テレビを見ていたウィスタリアはふと空腹を感じて壁にかけてあった時計を見上げた。時刻は既に夜の9時を回っていて、夕食をすっかり忘れていたことに気付く。2時間ほど前にルカにご飯はあげた時はまだ腹も空いていなかったため、そのままテレビに夢中になってしまっていたのだ。
ウィスタリアの隣で腹を見せながらぐっすり眠っている様子のルカに微笑んで、ソファーから立ち上がる。食堂に行けば何かあるかもしれない、と部屋を出た。
階段を降りれば食堂から何やら楽しそうな声が聞こえてくる。ひょこりと顔を覗かせれば、シトラスとオーカーが酒盛りをしていた。すると彼に気づいたオーカーがこちらを見て手を振った。
その隣では頬を柔く染めたシトラスが上機嫌そうにグラスを傾けている。テーブルの上にはつまみとして用意してあったのか様々な料理が置かれていた。
「よ、ウィスタリア。お前もどうだ?」
腹が空いていたのもあって、こくんと頷いたウィスタリアは誘われるままに椅子へと座ってグラスを受け取った。
注がれた酒を一口飲めば、度の強さに思わず眉根を寄せてしまう。水で割ってちびちびと飲み進める。
「アッシュは?」
「仕事だよ」
「忙しいねぇ〜、“死神”様は」
シトラスはグラスの中の酒を一気に飲み干し、すぐにグラス一杯に酒を注いだ。それを見つめつつ、ウィスタリアはつまみの肉を口に運ぶ。香辛料がきいていて辛かったものの、美味しかった。
「それで?お前アッシュとは最近どうなんだよ?」
「どう…って…仲良し、だけど…」
「馬鹿お前、俺らが聞きたいのはそんなんじゃなくてさぁ〜」
「………セックスしてんの?」
ぼそりと言われた言葉に、ウィスタリアは盛大にむせた。げほごほと咳き込み、必死に呼吸を整える。
ようやく落ち着いてきたところでオーカーをじと、と睨みつければ彼は悪びれもなくへらりと笑った。
「あいつ淡白そうだし、性欲とかあんま無さそうだろ?気になってんだよ」
「別に…その…す、する時は…す、る…」
恥ずかしさに目を伏せつつも答えれば、オーカーは驚いたように目を見開き、それから興味津々といった表情を浮かべた。
「へぇ、どんな感じなんだ?」
「どんなって…うーん…えっと……や、優しい…の、かな…多分…?」
「ほぉ〜、あいつがねぇ〜」
オーカーは楽しそうに口角を上げ、喉でくつくつと笑う。シトラスがつまみを口にしながら口を挟んだ。
「でもたまには激しいのもしたいんじゃねぇの?」
「は…激しい、の…って…」
かぁっと顔に熱が集まる。真っ赤になったウィスタリアを眺めてシトラスはけらけらと笑い声を上げた。
「したことねぇの?激しいの」
「な、ないよっ…そもそも、激しいのって、言われても…よくわかんない、し」
「じゃあそんなウィスタリアちゃんに〜…」
オーカーはポケットから端末を取り出すと軽く操作して、画面をウィスタリアに見せてきた。そこに映っていたのはベッドの上で乱れる男女の姿。
「ぅっ…」
予想もしていなかった映像にウィスタリアは小さくうめき声を上げる。それは所謂アダルトビデオと呼ばれる物だった。
「これなんかどうだ?激しくていいと思うぞ」
「ちょ、ちょっと…!」
慌てて画面を隠すも、もう遅い。大きな音量で流れ出した喘ぎ声にウィスタリアの顔は更に赤く染まる。
「おー、良い反応」
「な、なんで…こんな、の…」
「激しいセックスのお手本見せてやろうと思ってよ」
「い、いらないっ!」
ぷいっと顔を背けるが、しかし耳まで赤いウィスタリアの姿を見て二人はにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。そしてわざとらしくウィスタリアの耳に口を近づけると、ぼそぼそと囁いた。
