20200318 王子様と怪物少女
「前略 キルア=ゾルディック様へ。
突然便りをお送りする無礼をお許しください。また、何分学も教養もない身分故に、貴方様の目に余る内容になるやもしれませんが、貴方様の人生に一抹の波紋すら与えられぬ下賤な者が書いた思いの丈を、そして、貴方様への懺悔を、どうか最後まで御目通しください。」
そのような書き出しで始まった差出人不明の手紙は、数枚にわたって便箋に綴られていた。目を覚ました時には既に枕元に置かれていたそれは妙な存在感を醸し出していて、何とも言えない不気味さがあった。
侵入者の気配に気がつかなかった不甲斐なさを反省しつつも、妹であるアルカの無事に安堵する。まだ眠っている妹の髪を撫でながら、差出人のない奇妙な手紙へと目を向ける。一体誰の仕業で、どのような思惑で自分の元へ届けられたのだろうか。
「まず、私の身の上をお話しすることをお許しください。私はとある山岳地帯にて生まれ、山を己の足で超えられる齢になるまでは、人里から地理的な意味で隔離された環境にて育ちました。私が生まれました山岳地帯には血族のみが住んでおり、己と似通った見た目をした者達と子供時代を過ごしました。
その山岳地帯というものは、年がら年中吹雪いていて、獰猛な獣が住む場所でした。幼い頃は簡単には外界と連絡が取れない過酷な環境に、何故我らが一族は身を置いているのか不思議で堪らなかったのです。理由は後述致しますが、これには致し方ない理由があったのです。
しかし、致し方ない理由があるとは微塵も思っていなかった、幼く、好奇心に溢れた私は、外界の人間と触れ合ってみたいという気持ちが抑えられなかったのです。だからこそ、あの悲劇が起きました。いえ、悲劇と言うには慶福すぎる出会いがあったのですが、その出会いによって、羨望による切なさと身の程知らずの恋に苦しめられる私の人生が始まったのです。
厳しい環境ですくすくと健康に育った私は、ある気候の良い日に下山に挑戦しました。
一族の大人たちから下山の過酷さを聞いていた子供たちは誰一人として自らの意思で山を降りようとはしませんでしたが、外界への興味が人一倍強かった私は、好奇心を抑えられなかったのです。結果として、その挑戦は拍子抜けと言っていいほど簡単に成功しました。
下山に成功し、有頂天になった私の目に飛び込んできたのは、今までに見たことがない煌びやかな建物と、鮮やかな街並みでした。不思議な布に身を包む人々は街に華やかさを与えていて、私はその光景に強い憧れを抱きました。自分もこの街を彩る一人になりたいという思いから、誘蛾灯に吸い込まれる虫のように、私はふらふらと街の端から端までを繋いでいる一本道へと足を踏み出しました。その時の私はひどく夢心地でいて、しばらくは周囲から向けられる視線に気がつきませんでした。私と目があった母と子が恐れ慄きながら逃げ出したのも、つい先ほどまで人を呼び込んでいた店主が店の奥に引っ込んで行ったのも、ただの偶然だと思っていました。しかし、そんな夢気分から現実へと連れ戻す刃が、ついに私に向けられるのです。
子供はどこの世界でも恐れを知らないのでしょう。石を腕一杯に抱えた子供達が、私に向かって投石をし始めたのです。初めは、何故自分がこのような仕打ちを受けなければならないかわかりませんでした。何かいけないことをしてしまったのかとも思いましたが、身に覚えがありません。しかし、自分に向けられる視線や、その視線の主の姿を見て、私はあることに気が付きました。
そう、私はひどく醜い怪物だったのです。私を含めた一族の者に必ず生えていた鋭い牙や、厳しい環境を耐えることができる隆々とした筋肉。そして、同世代と思われる子供達よりも一回りは大きな体躯。私たちが当たり前として持っていたそれらの特徴を、街の人々は有していなかったのです。その時、私は何故我らが一族が山奥で身を潜めるように生きていたのかを理解することができました。どうして大人達が山を降りぬよう子供達に諭していたのかを、私は身を持って知りました。
私達は、怪物だったのです。これが、私達一族が外界と簡単には連絡の取れぬ山奥に隠れ住んでいた理由でございます。
鋼のように強靭な私の身体は、投げ付けられる石を弾き返しました。それを見た街の子供達はさらに気味悪がり、顔を青ざめながら石を投げ続けます。そんな時でした。この状況をどのように打開するか困っていた私に、一人の救世主が現れたのは。
