「いや、だってよォ……」
言い方が悪かったことは理解しているのか、「早パイは怖くねえの」とアキを見つめ返すデンジの表情は、いやに真面目だった。
これで下種の勘繰りじみた話だったら殴りつけていたが、デンジは純粋に彼なりの気遣いを回しているつもりらしい。
アキは嘆息した。
「……怖くはない。慣れ、もあるかもしれない」
「慣れ?」
「まぁ……俺も別に好き好んで行くわけじゃない。必要だから行くだけだ。目に見える部分だけじゃなく、内臓の検査や脳波なんかも細かく診てもらえる。デビルハンターである以上、自分の体がどういう状態なのかを把握しておく必要がある。自分の体の残りは何か、何を等価交換として契約に使えるか。価値を自分自身で把握しておくことが大切だからな」
「ふーん……」
デンジは分かったような分かっていないような顔で相槌を打った。
実際、アキだって完全に慣れたわけではない。特に、あのおそろしく恥辱的な椅子に座る時や、見るもおぞましい器具を挿入されて中を見られる時は憂鬱になる。
慣れ親しんだ河田の診察でなければ、きっと逃げ出してしまいたい気持ちでいっぱいになるはずだ。
そもそも病院自体には一つも良い思い出がない。
アキ自身の体だって普通じゃなかったのに、病弱だった弟のタイヨウが頻繁に入退院を繰り返していたことで、家族は家族になって半分の年月は病院で過ごしていたようにさえ思う。
途方もない時間を待合室の硬い椅子で過ごしながら、得体の知れない不安感に襲われて、いつも息苦しかった。
いい大人になってもそれと向き合わなければならないのは、やはり気が滅入る。
再び黙ってしまったアキの様子に何かを察したのか、デンジもそれ以上は踏み込んで来なかった。
代わりに、不意にニヤッと笑って
「看護婦さんがおっぱいでけぇといいな!」
と言い出したので、アキは無言でデンジの頭を小突いて少しだけ笑った。
そんな会話があったのが先週のこと。
ぼんやりと取り留めもないあの日の会話を反芻しながら、アキは手元の単行本に再び目を落とした。
予報よりも雨上がりが早く、濡れたアスファルトが空の青を映す午後三時。
少しばかり早めに医療センターへ到着したアキは、待合室のソファに腰掛けて持ち込んだ単行本を鞄から取り出した。
完全予約制とはいえ、どうしても待ち時間は長くなりがちだ。
慣れたアキでさえ多少手持ち無沙汰になるので、本くらい用意しておかなければ暇で仕方がない。
足を組んで本を開く。
巷で話題になっている映画の原作本らしく、装丁のデザインが洒落ているので衝動的に買ってしまった。
が、序盤から先の予想がつく展開で、正直あまり面白くはない。
スピンを挟んだページを捲り、適当に数行を流し読み始めたアキの肩を、不意に誰かが叩いた。
「久しぶりだね、早川くん。元気にしてたかい?」
顔を上げると、そこにはアキの担当医師である河田が立っていた。
白衣を羽織った医者然とした雰囲気の中に、妙に人懐っこい空気を感じさせる。
アキは腰を浮かせて頭を下げた。
「はい、お陰様で。この度もお世話になります」
何気なくそう答えると、河田はなぜか残念そうな顔でアキを見つめ返した。
「こちらこそ、と言いたいところだったんだが……実は、今月から急遽医師の入れ替わりがあってね。早川くんの担当は別の先生に決まったんだ」
「……そうなんですか」
アキは軽く目を瞠った。まさか主治医が変更になるとは思ってもみなかった。
同時に、この特殊で繊細な体を新たな医師に預けることに、一抹の不安を覚える。
アキの表情の微細な変化を敏感に読み取った河田は、安心させるようにアキの肩を軽く叩いた。
「担当が変わっても大丈夫だよ。何も心配いらない。私から直接、早川くんのことはよく説明してある。彼……新しい先生も、若いけれど信頼の置ける医師だ。早川くんのこと、よろしく頼みますってお願いしてあるからね」
「……わかりました。ありがとうございます」
河田は頷き返すと、困ったらいつでも連絡してくれと付け加えて、去ってしまった。
アキの唇から、小さな溜息が漏れた。
担当医師が交代するというのは正直不安が大きいが、とりあえず今は受け入れるしかない。
彼、というからには相手の医師は男なのだろう。率直に「嫌だな」と思ってしまうのは致し方ない。
アキの脳裏に、ふと父の顔が浮かんだ。
あとにも先にも一度だけ。
父が苦悩している顔を見たことがある。
酒に酔っていたのか、ほんのりと赤く染った頰。目の下には疲労の色を濃く漂わせながら、ぼんやりグラスを眺めていた横顔。
「なんで………アキは、あいつは、あんな……」
消え入りそうな声で呟くと、父は静かに涙を流した。父の涙を見たのはあれっきりだ。
普段は滅多なことでは感情を動かさない父が見せた姿に、幼いアキも驚きを隠せなかった。同時に、ひどい罪悪感に襲われた。
自分がこんな体に生まれて来てしまったせいで、父や母は苦労ばかりしているのではないか。
そう思うと、居た堪れなかった。だがそれを口に出すわけにはいかなかったし、口に出してはならないことだと思っていた。
