20240714 ニュクスの誤想05
エニエス・ロビーに到着したと聞いて甲板に踊り出ると、目の奥を突き刺すような眩い日差しが降り注いでいた。案内されるがまま正門をくぐり抜け、続けて前門と裁判所を通過すると崖を挟んだ先に司法の塔が見えた。
ぽっかりと空いた深淵に向かって海水がザァザァと流れ落ちていく不思議な光景を眺めながら、ここを通過する犯罪者の気持ちを想像する。彼らは断罪への道を何を思って歩くのだろう。後悔か懺悔、それとも怒りだろうか。さっぱりわからない。
階段をいくつか昇った先で案内された自室はこじんまりとした簡素な部屋だった。それでも清潔さはきちんと保たれていて、リネンからは優しい石鹸の香りがした。
グアンハオから持ってきた少ない荷物はひとまず荷ほどきをせず椅子の上に置き、着慣れないストッキングとネクタイに苦戦しながら身支度を整える。
ふと時計を見上げると集合時間の数分前を指していて、悠長にしている場合じゃないと穴が空いてしまったストッキングを放り投げ、慌てて自室を後にする。
有事に備えてか自室から長官室までの距離は短く、そう時間はかからずに周囲の部屋よりも一際大きな扉の前へと辿り着いた。
感情を殺すことを心がけるよう自分に言い聞かし、深呼吸を二回繰り返す。息が整い、心が凪いだと共にドアをノックすると中から応答があり、入るように促される。
「本日より長官付き事務官を拝命しましたナマエ、入ります」
扉を開けた瞬間、八対の瞳が揃ってこちらを射抜いた。その中には馴染みの顔がいくつもあったけれど、動揺と緊張が漏れ出さないように心を殺す。
「来たかナマエ!よく来てくれた。お前の到着をおれァ今か今かと待ち侘びて……ってなんだその芸術的なネクタイはァ!?」
「到着が遅くなり申し訳ございません。荒潮に遭い、本来のルートよりも迂回したため予定時刻ギリギリになりました」
「いい、いい、そんなもんは!お前が無事についたってだけで十分だワハハハハハ!」
椅子から立ち上がり、両腕を広げて歓迎の意を示すスパンダムさん――長官に歩み寄って一礼する。
「ご任命いただきありがとうございます。スパンダム長官のご期待に添えるよう最善を尽くします」
「……!この一年の成長はよォく聞いている。まさに見違えるようだとグアンハオの職員たちが口を揃えて褒め称えていた。立ち振る舞いも随分諜報員らしくなったと。期待してるぜ――さあ、CP9にお前を紹介をしようじゃないか」
ご機嫌な長官に肩を抱かれ、体を180度回転させられる。ぐるんと視界が周り、ローテーブル越しに対面となるよう並べられた椅子に座る男女達と向き合う形となる。
「さて、紹介しよ――」
「長官、セクハラです」
「肩を組んだから!?」
長官が声高らかに紹介を始めようとした時、カリファがそれを遮った。久しぶりに再会したカリファは以前とは段違いに大人びていて、見惚れてしまうほど端正な姿に感嘆の息を吐く。
眼鏡を押し上げながら冷静な表情を崩さないカリファに対し、長官は部下へのハラスメントを指摘されたことにショックを受けたのかガーンと大きく目を見開いている。
「確かに、今のはセクハラじゃな。長官よ」
「カクまで!?」
ガガンッと今度は顎が外れそうなほど口を大きく開けて、動揺を隠せない長官はそろそろと腕を下げる。
「……ゴホン。気を取り直して紹介しよう。今日からおれ付きの事務官となるナマエだ。本来であればいずれサイファーポールの諜報員として迎える予定だったが、おれが長官となるにあたり少々任せたい仕事があってな。時期を前倒ししてグアンハオから召集した。しばらくは事務官としてエニエス・ロビーでの職務に当たってもらう」
私、諜報員として迎えられる予定だったのか。内心驚きながらも、先達に一礼する。
「ナマエと申します。どうぞお見知りおきを」
久しぶりにあい見えることができた昔馴染みたちに対してにやけてしまうことがないよう、グッと奥歯を噛み締める。頭を上げた先にあった七対の瞳は感情の読めない表情でこちらを見つめていて、少し怯みそうになりながらもじっとそれらを見つめ返す。
