Keep your hands to yourself




──頭がぐらぐらする。

定期的にアルカディアの体を襲う魔力の暴走​​──所謂発作のようなものだ。
いつもは数分じっとしていれば自然と治まって行くのだが、今日はどうにも様子がおかしい。
まるで身体中を駆け巡る魔力を抑える術が無いかのように暴れ回っている。
低すぎる体温が急激に上昇して、体が熱くて堪らない。体内の魔力が痛い程脈打って、呼吸もままならない。
座ってすらいられなくなって、思わずソファーに横になった。
クラウディオが帰ってくるまでまだ数時間ある。それまでの間に治まればいいのだが。

「っ……ぅ……う……」

横たわったことで少しだけ楽になった気がするが、それでも息苦しいことに変わりはない。
がんがんと響く頭痛に耐えるために体を丸めると、額から汗が流れ落ちた。

「(熱い……)」

浅い呼吸を繰り返していれば、次第に喉も乾いてくる。少しだけ体を起こしてテーブルの上に置いてあったコップを取ろうとしたが、手が震えていて上手く掴めない。

「(あぁ……だめだこれ……)」

このままではコップを落としてしまうだろうと判断したアルカディアは、諦めてテーブルの上にグラスを置いた。

「……っ……ふ……」

深呼吸をして落ち着こうとしたが、余計に苦しくなるばかりで何も変わらない。

「…う…」

最悪だ。頭痛や息苦しさだけでは飽き足らず、吐き気まで襲ってきた。気持ち悪さがぐるぐると体内を回る。いっそ気絶でも出来れば良いのかもしれないが、そんな事が出来たら苦労しない。
このままソファーで吐いてしまうわけにも行かず、アルカディアは腕に力を入れてなんとか起き上がった。

「…………くっ……ん……」

そのままトイレに行こうとしたのだが、足を踏み出した瞬間、がくっと膝から力が抜けて、そのまま倒れ込んでしまった。

「っ……」

痛みに顔を歪めながらも、どうにか立ち上がろうと試みたが、体に全く力が入らない。もうダメだ。動けない。
倒れ込んだ拍子にソファーから滑り落ちた自身の端末が目に入って、よろよろと手を伸ばす。

「……っ」

力無く指を動かして画面に触れるが、手が震えて思うように操作ができない。
今のアルカディアには文字を打つ事すら出来なかった。ただひたすらに画面に触れるばかりで、このままではとてつもない時間がかかりそうだ。
メッセージを打つことを諦めて、なんとか電話アプリを立ち上げた。

クラウディオは今仕事中だ。
もしかしたら大事な商談中かもしれない。
邪魔だけはしたくない。

そんな思考はいつの間にか粉々に砕け散っていて、気付けばアルカディアは通話ボタンを押していた。
端末を耳元まで持っていく気力すらなくて、自身の頭を端末に近付ける。
コール音を聞きながら、この状態で話せるのだろうかと少し不安になった。その時、聞き慣れた低い声が耳元から聞こえてくる。