母はお腹をいためて自分を産んだのだ。せめて、自分は、自分くらいは、自分にしかできないことで役に立ちたいと思っていたのに──……結局、自分はまた、吹雪の中を一人彷徨っている。
そう思うと、アキの心を憂鬱が覆った。前を向く力が萎えて身動きが取れなくなる。
待合室で名前を呼ばれるまでの間、アキは目を閉じたままじっとしていた。
「早川さん、2番扉にどうぞ」
機械越しに呼ばれるナースの声に導かれ、アキは立ち上がった。
軽く頭を下げてから診察室へ入る。
ツンとした薬品の匂い、白いリノリウムの床、やや明るすぎる蛍光灯の光。
変わらぬ光景の中、初めての顔がアキを見る。
「はじめまして、早川さん。今日から担当になった八木です。よろしくお願いします」
アキより少し年上くらいだろうか、白衣を着た若い医師は柔和な細目をさらに細めて笑った。
「早川です。こちらこそよろしくお願いします」
どうぞ、と促されて丸い椅子に腰掛ける。
カルテを何度か行きつ戻りつめくって目を通しながら、八木はアキの健康状態について一通りの聞き取りを行った。
穏やかな声音はアキの緊張を少しずつほぐしていく。
余計な詮索はせず、あくまで健康管理に必要な情報を引き出している実直さを感じる。
長年、気心のしれた河田の担当を外されたことは不安だったが、今のところ嫌な感じはしない。アキはこっそりと安堵の息を吐いた。
「……それじゃあ少し診せてもらいますね」
八木がそう言って、ちら、と背後に立っている看護師に目配せする。
診察台への移動を促され、アキは心臓が縮み上がる程嫌な気分になりながら立ち上がった。
動きます、と声がかかったのと同時にカーテンの向こうへ向かって足を開かされる。
機械の動きは実に滑らかで否応なく、アキの秘された部分は八木の面前へ晒される。
「……」
医療行為だ、と自分に言い聞かせても羞恥を拭えないのは、アキの性自認が男だからだろう。
股を全開に開かれているという被征服感は、いつまでも慣れない。
「痛みがあったら遠慮せずおっしゃってくださいね」
きちんと一言を添えられるのは有難いものの、いちいち返事をしてもいられない。
どこを見たらよいか分からぬまま、アキは下唇をはんで沈黙を貫いた。じと、と脂汗が浮かぶ。
「……う」
嫌な感触が、敏感な部分に触れた。ゆっくりと前後する度にゾワゾワとした違和感が背筋を走る。
触診はすぐに終わったが、次に八木が「器具を挿入しますからね、少し気持ち悪いかもしれませんが」と言葉をかけてきてからは、文字通り地獄のような時間がアキを苛んだ。
内臓をこねくり回されるような不快感は、悪魔に袈裟斬りにされた時の方が余程マシだったのではないか、とアキに思わせた。
足の間にある重くなった男性器を邪魔そうに上へ押し上げられるのも、苦痛と羞恥と混乱で頭がおかしくなりそうだった。
どちらがどう繋がって体内でどのような働きをしているのか、アキは自分のことながら余りよく分からない。
尿意は男性器で感じ取るし、実際に排尿するのも男性器の方だ。だが、女性器にも排尿に近い感覚があることはあるし、何よりそこに刺激を感ずる部分があることは疑いようのない事実だった。
むしろ男性器で得る快感より女性器の感覚の方が何倍も強く、鋭く、全身を貫いていく。デンジとセックスをしている時、女性器で得られる快感を、男性としての絶頂よりむしろ「イった」と感じてしまったのも少なからずショックだった。
ぼんやり考えながら、アキは不意に恐ろしい事実に思い至った。
──アキが誰かをそこに受け入れたことを、今まさに八木は触診段階で察した筈だ。
そう思うと急に全身の体温がどっと下がった。吐きそうになって眩暈がする。嫌だ。
気持ち悪いと思わせたに違いない。
嫌だ。嫌だ。アキの体を抱いたデンジをも否定するようで堪らなく自分が嫌だ。
「早川さん、大丈夫ですか……? もう終わりますからね」
吐き気で耳鳴りがしていた鼓膜に八木の声がした直後、ズルリと不快感が抜けていく。
アキは唇の隙間から深い息を漏らした。
小さな駆動音を立てながら、診察台は元の位置に戻っていく。
「お疲れさまでした。問診は隣の部屋で行いましょう」
「……はい」
疲労困憊で頷いて、腕時計を見る。ほんの数分間しか経っていないのが信じられない。
アキは診察室の小さな隙間のどこかに、永遠の悪魔が潜んでいたのではないかと、恨めしく思えてならなかった。
「河田先生からは、臓器についてどのように説明がなされていましたか?」
「──萎縮した形で残っているが、機能は限定的。大事な血管や臓器、神経系への損傷は見受けられない……と」
アキの返答に小さく頷きながら、八木は机の引き出しをあけ、中からラミネートされた二枚のカラーイラストを取り出した。
人体を横に見た時の、性器周辺の内臓構造をわかりやすく描いている。一枚は女性、もう一枚は男性である。
八木は男性側の断面図をアキの方へ差し出し、ペンの後ろで一際大きな臓器を指した。