「そんなこと言わずに、な?ほら、見てみろって。凄いから」
「や、やだっ…絶対見ないっ」
ぶんぶんと首を横に振り拒否をするも、オーカーは面白がるように画面に顔を寄せる。
「オーカー、もっと詰めろ。見えねーだろうが」
「はいはい」
「ほら、ウィスタリア。大人しく見とけよ?」
そう言ってシトラスはウィスタリアの肩に腕を回して無理矢理に引き寄せた。逃げようとするもシトラスの腕ががっちりとウィスタリアを掴んで離さない。
そうこうしているうちに、画面の中では男が女を組み敷いて腰を打ち付けていた。女の口から漏れる甲高い声にウィスタリアは思わず両目を手で覆う。
「こらこら、目閉じんなって」
シトラスに手をどかされて、再度画面を視界に入れる。それでもやはり恥ずかしくて、なるべく視線を動かさないようにした。
しばらくすると男の手が女の胸元へと伸び、柔らかそうな乳房を掴む。そのまま揉まれながら乳首に吸い付かれると、女は身体を大きく跳ねさせた。
「う、……」
「ウィスタリア、どうだ?興奮するか?」
「し、しない……」
「本当かぁ〜?」
「だ、だって…俺には…胸、とか、ないし…」
ウィスタリアのその言葉に、オーカーは少し考えるような仕草をしたあと再び端末を操作し始めた。そしてまた画面を見せつけてくる。
「こういうのはどうだ?」
「え……?」
そこには全裸の男性が二人写っていて、片方は仰向けになり脚を開いていた。その脚の間にもう一人の男性の下半身が入っており、彼の陰茎は今にも後孔に入りそうになっている。
「へぁ……」
画面の中の男性はゆっくりと挿入していく。根元まで入ると、彼は一度動きを止めて何かを待つかのようにじっとしていた。
しばらくして、彼がゆるゆると腰を動かすと結合部からぐちゅ、と水音が響く。それと同時に画面の中の男は甘い吐息を漏らし、気持ち良さそうに表情を蕩けさせていた。
その様子を見ていたウィスタリアは先程よりもさらに目を細めて画面から顔を遠ざけようとする。だが、シトラスはそれを許さなかった。
「おい、ちゃんと見とけって」
「ゃ、やっぱり、む、むりぃ…」
「大丈夫、大丈夫」
「ほら」
シトラスはウィスタリアの顎を掴んで無理矢理画面の方へ向けさせる。恥ずかしさに涙目になるウィスタリアだったが、その瞳は画面の中で繰り広げられる行為に釘付けになっていた。
「男同士なんて初めて見たけど、なかなか良さそうだな」
「だなぁ」
なんて会話をする二人の声はウィスタリアの耳には全く届いていなかった。画面では相変わらず二人が性行為をしている様子が映し出されている。
やがて男の腰の動きは激しさを増していき、獣のような喘ぎ声を漏らしていた。それに合わせてウィスタリアもごくりと唾を飲み込む。
「うぅ…」
「ウィスタリアもこんな風にされたいんじゃねぇの?」
「そ、そんな、こと…っ…」
「へぇ〜、じゃあこれは?」
そう言うとオーカーは端末を操作してもう一つ動画を見せた。そこに映っていたのは、一人の男性が複数の男たちに犯されている様子だった。
「ひっ…」
嫌々と首を振るも、シトラスはウィスタリアを解放しようとはせず、むしろより強く抱き寄せた。
「まあまあ見てろって」
画面の中では細身の男が何人もの男に代わる代わる抱かれている。女性のように高く甘ったるい声で鳴く男性の姿はとても扇情的で、ウィスタリアは無意識のうちに熱いため息を零した。
絶頂しても腰の動きは止められず、ひたすらに快感を与えられ続けている。その姿を眺めてウィスタリアはぼんやりとした頭で考えた。
「(こ、こんな……いっぱい、…)」
