190906 凍える夜に甘い熱を prologue
※若干の性描写を含みます。
title by サンタナインの街角で
ローと初めて出会ってから片手では足りない年月がすぎたけれど、一体どうしてこうなってしまったのだろうか。
ぐ、ぐ、と下腹部を圧迫される感覚で散漫していた意識が目の前の男に定まる。ほんの少しだけ上気した顔を苦しげに顰めていることに気がついて、身体から力を抜こうと息を吐く。何かに耐えるように奥歯を噛み締める男の表情は、余裕綽々とした普段のそれとはまるで別人のようだった。そんなことを思いながら私に覆い被さってマウントを取る男の表情をまじまじと見つめていると、気まずげに視線を逸らされる。──ああ、ローだ。今、この瞬間。自分を組み敷いている男は間違いなく、私の背中を追いかけていたかつての少年なのだ。久しぶりに垣間見ることが出来た幼い表情に懐かしさと安堵を覚えるも、下腹部に走る違和感が思い出に浸らせてはくれなかった。
ローの胸に大きく刻まれたハートが忙しなく上下に揺れていて、隆々とした胸筋には幾筋もの汗が滴っている。ベッドに投げ出した私の手首を握る手のひらにも汗が滲んでいて、そこからも彼の余裕のなさを読み取ることができた。端正な輪郭を伝った汗がポタリと頬に一筋落ちてきて、私の顔など片手で覆ってしまえるほどに大きな手のひらが落ちた雫をやや強引に拭う。悪戯心でその手のひらを片手で掴むと、ローは不思議そうに首を傾げた。暗に続きを促す瞳と視線が交わったまま、沈黙が落ちる。しばし律動が止んだのも束の間、私の行為に何の意味も含まれていないことを悟ったローは、再び私の手首を波打つシーツに縫い付けた。
まるで強固な檻のように私を囲う身体は屈強な成人男性の姿形をしていて、頼りなさげな少年が立派に育ったことに対して泣き出してしまいたいような、過ぎ去ってしまった時間の長さにやりきれないような、複雑な感情が渦巻く。
「ナマエ、さん」
かつて愛した男が命を賭して守り抜いた少年は今や立派な男となって、掠れた低い声で私の名前を呼ぶ。熱のこもった瞳にもう幼さはない。ローの吐息、目線、甘い快楽を呼び起こす節くれ立った指先。その全てに居心地の悪さを覚えて、今度は私の方から目を逸らす。しかし、目を逸らすことは許さないと言わんばかりに、下腹部に鈍い違和感を与えていたものが緩慢に動かされる。
ちゅ、ちゅ、と啄ばむように首元へ落とされるローの唇は思い上がりでなければ慈愛に満ちていて、まるでゆりかごの中にいるような心地良さを感じる。しかし、優しい啄みとは裏腹に抽挿を続ける下腹部の動きは残酷なほどに組み敷いた女を征服する意図を持っていて、与えられる圧迫感と快楽から少しでも逃れようと短く息を吐く。
不意に唇が首から鎖骨をつたい、胸元へ落ちて、ぬるりと濡れたものが胸の頂きの周囲を這う。直視せずともそれがローの舌先だということがわかって、まるで赤子のように胸を吸う彼を愛おしく思った。それほど力が込められていなかった大きな手のひらの拘束を逃れ、胸元に埋まる黒い髪に手を滑らせる。
「子供扱いするな」
唇をツンと尖らせながら顔を上げたローの表情は拗ねた子供そのもので。こういう表情をしていると記憶の中にある少年の面影が垣間見えると、情交の最中には相応しくないことを考える。いつからあの可愛げがなければ、目つきも悪く、挙げ句の果てには酷く反抗的だった子供をこうも愛おしく思うようになったのだろう。──初めは存在自体に蓋をして、知らぬ存ぜぬと扱った子供を。