街の子供達と私の間に立ちはだかったのは、一人の少年でした。その少年は私の手を取り、駆け出しました。背後からは侮蔑の言葉が投げかけられていましたが、私の耳には一切届いておりませんでした。というのも、一族以外の男の子に手を握られることが初めてだった私は、彼を意識し、胸をときめかせてしまっていたのです。
人気のない町外れで足を止めた少年は、無邪気な笑顔で、醜い私の姿をかっこいいと称賛しました。どうやら彼のお気に入りのゲームに出てくるキャラクターに似ているらしく、そのゲームについて熱く語ってくれました。当時の私はゲームというものの存在を知らなかったので、対等に話すことは出来ませんでしたが、彼と目と目を合わせて過ごしたあの時間を、今も宝物のように思っています。
山に戻った私は、少年に再び会うことを願いました。そして、そのために、一族の大人達から一つの条件を突きつけられました。それは、念の習得です。
貴方様もすでに会得していらっしゃるので詳しい説明は省きますが、私は厳しい修練の末、念を会得しました。
これは後から知った話なのですが、私達一族はある一定の年齢になると、大人達から念を教えられる決まりがあるそうです。そして、念の習得によって、一族と外界との真実を教えられ、ようやく外界との関わりを許されるようになるようでした。
というのも、私達一族が得意とする念は、自らの姿を変えるものなのです。ある者は姿を透明にし、ある者は姿を可憐な少女に変化させる。
醜い怪物の姿を隠せるようになることが一族における通過儀礼であり、外界に足を運ぶ許可を与えられるための必須条件だったのです。そんなことは露知らず、外界に足を運んだ私はとんだ大馬鹿者でした。あの日、あのような馬鹿なことをしなければ、人間から怪物と罵られ傷つくこともなく、身の程知らずの恋をすることもなかったのですから。
私が身につけた念というのは、姿形を変えるものではなく、消すものでした。貴方様の御友人にも似たような念を持つ方がいらっしゃるでしょう。ええ、はい。そのようなものと考えて頂ければ結構でございます。
少年と会う条件であった念を身につけてからというもの、私は山を離れることが多くなりました。いえ、それでは語弊がありますね。私は山を離れたのです。何故かというと、慣れ親しんだ故郷と離れてでも、少年のお側に居たかったからです。
少年は、生まれ育った御生家を離れ、お一人で旅に出られました。(いえ、正確にいうとお一人ではなく、常にその方の兄上がすぐ側にいらっしゃったことを私は知っておりましたが、ご本人がそれをご存じではなかったので、建前上は一人とさせて頂きます。)そのため、少年の側に居たかった私は、必然的に山を離れることになったのです。
私は少年の旅路を、付かず離れず、ずっと側で見守っておりました。黒髪の少年と仲睦まじく旅をされるお姿も、御家族と揉めながらも孤軍奮闘されているお姿も、全て。そう、全てを見ておりました。
もうお気づきかもしれませんが、あの悲劇が起きた日、私を助けた少年というのは貴方様のことでございます。あの時の御恩は今も忘れておりません。ああ、私のような者から醜い好意を向けられ、大層ご不快に感じられたでしょう。お詫びしてもしきれません。
どうか、この手紙は破り捨ててください。私の存在など、貴方様の煌びやかな人生には必要ないのです。自分の言葉に矛盾があることは理解しています。この手紙は私のエゴなのです。私という存在を、私の思いを、貴方に伝えたかった。それであって、私という存在で貴方に影を与えたくないのです。もちろん、私のような下賤な身分の者が、貴方様の人生に一抹も影響を与えられないことは理解しております。ああ、纏まらない文章になったことをお許しください。最後に、貴方様のご健勝を末永くお祈りしております。」
送り主の希望通り、手紙を真っ二つに破り、そしてさらに細かく何度も切り裂き、宙に投げ捨てる。ひらり、ひらり、と、不規則な動きで重力に従うそれらを見ながら、送り主に思いを馳せる。
手紙を読み終えたキルアは、今までに感じたことのない不思議な感覚を胸に抱いていた。手紙に書かれていた出来事を覚えていないのは兄による介入のせいだろうか。胸を苛むものは、好奇心というには奇妙すぎて、恐れというにはあまりにも澄みわたるような心地だった。
ふと、宙を舞う紙吹雪が奇妙な動きを見せていることにキルアは気がついた。銃弾の動きさえ見抜くキルアの動体視力は、ひらひらと舞い落ちる残骸のうち一つが、地面と不自然な間を空けて動きを止めたのを確かに見た。そう、まるでそこに見えない誰かの足が在るかのように。