潜入取材中に公安警察と鉢合わせた話(仮)

「お前、例の宗教団体に潜入取材してこい」

 紫煙を燻らせながら居丈高に吐き捨てた編集長は此方の返答を待つことなく、話は終わりだと言わんばかりに椅子の座面を切り返し、こちらに背を向けた。クソ忙しい時期に突然呼び出したと思えば、一体何を血迷ったことを言い出すのだろうか。横暴な振る舞いに憤りを堪えきれず、草臥れた背中に向かって意義を捲し立てる。

「いやいやいや、何言ってんですか。何勝手に話は終わったみたいな雰囲気出してんの。何も終わってませんからね。潜入って言いますけど、あの団体は信者全員が共同生活を送ってるって話じゃァないですか。つまり、そこに住んでこいって言うんです? 私に?」
「当たり前だろうが。お前何年記者やってんだ?特ダネをとるためにテメェの身体くらい張ろうって気概はねぇのか。ン?」
 
 社歴三十年。かつて、栄養ドリンクのキャッチコピーが「24時間戦えますか」であったほど、身を粉にして働くことが美徳とされた時代があった。たたでさえ昼夜問わず働くことを求められるこの業界に身を置いていた編集長曰く、当時は二十四時間を超えて三十時間を戦い抜く覚悟で、致死量の栄養ドリンクと煙草を消費していたらしい。一日はどう足掻いても二十四時間しかないのに、意味がさっぱりわからない。ゆとり教育にワークライフバランス。そんな言葉が象徴的な平成となった今でもバブル・カルチャーに生きる男は、不屈の魂を部下にも求めている。狂ってやがるとしか言いようがない。

「そもそも、そういうアングラ系の取材担当はタナカさんだったと思うんですけど……。ツテもあるだろうし、まさにあの人こそ適任でしょう」
「お前に言われなくてもとっくにタナカを行かせたよ。──門前払いされたがな」
「あらら。タナカさんもついにあちらさん界隈のブラックリストに載りましたかねェ」

 タナカさんは、我が身を顧みない危険な潜入取材を得意とする我が編集部きっての変人である。その取材スタイルゆえに編集部に立ち寄ることが少なく、執筆した原稿がメールで届くことによって生存確認を取っている。
 
 だから、入社して数年も経つのに記憶にあるタナカさんの顔は酷く曖昧だ。肩近くまで伸びた髪と、生やしっぱなしの髭──ああ、だめだ。容姿の輪郭は思い浮かぶのに、目鼻立ちが全く思い出せない。ぼんやりと頭の中に浮かぶのは、タナカさんの輪郭。しかし、インパクトが強い輪郭のせいで、やけに顔の解像度が低い。何回も保存とアップロードを繰り返したせいでガビガビになってしまった画像のようだ。そんなくだらない思考が笑いのツボに入って、思わず口元がにやけてしまう。さらに、「ブラックリストか。……だといいんだがな」と神妙な顔で独りごちた、らしくない編集長も相まって、ゲラゲラとお腹を抱えて笑う。

「あー、笑わさないでくださいよ。わかりました。ブラックリストに載ったタナカさんの代わりに潜入してきます。どうせ最近は大したネタも上がってきてませんでしたし。冬のボーナスのためにもミョウジナマエ、全身全霊で潜入してまいります」

 背筋を正して敬礼すると、編集長はそれでいいと言わんばかりに唇から煙を吐き出した。ちなみに、弊社は未だ昭和を生きているため、分煙という概念はない。連日の泊まり込みと徹夜で死屍累々となった編集室は常に煙草の臭いが充満し、空になった栄養ドリンクの瓶が転がっている。
 編集長に一礼し、自分のデスクに戻ろうとしたところで、聞きそびれていたことに気がついた。
 再び回れ右をする。
 
「あ、ちなみに出張手当は」
「つべこべ言わずに行ってこい」

 後で総務のワタナベさんに尋ねに行くとしよう。

 
**

 
 吾輩は記者である。名はミョウジナマエ。
 絶賛、大困り中である。

 タナカさんのように門前払いされることなく、無事に入信――すなわち潜入を果たした私は、エデムと呼ばれる信者達の居住区に身を置くこととなった。エデムは鳥矢町から西に向かって車を走らせた先の工場地域にある。バブル崩壊による不況の煽りを受けて次々に工場が閉鎖し、人の姿が消えたその土地を、教祖と幹部達が買い上げたという。従業員用の社宅も併設されていたのだから、まさにエデムを創るには打ってつけだったのだろう。
 