「これが膀胱です。すぐ後ろにあるのが直腸。間にある、この膀胱にくっついている形で見えているのが精嚢です。で、その下に流れている管の一つが尿道、もう一つが射精管。エコーやレントゲンも確認しましたが、この辺りの構造は全く問題ない。おしっこも違和感なくできていると思いますし、射精もできているかと思います」
ストレートに断定されれば、アキも頷く以外に応答のしようがない。事実、アキの性機能は何ら問題がない。
八木は一度アキを気遣うように見遣ってから、もう一枚のイラストを差し出した。
「──で、こちらが女性器。ご覧の通り、膀胱の後ろ側に膣口があって、ここに子宮があります。直腸との間、男性でいう精嚢に一番近い所に膣があるわけで、早川さんの場合はこれがまさに精嚢の後ろ側に直腸と挟まる形で収まっています。子宮口が精嚢の真裏に来ている状態です」
「はぁ……」
アキは何処か宙に浮いたような心地で、まばたいた。
今更、窮屈な腹の中の臓器構造を聞かされたところで、何かが変わる訳でもない。
ただ自分が『人間』から更に乖離していくような嫌な感覚があるだけだ。
「つまりですね……子宮口を無理に押し広げると、かなり精嚢を圧迫することになるんですよ。密度がどうしてもこの辺りは高いので、過剰な圧力が臓器を揺らすことによる損傷の可能性には、しっかり留意する必要があります」
「………っ」
ブワっと全身に鳥肌が立っていくのが分かった。
アキの脳裏を、男性器で突き上げられた時の甘い痛みと激しい快感が過ぎった。同時に、八木が言わんとしていることを理解してしまい、思わず生唾を飲む。やましさと居た堪れなさとがキャパシティーを超え、最後はやり場のない奇妙な怒りに似た感情を噛み殺して、アキは俯いた。
八木のふっと漏らした息が、柔らかかった。
「すみません、今日が初日なのにデリケートな話で嫌な気分にさせましたね。ただ僕は早川さんの主治医である以上、体のケアと負担感についての知識を共有する責務がある。心身の健康を最後に保つのはご自身とパートナーの理解が不可欠です」
アキは顔を上げた。実直そのものの表情で、八木はど真ん中にアキを見つめていた。
純粋な善意と医学的見解に支えられた言葉が、アキの胸にそのまま刺さる。恥ずかしいと思った自分を、アキは素直に省みた。
「留意します」
「ちなみに妊娠のご希望はありますか?」
「にっ……!?」
意表を突かれて、思わずアキは丸椅子から滑り落ちそうになった。
アキの狼狽ぶりに八木はわずかに目を細め、柔和な口調のままで続けた。
「通常の性交では妊娠は難しいかもしれませんが、人体に絶対はありません。退縮しているとはいえ存在が認められる以上は当然そこに可能性が生まれる。機能は現在消失しているようですが、体調変化があったらいつでも教えてください」
呆然としながら、アキは頷くことしかできなかった。
──妊娠、だなんて。考えてもみなかった。
そもそも、男として誰かと子をつくり、家族を築くことさえ望むつもりはなかったのだ。
自分の死期は既に決まっている。死にざまにも美しさは欠片もないだろう。
無残に置いていくと分かっていて、大事なものを抱えられる程自分の腕は器用ではない。
ラッシュ前の未だまばらな電車内は、物思いに沈んでしまうほど誰も彼もが沈黙している。
鉄橋をわたる軋みに揺られながら、アキは夢見心地で窓の外に目を向けた。
茜色と紺色がグラデーションを描いて広がる空に、ちぎれた雲が薄くたなびいている。
その下を歩く自分を夢想する。
隣にはデンジがいて、前をパワーが歩いていて、自分の腕には小さな命が抱えられている。
──未来の悪魔が決して見せたことのない、馬鹿げた妄想だ。
アキは息を吸った。たばこが吸いたい。
ふと子を抱いたら禁煙するんだろうか、と思い至った心境に、アキは自分で死にたくなった。
◆
夕飯は、いつかの約束通り唐揚げにした。
揚げたての鶏肉からしたたる油と、シンプルな生姜醤油の香ばしい匂いが、減退気味だった食欲を復活させる。
山に盛り付けた唐揚げを、舌からダラダラと涎を垂らしながら見つめるパワーとデンジにお預けをさせて、アキは「まずは『今日も美味しい料理をありがとうございます』が先だろ」とおごそかに告げた。
肉の囚人と化したデンジとパワーが声を揃えて「早川センパイ!今日も美味しい料理をありがとうございます!」とばかみたいに元気良く叫ぶ。
アキは「よし」と頷いて、皿を真ん中に据えた。
この根気よい躾が功を奏して、最近ようやくデンジだけは公共の場でも挨拶を言えるようになってきたのだ。
反復練習は偉大である。
「じゃあ、いただきます」
三人で唱和して箸を伸ばした途端、パワーは恐ろしい速さで肉に食らいつき、そのまま唐揚げを茶わんにひょいひょい乗せ始めた。
「パワー!テメエ、食ったら次! 食ったら次取れよ!」
「は?? 最初からワシは唐揚げ丼じゃったが?」
文句をいうより先に食ったほうが良い、と判断したのか、デンジも唸りながらパワーに負けじと唐揚げを口に運ぶ。