『──アルカディア?』

「っ……」

声を聞いて安心感を覚えると共に、一気に涙腺が崩壊してしまった。ぼろりと大粒の涙が零れ落ちる。

「……ぁ……く、…ら…でぃお…」

『…どうした?』

アルカディアの声の異変に気づいたのか、穏やかだった声が心配の色を含んだ声色に変わる。その声を聞いただけで更に涙が溢れてきた。

「ごめ……か…、ら、だ…う……かな…」

やはりまともに話すことが出来なくて、舌が回らない。声を出そうとすれば喘鳴が邪魔をする。
それでも必死に伝えようと口を開くが、言葉にならない。

「……た……、…す……」

助けて欲しい。
たったそれだけの言葉なのに、口から出てくるのは掠れた息だけだ。

『……分かった。すぐ帰る』

「……ご……め…」

『謝らなくていい。待ってろ』

「……ん…」

通話を切ると、動かない体を叱咤してなんとか起き上がろうと力を込める。

「…ん……く…」

がくがくと腕が震えて、上手くいかない。
寝そべっているだけのはずなのに、酷く体力を奪われていくような感覚だ。

「は…ぁ…はっ…はっ……ひゅっ」

次第に呼吸の仕方が分からなくなってきて、酸素を求めて大きく口を開けたが、入ってくるのは空気ではなく息苦しさだけだった。

「ひっ…あ、…」

苦しい。痛い。辛い。怖い。
色々な感情がぐちゃぐちゃになって、訳が分からない。

「…ふ……ぅ…」

かくんと腕に込めていた力が抜けて、再び床に倒れ込む。うつ伏せの状態が辛くてなんとかごろりと体を仰向けた。

「…は……っ…」

呼吸をしようとしても、まるで水中にいるかのように息苦しい。

「(くるしい)」

視界がぼやけて、天井がゆらゆら揺れているように見える。

「(こわい)」

何も考えられなくなった頭の中で、唯一感じているのは恐怖心だけ。

「(…ひとりはやだな)」

こんな時でさえ、脳裏に浮かぶのは彼の顔。

「くら………ぃ、お……」

絞り出すように彼の名を呼ぶ。

「…………、…どこ…」

「アルカディア!」

その時玄関の方からバタバタと慌ただしい音が聞こえてきて、勢いよく扉が開かれる。

「大丈夫か?」

「っ……」

すぐに駆け寄ってきてくれた彼はアルカディアをゆっくり抱き起こすと、背中を優しく摩った。

「落ち着け。息を吐いて」

「……ふ…ぅ……うっ…」

言われた通りにゆっくりと息を吐けば、呼吸が少し楽になる。それと同時に涙も止まらなくなってきた。

「は、ぁ…はぁ……」

「もう大丈夫だ」

「ん…ぅ…」

「悪い、遅くなったな」

ぎゅっと優しく抱きしめられて、思わず目の前の服にしがみついた。

「う、ぅっ……」

「電話、くれてありがとうな。もう平気だ」

「しご、と…ごめ…」

「謝らなくていいって言っただろう。お前より優先することなんか無い」

そう言って頭を撫でてくれる。
その手が温かくて心地好い。安心する。
クラウディオがそばにいてくれるだけで、あれだけ辛かった体が楽になって来る。

「ゆっくり呼吸しろ」

「ん……ん……」

「そう。上手だ」

「は、ぁ…」
「よし、良い子だ。頑張ったな。もう大丈夫だ。私が居る」

「…くらう、でぃお…」

「ああ」

荒かった呼吸が徐々に落ち着きを取り戻していく。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙をクラウディオの指が拭ってくれるが、涙は止まる気配がない。