 エデムは特別区と一般区で分けられ、特別区に教祖と幹部クラスの信徒が、そして一般区にその他の信徒が暮らしている。尚、一般区内においても男性と女性、そして子供で厳格に居住区が分けられていて、互いの行き来は容易ではない。もちろん私は一般区の女性居住区に振り分けられ、潜入取材生活を送ることとなった。

 乗り気ではなかった潜入生活は、拍子抜けするほど穏やかだった。スパイ映画の見過ぎかもしれないけれど、当初は外部から紛れ込んだ人間として何かと疑われ、行動を監視されることも覚悟していた。しかし、実際にはそうした警戒を感じる場面はほとんどなかった。必要以上に詮索されることもなく、周囲の人々は驚くほど自然に私を受け入れた。敬虔な信徒というものは、疑うことを知らないのだろうかと感心してしまうほどに。

 朝は決められた時間に起床し、祈りを捧げ、集団で簡素な食事をとる。日中は与えられた仕事をこなし、空いた時間には教本を読み、夕刻にはまた祈りを捧げる。外界から隔絶された閉鎖的な共同体であることを除けば、表面上はどこにでもある規則正しい生活とそう変わらない。目を疑うような虐待や暴力、あるいは記事にできるような異常事態に遭遇することはなく、潜入取材という目的を忘れそうになるほど、日々は静かに過ぎていった。
 
 ただ一つ"異常"があるとすれば、外出の自由がないことだ。行動には細かな規則があり、居住区外への外出には厳格な制限が設けられている。逃走防止のためか、入信直後の信徒はエデムから出ることを許されない。私も例に漏れず行動を制限され、一般区の、それも同じエリアに居住する信徒以外との交流はほとんど叶わなかった。来る日も来る日も経典を読み聞かされ、読まされる。そして、いかに大いなるアチェーツ──御父様、つまり教祖が立派な存在かを皆で語り合う。この状況で狂わないほうが難しいだろう。頭の中で反芻し続ける経典を塗りつぶすように、タナカさんが書いた狂気を孕む潜入記事の内容を思い出すこともしばしばだった。狂気には、狂気をぶつけるのである。

 大いなるアチェーツ──御父様。
 タナカさん。
 御父様。
 タナカさん。
 御父様。
 タナカさん。
 御父様御父様御父様御父様御父様御父様、タナカさんタナカさんタナカさんタナカさん、タナカさん。

 頭の中でぶつかり合う狂気に悩まされる姿を前向きに受け取られたのか、はたして。理由はわからないが、幸運なことに敬虔な信徒を演じているうちに信用を得たらしい。

 その日はエデムで何やら催しが開かれるようで、朝から上級信徒達が彼方此方を駆け回っていた。しかし、外部からの客人に一本ずつペットボトルのお茶を手渡す予定であったのに、当日になってストックが足りないことに気がついたらしい。そこで、客人を迎えるために慌ただしく動く信徒達の中、暇を持て余していた私に白羽の矢がたったのだった。

 本当であれば催しの内容を探りたかったけれど、久しぶりにシャバの空気を吸うのも悪くない。と、そんな呑気なことを考えていたからだろうか。久しぶりに味わう開放感に酔いしれ、周囲への警戒を怠ってしまったらしい。いつのまにか、飾り気のない吊るしのスーツを身に纏った屈強な男達に周囲を固められていた。気がついた時には既に追い込み漁は完了していたようで、私に残された選択肢は白旗をあげるのみだった。

 どうやら、エデムでの穏やかな生活によって警戒心というものが抜け落ちてしまっていたらしい。自覚のない矯正──いや洗脳というべきだろうか。いつのまにか教団に染まりかけていた自分に、そしてそのことを外部から刺激を受けるまで気がつかなかったことに頭を抱えそうになりながら、頭上に落ちた影を見上げる。

「……失礼。我々と同行してもらえるだろうか」

 突然のことに目を白黒とさせる私に対して、一人の男が何かを胸ポケットから取り出してみせる。

「おまわりさん、でしたか……」
「驚かせてしまってすまない」

 男が提示したかと思えば、瞬きの間に再び胸ポケットへ仕舞われたのは、まさに警察官の身分を証明する警察手帳だった。ドラマや映画ではよく見かけるが、実際に目の当たりにするのは初めてである。
 
 私はタナカさんとは違ってアングラな世界の取材を任されることがほとんどないため、交友関係とスマホに登録されている連絡先はクリーンだし、何より自分自身の経歴も清廉潔白である。だから、同行を求められること自体は困らない。──普段であれば、と但し書きがつくが。今は困る。なぜなら名前と経歴を詐称して潜入しているから。できれば勘弁願いたかった。
 