カリッと音のなる衣の歯ざわり、舌から鼻に抜ける香ばしい匂い、喉を伝う熱い脂の甘みと噛むほどに滲む肉の旨み──必死に咀嚼して飲み込んでいく。
「うめえ……うめェ〜……」
「唐揚げの悪魔が……唐揚げしか食べてはならんと言っておる……」
しみ入るような二人の顔つきがおかしくて、アキはつい緩む口元を味噌汁椀で隠した。
作ったものを美味そうに食う相手がいて、嫌な気にはならない。
「落ち着いて食えよ」と窘めるアキの声もまた、柔らかく夜の食卓に溶けていった。
片付け当番はデンジだったので、アキは先に風呂を済ませた。
パワーをつまみ上げて次の風呂へ向かわせ、台所をのぞく。
皿はきちんと拭き上げられて、デンジの順調な仕事ぶりに目を細めたアキは「アイス食うか」とリビングに声をかけた。
「ガリガリ君かホームランバー」
「ホームランバー!!」
寝転んでいた体勢からバネ仕掛けのオモチャみたいに跳ね起きたデンジの首筋に、銀紙で包まれたバニラアイスを押し当てた。
「うひ!つめてェ〜〜!!」
「声がでけえよ」
亀の子よろしく引っ込めた首を抑えながら、デンジは斜向かいに座ったアキの顔をちらっと上目遣いで覗き込んだ。
「なんか早パイ、今日疲れてる?」
「別に」
音を立てて袋を開ける。
ソーダ色の氷菓子に歯を立てたアキは、バラエティ番組の司会がひな壇芸人の頭をピコピコハンマーで叩くさまを見つめた。
風呂上がりの舌に、心地よく甘ったるい氷が溶けていく。しゃくしゃく歯触りのいい音を立てて、あっという間に殆どを平らげて、アキはふとすぐ傍にデンジが近付いてきたのに気が付いた。
「もしかして血ィ抜かれた?」
「……血液検査ならした。──お前、ちょっと近い」
「……体ぁ、見られたりした?」
「………」
もしもデンジの声音に少しでも冗談じみた揶揄いのにおいがしていたら、アキは「うるせぇ」とでも一蹴して追求をかわすつもりだった。
しかしデンジは、何故だか分からないがやたらと真剣な面持ちでこちらを見据えている。まるでアキの中の小さな噓を探り当てるみたいに、時々デンジの瞳は恐ろしく澄んで見える。
「まぁ……それも含めての検査だから」
「ふーん……」
デンジの指先が、アキの風呂上がりのシャツの端をキュッと握った。俯いた目をわずかに横に流し、アキは視界の端に映るデンジの指先の動きを、ほとんど無意識に追っていた。
「他の奴らに触られんの、なんか、やだ」
「何……馬鹿なこと言ってんだ」
「アキ、のココぉ……すげぇ敏感だから、触られたら……気持ちくなっちゃうかもしんねーし」
伸ばされた指先がアキの胸板に触れ、微かに尖った乳首を指の腹でなぶり始める。
「おッまえ、やめろ……って」
にじり寄ってきたデンジに肩を押され、アキは咄嗟にパワーがまだ入っている風呂場を目の端に、声を押し殺した。
手首を掴んで持ち上げた瞬間、ぐらついた視界に飛び込んできたデンジの熱っぽい目が、アキの胸をギュウッと引き絞る。
──チューしていい。
甘えたっぷりの声が右耳たぶを艶っぽく濡らす。首筋から耳にかけての薄い皮膚が、血液の循環を速めながらカッと熱くなって、アキはつい反射的に目を閉じていた。
「ンッ……」
微かに漏らした吐息を合図に、柔らかいものが唇に触れてくる。
ふにっという感触と共に、ぬるい呼気が皮膚の表面を撫でる。ばかみたいに甘いバニラアイスの匂いが鼻を抜ける。ゾワゾワと腰から背中を這い上がる快感が、アキの体から抵抗の力を奪い取っていく。
だって、好きなのだ。どうしようもないくらい、アキはデンジが、好きだ。
たとえこの先アキと添い遂げることが、どれほどの重荷になるのかを知っていてもなお愛さずにはいられないほど。
その手が気持ちいいところに触れる軌跡を、じっとりと蒸れたシーツの中で一人、繰り返しなぞって夜を耐え凌ぐほど。
本当は、目の前の形の良い耳朶に歯を立てて、このまま無我夢中で組み敷いてしまいたい衝動を必死に押し殺すくらい──
デンジのことが、好きなのだ。
アキは渾身の力でデンジの胸板を押し返すと、ゴツンと脳天に拳を落とした。
「いってぇ!!」
おさまりの悪い金色のつむじを両手で押さえて、デンジが涙目で騒ぎ立てる。
アキは空っぽになったアイスの袋と棒を引っ掴んで立ち上がった。
「調子に乗るな。風呂入ってさっさと寝ろ」
すかさずデンジの声が飛んでくる。
「風呂入ったらアキの部屋ァ行くからな!」
「来たら殺すぞ」
「パンツはちゃんと履いとけよォ、俺が脱がしてェから」
戻って蹴りを入れかけたところで、パワーが素っ裸のまま浴室から飛び出してきたので、アキの意識は完全にそちらに移った。
「アイスじゃ!!」
どたどたと裸足の足から滴が垂れおちる。
「濡れたまんま台所に入って来んな!!」
怒鳴るアキの隙をつき、背後をスルッと抜け出してデンジが風呂場へ逃げ込んでいく。
「チョンマゲェ、ガリガリがないぃぃい」
アキは盛大に舌打ちをしてから、今まさにデンジに揶揄われたのとは全く異なるテンションでもって「パンツをちゃんと履け!!」と怒鳴りちらした。
◆
デンジが宣言通り、アキの部屋に忍び込んできたのは、日付が変わろうとする時刻になってからだった。