髪から顎へ手を滑らせて、親指の腹で頬を撫ぜる。"三人"で海へ飛び出してから、数え切れないくらいに繰り返した触れ合い。君は一人じゃない、守られているんだと、生きていて良いのだと、そんな思いを込めて、私はいつも傷だらけだった少年に触れていた。少年から青年へと逞しく育った今も、その思いは変わらない。くすぐるように揉み上げの生え際を指で撫ぜながら、呆れたような表情でこちらを見下ろすローに小さく微笑む。ツンと尖らせていた唇が今度はギュッと一文字に結ばれ、何かを飲み込むように喉仏が悩ましげに動く。そしてハァ、と吐き出された溜息が頭上から落ちてくる。
「もうナマエさんのままごとに付き合ってる余裕はねェよ」
そう言い放ったローの眉間からはシワが消えていて、代わりに真剣な色を帯びた瞳がこちらをじっと見据えていた。ローの手のひらが徐ろに体のラインを滑った後、陰茎を呑み込む箇所を撫でた。触れるか触れないかの柔らかさで与えられた微かな刺激に息を吐けば、再び落ちてきた唇が胸の頂きを這う。
どこか物足りなさを感じる穏やかな愛撫は私をゆっくりと快楽の底へと誘い、まるで海を漂っているかのような心地にさせた。一定の速さで与えられる快楽は、じわりじわりと私を追い詰めて飲み込もうとしているように思えた。もういっそのこと快楽の波に身を委ねてしまおうと目を瞑った瞬間、顔全体に影が落ちた。瞼を開くと目と鼻の先に端正な顔があって、それは少しずつ距離を縮めて近づいてくる。その行為の意味を察さないわけがなく、咄嗟に身を捩って腰を引こうとするも、腰を掴まれて強く引かれてしまえばそれ以上身動きを取ることは叶わなかった。
強く引かれた勢いのまま陰茎で突かれると、ぬちゃりと湿った水音がした。奥を突かれたまま腰を揺らされると自分でも知らなかった良い所に当たって、思わずローの肩口に指を立てながら嬌声をあげてしまう。肩に埋まる爪の痛みに眉一つ動かさず、獰猛に笑ったローは責め立てる動きを止めることなく、私の顔中に唇を降らしてゆく。
「そろそろ諦めて俺の物になれ。ナマエ」
唇に降ってきたそれはただ触れ合うだけのものから徐々に深くなってゆき、ついには舌が差し込まれた。まるで喰い尽くそうとするかのように深く絡められた舌は、ただただ甘い。絶え間なく与えられる快楽を受け入れながら、私は未だ鮮明に残る記憶を思い出していた。
♦︎
トラファルガー・ローと名乗る少年がアジトに乗り込んで来たのはいつだったか。目つきが悪いただの子供。それ以上でもそれ以下でもない。それが若――ドフラミンゴに紹介されて対面した少年に対する感想だった。当時、吐き気を催すような過去を持つ子供は掃いて捨てるほどにいて、ドフラミンゴはそんな子供を気まぐれに拾い上げては手駒の一つとした。そのうちの一人だった私は運良く生き残り幹部達と肩を並べられるようにまでなれたが、ファミリーに拾われた子供達の多くはドブやゴミ溜めで人知れずのたれ死んだし、例え生き延びられたとしてもその辿る道は碌なものではなかった。弱肉強食の時代において、子供は格好のカモだ。高確率で明日にはどこかで息絶えているような脆い存在にいちいち心を配れるほど、とっくの昔に消耗し切った精神は余裕と正気を残していなかった。だからローを含む子供達をファミリーに歓迎する気持ちは一切なかった。そして、ロシーのように暴力をふるってまで追い出す気力もなかった。ただただ、私はファミリーの門を叩く子供達を存在しないものとして扱った。それは世界への憎悪に支配された少年──ローに対しても同じだった。悲惨な境遇によって歪んでしまった少年の本質を、知らぬ存ぜぬと見て見ぬ振りをし続けていた。