画面の男性は何度も精液を吐き出しているのに、まだ終わりが見えない。きっと自分があの人の立場なら、もう何度達しているのかわからないくらいだ。
甘ったるい喘ぎ声が次第に吠えるような声に変わり、男の身体が大きく痙攣する。同時にカメラがズームしていき、彼の顔がアップになった。
汗や唾液で濡れた端正な顔立ちを見て、ウィスタリアは思わず眉を寄せて顔を背けた。
するとそれに気づいたオーカーが声を掛けてくる。
「どうだ?ウィスタリア」
「ど、どうって…」
「すげーだろ?これ」
「ぅ……ん……」
素直にこくりと小さく首を縦に振ると、オーカーは満足気に笑みを浮かべる。そして画面の中の男と同じようにウィスタリアの耳元に唇を寄せると、低い声で囁いた。
「やってみるか?」
「はえ……っ!?」
驚きの声を上げてオーカーの顔を見ると、彼はにっこりと微笑んだまま言葉を続ける。
「興味あるんだろ?」
「ち、違…!」
否定しようと口を開くも、それはシトラスによって遮られる。
「ウィスタリアもああいう事されてみてーだろ?ほら、よく見てみろよ」
シトラスに促されるままに画面に目を向けると、そこでは先程の男がベッドの上で四つん這いになって後ろから激しく突かれていた。その光景を見たウィスタリアは思わず息を飲む。
「う、あ…」
「ウィスタリアもあれと同じ体勢になれよ。そうしたらもっと気持ち良くなれっからよ」
「ふぁ……」
ぶわっとウィスタリアの顔が真っ赤に染まっていく。それはもう茹でダコのようで、シトラスは思わず吹き出した。
「ははは!ウィスタリア、お前可愛すぎだろ!!」
「……へ…」
「冗談だよ。お前に手なんか出したらアッシュの奴に殺される」
「なぁ?」と言ってオーカーの方を見る。すると彼もまた笑いながら言った。
「あぁ。俺はまだ死にたくねーしな」
「な、なんだ…びっくりした…」
安堵の深いため息をつくウィスタリア。
ウブで恥ずかしがり屋のウィスタリアだからこそ、ここまでからかいがいがあるのだろう。
「ほら、落ち着くためにもう一杯」
シトラスはウィスタリアのグラスに酒を追加で注いでいく。その量は最初の時よりもかなり多くなっていた。
「え、えぇ…おれ、もう飲めない……」
「まだまだいけるって」
「そ、そんなことない…」
そう言いつつもウィスタリアは少しずつではあるが、流されるまま酒を飲んでいった。
いつしかウィスタリアの頬はほんのり赤く染まり、目は虚ろになり始める。
「う、う〜…」
「ん、酔ってきたか?」
「よってらい……」
呂律の回らない口調で答えつつ、ウィスタリアはテーブルの上に突っ伏してしまった。シトラスはウィスタリアの頭をわしゃわしゃと撫で回す。
「おいおい、大丈夫かぁ〜?」
「だぃじょぉぶ…」
「あちゃ〜、完全に潰れてんな」
「水持って来るわ」
「おう」
オーカーは立ち上がりキッチンの方へ向かう。その様子を横目に見ながら、シトラスはウィスタリアの髪を指先で弄んでいた。
次第にウィスタリアから寝息が聞こえ始め、彼が眠ってしまったことがわかる。
「寝ちまったわ」
戻ってきたオーカーに声をかけて、シトラスは机に頬杖をつきながら眠るウィスタリアを眺めていた。
「あ〜あ、こんなに無防備になっちまって」
不意に静寂が訪れる。
先程は笑って誤魔化していたが、シトラスもオーカーもウィスタリアの事を性的な意味で見ていたのだ。
ウィスタリアは無垢で純粋すぎる。それが二人にとっては都合が良くもあり、また不安でもあった。
ウィスタリアには今のまま、綺麗な心のままでいて欲しい。
だがその一方で、自分達の手で汚してしまいたいと思う気持ちもあった。
