君のてのひらに
優しさをあげたい
「クラウディオさん」
さっさと仕事を終えて、足早に帰宅しようとするクラウディオを引き止めた声。
振り返ると、レイスが立っていた。
「…なんだ?」
答えながらちらりと腕時計を見た。
18時前。今日は早く帰れそうだ。
「あの…ルカさん、元気ですか?」
「……」
レイスの言葉に、思わず口を噤んだ。
あの戦いからもうすぐでひと月が経とうとしている。クラウディオは、レイスは疎かセオドアにさえ、アルカディアの現状を伝えていなかった。あれ以来一度も会っていないのだから、彼がアルカディアを気にするのは当然といえば当然だ。
黙ったままのクラウディオを見て察したのか、レイスは慌てたように付け加えた。
「あ、すんません…全然姿、見ないから…その……心配で…」
アルカディアは一時期レイスと行動を共にしていたし、アルカディア自身もそれなりに彼を認めていたようだった。
しかし、どう伝えればいいというのだ? 自分の腕の中で息絶えようとしている彼のことを。
「……そうだな」
やがてクラウディオは息をついて、ゆっくりと口を開いた。
「会いに来るか」
「え、でも…」
「構わん。もう帰る準備は出来てるか?」
「…あ、はいっ!ありがとうございます!」
そうして二人は会社を出て、車に乗り込んだ。助手席に座るレイスの顔には少し緊張の色が見えた。
「…この前の戦いで、アルカディアは魔力のほとんどを失った」
「…え?」
彼に会わせる前に、まずは真実を伝えなければならないと思った。
運転しながら淡々と話し始めると、隣からは戸惑いの声が上がる。
「今はもう、一人で起き上がることもできない。ほとんど寝て過ごしてる」
「……」
「だが、見た目も中身も、君が知るアルカディアとさほど変わっては無い」
「……」
「安心してくれ」
レイスはクラウディオから語られるその真実に、呆然としていた。
それでもなんとか飲み込もうとしているのか、視線を泳がせながらも必死に考えている様子だ。
「…そっか…」
レイスはそれだけ言うと、また沈黙してしまった。
無理もない。
突然そんなことを聞かされたら、誰だって混乱するだろう。
そのまましばらく車は走り続け、クラウディオの家の前で停車した。
ドアを開け、まっすぐ寝室へ向かう。レイスは黙って後ろをついて来ていた。
寝室の扉を開けると、ベッドの上でアルカディアが布団にくるまって眠っていた。
その光景に背後でレイスが息を飲む音が聞こえる。
ベッドの縁に座って、彼の頬に触れる。
すると、それまで微動だにしなかったアルカディアの瞼が開き、赤い瞳が現れた。
「ただいま、アルカディア」
「…ん、おかえり」
アルカディアはクラウディオの手に擦り寄って、柔らかく微笑んだ。
「(…ルカさんって、あんな顔で笑うんだ)」
二人の様子を黙って見ていたレイスは、ぼんやりとそんなことを思っていた。
彼が知るアルカディアという男は、いつも無表情で、笑ったところなど見たことがなかった。
初めて見るアルカディアの表情に驚きつつも、どこか安堵を覚えた自分に戸惑う。
「お前に客だ」
「…ん?」
クラウディオの言葉にハッとしたレイスは、ベッドへ駆け寄ってしゃがみ込んだ。
「る、ルカさん、久しぶり…!俺の事、覚えてます?」
レイスが恐る恐る尋ねると、アルカディアはじっと彼を見つめ、こくりと小さく頷いた。
「…レイス」
「!初めて俺の名前呼んでくれた!」
レイスがぱっと顔を輝かせる。その様子を見て、アルカディアはふわりと笑って見せた。
その笑顔に、レイスの心臓が大きく跳ねた気がした。
「…俺、ずっと心配してたんすよ。だから、なんか元気そうで良かった」
レイスがそう言って照れ臭そうに笑うと、アルカディアは少し驚いたような顔をして、それからもう一度微笑みを浮かべる。
「うん、ありがとう」
二人の様子を眺めていたクラウディオは、心の中でほっとしていた。
レイスと話している時のアルカディアは、楽しそうに見えたからだ。
アルカディアは布団を口元まで持って行きながら、口を開く。
「ごはん、は?」
「…え?」
「くらでぃおのごはん、美味しいから食べてっていいよ」
アルカディアの言葉に、レイスは目を丸くさせた。
しかし、すぐに嬉しそうな表情に変わる。
「いいんすか?」
「うん。なんでも、作ってくれる」
「ルカさん昨日は何食べたの?」