 もしも警察官に汚職や不祥事があれば、相手が国家権力といえど、その在り方に一石を投じるのが記者の仕事だ。ジャーナリズム精神に乗っ取り、不正を暴くために尽力するだろう。しかし、今は状況が不利である。それも圧倒的に不利である。面と向かって反抗する気は起きなかったため、繰り返された「同行を願えるか」という問いに対して、大人しく頷いたのであった。
 
 案内されたのは、数分歩いた先の駐車場に止められていたパトカーだった。エデムの監視役と二手に分かれたのか、聴取に居合わせたのは二人の警察官。なお、監視役の存在に気がついたのは、私を取り囲んだ警察官達の目線の動きからだった。どうやら教団はちゃんと監視役をつけていたらしい。「よくわからないけど信用されたみたいでラッキー!」だなんて宣っていた少し前の自分が恥ずかしい。全く気配を感じられなかったけれど、監視役はシャバの空気に浮かれる私の一部始終をしっかり見ていたのだろう。

 一人が運転席に乗り込み、もう一人はパトカーの外で待機している。おそらく私が女性であるため、密室空間での聴取であることを考慮し、配慮されたのだろう。

「君はそこの――宗教団体に出入りをしているのだろう」
 
 運転席に座った──一瞬見えた警察手帳には風見と書いてあった──警察官は、言葉を濁すことなく率直に問いかけた。屈強な男達に囲まれてから今の今まで半信半疑だったが、彼の口ぶりでようやく確信を持つことができた。教団は警察──それも、おそらく公安の監視対象になっているらしい。まさに寝耳に水である。いや、確かにこれほどまでに大きな共同体を築いているのだから目をつけられていてもおかしくはないい。けれど、少なくとも私が潜入前に調べた限りでは、公安がこの教団を重点的に調べているなどという情報はなかった。警察がここまで露骨に信徒へ接触してくるとは思ってもみなかった。
 
 面倒なことになったと思う反面、特ダネのニオイに記者としての本能が疼く。

「はい。夫を亡くした後、義両親に家を追われ……お恥ずかしながら行く宛てもなく、路頭を迷っていたところを拾っていただき、今は大いなるアチェーツ……御父様が創造してくださったエデムで生活をしています」

 全て嘘である。
 夫などいないし、彼氏すらできたことがない。
 そして、大いなるアチェーツもとい御父様とは、教祖を指す言葉である。血が繋がった父親のことはお父さんと呼んでいる。

「あなたのような警察の方が、私達に何の御用でしょうか。私にお答えできることであれば良いのですが……何分、御父様にお仕えしたのはつい先日のことなのです。内部のことをお知りになりたいのであれば、御父様の側にお仕えした期間が長い者に尋ねられた方がよろしいかと」

 内心辟易としながらも、敬虔な信徒を演じる。

「あ、ああ。尋ねたいことは山ほどあるにはあるが……、まず、貴女が最近入信したというのは知っている。だからこそ、我々は貴女に声をかけた」
「と、いいますと」
「今からでも遅くない。あの場所から離れるんだ」

 警察官って、宗教に洗脳された信徒への啓蒙活動もしてくれるんだ……と、思わず目を丸くする。しかし、今この場面で口を挟まれるのは非常に困る。おまわりさんも仕事かもしれないが、此方も仕事なのだ。狼狽えたふりをしながら、パトカーのドアノブを押す。ドアロックをされていたらどうしようかと思ったが、どうやら被疑者でもなんでもない一般市民を車内に監禁するつもりはなかったようで、抵抗なくドアは開いた。

「君、」

 運転席から身を乗り出した風見さんに、肩を掴まれ静止される。その手を振り解いてパトカーから降りようとするも、今度は二の腕を掴まれ、仕方なく熱心なおまわりさんと向き直る。

「我々は市民の味方だ。悪事に巻き込まれる市民がいれば、何があろうと手を差し伸べる。しかし、その市民が悪事に手を染めれば──関わって仕舞えば、我々は犯罪者として糾弾せねばならない」

 二の腕へと巻き付いた手のひらに、ぎゅっと力がこもる。それは振り解こうと思えば簡単に叶うほどの力だったけれど、風見さんの表情があまりにも真剣だったから、私は正義に燃ゆるまっすぐな瞳をただただ見つめることしかできなかった。
 