アッシュという存在が無ければ、あるいは…なんて考えてしまうほどに。
「…ばれねぇかな」
「あん?」
煙草に火をつけたオーカーはシトラスが呟いた言葉に片眉を上げた。
「いや、ウィスタリアのこと襲ったりしたらさ、アッシュが黙っちゃいねえだろ?」
「まぁ…そうだな」
「さっき冗談めかして言ったけど、もしそうなったらマジで俺たち殺されんじゃねぇ?」
「まぁ…殺されるな」
「だろ?だから我慢すっかなって思ってたんだけど…こいつ見てたら……なぁ」
シトラスはウィスタリアの前髪に触れる。
「やべーくらい可愛いよな」
「……」
「なぁオーカー、ちょっとだけ味見しても……」
「本気で殺されんぞ」
「………だよな〜」
再び食堂に静寂が訪れた時、ガチャリと玄関の扉が開いた音が聞こえた。
「…アッシュか」
オーカーは席を立つと、ロビーに顔を出した。
玄関に居たのは案の定アッシュで、オーカーは彼に向かってひらひらと手を振った。
「アッシュ、お疲れさん。ちょっといいか?」
オーカーの顔が赤く染っている様子を見て、まさかこれから酒に付き合わされるのかと思ったアッシュは眉を顰めた。
「ウィスタリアが潰れちまった」
「……ああ」
予想に反したオーカーの言葉にアッシュは小さくため息をついて食堂まで歩を進める。そこには机に突っ伏したまま眠っているウィスタリアの姿があった。
机の上に転がる空になった酒瓶の数に呆れながらも、彼の肩に自分のジャケットをかけてやる。
「君たちもほどほどにしておけよ」
「おー、さすがに飲みすぎたな」
「ウィスタリアのこと頼むわ」
「ああ」
ウィスタリアを抱えあげると、アッシュは食堂から出て行った。
残された二人は同時に息をつく。
「あーあ、行っちまった」
「……飲み直すか」
「だな」
アッシュがウィスタリアの部屋の扉を開けると、ルカがにゃんにゃんと声を上げながら駆け寄ってきた。
「ただいま、ルカ」
「にゃぁ」
アッシュはウィスタリアをベッドに下ろし、自分は縁に腰掛ける。ベッドに飛び乗ってきたルカの頭を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らしながらアッシュの手に擦り寄った。
しばらくルカとじゃれ合っていると、とんとアッシュの背中に何かが触れた。振り向けば寝返りを打ったらしいウィスタリアの膝が当たったようだった。
随分飲まされたらしいウィスタリアの体からはアルコールの匂いが漂っている。
「…ウィスタリア」
アッシュは寝こけるウィスタリアの頬に手を当てて優しく撫でる。するとウィスタリアは嬉しそうに微笑んで、頬に当てられた手の親指を口に含んだ。
「……っ!」
ぞくりと背筋に快感が走る。
無意識のうちに舌先でアッシュの指先を舐めるウィスタリア。その姿はまるで子猫のようで、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「……ウィスタリア」
指先で唇に触れれば、ウィスタリアの口から小さな吐息が漏れた。その口内に人差し指を差し込むと、ウィスタリアの頬がさらに赤らむ。そのままゆっくりと中を探るように動かしていくと、ウィスタリアの舌先がアッシュのそれに絡まってきた。眠っていながらも感じているのか、ウィスタリアの体はぴくりと反応する。指先に唾液が絡みつく感覚を感じながら、アッシュはさらに奥へと指を進めていった。そして上顎の裏側にある性感帯に触れた時、ウィスタリアの体がびくんっと跳ねた。
「……んぅ……」
苦しそうな声を上げるウィスタリアだったが、それでもアッシュの手は止まらない。