そんな私がただ一度だけ、少年を連れ立って出かけたことがある。その場所はかつて世界を壊したいと、乱雑で自己破滅的な行動を繰り返していた私をロシーがまるで荷物を抱えるようにして無理矢理に連れ出した場所だった。別にこれといって少年に何かを伝えたかったわけではない。そもそも、その憎悪に染まる瞳が過去の自分と重なるとしても、少年にかけられる言葉なんて私は何一つ持ち合わせていなかった。ただ、かつての自分が受けた施しを、今度は自分がこの子供に施してやろうと。ほんの気まぐれからの行動だった。それなのに、その場所から見える風景に少年が瞳を見開いて魅入る様子を見て、どこか充実した思いになったのを覚えている。
その後、少年の体を侵す病の治療法を求め、ロシーと少年と共に三人で旅に出た。トラブルに見舞われ、時にはすれ違いながらも、私たち三人は絆を深めた。
しかし、旅路の末にロシーが死んだ。実の兄であるドフラミンゴに命を奪われたのだ。すぐ側に居ながらも何もできなかった自分の無力感に苛まれ、ほんの少しそよ風が吹いただけで崩れ落ちてしまいそうなほどに心がすり減っていた。だから、珀鉛病の治療というロシーの本懐を果たした後、私は幼子を捨て置いて心の赴くがままに愛した男の後を追うことばかり考えていた。けれど、結局は縋るように私の姿を探し、背中を追いかけてきたローを置いて自分一人だけ苦しみから逃れることなんて到底できなかったし、何より愛する男の今際の際にローの行く末を託されていた。だから、「頼むから生きてくれ」と泣き叫ぶローを胸に抱きながら、この子供を何としてでも守り、育て上げようと心に決めた。
あの時、確かにローは私を必要としていたし、私もまた誰かの温もりを必要としていた。ロシーという支柱がなくなった私たちの間にはどこかぎこちなさがあったけれど、互いの手が決して離れぬよう強く握りしめながら、二人で歩き出すことになった。
ロシーを失って広い世界で二人きりになってしまった私たちは、お互いの孤独を埋めながら海を漂った。
旅の最中、どこまでも続く水平線の先を眺め続けても、自分の心を掬い上げた男はもうどこにもいない。心のどこかが欠けてしまった焦燥感に震える夜は、遠慮がちに伸ばされた手のひらを引き寄せては小さな身体を抱きしめ、温もりを分け合いながら眠りについた。
いつしか背中を預けることができる仲間が増え、大きくなったローの背中を今度は私が追うようになった頃。かつては少年だった男と身を寄せて眠ることをやめた。孤独を克服したわけじゃない。それでも、幾つもの孤独に震える夜を共に過ごした少年を拒絶したのは、私と彼が女と男になってしまったからだった。
♦︎
何がどうしてこうなったのか。ローと交わす情において、そのような疑問は愚問でしかなかった。彼を男として意識した時点で、いつしか私達はこうなる運命だったのかもしれない。
温かいものを吐き出し、脱力した身体を抱きしめる。背中に回された逞しい腕には息苦しいほどに力が込められていて、「ずっとこうしたかった」とローは恍惚とした声音で言った。
「ロー」
名前を呼べば、鼻先へと唇を落とされる。目と鼻の先にある瞳は真剣な色を帯びていて、逸らすことができない。
そして彼は「もう逃げるなよ」と言い放った後、「アンタが嫌だって言っても、コラさんが許さねェって言ったとしても、もう絶対にナマエさんを離さねェ。逃げたとしても海の果てまで追っかけて捕まえてやるよ」と続けた。
かつて愛した男は、私とローが結ばれた姿を見て、何を思うのだろうか。志半ばで死を迎えた彼を差し置いて私だけが幸せになるなんて許されないと思い続けていた。しかし、お人好しな彼のことだ。かつて暗闇から連れ出した女と命を賭して守った少年の幸せを、心の底から祝福してくれるのだろう。
熱を帯びた身体に擦り寄れば、仄かに海と消毒液のにおいがした。飢餓感と焦燥感に震える孤独な夜は、もうきっと訪れないのだろう。