「それだけは頭の片隅に置いてくれないか」

 駐車場から徒歩数分で、エデムには辿り着く。その道すがら、風見さんから別れ際に手渡された保護シェルターなるもののパンフレットをゴミ捨て場に積まれた雑誌の上に投げ置く。こんなものを持って帰ったら不便の末に勝ち得た微々たる信頼を早々に失ってしまうことになる。
 
 手元に残ったのは、風見裕也と印字された名刺。何かあれば連絡をと言われても、スマホは持ち込み不可だから手元にないんだよなァと嘆息する。しかし、"何か"があれば、役に立つことだろう。長方形の紙を四つ折りにして、ひとまず下着の中に差し込む。エデムの中では、私物を持つことは許されない。彼らは極端な共産主義を凝縮させたような世界で生きている。今の私が占有している物は下着と服だけだ。今日行きしなに渡されたお財布だってエデムに帰れば返却しなけれならない。つまり、風見さんの名刺を隠すことができるのは下着の中だけということだ。

 それにしても警察、それもおそらく公安警察が調べに入っているなんて、きな臭すぎる。来た道を振りかえっても、もうパトカーの姿はない。しかし、彼らはどこかから此方──エデムの方向を見つめてているのだろう。なんせ、私がつい先日入信したばかりの信徒であることも知っていたようだったし。きっと、潜入捜査官ないし内通者がいるはずだ。……はたして、これは潜入取材初心者の私の手に負える案件なのだろうか。漏れ出そうになったため息を飲み呑みながら、おつかいで頼まれたペッドボトルを両手に抱え直して歩き出そうとした瞬間、荷物が入った袋を横から誰かに奪われる。

「えっ」
「おや、驚かしてしまいましたか」

 頂点まで登りかけた太陽が金糸を滑り、髪の輪郭に淡いグラデーションを作っている。綺麗だと、咄嗟に思わされてしまう眩さだった。ぽかんとだらしなく開いてしまっていた口を慌てて閉じてると、間近まで迫っていた日本人には珍しい虹彩の色が細められる。

「僕は安室透といいます。貴女と同じ、エデムの住人ですから、安心してください。女性一人にペットボトルの買い出しを頼んだと聞いて、後を追ってきたんです。女性に重いものを持たせるわけにはいきませんから」
「あなたも大いなる御父様の御子でしたか……。ご親切にありがとうございます」

 大いなる御父様の御子とは、信徒を指す言葉である。身内意識が強い団体には、往々にして内部のみで使われる独自の言葉があるから、まず新人にはそこで一苦労が発生する。とはいえ、教団内で横文字の独自言葉があまり使われていないことは不幸中の幸いだった。私は学生の頃から英語が大の苦手なので、絶対に覚えることができない。自信を持って言い切れる。
 
 あれは新進気鋭の若手社長にインタビューをした時のことだ。いざインタビューを始めると、聞きなれない横文字を多用されすぎて、何を言っているかさっぱり理解できなかった。後日、録音した音声を聞きながら辞書を引いたことは記憶に新しい。そう考えると、弊社が昭和を生き続けるタイプの会社でよかったのかもしれない。
 
「それにしても、先ほど見慣れない方達に声をかけられていたようでしたが……大丈夫でしたか?」

 自由に出歩くことを許されているということは、教団でもそれなりの地位にいるのかもしれない。少なくとも、ただの信徒ではない。だから、小手先の誤魔化しという手札は真っ先に捨てることにした。

「……ああ、見てらしたんですね。警察の方だったのですが、どうやらこの辺りで事件があったようで聞き込みをされていたようです。本当に事件が多くて、物騒ですよね……。御子の皆さんがエデムに逃げ込む気持ちもよくわかります。エデムに迎え入れていただけて、私達は本当に幸運ですね」
 
 嘘と本当を混ぜ合わせながら、世間話に話題をすり替える。痛い腹を探られた時によく使う手段だった。幸い、仕事柄手持ちの話題には事欠かない。だから焦りはなく、努めて明るく平坦に答えたつもりだった。それなのに、目が合った瞬間、ぞくりと背筋が粟立って、反射的に身を縮こまらせる。何を言えばいいのかも、どう笑えばいいのかも分からない。ただ、この人の前では下手なことを口にしてはいけない――それだけは、はっきりと分かった。

「……そうですか。それなら、よかった」

 穏やかな声だった。なのに、少しも安心できなかった。むしろ、その笑顔の奥に何が潜んでいるのか分からなくて、私は曖昧に笑い返すことしかできなかった。

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