「ウィスタリア」
さらに奥へ、深く……。
「ん、ん…」
「そろそろ起きないか?」
ウィスタリアの瞳は閉ざされたまま。
彼はまだ夢の中にいるらしく、アッシュの声にも答えない。
それどころか指の動きに合わせてくぐもった甘い声を出す始末。
「……仕方のない奴だな」
このままでは自分も引き返せなくなってしまうと思い、名残惜しみつつもアッシュはウィスタリアから手を離した。だがすぐにそれは後悔に変わる。
「…っ」
ウィスタリアの口から引き抜かれたアッシュの指は、透明な糸で繋がっていた。それをじっと見つめた後、アッシュはウィスタリアに視線を移す。
先程まで閉じられていたはずの彼の目はうっすらと開かれていて、アッシュを見上げていた。
「あ、しゅ……?」
呂律の回っていない口調に、アッシュは頭を抱えたくなる衝動に駆られる。
「ウィスタリア、お前まだ酔ってるな?」
「よってらい…」
「嘘をつけ」
「…ほんろ……よってらい…おれ…おとな…なった…」
「子供だろう」
「こどもじゃ、ない…もう…20さいだ……ぞ」
ウィスタリアはふふんと得意げに笑う。そんな彼に小さく息をついたアッシュはウィスタリアから離れようとしたのだが、いつの間にか服の裾を掴まれていたことに気づいて動きを止める。
「ウィスタリア」
「だめ……」
「なにがだ」
アッシュが聞き返すと、ウィスタリアは眉を寄せて首を横に振った。
一体何がダメなのかと困惑していると、ウィスタリアがぽつりと呟いた。
アッシュが離れようとする気配を察してか、ぎゅっと強く握りしめてくる手の力強さにアッシュは眉根を寄せる。
「やだ…」
「……」
「アッシュ」
「……」
「アッシュ…アッシュ…?…あっしゅ…あっしゅ〜…」
何度も自分の名前を呼ぶウィスタリアに、アッシュはついに折れた。
「ウィスタリア」
「……ん」
「ウィスタリア、いい加減にしないと襲ってしまうぞ」
「おそう……?」
「ああそうだ」
「おそうって、らに…」
「……」
まさか本当にわかっていないのかとアッシュは一瞬固まるが、次の瞬間には理解した。ウィスタリアはまだ酒が残っている。つまり今の彼は子供の状態なのだ。
「ウィスタリア、私は男だ」
「ん〜…しってぅ…」
「おそうというのは、こういうことだ」
アッシュはウィスタリアの顔に自らの顔を近づける。
至近距離に迫ったアッシュにウィスタリアは驚いたのか目を丸くさせたが、逃げる様子はなかった。
アッシュはウィスタリアの唇に自身の唇を押し当てる。
するとウィスタリアは小さく声を漏らしたが、抵抗する素振りを見せなかった。
唇を割り開いて舌を侵入させると、ウィスタリアもそれに応えてくれる。熱い口内を貪るように舌を動かせば、互いの唾液が混ざり合う音が響いた。
しばらく経って唇を離すと、二人の間には銀色の橋がかかっていて、やがてぷつんと切れてウィスタリアの口元に落ちる。
「あっしゅ」
とろんとした目で見上げられて、アッシュは思わず生唾を飲み込んだ。
アッシュは再びウィスタリアに口づける。今度は軽く触れるだけのキスをして、ウィスタリアの頬にかかった髪を耳にかけた。
「あっしゅ」
「なんだ」
「すき……だいす…き」
「……私も好きだよ」
「ん…うれしい……」
ウィスタリアは幸せそうに微笑む。
その表情があまりにも可愛くて、アッシュはもう一度だけ口付けた。
「あ、しゅ…もっとぉ…」
「あまり煽るな」
「…あお、る?」
「なんでもない…少し飲みすぎたんじゃないか?」
「んん〜?…そんら、こと、ない…」
「本当?」
「おれ、おさけ、のめるおとこ、だからぁ……」
「そうか、凄いな」
「んふ〜」
