20240714 ニュクスの誤想06
気がつくと自室のベッドで横になっていて、窓の外は太陽が真上まで上がっていた。寝過ごしたと慌てて起き上がるも、時計の針はまだ早朝を指している。そこで自分がグアンハオを発ち、不夜島へやってきたことを思い出す。
昨日は待機を命じられたけど、きっと今日からは長官にこき使われるだろう。
とりあえずシャワーを浴びて服を着替えようとベットから抜け出すと、自室の光景に違和感を覚えて首を傾げる。昨日は片付ける暇もなく部屋を飛び出したはずだったのに、パッキングした荷物の中に入れっぱなしだった船の模型はテーブルの上に置かれていて、放り投げたはずの穴が空いたストッキングはゴミ箱の中に入っていた。
船の模型は一番安心ができて、落ち着ける場所に置きたい。模型をテーブルの上からベッドサイドに移動させていると電伝虫が鳴いて、慌てて応答する。
「おれの執務室に来い。早速だが任せたい仕事がある」
長官からの通信は簡潔で、用件を告げるとすぐに切れた。慌てて身支度を整えて長官の執務室に向かうと、顔を合わせて早々ネクタイについて言及される。長官が「こんなガキに任せるのは早まっちまったか……?」とぶつぶつ唸り始めたので、しぶしぶネクタイを結び直す。しかし、やはりお気に召さないようで、「だからなんでそれがそうなるんだァ!?」と再び鋭い突っ込みが入る。
「長官、ご命令を」
「ゼェ……ゼェ……あ、あァ、そうだったな……エヘン。CP9長官であるおれに対し、反旗を翻そうとしている不届きものがここエニエス・ロビーにいる。世界平和のために身を粉にして働くおれに歯向かうたァそれすなわち悪!そうは思わねェか」
「はあ……」
「正義に歯向かう愚か者達を炙り出せ。クソバカ共には正義の鉄槌を下してやらねぇとなァ。ただし、どんなクソ野郎でも絶対に殺すんじゃねェぞ。殺ると面倒だからな。お前の役割はあくまでも諜報で、殺しと尋問は別のやつに任せる」
――と、命じられたものの何から手をつければ良いのか。まずはエニエス・ロビーの権力構造や組織について把握して、メインの調査はその後にしよう。だから長官へ報告するには時間が必要だろうと、初めはそう思っていた。
しかし、実際は少し埃をたたいただけでスパンダムさんの長官としての素質を懐疑的に考える人が次から次へと出てきて、報告書をまとめるのが追いつかないほどだった。
これほどまでに親の七光りだと揶揄されるのだ。前CP9長官であったお父上はどれほど素晴らしい方だったのだろう。その功績を調べようと過去の記録をまとめた資料に目を通したが、とある期間だけぽっかりと穴が空いたように記されていないことに気がついた。
それは好奇心だった。エニエス・ロビーには閲覧が制限されている書架がある。本来であれば入室には長官からの許可が必要だったが、どれだけ頼み込んでも許可をもらえなかったため、影に紛れ――能力を使って一般職員の立ち入りが固く禁じられている書架へと忍び込んだ。
書架は長い間掃除もされていないのか、少し埃っぽい。いがいがする喉に咳き込みながらお目当ての資料を探す。
ええと、12年前の資料は――。この書架をかつて整理した人は生真面目な性格だったのだろう。新しい記録から年代順に並べられているネームラベルを指先でなぞっていると、ついにお目当ての記録を探し当てる。
そこで何かが変だと違和感を覚え、いくつかの記録を棚から取り出して装丁を隅から隅まで眺める。取り出したいくつかの記録は作成されて以降閲覧されていないのかページに折れや擦れが見当たらず、埃が溜まっていた。しかし、お目当ての記録だけはやけに損傷が激しく、埃一つ溜まっていなかった。まるで最近まで何者かが持ち出していたかのように。
表紙を開き、内容に目を通してゆく。すると見覚えのある絵図と文章があったような気がして、ページを捲る手が止まる。そこにあったのはいつか長官に見せられた資料の、黒塗りがなされていないもの。そして、海兵の調査班の報告ではなく、サイファーポールの諜報員が追加で記したものと思われる資料。どっと心臓が跳ねる音がして、冷や汗が頬を伝う。それは直感だった。野生の勘とも言って良いだろう。これは見てはならないものだと告げる自分の勘に従い、手に取った資料を再び棚に戻す。そして三歩後ずさった瞬間、棚の影から顔を出した人間に息を呑む。
「あらら、君どこの子?ここはスパンダムが許可した人間しか入れないはずなんだけど」