「シチューたべた」
「シチューかぁ、いいなあ〜」
「アルカディア、今日は何が食べたい?」
クラウディオが問いかけると、アルカディアは小さく唸りながら考え込む。
「ルカさんは今食べれないものとかあるの?」
「ん〜、こけいぶつはむり。液体のほうがたべれる」
「そっか、ならスープ系とかどうです?」
クラウディオとアルカディア、二人に尋ねてみると同時に頷いてみせた。その様子にレイスは思わず笑ってしまった。
「食材確認してくる」
クラウディオはアルカディアの頭を撫でて、キッチンへと姿を消した。
その背中を見送りながら、レイスはアルカディアを見下ろす。
彼はまだ眠たげに、ゆっくりと瞬きを繰り返している。
記憶の中の彼よりも舌足らずなその喋り方もと相まって、まるで子供のようで、レイスが知る彼とは想像もつかないほど弱々しく見えた。
「……ルカさん、今どこまで動けるの?」
「ん〜、ねがえりは、できる。ひとりで起きるのは、むり。あるくのも、むり」
「…そっか……」
レイスは俯いたまま黙ってしまう。
ついひと月前まで、アルカディアは元気に暴れ回っていた。
それが今では、歩くこともできず、一人では起き上がることすらできない。
そんな姿になってしまっていることに、レイスは何も言えなかった。
「でも、しあわせ」
しかし、そんなレイスの様子とは反対に、アルカディアは穏やかな声で呟いた。
レイスが驚いて顔を上げると、アルカディアは柔らかく笑っていた。
「くらでぃおと一緒にいれるの、幸せ」
「っ……」
その言葉を聞いて、レイスは胸の奥がきゅっと締め付けられる感覚を覚えた。
きっと、羨ましいと思ってしまったのだ。
アルカディアにとって、クラウディオがどれほど大切な存在なのか思い知らされてしまった。
だけどそれと同時に、新鮮味も感じられた。
自身が知るアルカディアは、冷酷非道で恐ろしい男だったはず。
しかし、目の前にいるこの男は、その真逆と言ってもいいだろう。
殺すべき相手が、敵が居なければ、この男はこんなにも穏やかに笑うのかと。
レイスは無意識のうちに手を伸ばした。
そして、アルカディアの柔らかい赤髪を優しく撫でる。
「……ん?」
突然のレイスの行動に、アルカディアは不思議そうに首を傾げる。
「ごめん、なんか、可愛くて」
「……かわいくない」
レイスの言葉に、アルカディアは眉を寄せて不機嫌そうに言った。その様子がまた可愛らしく見えてしまい、レイスはくすりと笑う。
「アルカディア、レイス」
その時、ちょうど寝室を開けてクラウディオが戻ってきた。
「ミネストローネでもいいか?」
「うん」
「お、いいっすね〜。俺手伝いますよ」
「ああ、頼む。アルカディアはどうする?」
「おれも、いく」
布団から手を出したアルカディアは、レイスの前でひらひらと左右に振った。
「起こして。強くひっぱっていい」
「は、はい!行きますよ〜」
レイスは言われた通り、アルカディアの腕を引っ張って身体を起こしてやった。
それを見たクラウディオがベッドに近寄ると、アルカディアは嬉しそうな笑みを浮かべて両手を伸ばす。
クラウディオの首に両腕を巻き付けると、そのまま彼の首筋に顔を埋めた。
その様子はまるで、親に甘える子供のように思えて、無意識にレイスは表情を綻ばせた。
クラウディオはアルカディアの背中と膝裏に腕を差し込み、横抱きにして持ち上げる。
三人でリビングに向かい、ソファーにアルカディアを座らせると二人は夕飯作りに手をつける。
レイスは食材を切りながら先ほどの光景を思い出していた。
二人が一緒にいるのを見ると、とても落ち着く気がした。
それはきっと、彼らがお互いを大切に想い合っているのだと分かるからだ。クラウディオが傍に居るだけで、アルカディアはなんの心配事も無くなるのだろう。
やがて出来上がった料理をリビングのテーブルに運び、それぞれソファーに腰掛ける。
「アルカディア」
「ん」
クラウディオがスプーンに乗せたミネストローネを口元まで運んでやると、アルカディアはそれをぱくりと口に含んだ。
「美味しい?」
「ん」
アルカディアはこくりと小さく何度もうなずいた。
「んふ、可愛い」
その様子を見ていたレイスがそう言うと、アルカディアは不満そうに彼を睨みつける。
「だから、かわいいっていうの、だめ」
「えぇ?なんでっすか?」
「……はずかしいから」
「え?恥ずかしい?」