褒めながら頭を撫でるとウィスタリアは嬉しそうに笑った。
「アッシュ、すきぃ」
「私もだよ」
「えへぇ……んん、…」
体を捩らせ自身の服を乱しながらアッシュの首に腕を回すウィスタリア。
その姿はなんとも妖艶で、アッシュは無意識のうちに喉を鳴らす。
ウィスタリアの体は熱を帯びていて、顔は赤く染まっている。どうやらかなり酔いが回っているらしい。
このままではまずいとアッシュはウィスタリアから離れる。
しかしそれが不満だったのか、ウィスタリアは再びアッシュを引き止めようとしてきた。
「…なに…どこ、いくのぉ…」
「水を持ってきてやるから待っていろ」
「みず?」
「ああ」
「やだ」
「嫌じゃない」
「やだ」
「…ウィスタリア」
「やだ」
駄々っ子のように首を横に振るウィスタリアにアッシュは困ったようにため息をつく。
ウィスタリアがここまで我を通すのは珍しいことだった。
普段は聞き分けがよく、アッシュの言うことを素直に聞いてくれるというのに…。
「ウィスタリア、お願いだ」
「だめ」
「頼むから」
「だめ」
「……」
「だめ」
頑なに拒み続けるウィスタリアに、アッシュは再度深い溜息を吐いた。
「あ、しゅ……?」
「悪い子だな、ウィスタリア」
「わるい、こ?」
「ああ」
ふとウィスタリアの目が枕に横たわるルカを捉えた。
「るか、は?」
「ルカはいい子だ」
「いいこ……」
「ルカは私の言うことをちゃんと聞くよ。お前と違って」
「…ん…ぅ」
ルカは眠っていて、起きる気配はない。
ウィスタリアはその様子を見つめて、それから視線を再びアッシュに戻した。
ウィスタリアはアッシュを見上げる。
いつもより鋭い琥珀色の瞳に見下ろされて、ぞくりと肌が粟立った。
「あっしゅ…」
「……」
「…あっしゅ……?」
ウィスタリアはアッシュに向かって両手を伸ばす。
アッシュは黙ったままだ。
それでもウィスタリアはアッシュを求め、名前を呼び続けた。
「あっしゅ…あっしゅ、」
「……」
「…あっしゅ……」
ウィスタリアの手がアッシュの頬に触れる。
アッシュはそれを払い除けることなく受け入れた。
「あっしゅ…おこってる…?」
「……」
アッシュは何も答えない。
ただじっと見下ろしてくるだけで何も言わなかった。
ウィスタリアはそれを見て寂しげに眉を下げるとゆっくりと手を下ろす。
そのままベッドに沈み込み、小さく丸まった。
それを見たアッシュは大きく息を吐き出して、それから体を起こしてベッドの端に腰掛ける。ウィスタリアの肩が小さく跳ねた。
「ウィスタリア」
「……」
「ウィスタリア、おいで」
アッシュの言葉にウィスタリアは顔を上げると、恐る恐るといった様子で体を起こす。そしてアッシュの隣まで移動すると、ぽすりとそこに座った。
するとすかさずアッシュの腕が伸びてきて、気がついた時にはウィスタリアはアッシュに抱きしめられていた。
「あっしゅ…ごめん、なさい…」
「何に対して謝ってる?」
「わがまま、いった……」
「それはもういい」
「よく、ない…」
ウィスタリアは首を振る。アッシュは苦笑を浮かべてウィスタリアの頭を優しく撫でてやった。
ウィスタリアはアッシュの顔を見上げて、口を開いた。
その表情には不安の色が浮かんでいる。
「あっしゅ…おれのこと、きらいになった…?」
「まさか」
「でも、おこっ、てる……」
「怒ってないよ」
ウィスタリアの問いかけにアッシュは即答する。
しかしウィスタリアは納得しなかった。
だって、と言いながらアッシュの胸に額を押し付ける。
ウィスタリアの体は震えていた。
アッシュはそんな彼の背中を撫でる。