すうっと扉が開く気配に、うつらうつらと夢に片足を突っ込んでいたアキの瞼が微かに震えた。
まさか本当に来るとは思っていなかった。
「……デンジ、?」
囁くような声量で名前を呼べば、暗闇の中で人影が返事をせずにベッドに乗り上げてきた。
ぎし、とスプリングが軋み、皺の寄ったシーツの表面が軽く波立つ。
「おい、」
「……パンツ脱いでねぇじゃん」
含み笑いを吐息に混ぜて、耳たぶにデンジの声が齧りついた。舌先が耳孔の縁を掠めて、アキは微かに身じろぐ。暗闇が深く、物のあやめも分からない。視界がままならぬ分、音がやけに近い気がする。
「っ、ハァ……あ、ったけえ……マジで寝てた、?」
背中から回されたデンジの手がスウェットのゴムの中に差し込まれてきて、ようやく意識が現に戻ってくる。
手のひらでクルクル下着越しに形を触られて、アキは低く呻くような吐息を漏らした。
「ン、ぅ……」
デンジが満足そうにうなじに頬を擦りつけてきたのが分かる。くすぐったい耳裏の髪にぞくぞくと背が粟立つ。
へその周りを撫でさすり、布の上から性器を緩慢になぞる手は、熱い湯に浸したみたいにぬくぬくと湿り気を帯びていた。
あるいはアキの熱が伝播したのかもしれなかった。布団の中に湿り気が充満して、淫靡なにおいを閉じこめる。
手の中のものの形を確かめるように何度も上下するその緩慢な動きが、アキの息をたちまち上がらせた。
「っ……ぁ、あ……ぅあっ」
「アキのチンチン、相変わらずでっけぇ、な♡ パンツんサイズ合ってねぇじゃん」
揶揄するセリフに怒りと羞恥がぶわっと湧き起こり、アキは背後へ肘鉄を喰らわせた。
「い、ッてェッ!!……っ、ん、ああっ!?」
ぐるっと反転した視界に、デンジの驚いたような顔が映り込む。
アキは中途半端に乱されたスウェットの裾をぎゅっと戻すと、両手でデンジの下着を容赦なく引き摺り下ろした。
「んぎゃッ……何すンだよ!」
「お前も勃ってんじゃねえか」
「……ア!?」
生意気にも腹につきそうなほどそそり立ったものが、急に晒されて居心地悪そうに震えている。
寝入りばなだったせいで体温の高い手の中に閉じ込めると、アキはようやく暗闇に慣れてきた瞳でデンジを見つめなおした。
濡れた欲に負けた自分が、デンジの瞳の中に映っている。疼くけだものみたいな自分の姿。
「勝手に触りやがって……」
「……アキ、っ、怒っ……」
切羽詰まったようなデンジの声をさえぎるように、アキは熱を孕んだ性器をゆっくりと愛撫し始めた。
わざと根元の方へ親指の腹を向けると、ゾワゾワした快感が足の裏から這い上がるのか、せわしく足を組み替えながらデンジが呼気を乱した。
「ふッ、んぅ……アキ、ちょ、…っと待…ッうアッ!」
眉間にぎゅっと皺を刻んでデンジが仰け反る。
手の中でビクビクと膨張する性器に気をよくしたアキは、湿った息を唇の端から溢してささやいた。
「っ、すこ、しは……もたせろ、よ」
ずる、と指の股でかり首を柔らかく締め付ける。長い指をいかして関節を上手い具合に当てながら裏筋をなぞると、デンジは悲鳴じみた声を噛み殺してアキをねめつけた。
「っ、それ……ずりィ……!」
息が上がると、顎も上がる。征服感と慈愛が入り混じった不思議な心地で、アキは万遍なくグチュグチュと竿全体を撫で擦った。
雄の快楽の引き出し方は、十分知っている。どこをどうされたら気持ちいいか、その神経に焼き付けたい。
「ハあ、ァ……ンっ、ぐ…!」
アキは先端からぬるつく蜜を溢れさせる尿道へ親指の爪を軽く食い込ませた。
唸るような呻きを喉に詰まらせて悶えるデンジの放つ湿度が、ベッドの中を蒸らして満たしていく。
腿に引っ掛けたままの下着のせいで、思うように足が動かせないのも、焦れったい興奮を駆り立てているのだろう。
アキはもはや熱心なほどの手つきでデンジの陰茎を擦り上げ、口に溜まった唾液をこくんと飲み込んだ。
切ないほど興奮しているのは、自分も同じだった。
「ぁ……っアキ、もぅ……」
──イキそぉ。
堪え切れずに白状した声を合図に、アキは性器を苛めていた手を離すと身を屈めた。
力の抜けきったデンジの上体をそのまま布団に抑え込むと、鼻先を湿った下生えの中へ突っ込み、はち切れそうな質量をあぐ、と口いっぱいに頬張る。
「ん、んぅ……ッ!!」
睫毛を濡らして目をつぶり、切なげに鼻を鳴らすデンジの腰が揺れた。
熱っぽい手のひらがアキの頭に置かれ、子犬を可愛がるような仕草で髪の毛をかき混ぜる。
口淫に酔いしれながら、舌先で先端の窪みを抉ると、じわりと濃い味が口の中に広がった。馬鹿みたいに興奮する。
もっと……と一層深くまで飲み込むと、硬い陰茎が頬の内側を押し返した。
「ぅあッ……アキっ、それ、ゃべェぇ……」
上擦った声は早鐘を打つ鼓動にかき消される。デンジの指先が頭の丸みに沿って這い回り、震える指先が愛おしげに耳たぶをこねくり回す感触にアキは喉を鳴らした。
ごぷ、と涎が溢れ出て、口の中に熱が溜まる。
