chocolat chaud






ベランダで煙草を吸っていたクラウディオが、煙草の吸殻を携帯灰皿に押し付けて部屋に戻ってくる。そのまま彼はアルカディアの後ろを通り過ぎて、キッチンへと向かった。煙草の箱をポケットにしまうその仕種は、何度見ても、彼にはいまいち似合わない姿だと思う。吸っている姿はかっこいいけれど、優雅な彼と煙草は、あまり結び付かないような気もする。
ぼんやりと、テレビを見るともなしに眺めていたアルカディアは、目の前のローテーブルの上に置いたココアの入ったカップを持ち上げ、一口飲んだ。
そんなアルカディアの隣に腰を下ろしたクラウディオの手の中にある物に目をやって、アルカディアは目を丸くした。その手には、最近アルカディアが好んで食べているチョコの箱が持たれていたのだ。キッチンに向かった後なので、冷蔵庫から取り出したのだろう。ちなみに、アルカディアの物ではない。おそらく彼が自分で手に入れて、自分で持っているのだ。だからこそ余計に驚いた。

お互い、趣味や趣向は逆であることが多い、という自覚があった。甘い物がそれなりに好きなアルカディアとは逆に、クラウディオは甘い物は少々苦手であったし、その代り、辛い物が得意だった。ちなみに、アルカディアはあまり辛い物は好きじゃない。
昔アルカディアはクラウディオに甘い駄菓子の類いをよく勧めていた事がある。
もちろんそれは、『彼も好きだろう』という思い込みに基づいた行為ではなく、自分が好きだから勧めたい、という純粋な気持ちがあったからで、クラウディオもそれを理解してか、拒否する事はなかった。
散々、あれが好きだこれが好きだと色々な嗜好品を勧めて暫く経って、クラウディオが『甘い物はあまり得意ではない』と告白してきてようやく、アルカディアはその事実を知った。そして、大慌てで謝罪した。今となっては懐かしい思い出である。
お互い逆の趣味や趣向を持ちながらも付き合いが長続きしているのは、それらに口を出さないから、というのもあるだろう。むしろ理解しようと努めている方だ、と思う。 彼が口にする辛い物を食べてみたいと思う事は間々あったし、それで克服できた物だっていくつかあった。
それはクラウディオも同じで、アルカディアが好む甘いチョコ菓子を一緒につまむ事もある。一人で一つを食べきるのは無理だと言っていたが、アルカディアが食べている中から少し口に入れるぐらいならば問題ないとも言っていた。
そう、だからこそ驚いた。彼がそれを食べるのか?と。
パチパチと目を瞬かせたアルカディアを横目で見やり、クラウディオはにこりと笑った。手早く封を切ると、箱の蓋になっている部分を開ける。少し大粒のチョコが9つ入っていた。その中の一つを手に取って、ひょいと口に放り込むのまで眺めて、アルカディアは瞠目する。

「くらでぃお、それ好きだったの?」

ぽろりとアルカディアが零した言葉に、クラウディオはその綺麗な琥珀色の眼を三日月に細めて、にんまりと笑った。その悪戯めいた、幼さすら垣間見せた表情に、アルカディアは目を瞬かせる。そうして数度瞬いた視界に、気づけばクラウディオの顔が大きく映りこんでいた。

「ぁ、」

何を言おうとしたのか、自分でも判らない。ただ、そうして驚いて薄く開いた唇を、クラウディオの唇がやんわりと塞いだ。思わず身を引こうとしたアルカディアの後頭部を、クラウディオの大きな手が掴んで、強引に頭部を引き寄せる。口づけを深められて、アルカディアは戸惑った。
ぬるりと入り込んできた舌は、甘い。口内で溶けたチョコを、まるでアルカディアの舌に塗りつけるように舌を絡め取られて、体が震えた。
まだ少し形の残ったままのチョコが口移しでアルカディアの口内に入ってきて、アルカディアは目を細める。つい先ほど冷蔵庫から取り出したばかりなのだろうチョコは、舌の温度で少し溶けてはいたが、まだ少しだけ冷たさが残っていて、その温度差に眩暈がした。
口内に入り込んでいるクラウディオの舌が、口内のチョコを転がす。二人分の温度で溶けたチョコは、唾液に濡れて、ドロドロとお互いの舌に絡みついた。甘く、蕩けそうな味が喉まで入り込んできそうで、アルカディアはくぅ、と喉を鳴らした。まるで子犬の泣き声のようなその音に、羞恥で顔が熱くなる。
一体どれほど、そうした戯れの愛撫を受けていただろう。すっかり口内に、塊がなくなってしまった頃になってようやく、クラウディオはアルカディアの後頭部を掴んだ手を緩めて、ゆっくりと顔を離した。

