20240706 ニュクスの誤想01
島民たちのルーツを辿ると、遠い祖先に混沌から生まれ落ちた【検閲済み】がいる。後代へ受け継がれてきた伝承と信仰は、辺境の地で息を殺して生きる島民たちにとって唯一の生きるよすがであった。
【検閲済み】の血が色濃く残る古い時代においては不思議な力を持つ子が多く生まれたというが、ここ数百年は目に見えてその頻度が減っていた。最後に力を持った子が生まれたのは百年も前で、それも風前の灯がごとく異能だったという。
故に一人の女が島へ戻った時、その胸に抱かれた赤子を見た島民たちは狂喜乱舞した。希薄な自我では溢れんばかりの異能を制御できないのだろう。おくるみから滲み出る混沌はまさに冥界を体現しており、伝承通りの姿形をしていた。
いずれ自分たちを抑圧された環境から解放する救世主となるであろう子どもを中心に添えた宴は三日三晩続いた。その盛り上がり様はかつての威勢が返り咲いたと島民たちを錯覚させるには十分で、酩酊した一人の島民が奮い立つような声で叫んだ。悪魔の実なくして異能を体に宿す様はまさに悪魔そのもの。【検閲済み】と悪魔に祝福された子なのだ――と。
それが、海軍の調査班が島で回収した文献に記されていた文章である。
読み終えた資料越しにスパンダムと名乗る男の人を見上げる。キリリと釣り上がった眉に紫の髪をしたその人は何が楽しいのか、ニヤニヤと何やら考えを巡らせている。
仕立ての良い黒いコートと、見るからに上質な生地のベストにワイシャツ。そして護衛を連れている姿から推測するにスパンダムさんは世界政府の、それもそれなりの地位にいるのだろう。そんな人が森の奥で修行に明け暮れるグアンハオの落ちこぼれに何用かと訝しんでいると、突然十枚ほどの紙束を押し付けられたのだ。
ところどころに汚れや折れが見られるそれは、地図から抹消されたとある島に関する資料だった。文字を読むのはあまり得意ではなかったから公文書特有の言い回しに悪戦苦闘したけれど、なんとかおおよその意味を汲み取ることができた。
「これが、なにか」
「お前のことを調べさせてもらった。閲覧が制限された書架に置かれていたからなァ……おれの優秀さをもってしても骨が折れたぜ。お前は海賊の手によって滅んだ島で唯一生き残り、海軍に保護されたそうだな?」
「そのようにきいています」
「変だと思わねェか。大人ですら一人残らず無惨に殺されたにも関わらず、何故赤ん坊だったお前だけが生き残ることができた?」
キイキイと鳴きながら鳥たちが木の枝を飛び立ってゆき、そのうちの一羽がスパンダムさんの髪をくちばしで啄む。いてェー!と喚く将来の上司となるかもしれない人を見つめながら、発する言葉を慎重に選ぶ。
「母親が海賊の目をぬすんで私をかくしたのではないか……と、海兵のかたが言っていました」
「いで、あだっ!おい、あっちいけあっち。シッシッ――で、だ。母親がお前を海賊の目に届かない場所に隠した?それは違う。お前が発見されたのは海岸の砂浜だった。まるで見つけろと言わんばかりにな」
トントン、と手袋に覆われた指先が資料を叩く。きちんと読解ができなかった箇所に書いてあったのだろうか。慌てて手元の資料を捲ると、スパンダムさんが資料の内容も見ずに一節の文章を指した。顔色を伺うとそこにはいかなる感情も浮かんでいなくて、劣等生だと呆れられていないことに少し安堵する。
鳥に引っ張られたせいでぴょこんと盛り上がる紫糸を見つめながら、自分に何を求められているのかをぐるぐると考える。
「この赤子はお前のことなんだろう、ナマエ。お前は文献に書かれている能力を使って海賊の目を欺き、そして海軍すら騙してみせた!」
ばーん!と大きく胸を張ったスパンダムさんに、背後の護衛が片眉をあげる。つまらなさそうに私とスパンダムさんの会話を聞いていた彼がまだ少年と称されるような年齢であることにその時初めて気がついた。見覚えはないが、彼もここ――グアンハオの出身なのだろうか。そんなことを考えているとふとどこからか小さな気配を感じて目線を落とすと、護衛の肩に留まる鳩のつぶらな目と視線がかち合った。……鳩?