ウィスタリアはアッシュに嫌われたくないのだ。
彼は人一倍、愛情を求めている。
誰からも愛を受けずに育った彼。
だからだろうか、アッシュに執着するのは。
アッシュはウィスタリアを愛している。
しかし、ウィスタリアにとっては怖いのだろう。
アッシュの自分に対する気持ちが変わってしまうことが、どうしようもなく恐ろしい。
だからウィスタリアは常にアッシュを求める。自分の側にいて、自分を離さないでほしい。
例えそれがアッシュにとって重荷になろうとも、彼にとっては唯一無二の存在なのだ。
「ウィスタリア」
「ん……」
「ウィスタリア、好きだよ」
「うん…」
「私はお前を嫌ったりしない。ずっと一緒にいる」
「ん…」
「だから安心しろ」
「ん……んん…んぅ…」
ウィスタリアは再びアッシュの首にしがみつくと、甘えるように頭を擦り寄せてきた。
まるで猫のような仕草だが、これはウィスタリアの癖だ。こうすることでウィスタリアは落ち着くらしい。
「じゃあ、しばらく酒は控えないとな」
「やぁだ」
「やだじゃない。酔う度にこんな風になってたら困るのはお前だぞ」
「やだ」
「ウィスタリア」
「やだもん!」
駄々っ子のように叫ぶウィスタリアにアッシュは困ったように笑う。
ウィスタリアの酔いは先程よりもマシになってはいるが、完全に覚めたわけではない。
今もなお体は熱を帯びていて、呼吸も乱れたままだ。
ウィスタリアはアッシュに抱きついたまま離れようとはせず、むしろもっと密着しようとしてくる始末だ。
「言うことを聞け」
「やだ」
「ウィスタリア」
「いーや」
「まったく、やっぱり子供のままだな」
「こども、ちがう」
むっとした様子のウィスタリアにアッシュは思わず声をあげて笑った。
「どの口が言ってる?」
「このくち」
「はいはい。この酔っ払いが」
アッシュはウィスタリアの額を軽く小突くと、ウィスタリアは楽しそうに笑って再びアッシュに寄りかかる。
アッシュはそんな彼を見下ろして小さく息を吐いた。
「今日はこのまま寝るか」
「ねる?」
「ああ」
「…いっしょに?」
「そうだ」
「やったあ」
嬉しそうな声をあげるウィスタリアにアッシュは苦笑を漏らす。
それからウィスタリアをベッドに押し倒して、自分も隣に転がった。
ウィスタリアは首を傾げてアッシュを見つめた。
「なんだ」
「いっしょ」
「ああ」
「うれし」
ふわりとした笑顔を見せるウィスタリア。
その表情を見てアッシュは目を細める。
ウィスタリアの髪を撫でると、彼は気持ち良さそうに頬を緩ませた。
アッシュはそのまま頬に触れ、親指で唇をなぞる。
するとウィスタリアはゆっくりと目蓋を下ろした。
それを見たアッシュは、そのままウィスタリアの唇に己のそれを重ねる。
「ん……」
ウィスタリアは小さく声を洩らすと、そのままアッシュの背中に腕を回す。
アッシュはウィスタリアの後頭部に手を当て、引き寄せた。
「ん、ん…」
何度も角度を変えて、舌で歯列を割って中に侵入する。ウィスタリアは苦しくなったのか背中を叩いてくるが、アッシュは構わず口内を犯し続けた。
「は、…ぁ……」
ようやく解放された頃には、ウィスタリアの瞳は潤んでいて、頬は再び紅潮していた。
「あっしゅ……?」
「まだ足りないか?」
「…あっしゅ…あっしゅ…あっしゅ……」
ウィスタリアは何度もアッシュの名前を繰り返す。そしてまたぎゅっと強く抱きついてきた。
その様子があまりにも可愛くて、愛おしくて、アッシュは自分の中に芽生えた感情を理解して苦笑を浮かべる。
「(参ったな……)」
もう手放せないかもしれない。
アッシュはウィスタリアの頭を撫でながら、心の中で呟いた。