「は、ぁふ……」

小さく体を震わせて、甘い吐息を吐き出す。そうして、蕩けたアルカディアの顔を見て、クラウディオは満足そうに笑った。

「こういう食べ方は好きだよ」

それが、口づけられる前のアルカディアの問いかけに対する答えだと、すぐには理解出来なかった。数度瞬いた後にそれに気づいて、じわりと頬が熱くなった。

「お前、甘い物好きだろう?」

クラウディオのその言葉に、アルカディアは何も言えなくなった。
だって、言えるわけがなかった。チョコも、キスも、どちらも好きだなんて。
眉を寄せて黙り込んだアルカディアの反応をどう受け取ったのか、クラウディオは小さく肩を揺らして笑うと、チョコの箱に指を滑らせて、中からまた一粒チョコを取り出した。あ、と思う間もなく、そのチョコは彼の口の中に消えてしまう。
身構える隙もなく、また口づけられて、アルカディアは困惑して視線をさ迷わせた。そんなアルカディアを、クラウディオの瞳が真っ直ぐに射抜いてくる。
少しの間、ただ唇が触れるだけの時間だった。その間も彼が口の中でチョコを転がして溶かすのが、触れ合った唇の動きから判った。その先を想像して、アルカディアは頬が熱くなるのを感じた。
後頭部を押さえ付けられずとも、もう唇を離す気もなかった。それを察したのか、クラウディオの瞳がうっとりと細められて、琥珀色を縁取る睫毛が室内の光に少しだけ反射する。
アルカディアは、自分から唇を薄く開いて、クラウディオの唇を柔く食んだ。ほんの一瞬だけ、クラウディオの瞳が驚いたように瞬く。その瞳が鋭く細められたと気づいた時には、仕返しとばかりに唇に噛みつかれていた。

「、ぁ、」

ぬるり、と入り込んできた舌は、やはり甘い。背筋がゾクゾクとして、体が震えてしまう。
ころりと入り込んできたチョコを、彼の舌が、上顎や頬肉にそれを押し付けた。その刺激は、アルカディアが好むその甘さを意識させるには少しばかり強すぎる。アルカディアはそのチョコの美味しさよりも、ただ、彼が与える愛撫にも似た刺激に身を預けてしまう。

「んぅ、う……ふ……っ」

とろ、と瞳を蕩けさせたアルカディアは、思わず、体を支える為にソファーについているのだろう彼の腕に手を伸ばして、爪を立てていた。痛みとは呼べないだろう、ほんの小さな刺激だ。それに、クラウディオはぴくりと眉を動かした。
まだ塊を口内に残したまま、彼がゆっくりと唇を離す。そして手をアルカディアの頬に伸ばしたと思うと、顎をくすぐってきた。

「キスだけで、達してしまうなよ?」

その言葉に羞恥を煽られ、けれど、否定する事も出来ず、体を震わせた。もうすっかり熱が高ぶって、腰を重くさせている。布地を押し上げているだろう事実を見たくなくて、視線を下げる事も出来なかった。

「くらでぃお、の、意地悪」

乱れた呼吸の合間に途切れ途切れで吐き出した言葉を、クラウディオはただ笑って受け入れるだけだった。彼の指先が悪戯に、アルカディアの耳の裏や首の付け根、うなじを撫でていって、体が震えてしまう。
結ばれた後ろ髪の、その生え際の付近をするりと撫でる​​──たったそれだけの事に、小さく肩が跳ねた。その事実に、アルカディア自身が動揺してしまう。
戸惑って瞳を揺らがせたアルカディアに、クラウディオはゆらりと目を細めると、その瞳を傍に置いたチョコの箱へと移した。それから、また視線をアルカディアへと戻す。頬に手を添えたまま、親指でゆっくりと唇を撫でられて、アルカディアは息を飲む。

「あと7つ」

そう告げたと思うと、今度は、クラウディオは最初からチョコをアルカディアに食べさせた。口内に放り込まれたチョコを、アルカディアは一度、ころりと転がした。まだ溶けきらずに残っているチョコもあって、どうしたものかと考える。そもそも、何故クラウディオがそうしたのか、よく判らなかった。
とはいえ、深く考えずとも判りそうなものだ。アルカディアは少しばかり迂闊だった。この時ばかりは、好きなチョコの味の方が意識を占めていたのだろう。
気付けば視界はクラウディオの顔で一杯になっていて、ぬるりと唇を舌で割られた。最初から、こういうつもりだったのだろう。つまりは、口移しの順番を変えただけの事だ。