「よし、では今日はこれにて会議は終わりだ。あとの時間は各々自由に過ごしてもらって構わない」
長官の言葉を合図としてCP9がぞろぞろと部屋を退出してゆき、私もそれに続いたところで二つの影に行く手を阻まれる。
「カク、カリファ……!」
「ネクタイもまともに巻けんのかお主は……」
「ウフフ、エニエス・ロビーへようこそ」
呆れた顔をしたカクに不恰好なネクタイを正されながら、久々の再会にそわそわと忙しなく二人を交互に見上げる。久しぶりに対面した二人の姿にどことなく違和感があって、それなのにその正体がわからず悶々とする。
「司法の塔を案内しましょうか。船を降りてそのまま来たのよね」
「それはありがたいけど……カリファ忙しいんじゃ」
「指揮系統が追いついていなくて、まだ任務を振り分けられていないの。直に忙しくなるでしょうけど、今日は貴女に構ってあげられるくらいの時間はあるわ。さあ、行きましょう」
「わしが案内しようと思っておったのに」
長官の執務室から順に書架を回り、次にキッチン。カクとカリファに連れられ、司法の塔を回る。どこへ行ってもカクとカリファは注目の的で、二人のことを噂する声がどこからともなく聞こえてくる。それはどれも二人のことを賞賛していて、CP9の権威を改めて実感する。中には私を噂する声もあって、それはあの子どもは誰なのかだとか、カクさんやカリファさんと親しいのか、と素性を探るものばかりだった。
チクリ、と胸が痛む。――胸が、痛い?どうして?慣れない船旅の疲れが出たのだろうか。
「さて、あとはわしらの部屋だけじゃな」
司法の塔を一通り回り終わった後、カクが上の階を指差した。エニエス・ロビーで同じ上官のもとで任務に就くのだから当然だけど、これからまたカクと同じ屋根の下で寝起きすることになるのだ。カクの!そばで!生活ができる!と、近くを行き交う職員達に自慢してまわりたい気持ちになって、自分が想像していたよりも浮かれていることを自覚する。
「おう、来たかガキンチョ。元気にやってたか」
「ジャブラ!」
カクとカリファに連れられて入った部屋には先ほど長官室で会ったばかりのCP9が再び勢揃いしていた。……スパンダム長官は誘わなかったのだろうか。もしくは後から来るのだろうか。
肩越しにこちらを振り返ったジャブラの傍に駆け寄ると、わしゃわしゃと髪の毛を掻き回されぐわんぐわんと視界が揺れる。
「よよいっ!こんなにっおお〜〜きく!ああっおお〜〜きくなってェ〜〜!おいら、クマドリとォ申〜〜す〜〜!」
「ブルーノだ」
「おれはフクロウ。チャパパ〜おまえのことはよ〜く知ってるぞ」
初めて見るいくつかの顔に視線を向けると、それに気がついた三人が順に名乗り出す。既に宴は始まっていたようで、それぞれの手にはグラスが握られている。
「私のことを知ってるの?」
「おい、狭いじゃろうが」
カクが腰を下ろした椅子の隙間に体を捩じ込みながら、三人に問いかける。
「ああっ!おいらァ、それはもうっよォ〜〜く覚えているぜェ〜〜」
「おれもお前のことはよく覚えている。グアンハオに送られてくる子ども達の中で特に際立っていた」
「ふうん……」
なるほど。そういうことか。私がグアンハオに預けられたばかりの頃、彼らはまだあの島で修行に励んでいたのだ。おくるみから混沌が滲み出ていただとか、よくわからないけどそんなことが長官から渡された資料の中に書かれていた気がする。確かにそんな一風変わった赤ちゃんがいれば印象にも残るだろう。何はともあれ痛くもない腹を探られるのは本意ではない。深く追求はせず、軽い返答で受け流す。
「おれ達と歳が近い年頃の子どもで知らないものはいなかっただろう」
ブルーノが訳知り顔でルッチを見やる。しかし、ルッチは手元のグラスを鳴らすだけで自分に向けられた視線に何の反応も示さなかった。カランカランと高い音を立てて氷が溶けてゆくブラウンの水面を、ルッチはじっと見つめていた。その肩ではハットリも一緒になって何かを飲んでいる。一体何を飲んでいるんだろう。相変わらず芸達者な鳩だと感心する。
「にしてもこんなチビを事務官にとはなァ。長官は何を考えてるんだ?」