「うん」
まさかの言葉にレイスは目を丸くさせた。
以前までなら「殺す」なんて言っていたかもしれない。
今のアルカディアからは、そんな物騒な言葉が出てくる姿は想像できなかった。
「……じゃあ、ルカさんは綺麗ですね!」
「きれい」
「はい!ルカさんは美人さんですよ」
「びじんさん」
レイスの言葉を繰り返すアルカディアを見て、クラウディオはくすりと笑みをこぼす。
「そうだな。アルカディアは美しい」
「……むぅ……」
褒められて嬉しい気持ちと、恥ずかしいという感情が入り混じった表情を見せたアルカディアだったが、ミネストローネをすくったクラウディオに視線を戻され、再び大人しく口を開けた。
可愛い。レイスは内心でそんなことを思いながら、微笑ましく二人の様子を眺めながら食事を楽しんだ。
それからしばらくして食事を終えると、レイスはソファーを立った。
「んじゃあ俺そろそろ帰ります。ありがとうございました」
「ああ」
「……またね」
アルカディアが控えめにレイスに向かって手を振る。笑いながら振り返して、玄関へ向かった。
「(……またね、って。可愛い)」
レイスは先程のアルカディアの言葉を思い返してくすりと笑った。
「悪い、助かった」
「いいえ、楽しかったです。ご馳走様でした」
玄関まで見送りに来てくれたクラウディオを、笑顔で見上げる。
そして少し、声のトーンを下げた。
「あの、また来ていいですか」
アルカディアのあんな弱々しい姿を目にしてしまったら、心配で仕方がなかった。
レイスのその言葉を聞いたクラウディオは、少し驚いたような顔をした後、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「ああ、頼む」
その返事を聞くなり、レイスは嬉しそうにはにかんで見せた。
「ルカさん、幸せだって言ってましたよ」
「…ん?」
「クラウディオさんと一緒に居れて、幸せって。羨ましいくらいでした」
レイスがそう告げると、クラウディオは一瞬目を見開いた。
「もっと、俺に出来ることあったら言ってくださいね。役に立ちたいです」
「…ああ、ありがとう」
「それじゃ、お邪魔しました」
レイスはぺこりと頭を下げて、軽い足取りで帰路についた。
リビングに戻るとアルカディアはソファーに座ったまま、目を閉じていた。眠ってしまったのだろうか。
そっと歩み寄り、静かに隣に腰を下ろすと、ゆっくりと瞼が開かれる。
「おかえりくらでぃお」
「ただいま。眠い?」
「ううん…目とじてただけ」
「そうか。…今日は風呂、入るか?」
明日はクラウディオの仕事が休みだ。
多少寝るのが遅くなっても構わないだろう。
こくんと首を縦に振ったアルカディアを見て、クラウディオは湯を沸かすために風呂場へ向かった。
ソファーへ戻り、アルカディアの隣に腰掛けると彼の首元へ指を這わす。昨夜巻いた包帯と絆創膏を外し、傷口の状態を確認する。
開いていた傷口はすっかり塞がり、もう瘡蓋になっていた。
「痛くないか?」
「ん、だいじょぶ」
「そうか」
そう言いつつも、まだ完治しているわけではない。
傷が治るのも随分と遅くなったな、とクラウディオは思った。
以前までは一日もあれば完全に癒えて、痕すら残らなかったというのに。
ぽすんとアルカディアがクラウディオの胸元に頭を預けて、ぐりぐりと額を押し付けた。
「どうした?」
「…なんにもしないの?」
「して欲しいのか?」
「んーん、べつに」
そう言ったものの、顔を上げたアルカディアの表情はとても不満げだった。
何かしてほしいことがあるのだろうと察したが、あえて何も言わずに黙っていると、アルカディアが先に口を開いた。
「…キスしたい」
「……」
「だめ?」
甘えるように言われてしまえば、断れるはずもなく。
「……駄目じゃないよ」
クラウディオはアルカディアの後頭部に手を添えて優しく引き寄せると、触れるだけの口付けを落とした。
何度か角度を変えて唇を合わせると、アルカディアは満足そうに笑みを浮かべた。
「んふふ」
アルカディアは今度は自分から口付けると、そのまま舌を差し込んだ。
「んっ、ふ…」
「…っ、アルカディア」
口内を犯してくる舌に驚いていると、アルカディアはクラウディオの頬に手を当てて、逃げられないよう固定する。
「ぁむ、っふ……」
「……っ」
息継ぎの合間に漏れ出る声に、ゾクッとした感覚を覚える。