そこに混ぜ合わせるように先走りを吸い上げると、引きつったデンジの声が頭上から降ってきた。
快楽の電流で突っ張った腿が、アキの顔のすぐ側で汗を垂らしている。満たす最後のトリガーを欲するように引き寄せられ、切なげに呼ばれれば、その淫靡な興奮と健気さはアキを夢中にさせた。
「ぅくっ……ぁアっ、あき、……でる、ァッ……出るぅ…!」
「んンッ……っ、ふ……んくっ」
息も絶え絶えに告げたデンジが、アキの耳たぶをぎゅっと引っ張った。
と同時に口の中でビュクッと精液が溢れかえり、瞬く間にアキの舌の上に重たい苦みが溶け落ちる。
飲み干すにはそれなりに努力を必要とするが、喉仏を何度も上下させて何とか嚥下した。
デンジの荒い息遣いだけが眠りを放棄した夜の部屋に響く。アキは湿り気のあるリップ音を立てて今しがた可愛がったばかりのそこから離した。
ねっとりと糸を引いた粘液がぷつりと切れて落ちる。
「ぷ、は……っ、は」
我ながら中々に倒錯的な満足感を得ながら、汚れた口元を手の甲で拭ってアキは身を起こした。
「っはぁ……おい、デンジ…、デンジ?」
呼びかけるが返事がない。
派手な射精の余韻に痺れて動けなくなっているのか──と思いきや、むく、とベッドに肘をついて上体を起こしたデンジと、思いきり目が合った。
その瞳の完全に据わり切った鋭さに一瞬気圧されて、アキはたじろいだ。何かとんでもないものをぶち抜いたに違いない。
「ハァ……っ、理解したぜェ〜……かんっぜんに」
不意に伸ばされたデンジの足先が、重みを増したアキの性器をずり、と擦り上げる。
その指先の動きに嫌でも神経が集中してしまい、アキは上擦った声で咎めた。
「お前っ……!…っ、や…」
「……あんなエロぉいフェラされたらよぉ、つまり、お優しいセンパイもおんなじことされてぇってコトだよな?」
お手本、見せてくれたンだろ?と、行儀の悪い両足がアキの急所をぐりぐりと柔らかく捏ねて、そそのかす。
「っ、ぅ……ぁ、はあっ…」
脱力した体をスプリングに沈められると、視界の回転と一緒に頭の中もぐるぐる回って欲望で塗りつぶされてしまう。抗いようのない甘美な誘惑が、アキの生半可に引っかかっていた理性をぐずぐずに煮溶かして押し流す。
「脱いで、」
頷く代わりにゆっくりと腰を浮かせる。
浅ましい仕草を自覚するのは、泣きそうなほど苦しくて気持ちがいい。
高ぶる感情に息が詰まって、アキは苦し紛れに枕の布地に爪を食い込ませた。
しゅり、と衣擦れの音を立てて抜き出された下着が、ベッド下に投げ落とされる。無防備な膝裏を割られ、デンジのあつい吐息が内腿を濡らす。
「ア、ぁ……ッ、あっ」
「んふ……アキのちんちん、いい子に我慢したなァ」
褒めるように勃起の先端に口づけを落とされ、アキは息を詰めた。先端に滲む蜜を舐め取られ、唇で優しく啄まれるのがもどかしい。
早く全体を強く愛撫してほしいのに、焦らすように根元から裏筋を辿って上ってきた舌先は、猫の子のように舌舐めずりして、熱い吐息を吹きかけるだけだ。
「ふ……っは、ぁっ、デンジ……ッ」
涙声で懇願するアキをうっとりと見やりつつ、デンジはたっぷりの唾液が乗った舌で、ぬるつく鈴口をくちゅくちゅと柔らかく舐めまわした。
「あっ!あ、ア、ふぁ……っ!」
熟れた果実が潰れて甘くしたたるように、先走りがとぷとぷ溢れ出す。
先端の窪みに舌先をねじ込まれ、アキは腰をくねらせて喘いだ。ぼうっと頭が霞みがかるほどの快感に、下半身が溶け落ちていく。
「ん……ン……!」
のばした手で汗ばんだデンジのつむじを手慰みに撫でながら、アキは爪先をぎゅっと丸めたり伸ばしたりして、喘ぎ悶えた。
せり上がってくる快感を逃そうと尻に力が入ると、デンジが面白がって余計に性器を深く咥え込む。
アキは枕の端に犬歯を立てて声を押し殺した。鼻から抜ける切なげな息が、アキの限界を知らせている。
もうあと、ひと押しで陥落する。この甘苦しい快感が勢いよくスパァクして、気怠い心地よさの波が打ち寄せる。
予感に目を細めたアキの思考を遮るように、デンジの舌の動きがぴたりと止まった。
ふは、と口を離したデンジがアキの股ぐらからこちらを見上げ、とろんとした目付きのまま唇の端を不遜につり上げる。
「……っ?」
──アキの気持ちぃとこは、ココだけじゃねぇもんな。
思わず枕に立てていた歯が離れて「やめろ」と叫びそうになった。
心臓が壊れたポンプみたいに、ばくんばくんと嫌な音を立てて高鳴る。
すっかり勃ちあがった陰茎の根元の方から、僅かな隙間をぬらぬらと窮屈に濡らして、ふっくらと色付いた膣口が開く。
デンジの息がそこに当たって、アキはいやらしい啼き声を抑えきれなかった。目の中に星が散る。
「っ、あぁ……っ、ひ……ああっ♡」
声デケェ、とか、パワーが起きる、とか、多分そんなことを言われた気もする。が、アキには欠片だって反論する余裕はない。
興奮した陰唇の粘膜を割り広げられると、指とは異なる柔らかく濡れた感触が直にそこを刺激し始めるのが、気持ち良くて堪らない。
「ぅあ!あっ、あ♡ あぁッ、デンジ……っ!」