空になったグラスをテーブルに叩きつけ、話題を切り出したジャブラに意識を向ける。
「チャパパー、政府の役人っていうのは一枚岩じゃないからな。長官は自分を蹴落とそうと画策しているやつらの動向が気になって夜も寝られないのだー」
「そうか。長官に余計なことを吹き込んだのはお前じゃなフクロウ」
「おれも話すつもりはなかったのだーでもついうっかり喋ってしまったのだチャパパ……」
徐に立ち上がったカクがフクロウの口端にあるスライダーを掴み、閉めようとしたところをクマドリが静止する。
「すまねえ、カク……!フクロウを責めねェでやってくれねェか。こうなったらおいらァ、腹ァ切って詫びを……ああっ!切腹!!」
「え〜〜〜〜〜!?」
クマドリが唐突に短刀を取り出して自身のお腹に突き立てる。咄嗟に両目を手のひらで隠して後ずさったが、背後には椅子の背もたれがあったためそれ以上は下がることができなかった。
割腹すれば内臓が飛び出て、誰の部屋かは知らないが目も当てられない状態になるだろう。しかし、想像したようなスプラッタが起こることはなく、血飛沫が飛び散る代わりに派手な金属音が響いた。
「無念っっっ死ねぬ〜〜〜〜!」
「気にするな。いつものことじゃ」
戻ってきたカクにオレンジジュースが並々と入ったグラスを手渡され、お礼を言って両手で受け取る。そして流れるような動きで持ち上げられ、再び椅子に腰掛けたカクの上に降ろされる。
「世界政府のためではなく、私利私欲のためにナマエの力を使うのはいかがなものかしら」
先ほどから何やら考え込んでいたカリファが口を開く。確かにカリファの言う通りかもしれない。長官は反逆者を炙り出すために私を使おうとしているのだ。でも、長官が短期間で変わってしまうと指揮系統に混乱が出るだろうし、組織を長期的に安定させるという意味では長官の謀略通り動くことが結果として組織の益に繋がるような気もして、うーんと唸る。
「私はどちらかというと諜報の方が得意だからなあ。戦闘に駆り出されてもなんの役にも立てないから、役に立てるところで使ってもらえてうれしいよ」
「少しくすぐられただけですぐに口を割るやつがなにを一端の口を聞いとる」
「いひひ……」
頭上から落ちてきた呆れ声に、オレンジジュースを飲みながら肩を竦める。
「ウフフ、あなた達を見ているとグアンハオにいた頃を思い出すわ」
組んでいた足を組み替えて、髪を耳にかきあげながらカリファが微笑む。その蠱惑的な仕草に頬がぽっと熱くなる。
「ハッ……子守りは卒業したはずじゃったのについ癖で体が動いてしもうた」
「チャパパ、カクが子育てをしているのだー」
「ぎゃはははは!殺し屋からベビーシッターに転職でもしたほうがいいんじゃねェか」
「やかましいっ!貴様らと違ってわしは面倒見が良いんじゃ」
唇のファスナーを開けてチャパパと騒ぎ出したフクロウのスライダーをつかもうとカクが躍起になり、それをジャブラが冷やかす。空き瓶が床に転げ落ちた音を子守唄に大きな一人掛けのソファを独り占めしていると、ふいに肩へ小さな重みがかかる。閉じかけていた瞼を開くと、目の前に白くてふわふわなハットリの毛並みが見えた。
「クルル……クルッポー」
「ハットリはなんて言ってるの?」
首をキョロキョロ動かしながら紡がれた鳴き声は何か意味を持っていると思えてならなくて、ハットリの言葉が何を意味するのかルッチに尋ねる。酒が回り始めたのか、ジャブラ達の騒々しさが増す。どんちゃん騒ぎを一人静かに眺めていたルッチは少しの沈黙の後、気だるげに口を開く。
「……明日からしっかり任務に励めと言っている」
「ふ、ふふふっ……」
真顔でハットリの言葉を通訳するルッチが可笑しくて、笑いが堪えられなかった。額に青筋を立てて片眉を上げたルッチの様子に気づかなかったフリをして、クルクルと鳴くハットリの喉を指先で撫でる。ちゃんと自分の役割は果たすから大丈夫だよと返事をすれば、ポッポ〜とさらに返答が返ってくる。ハットリが指先を啄む平和な光景を見ているとじわじわと眠気が瞼に侵食してきて、うつらうつらと船を漕ぐ。もう少し起きていたいんだけど、な。