2話目

 クチュ、クチュと粘膜質な音がする。女の甘ったるい吐息が聞こえた。
 その音も声の主も、すぐ傍らにいる。
 だがしかし、目を凝らしても何も見えず、ただデンジは闇の中にいるだけなのだ。
「デンジ君」
 女の声がした。
 デンジの心臓が大きく脈打った。
 これは幻聴だ。夢の中。そう分かっているのだが、その声の持ち主を誰より好いているデンジは、暗闇の中であっても悪夢の中であっても、返事をせざるを得ない。
「マキマさん」
 姿なきまま、女はくすくすと忍び笑いをした。
 蠱惑的な唇が動く様を想像する。それだけで脳が灼き切れてしまいそうになる、官能的な唇。
 あの唇の形を、指を噛む強さを、デンジは生涯忘れることはないだろう。
 マキマが好きだ。マキマにも好きになって欲しい。
 だから言うことは全部きく。たとえそれが悪魔のような命令であっても。
「デンジ君。君の子供を、―――に産んでもらおうと思うんだ」
 脳髄に染み渡る支配の声。
 たおやかな指先がデンジの膨らんだ種袋を揉み込む。やわやわ、と白魚の手が淫らに動く。
 官能的な刺激がたちまち雄を太く硬く育て上げ、ぽたぽたと浅ましいよだれを垂らし始める。
 若い性をいじくられて、デンジの腰は焦れったく蠢く。熱い息が上擦る。
 マキマが耳元で笑った。
「上手だね、そう、そのまま挿れて。沢山、出してあげて」
 まるでそれが当然のことのように、デンジはマキマの声に促されるまま腰を突き出した。
 硬く張り詰めた欲望に、白い指が蛇のように絡みつく。   
 マキマの指先が導くままに、デンジは闇の中で肉筒を貪った。
 ねっとりと迎えた熱い粘膜が、蠢きながら敏感なデンジの性器の先端に吸わぶりつき、奥へ奥へと導くように蠕動する。
 気持ちが良かった。ひたすらに気持ちが良かった。
 闇と肉の感覚に溺れるデンジを、マキマはやさしく赦した。
 この恍惚の前にはあらゆる思考が停止して、デンジは一介の愛玩動物に成り下がる。
 痺れる快感が腰骨から背骨を伝って脳天まで駆け巡った。
 身体の芯が切なく疼いて、魂すら溶け出すような絶頂感が下半身を支配する。
「んっ…あー……で、る……出ちま、うっ!……出ちゃいます、マキマさ、……っ」
「うん、いいよ。いっぱい出してあげな」 
 赦しを得た瞬間、デンジは弾けるように射精した。
 目の前が真っ白になって、高音域の耳鳴りが押し寄せる。
 ハレーションにも似たその感覚は、デンジに巨大な多幸感と底なしの絶望を同時にもたらした。
 己の下でのたうちまわる、白い腹。
 子胤を注がれてヒクヒクと震えるその下腹部には、斜めに切れ込んだ深い傷跡があった。
 包丁で刺し貫かれ、生死の境を彷徨ったときにできた、傷跡だ。
 デンジの命を庇って、彼が負った傷。