「ふ…っ」

アルカディアの口内に潜らせた舌で、クラウディオはチョコを転がした。蕩けていくチョコをアルカディアの口内に塗りつけて、その甘さに溺れさせる。甘い匂いが充満してくらくらと眩暈を起こした頃になって、もうほとんど形の残っていないチョコを、クラウディオは自らの口内に招き入れて、唇を離した。

「甘い」

当然の事を呟いて、彼は満足げに笑う。その表情はやけに無邪気で、それでいて蠱惑的だった。その表情に、アルカディアはどんどん煽られてしまう。
クラウディオの指が、戯れにシャツの上を滑る。腰を撫でた手が背中にまわり、ズボンの際のあたりから、つつ、と背骨のラインに沿うように指で撫で上げられて、思わず甘い声をもらしていた。

「ひぅ、……っ…ぁ、…」

その声を聞いて、クラウディオはゆるりと口角を吊り上げた。獰猛で、凶暴な欲望を孕んだ色に変わった瞳を見て、アルカディアは無意識に首を振る。けれど、それで何を許して欲しかったのか判らないし、彼が、許すはずもなかった。
ひょい、とまたチョコを口の中に放り込んだクラウディオは、今度は強引に、最初から深く口づけてきた。チョコの存在など忘れてしまいそうなほど、荒々しく口内を蹂躙される。奥深くまで入り込んだ舌に犯されて、アルカディアは体を震わせた。

「ふ、ぅ……んぅう…!…う、…っ…く、ふ……く、ぅ、ん」

じわりと、瞳に涙がにじむ。彼の体を押し返そうと両手を彼の肩に乗せるのに、びくともしない。むしろ両腕で抱き寄せられて、体を密着させられた。
布越しに伝わる体温は熱いぐらいで、口内のチョコと同じように、触れ合った箇所が溶けてしまうのではないかという錯覚を抱く。もちろん、そんな事はないのだけれど、口づけだけで蕩けた思考は、体の境界線を曖昧にさせた。

「はっ……ぁ、…ふぁ、……っ」

飲み込み切れなかった唾液を、じゅるりと吸われる。おそらくそれは、きっと甘い。甘くて甘くて、クラウディオが飲み込めるか心配になった。何とも無駄な心配だ。
ようやく唇を解放された頃には、もう体は骨抜きになってしまっていて、思考までぐずぐずに溶けていた。クラウディオの指が、するりと、布地を押し上げているアルカディアのモノを撫でる。それは、触れるか触れないかの絶妙な触れ方だった。

「ぁっ」

びく、と一際大きく肩が跳ねた。それを見て、クラウディオは心底楽しげに、嬉しげに、そして意地悪に笑った。

「さて……まだあと5つあるが。……どうする?」

その問いが、どういう意味であるのか、アルカディアは正確に読み取った。これ以上続けるか​​──それとも。そう言われているのだ。その先の言葉もはっきりと判っている。だからこそ、彼がとても、酷い男だと感じた。

「くらでぃおの、意地悪!」

少し前に発した言葉と同じ言葉を叫んで、アルカディアはクラウディオの体を押し倒していた。ソファーに引き倒されてなお、クラウディオは余裕のある顔をしたままでいる。その彼を、涙目で睨みつけた。
チョコの存在は視界の隅においやって、アルカディアは、クラウディオの唇に噛みつくように口づけた。もうお互いの口内にチョコの塊は残っていないはずなのに、その口づけは、酷く甘かった。
クラウディオは、アルカディアの口づけを受け入れるフリをして、強引に唇を押し付けてくるアルカディアの唇を、そっと舌で舐め上げた。おそらく、そのまま唇を割り開いて、口内を暴こうとしていたに違いない。ただ、彼は一旦動きを止めて、小さく笑った。

「私には、少し甘すぎる」

肩を揺らして笑いながら、クラウディオはアルカディアの頬へと手を伸ばす。通り過ぎたと思った指は、そのままアルカディアの髪を撫でて、耳の裏まで流れていく。
引き寄せられる直前、彼の煙草の箱が、ポケットから零れて床に落ちているのが見えた。

「くらでぃお、」



​​──煙草の後の苦いキスも、タブレットの味のするキスも、貴方との口づけは、何だって。