臍の下にマグマのような快感がとぐろを巻いて溜まり、悶え、つつかれると、ドロドロと愛液になって吐き出される。
「んッ、あ……はぁっ……♡」
「アキ……腰すんげぇ動いてンぜ。エロ〜♡」
「〜〜〜っ、うるっ…ぅぅうん…!!」
ぶわ、と顔に熱が集まり、いたたまれなさで泣きそうになる。
いっそ一思いに突っ込んでしまえば良いものを──という屈辱はあっという間に霧散し、すぐさま思考回路を焼き切るような鋭い快感の波に飲まれて流されてしまう。
「超ビンビンに勃ってンなぁ」
「ぅっあ! ァっ、待ッ……!!ひん!」
プクッと尖った陰核を甘噛みされ、アキは髪を振り乱して喘いだ。
皮の中に隠れたそこを優しく剥かれ、舐め回されると一瞬だった。
「ひぅッ……!?♡ あっあ゛! ぁアっ、ァあっ〜〜〜♡」
にゅるんと現れた真っ赤な先端に、そっと舌を当てられた。事実としてはそれだけの刺激が、ピリッと快楽の肉芽から脳髄まで駆け巡り、視界が明滅する。
「イく、ッあうっ、イクぅ……ッ!!♡」
体全部が大きな心臓になったかのように、バクバクと跳ね上がる。
押さえつけられた膝の裏にたまった汗が腿につたい、下腹部に貯まる快感が再び暴発しそうになったその時だった。
「っ……ふ、」
ぬるっ……と下唇をついぱまれて、アキは涙で潤んだ目を白黒させた。
理性のタガをふっ飛ばしたようなデンジの顔が目と鼻の先にある。熱を孕んだ瞳が懇願するようにアキを見つめて訴える。
「ア、キ……ッ、ちんちん挿れたい。もう、がまんできねェっ……ッ」
「待、まっ……!ぁア、ううん゛!」
「く……ぅ♡」
亀頭から根元までを一息に飲み込まされ、みちみちと侵入者が狭くて熱くてうだる媚肉を押し広げていく。
息を吸いたくて出したはずの舌に熱くぬめった舌がねっとりと絡みつき、アキは言葉を紡げぬまま、溺れるようなキスに没頭した。
「ん、ふむ……ぅ、ぷは………!」
「あッ……アキ、きっつ……ぅ」
クラクラするぅ、と呻いたデンジが、アキの両肩に手を乗せてゆるゆると腰を揺すった。
興奮しきった表情でアキをちらちらと見つめ、掠れた声で告げる。
「アキのここ……ッ、オレっ、の、ちんちんに食いついて、すげェ……っ♡」
「ゔ……ッ、ぁ! あ゛ッ……ゆ、っくりぃ…ひッ」
待ち望んだ雄に割り開かれた胎の奥がキュンキュンと収縮し、柔らかい内壁が喜び勇んでデンジ自身に絡みつく。
突き出され、抜き出されるほど甘イキを繰り返しているのが恥ずかしくて気持ちよくて、アキは握りしめていた枕の布地から汗ばんだデンジのうなじへと指を滑らせた。
近付く距離が肉欲を凌駕する充足感を生み出して、アキのたえだえな胸の奥を疼かせる。
好きと言えたら、どれだけいいか。
今、好きだと素直に言えたなら、どんなに後悔するだろうか。
明日の夜は越えられないかもしれない。寿命はもうすぐそこに迫っている。
子を成すことも愛を遺すこともかなわない。まして共に生きる未来は万に一つもない。
──でも………でも……。
「っ、アキ、ィ、奥……奥、当ててっ……いいッ?」
蕩けた声で尋ねつつ、もう既に我慢の効かない体が、アキの返事を待たずして本能のままに動き出す。
アキが思うよりずっとずっとデンジは我慢の限界だった。
性に忠実な年頃だから、という理由だけではない。肌を、行為を、夜を重ねるごとに心の奥底で密やかに膨らんでいく。
アキのことがもっと知りたい。触りたい。気持ちも聞きたい。知ってほしい。見せてほしい。
ほしい、ほしいが募って、心のコップから溢れてしまいそうだ
──アキは……俺のこと、好きンなってくれる、かなァ。
甘い痺れがズクズクと指先までを鋭敏にして、触れ合う快感を何倍にも押し上げていく。
「ハァっ……ァ、ア゛ッ、デンジ、……ん、ん!」
アキが苦しげに首を振った。
優しくしたいのに頭がバカになって言うことを聞かない。もっと深く味わいたくてたまらない。
重さもうねりも柔らかさも甘さも全部暴いて自分のものにしてしまいたい。他の奴には味わわせたくない。
一人で気持ちよくなったってちっとも満たされない。
興奮で胸が苦しくて、デンジは息を荒げながらもどかしく唇を合わせた。
「んッ……む、ぅ゛ッん、んは、っ」
空いた隙間から、アキが息も絶え絶えにデンジを呼ぶ。
「っ、は、奥…ッ…! デンジ……!」
「ハアっ……ん、気持ちぃ……?」
過剰にあふれた唾液の糸が引いて唇が離れる。息を荒げて自分を穿つデンジに、アキは下唇を震わせて言った。
「っ、きもち、っぃ、けど……は、っ、あんまり奥は…、強く……するな」
「?」
ふと動きを緩やかにしてデンジの目がまばたく。アキは右手の甲を口元に押し当てて、思い詰めたような顔をデンジに向けた。
左右に揺れた視線は、やがて俯き加減に逸らされた。
「っ、……し、子宮に……、響くから」
「……はぁ!!!?」
思いがけない答えに、デンジはぎゅうっと胸を高鳴らせてアキの耳朶を噛み付いた。
アキは大人でツラも頭もいいけど、時々すげぇばかなんじゃねえかな、と思う。普通、そういうコト今言うか?