「怖かったな。今回のは随分酷かったのか」

「ん…ぜん、ぜん…おさま…な、…くて…」

「そうか。よく耐えた」

「きもち、わる……て……、…はっ…はっ……」

「無理に喋ろうとするな。今日はこのまま休め」

クラウディオはわしゃわしゃとアルカディアの頭を撫でてから、力の抜けた細い体を抱えあげる。そのまま寝室へと運んでベッドに寝かせた。

「水を持ってくる。少し待っていろ」

「ん…」

こくりと小さく首を動かせば、彼は優しい笑みを浮かべて部屋を出ていった。

「……」

先程まであんなに苦しかったのが嘘のように、今は呼吸も落ち着いて来ている。
まだ少し頭がぼうっとするが、吐き気もだいぶ収まったみたいだ。

「飲めるか?」

リビングから戻ってきたクラウディオが、アルカディアの体を抱き起こし、水の入ったコップを手渡した。

「ありがと……」

クラウディオに支えてもらいながら受け取った水を一口飲む。冷たい水が喉を通り抜けるのが気持ち良かった。

「少し落ち着いたか?」

「うん…」

「よし」

普段よりさらに青白くなったアルカディアの頬を、その大きい手で優しく撫でてくれる。その手つきがあまりにも優しくて、安心感を覚えながら思わず目を閉じた。

「落ち着いてきたなら少し寝ろ」

「…でも……」

「気にするな。私はここにいる」

「ん……」

再びベッドに寝かせられ、クラウディオは布団を首もとまで掛けてくれる。だいぶ動くようになってきた手をさ迷わせていると、大きな手に捕まえられた。

「握っててやるから、ゆっくり寝ろ」

「……ん…」

繋いだ手が温かい。
この体温が、酷く愛おしかった。

「おやすみ、アルカディア」

「…ん…」

意識が微睡んでいく。
瞼が重い。

「………、……く……ら、…………」

「ああ。おやすみ」

最後まで言い切る前に、アルカディアは眠りについた。
穏やかな表情ですやすやと眠る恋人の髪を優しく撫でる。

「(さすがに今回は肝が冷えたな……)」

ここ最近、アルカディアの体調はあまり良くなかった。本人もそれを自覚していたようで、無理をしないでどうにかやり過ごしていたようだが、限界が来たらしい。
今回の発作はクラウディオが記憶している中で、最も酷いものだった。
繋いだ手は普段よりも随分と熱い。恐らく熱もあるだろう。先程は上手く呼吸も出来ていなかったが、今はだいぶ落ち着いてきているらしい。静かに寝息を立てるアルカディアに安堵の息を吐いた。



「……ん」

じわじわと意識が浮上し、ゆっくりと目を開ける。見慣れた天井。寝室だ。
眠る前の自身の状態を思い出す。幾分も呼吸も頭痛も楽になっていて、小さく安堵の息をつく。
ふと隣の気配に気づいて視線を向けると、クラウディオが添い寝してくれていた。
自分の右手がしっかりと彼の左手と繋がったままだということに気付いて、あのままずっと繋いでいてくれたんだと、アルカディアの口角が嬉しそうに上がった。

「(………)」

そっと彼の顔を覗き込む。普段はあまり見られない彼の無防備な姿に、胸の奥がきゅっとなった気がした。

「(かわいい)」

小さく笑ってから、ゆっくりと起き上がる。まだ少し体が怠いが、もう大丈夫そうだ。
そのまま彼の腕の中へ潜り込んで、ぎゅーっと抱きついた。彼の匂いに包まれて、思わずほっとする。

「(…しあわせだ)」

すりっと彼の胸に顔を寄せれば、とくとくと心臓の音が聞こえてきた。生きている音だ。彼が今此処にいる証の音だ。それがとても心地好かった。

「……ん…」

「…くらでぃお?」

「…ああ…悪い…寝てたな…」

寝起きで少しふわふわした声色のクラウディオに特別感を感じながら、さらにぎゅうと抱き着く。

「…具合はどうだ?」

「もうほとんどだいじょうぶ…」

「そうか」

お互い抱きしめあったまま、ほんのりと眠気の残る声を交わし合う。

「まだ少し体が熱いが…元気はありそうだな」

「うん。くらでぃお、ありがと」

「ああ」

「あのね、」

「ん?」

「おれ、くらでぃおがいてくれないとだめかも」

「はは、今更だな。私も同じだが」

「……へ」

「お前が居ないと生きていけない」

「んぇ……うそ」

「嘘なわけあるか。どれだけ焦ったと思ってる」

「くらでぃおでも焦ることあるんだねぇ…」

「お前が絡んだ時はどうしてもな」

そう言って頭を撫でられる。その手が温かくて気持ち良い。もっと撫でて欲しいと思った。
そんなアルカディアの胸中を見透かしたように、クラウディオはアルカディアの頭を優しく撫で続ける。その手つきがまた優しくて、思わず頬が緩む。

「ん……」

「なんだ、撫でられ足りないのか?甘えん坊め」

「んー…」

「ほら、好きなだけ撫でてやる」

「んへ…」

優しい手つきに身を任せ、うっとりと目を細める。くすくすと楽しそうに笑うアルカディアに安心して、クラウディオはさらに彼の体を強く抱き締めた。
今日はぐっすり眠れそうな気がした。