「え――と、そうなんです、か?」
「そ・う・な・ん・だ・よ!エホン。そのことに気がついた上層部は悪魔の実とは違いノーリスクで能力を使えるであろうお前を危険因子としてみなすか議論していたらしい」
手足の先から血の気が引いて、グアンハオでの教えが頭の中を反芻する。――なるほど、そういうことか。ストンと考えが落ちてきて、なぜ彼のような人がグアンハオの森にはるばる足を運んだのかを理解する。
「私のことを処分しにきたんですね」
さわさわと揺れていた深緑の動きが止まって、突き刺さるような静寂が場を支配する。スパンダムさんからその背後に立つ護衛へ流れるように視線を移す。目の前の男はともかく、シルクハットを目深に被った少年に隙はない。一歩引いた足が砂を踏み、ジャリッと音を立てる。そんな私の未熟な体さばきに対し、それは物音ひとつ立てず目の前に現れた。
「止まれ!!!!!」
海軍に保護された後しばらくしてグアンハオに送られた。成長し自分の足で立てるようになってからは修行に参加するようになり、時には教官の竹刀に打たれ、膿んだ傷のせいで何度も熱を出した。しかし、走馬灯を見たのは今日この瞬間が初めてだった。
一瞬遅れて、じくじくと首が痛んだ。つい寸前まで目の前に立っていたのはスパンダムさん。そしてその背後に護衛の少年はいたはずなのに、どういうわけか今は私とスパンダムさんの間に立っている。稲妻のように一閃を駆け抜けた動きについていけなかったのか、鳩が少年を追いかけて羽ばたいてくる。
「なぜ止めるんです?対象が不審な動きを見せ、貴方の身に危険が及ぶことがあればすぐさま制圧せよと長官から命じられていますが」
「……親父は暴れたら大人しくさせろとは言ったが殺せとは命令していないはずだ」
「そうでしたか。てっきり抹殺許可が降りているものかと」
「ッ〜〜〜〜〜〜〜!!!!……!…………!……!……まあ、いい。今のでよくわかっただろ。お前も妙な気を起こそうとするんじゃねェ」
言いたいことはいくらでもあったのに、どうやら言葉にならなかったらしい。スパンダムさんがため息を吐いて、こめかみを抑える。それは随分と気苦労と葛藤が含まれたため息のように思えたが気のせいだろうか。何はともあれ無抵抗の証明として両手をあげて膝をつくと、首に突きつけられていた指が離れてゆく。
「確かに上層部では処分が検討されていたが、おれは断固として反対した。海兵どもが集めた資料によると諜報にお誂え向きの能力ときたとあれば、使わずに捨てるのはあまりにも惜しい。危険因子となり得るのならば誰かが手綱を握ってやればいい。お前も世界平和と正義のためにその力を使いたいだろう?」
「……?はい、そうです」
「その手綱を握るのが将来のCP9長官であるおれってことだ!ワハハハハハハハ!」
大きく胸を張って高笑いし始めたスパンダムさんに首を傾げる。どうしてこの人は笑っているのだろう。理解ができないまま護衛の少年に視線を向けると彼は彼で血に濡れた手を見つめて何かを考え込んでいる様子で、期待したような答えが返ってくることはなかった。この場で自分だけが笑っている歪さに気がついたのか、それとも我に返ったのか、スパンダムさんはひとつ咳払いをしてから再び口を開く。
「だが、まだお前はその能力を自分の意思では使えない」
「はい」
「そして……あー、なんだ、その、あまり成績が振るわないそうだな」
「……はい」
「そこで特別にロブ・ルッチをつけてやる」
時折海岸に打ち上がっている、虚を見つめる魚のような目で此方を見ていた少年――ロブ・ルッチと視線が合う。その名前には聞き覚えがあって、言わずと知れた有名人に予期せず出会ったことに驚く。
「本来であれば高難易度任務に携わる我々サイファーポールが一候補生に割く時間はない。ただし、全人類の希望となり得る――将来有望な子どもの育成と思えばなんてことはない。長官からも許可が出ている。思う存分ロブ・ルッチに扱いてもらえ」
「つまり、殺しても問題ないと」
「んなわけあるかァ!どこをどう聞いたらそうなるんだァ!?……あっ、いや、つまりここでの謹慎は親……スパンダイン長官たっての命令だ。思うところもあるだろうが、長官も本意ではなく、大切な部下を守るために苦渋の決断をされたのだ。わかるだろう?いずれ世界平和の礎になると思って後進の育成をお・ん・び・ん・に!頼まれてくれないか」
「それがスパンダイン長官のご命令であれば」
二人は何やら難しい関係のようだ。……つまり、スパンダムさんは海軍が入手した資料に書いてある私の能力に利用価値を見出したが、いかんせんサイファーポールに召集されるには未熟すぎる。だから自分の手にある人間を遣わせ、私が使える駒となるよう教育しようと考えていたところにどういうわけかロブ・ルッチがタイミングよく謹慎の身となった。将来使い勝手の良い道具となるであろう子どもの育成となんらかの失態を犯した諜報員の謹慎を兼ねて、ロブ・ルッチを連れてきた。実に効率的だ。今度こそ、スパンダムさんがはるばるグアンハオまでやってきた真意を理解することができたのだった。
「お前のことはおれが正しく使ってやる。おれへの感謝を忘れずにしっかりと励めよ!ナーハッハッハ!」
「はい、スパンダムさん」