「ア……キ……?」

「デンジくん、もう一回してあげて」
 言われるがままにデンジは腰を動かした。射精直後の敏感になった陰茎に、容赦なく熱い肉壁がちゅうちゅうと絡みついてくる。
 それはまるで別の生き物のように蠢いて、デンジの性器を再び扱き上げた。
「ン゛ッ……!んぐっ!……ううっ!」
 またすぐ頂点へ押し上げられていく感覚に歯を食いしばる。
 歯肉の隙間から興奮したうめき声が漏れた。
 自分が何をさせられているのかもわからず、ただ命じられるままに腰を振り続ける。
 やがてマキマは満足したように吐息を漏らした。
「いい子だねデンジ君、いっぱい気持ちよくしてあげてね」
「んうっ、うぐっ……!は…っ! ハッ…!!」
 甘露の蕩けた声に褒められ、促され、快楽の奔流に押し流されていく。
 下腹が引き攣る。何度目かもわからぬ絶頂感に、呼吸が、鼓動が乱れる。
 もういやだ、もうやめたい。そう請う心とは裏腹に、肉体は本能に従って律動を止められない。
 デンジの意志を全く無視して、マキマの命令は快楽を甘受せよとそそのかす。悪魔じみた声が耳たぶをはむ。
「……ッ! ウゥ……ぅ……」
 過ぎた快感にボロボロと泣きべそをかきながら、デンジは必死に腰を振る。
 穿たれている真下の体は、可哀想なほど痙攣し、デンジの腰の動きに合わせてガクンガクンと跳ね上がった。
「〜〜ッ、ん、ん……あ゛あっ!」
 唾液を垂れ流しながら獣のような唸り声をあげるアキは、デンジが射精してもなお終わらない責め苦に絶望して泣いているように見えた。
 かわいそうだと思うと同時にゾクゾクとした興奮が背筋を駆け上ってきた。
(ちがう)
 そんな哀れみの気持ちを抱くことすら背徳のように感じられて、デンジは自己嫌悪に歯噛みする。
「ア……キ…っ、…ハァっ……糞っ……アキ、アキ!」
(ちがう、きもちよくなんかない)
 そんなんじゃない。マキマさんが言うから。マキマさんが触るから。アキがそこにいるから。だからこれは俺の意思じゃないんだって。ちがうんだって。
「……ッ!……ぁ、あっ…!でんじ、はぅ……っ!」
 やめろ。そんな甘い声を出して呼ぶんじゃねえ。そんな媚びた声、出すなよ。頼むから。
「んっ、あっ!……きもちっ…! んぅ……あついぃ……♡」
 きゅうっと握っている手。そうだ。手、握ってやりたいんだった。
 間髪入れず、指を絡めて握りしめて、抑えつける。
 汗ですべる手のひらに体重をかけて、奥、奥まで。たっぷり。
「ハッ…ハァッ……アキっ…! おく、奥…っ、まで、挿れるから、なっ……!♡ キモチイイの、してやるから……っ!」
「あううっ…! 奥、…ぅ!♡  いっぱ、ひ……っ♡ 欲しい…っ、んんッ♡」
 身悶える体をけだものの営みのように組み敷いて犯す。
 脳が煮えて溶けていく。体と体の境界線も曖昧に蕩け、ただ雄の本能だけがデンジを支配している。
「ぅう……!あ、あぁ……ッ!」
 脳髄を侵す快楽の渦に溺れて、デンジは歯を食いしばる。
 一際強く腰を打ち付けた瞬間に視界が白く染まった。
 どぷどぷと注ぎ込む白濁が更なる快感を呼び覚まし、全身の汗腺から汗が吹き出すほどの高熱に包まれた。
 足先まで鳥肌が立ち、背筋を駆け上がる絶頂感に身を委ねる。
「〜〜ッ!あ、あぁっ……!ん、ンッ……♡」
 アキもまた同様に壮絶な絶頂を迎えたらしく、デンジの腕の中で激しく痙攣した。
 デンジはその体をきつく抱きしめてやることしかできない。
 終わってやってくれ。早く、早く終わってくれ。デンジは必死に懇願する。
 この行為はおかしいのだと、本当は気づいている。だからやめてくれと願っている。それなのに肉体は動いてしまうのだ。
 もう何度アキの中に精を注いだかわからなかった。その度にアキの下腹部には大きな膨らみができていって――それが痛々しくて見ていられなくて、でも目を逸らすことなんてできなくて――
「とっても上手になってきたね。いいこ、いいこ」
 撫でられて、命じられるまま、デンジはアキの身体を揺さぶった。
 そのたびに濁った嬌声が上がる。アキは力なく首を振って拒絶した。
 もうやめて、お願いだから許してと哀願する声がデンジの耳に届いている。
 だがそれは逆効果でしかないとも分かっていた。より強く興奮し硬くそそり立っていく雄に絶望したのか、アキの顔が泣きそうにくしゃりと歪んだ。
「っあ、う……デンジっ、もう……い、ぎゅ……」
 許してやりませんか。マキマさん。
 こいつ、こんな風に泣くことなんか無いんですよ。
「デンジ君は気持ちいいことだけ考えて。沢山、アキ君のお腹を満たしてあげて」
 できるよね。
 挿入。抽挿。律動。律動。呼吸。懇願。
「あっ、あんっ…ヤ、嫌だ……! やめ……、もぅ無理っ……もうやめて…くれっ…!」
「ハッ… アキっ……アキ、アキッ!♡」
「あ゛っ……! あぅっ! ああぁぁ……!中で出すのっ…♡だめぇっ……♡」
「中っ、イくッ……アキっ、おれ、俺の、―――んで…!」
「んぅっ……〜〜ッ! あっ、あぁあ゛ぁぁあっ!?」
 アキが絶叫する。デンジは仰け反り痙攣する体に無我夢中でしがみついた。
 性器をキツく締め付けられて恍惚としながら、デンジもまたアキの最奥に精をぶちまける。
 その熱量に歓喜するように、アキの肉体もまたビクビクと震えていた。
「うぁ……♡ はぁっ♡ はーっ♡」
 絶頂直後の余韻に浸りながら、デンジはアキの中に性器を挿れたまま腰を震わせる。
 アキもまたデンジの腕の中で甘く震え続けていた。
「よく頑張ったね、二人とも」
 満足気に微笑み、二人の頭を撫でる。
 その掌の感触にすら感じ入ってしまうのか、アキは肩を震わせてデンジの胸に頬を擦り付けた。
「んっ……ふ……」
 甘えるような仕草にぞくりとしたものを覚えつつ、デンジは放心したままのアキをじっと見つめる。
 こんなんで、いいわけが、ない。