特徴的なアイマスクと長身の体躯。見間違うことのないその姿にひゅっと喉がなる音がして、指先から体が冷えていくような感覚がする。ふらりと立ちくらみがして思わず本棚に手をついてしゃがみ込むと、おっとっとと言いながら――大将青キジが手を差し伸べてくる。
「おいおい、どうしたってんだ」
「お見苦しいところを……、すみません。私はスパンダム司令長官の事務官をしているナマエです」
「ああ、噂の事務官ちゃん。で、その事務官がどうしてここに?」
差し伸ばされた手を取って立ち上がる。能力の影響だろうか。ぐっと握られた手のひら越しに伝わる熱は冷ややかだった。
「長官に頼まれた資料が見当たらず、探していたところこちらの書架に」
「なるほど、ね。許可はもらってるか?ここはスパンダムの許可がいるから、もらってないならあっちの部屋探してきな」
「はい。そう、します」
一礼をして、大将青キジが指差した隣室の書架に向かって歩き出す。心を殺せ、全てを凪のように受け流せ。状況でいえばこれ以上なくクロだと思われているだろうけど、平静を装おうと自分に言い聞かせる。
「後一つ」
ドアノブに手をかけた瞬間、声をかけられて後ろを振り向く。すると思っていたよりも近くに大将青キジの体があって思わず身を引くもそれ以上は後退することができなくて、ドアに背中と腕を強くぶつける。
その場にしゃがみ込み、目線を合わせてくれた大将青キジの手が胸元に落ちて、私と比べて二回り、いや三回りほど大きさがありそうな手のひらが長官曰く芸術的なネクタイの結び目を解いて、器用に結び直す。
「おれもスパンダムに内緒で忍び込んでるからさ。お互いに秘密でよろしく」
軽い調子で肩を二度叩かれ、それしかできなくなったかのように何度も何度も首を振る。大将青キジの手からネクタイが解放された途端、廊下に誰もいないことを確認して書架を出る。そして音もなく扉を閉めたと同時に剃を使って一目散に走り出す。ハァ、ハァ、と息が乱れる。目眩と吐き気でどうにかなってしまいそうだった。
断片的に覚えているのは、神を名乗る一族、バスターコール、殲滅、という単語。そして、天竜人以外に神はあらずという記述。私は、私の島は――。
その後数日が経ってもスパンダム長官から叱責を受けることもなく、ただひたすらに平穏な毎日を過ごしていた。大将青キジの"お互いに秘密"が真実であったことに拍子抜けして、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし、大将青キジとの邂逅からひと月ほど経った頃だ。両手に抱えた書類を片腕に持ち直し、いざ長官室の扉をノックしようとした時、私は聞いてしまったのだ。
――――悪魔……子…………オ……危険……抹殺すべき……なぜ生かして……早く……だがしかし……クロ…………厄介な……七……
それはまさに死刑宣告だった。ああ、ついにこの時がやってきてしまったのかと、手に持っていた書類を取りこぼしてしまう。
扉の中からうっすらと聞こえたのはスパンダム長官と、おそらく政府役人の声。悪魔の子とはきっと私のことで、そして、そして――。
真っ黒な思考が頭の中を駆け巡る。処理しきれない情報がぐるぐると渦巻いて、考えが上手く整理できない。
床へ散らばった書類を慌ててかき集めていると、その手が誰かの手と重なって顔を上げる。
「ル、ッチ…………」
「どうした。……何があった」
異常なほどに震え、怯える私をルッチは訝しげに見つめる。立ち上がって一歩退くと、同じくルッチも前に一歩踏み出して、歩幅のせいでジリジリと距離が縮まってゆく。伸ばされた手のひらが腕に触れようとした瞬間その手をはたき落とし、踵を返して走り出す。
「クルッポー!」
「おい――」
「おいうるせェぞ!誰だ俺の部屋の前で騒いでる野郎は……ってルッチか。どうしたってんだ一体」
一瞬ルッチが追いかけてこようとした気配がしたけれど、長官の登場によって走り出そうとした足を踏みとどまったらしい。
追跡者がいないまま司法の塔を駆け降り、全速力で裁判所から前門までを走り抜ける。
エニエス・ロビーへ降り立った日、この道を歩きながら考えた。罪人はどういう気持ちでここを歩くのだろうと。いまならわかる。まさに今この瞬間、私が感じている感情そのものなのだろう。
島の岬へ降り立って、どこまでも続く青を眺める。私が思考の波に呑まれて真っ暗な世界から抜け出せない時、どうしていつも海は穏やかに澄み渡っているんだろう。水平線がぐにゃぐにゃと歪んで、視界がぼやける。次から次へと溢れ出る涙越しに海を眺めながら気がつく。そうか、私は。
カクとカリファに――、そしてみんなに殺されたくないんだ。