唾液で濡らすように耳殻をねぶって舌先を差し込み、しゃぶるように舐め回す。
ぐちゅくちゅと生々しい水音が響くたびにアキが跳ねて、ぶるっと腹筋を震わせた。
「ッあ゛! あ…あ…っ!!」
「っ、こん……くらいのは?」
「ヒぅッ!?」
ぱちゅ、ばちゅ!と濡れた皮膚同士がぶつかる音を立てて腰を打ち付けると、アキが声にならない悲鳴を上げて身悶えた。
──子宮にクんの……なんで嫌なんだ? 痛いとか……? 気持ちいいからやだ、じゃねえんだ。残念。
デンジにとってはどちらもピンと来ない感覚だが、気持ちいい所ならありがたいことにアキには他にも沢山ある。
腫れ上がった陰核を優しく撫で回してやる。溶けたようなアキの切ない喘ぎに、「ここ気持ちいいもんな?」と尋ねてやれば、アキは激しく頭を上下させて肯定した。
「っ……♡ ふ、ぁッう……きもっ……ちい、ぃッ……♡」
「ッ〜……うぅ♡」
──これで激しくスんなとか、拷問だよな〜ポチタ。俺、鼻血出てねェかな。
すん、と鼻をすすりながら、デンジは腰を突き上げた。アキの体臭とリネンの芳香に頭の芯が揺さぶられる。
突き当たりをこじ開けたくなる本能を必死で抑えて、蠕動する中の気持ちよさを堪能しながら上側の肉壁をゆっくりと押し潰す。
「ひっ、あぅ……あッ……ハァ…っ」
アキが鼻から抜けるような声を漏らしてすがりつく。指先がデンジの背中に食い込み、爪痕を残した。
だらしなく力の抜けたアキの足も、柔らかい胎内にあってぷっくりとしこった膨らみも、全部が全部、デンジを追い詰める。気持ちいいと訴える。触ってほしいとねだってくる。
なんだか分からないけど、とにかくアキの体はぎゅうぎゅうに気持ちいいところが詰まってて、愛すべきところが溢れるほどにあって、デンジはその事実だけで十分茹だりそうになる。
今だって、一生懸命腰をくねらせて自ら快楽を追いかけるアキを見ているだけで、頭が痺れるほど興奮する。
「アき……アキっ、……イ、きそ……!」
「ん、んんっ……♡」
こくこくと何度も頷くアキの顔は快楽に蕩けていて、熱っぽい目が瞬きをするたびに夜の星空みたいに煌めく。
愛されている気がしてしまうほど一心な眼差しがデンジを捕まえて口付けた。あとはもう、昇りきって落ちるだけだ。
「!っ、ん……お゛ッ……!いっ、——い、く、!!♡」
ゆっくり圧迫されて、解放されて、それを何度も繰り返されながら、追い上げられいく。一つの死と生の楽土へ。
「イっ、く……!あ、キ……アキッ! いぐっ……いっ……!!」
熱と体液で満たされた柔らかい肉壁は根本から先端まで貪欲に絡みつき、ぎゅっぎゅっと雄を絞り上げて、物欲しげにしゃぶりついた。
「──……ッ!!♡♡♡」
背骨ごと引っこ抜かれるような快感が迸り、視界を白く塗り潰す衝撃に腹の中身が持ち上がる。
びゅくびゅくと痙攣する先端を押しこんだまま、デンジは煮えたぎった精子を思う存分アキの中に注ぎ込んだ。
アキがむずがるように首を振る。
ずり、ずり、と散らばるアキの黒髪と、上気した頬の朱色、無地の潰れた枕。刺激的すぎる痴態の色合いの中へ、デンジは脱力した体を沈みこませた。
「っ、はー………も、動けね……ェ」
虚脱感と多幸感と、じんわりとした熱い眠気が脳みそを浸していく。
アキが「寝るなら降りろ」と掠れた喉でこぼすのが聞こえて、デンジは襲い来る睡魔に片手を引かれながら「ヤダ……」と駄々をこねた。
今しがた触れ合ったものが嘘や幻ではないように、アキの裸の胸にしかと抱き着いたまま、目を閉じる。
汗も涙も何もかもが溶け合うと、最後にこんなにあったかい熱が生まれるのだ。
それを纏った相手に抱きしめられながら眠るのは、幸福以外の何ものでもない。
きっと、この感情が──。
すぅ、と寝息に近付いたデンジの唇のきわに、細いアキの呼吸が触れてついばんだ。
おやすみ、と言った声が現だったか夢だったかすら定かでないまま、目蓋を閉じた二人はそれぞれ深い眠りへと落ちていった。