◆ ◆ ◆



 はっと目を覚ましたデンジは、自分がどこにいるのか分からず、混乱した。
 慌てて体を起こそうとして、尻の辺りに鈍い痛みを覚えてうめく。
 思わず体を丸めたデンジは、視界に映るごちゃごちゃしたアダルト雑誌や脱ぎ散らかした洋服の山に、ここが自室だということを認識した。
「……」
 埃っぽい部屋の空気を吸い込んで、デンジはゆっくり息を吐いた。まだ心臓が激しく脈打っている。体が熱かった。
「夢ぇ……?」
 呆然と呟きながら、のろのろと体を起こす。身じろいだせいで、股の濡れた感覚がやけにリアルに感じられた。
「んげッ……」
 ぬちゃ、っとした粘り気のある冷えた感覚に包まれる。
 慌てて布団をめくってズボンのゴムを引っ張ると、夢精した残滓が腹の上にまでこびり付いていた。
 半端に勃起した性器にもべっとりと絡みついている。
「げェっ、……くっそ……」
 一気に脱力して、デンジは力なく仰向けにシーツへ沈み込んだ。

 淫らな夢を見た。
 セックスをした。導かれて、子種を求められて、導かれるままに射精した。
 あんなのはセックスではない。ブリーダーによる種付け交尾だ。デンジは犬が好きだけど雄犬になったつもりはない。
 胸糞の悪い夢だった。相手の顔を覚えていないのが幸運だった。

「デンジ君」
「……ッ!」
 突然かけられた声に、デンジは大げさに肩を跳ねさせた。
 見れば部屋の入口にマキマが立っている。彼女はいつもと変わらない、美しくて穏やかな笑みを浮かべていた。
「おはよう。起きたんだね?」
「……は、はい。えっと、アレ? なんでマキマさん、うちに居るんですか……?」
「早川君から連絡があってね。君が倒れたから迎えにきてくれって頼まれたんだよ。具合はどうかな?」
 デンジは息を呑んだ。何か大事な記憶がごっそり欠落している気がした。
 が、思い出せない。
「あ……あぁ、そうだったん、すね。すいません。大丈夫、超元気っす!」
「それはよかった」
 マキマは軽く頷くと「パワーちゃんは出かけたみたい」と付け加えた。
 きっと一目散に逃げだしたのであろうバディの姿が目に浮かぶ。でも、アキは。
 アキはどこに行ったんだっけ。まだ帰ってきていないのか。あれ、そうだっけ?
「台所に、レトルトで悪いけど、お粥のパックが置いてあるから温めて食べてね」
「はい……」
「明日の勤務は午後からでいいから、今日はゆっくり休んで」
「はい……」
 うわの空でデンジは相槌を打つ。
 夢の残骸はすでに朧ではあったが、ひどく後ろめたい気分がなぜかあって、デンジは素っ気ない態度であった。
 とにかく早く一人になりたかった。せっかくのマキマとの会話も、なんだか耳に残らないのだ。
「それじゃ、私はこれで。またね」
「あ、あの……えっと、送った方が、いい、ですかね?」
 しどろもどろの疑問形になったデンジの言葉に、マキマは意外そうな顔をした。
 それから、やんわりと笑みを浮かべた口でささやいた。
「君は具合が悪いんだから寝てなさい」
「……はい」
 母が子をたしなめるような言い草に、デンジは素直に頷いた。扉をあけたマキマの足元に、廊下の薄明りがさしている。
 立ち去ろうとしないマキマに首を傾げると、彼女は何か楽しいものを見つけたように、デンジを見つめた。
 足の踏み場もない部屋の中を、一歩ずつ軽やかに距離を詰めてくる。
 その動きだけでふわりと甘い香りが漂ってきた気がして、デンジは無意識に唾を呑み込んだ。
「ど、え、あれ? マキマさん?」
 動揺を隠せもしないデンジの胸の中で、心臓が大きく脈打った。もう目の前にまで迫ってきていたマキマの唇が、ゆっくりと動く。
「いい子が、ゆっくり眠れるおまじない」
「え……?」
 額にやわらかな感触を感じて視線を上げると、マキマの金の美しい瞳が、デンジを優しく見下ろしていた。
 心臓が止まるのではないかと思った。
「……、え……?」
 驚きすぎて動けないでいるデンジに微笑みかけると、彼女は何事もなかったかのように部屋を出ていった。
 ぱたん、と扉の閉まる音がする。

 残されたデンジはしばらくの間呆然としていたが――やがて大きな大きな、溜息をついた。
 まだ額に感触が残っているような気がしていた。汗ばんだ手も、頬も、熱かった。
 胸が苦しくて、デンジは残り火を直に握ったような火照った指先で、心臓の辺りを強く握りしめた。
 そこにいる相棒の気配に、縋りつきたい気分だった。

 マキマさんが、好きだ。
 優しくて、綺麗で、可愛くて、甘いにおいがする、いい女。
 大好きだ。ちょっぴり意地悪なところも、全部、好き。
 たとえ彼女の目に映る世界の雄が、子胤袋の付属物にすぎないとしても。
 デンジは、マキマを愛している。

 なのに、なぜか泣きそうな程心臓が苦しくて、キスはちっとも嬉しくなくて。
 今会いたいのは、無性に会いたいのは、ただ一人。


 蹲って丸まって、デンジは呻き声のようにアキを呼んだ。
 でもアキは、二日目も帰ってこなかった。

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