「んっ…んん……っ」
「っ…は、アルカディア…っ」
しばらくするとアルカディアはようやく口を離した。二人の唾液が混ざったものが糸を引き、やがて切れる。
「…はっ…くらでぃお」
「……なんだ」
「もっと、して」
潤んだ瞳でじっと見つめられば、クラウディオの理性は少しずつ崩壊していく。
「……ああ」
再び唇を重ねると、アルカディアは腕をクラウディオの首に回した。
「んむ…」
「……」
何度も何度も、互いの熱を分け合うかのように口づけを交わす。
次第にそれは深くなっていき、気が付くと二人はソファーの上で重なり合っていた。
「ん……くらでぃお」
「ん?」
「すき」
「……ああ、私も好きだ」
互いに愛を囁き合いながら、再び口付けを交わした。
「ん……はぁ…っ」
「…は」
「くらでぃお、…ほしい」
「……いいのか」
アルカディアがこくりと小さく首を縦に振った時、風呂が沸いたことを知らせる軽快な音が部屋に鳴り響いた。
「……」
「……」
その音を聞いた途端、二人の間に流れていた甘い空気は消え去ってしまった。
「……風呂、入るか」
「うん」
二人とも名残惜しそうな表情をしていたが、どちらもそれ以上は何も言うことはなかった。
アルカディアの体を抱き上げ、浴室へと向かう。脱衣所に置いた椅子に座らせ、服を脱がせていく。
アルカディアは大人しくされるがままになっていた。
一糸纏わぬ姿になったアルカディアを眺めていると、不意に視線が重なった。
「……見すぎ」
「はは、悪い」
恥ずかしいらしく、少し不機嫌そうにしている。そんなところも可愛くて仕方がないのだが、本人に伝えるとまた怒られそうだと思ったのでやめておいた。
浴室に入り、シャワーで軽く体を流してやり、それから二人で湯船に浸かった。
後ろから抱きしめるように座り、首筋に顔を埋める。
アルカディアはくすりと笑って、ゆっくりと腕を上げてクラウディオの髪を撫でた。
「熱くないか?」
「ん、だいじょうぶ」
「そうか」
お返しのようにアルカディアの髪を撫でるついでに、前髪をかきあげてやる。
真っ白な美しい肌に、長く伸びた赤髪がよく映えている。
そっと傷跡をなぞると、アルカディアはくすぐったそうに身を捩った。
「傷、痛くないか?」
「んー?へいきだよ」
そう言いながらアルカディアはすり寄ってきて、体を横に向け肩に頭を乗せる。
そして、耳元でぼそりと呟いた。
「……ね、くらでぃお」
「どうした?」
「今日、したい」
「……」
「……だめ?」
甘く蕩けた声で言われてしまえば、クラウディオは断れない。そもそも、アルカディアのおねだりを自分は断れるだろうか、なんて的外れな考えが頭をよぎる。
しかし今のアルカディアの体の負担を考えると、あまり無理をさせるわけにもいかない。
だが彼が望むのならば、優しく、丁寧に抱いてやりたい。自身の欲望も、少しはあるけれど。
「わかった」
「ほんとう?」
「ああ。ゆっくりしような」
「うん」
嬉しそうに笑うアルカディアを見て、クラウディオも自然と笑顔になる。
頭と体を洗ってやってから浴室を出ると、アルカディアをタオルに包み、脱衣所で綺麗に拭いていく。
自身は手早く下着とシャツを着て、アルカディアにはバスローブを羽織らせてやる。ドライヤーで髪を丁寧に乾かしていると、温風が気持ち良いのか、アルカディアはうっとりと目を細めていた。
「よし、できたぞ」
「ありがと」
その流れでクラウディオは自身の髪もさっさと乾かすと、アルカディアを抱き上げて寝室へと向かった。
ベッドに横たえて、覆い被さるような体勢をとる。
「本当に大丈夫なのか?」
「だいじょぶ」
「辛くなったらすぐに言ってくれ」
「ん」
アルカディアがこくりと小さく首を縦に振ると、クラウディオは優しく微笑んで、額に触れるだけのキスを落とす。
アルカディアがこの体になってから行為をするのは初めてだった。
クラウディオからしたら正直心配で仕方ないが、それでも本人が望んでいる以上、無碍にすることはできなかった。
アルカディアの腕がゆっくりと伸びて、クラウディオの首元へ絡まる。
「あのね」
「どうした?」
「……優しくして」
「……ああ」
「あと、ぎゅってして」
「分かった」
「いっぱい、キスして」
「勿論」
今はただ、目の前の可愛い男を愛することだけを考えよう。
そう思い、優しく唇を重ねた。