​​turn around




──クラウディオは今窮地に立たされていると言っても過言ではなかった。

今日中になんとかして片付けたい面倒な仕事があり、彼はそれを終わらせようと必死にキーボードを叩き続けているのだが……。
クラウディオの正面に、構ってオーラ全開のアルカディアがちょこんと机に両手を乗せてこちらを覗いていた。
無表情でじっと見つめてくるアルカディアに、クラウディオは溜息を漏らすしかない。
この子は一体いつになったら飽きてくれるんだろう…?そんなことを考えながら。

机の縁から目元だけを出してこちらを見上げてくるアルカディアに、クラウディオはぐっと目を強く瞑った。
​​──正直、可愛すぎる。撫で回したい、抱き締めたい。
そんな欲望をなんとか押さえ込み、手を動かす。ここで今アルカディアに構ってしまうのは絶対に駄目だ。そう思い、心を鬼にして画面に集中する。
やがて正面に居たアルカディアがのそりと動き出した気配を感じて、やっと諦めてくれたかと思った時だった。

クラウディオ側に回り込んできたアルカディアが、椅子のすぐ横で膝をつきしゃがみ込むと、彼の手元にあるノートパソコンの画面を覗き込んだ。
ちょんと顎を机に乗せて上目遣いに見上げて来るアルカディアに、クラウディオは思わず手を止めた。
そしてまた目をきつく閉じる。
さすがに、可愛すぎる。こんなことをされてしまえばもう無理だろうと思いながらも、彼は心を鬼にして画面に意識を向ける。すると…
遠慮がちにちょんちょんと人差し指で腕をつつかれた。驚いて視線を彼に向ける。アルカディアはパソコンの電源ボタンに手を伸ばしていた。

「あ」

咄嵯に出た声と共に慌てて止めようとするが間に合わず、パチンという音とともに真っ暗になる液晶画面。
それを見た瞬間、頭を抱えて項垂れたくなった。
​​──やられた。
クラウディオは片手で顔を覆って大きなため息をつき、アルカディアの首根っこを掴んでその場に立たせる。

「…………」

「ごめんなさいは?」

「……」

アルカディアは無言のまま、少し困ったような顔で見つめ返してくる。しかし反省の色は見えない。

「…アルカディア」

名前を呼べばアルカディアはむすっとした様子で口を尖らせる。その態度に、クラウディオは再び大きく溜息をついた。

「今日中にどうしても終わらせないといけない仕事がある」

「……知ってる」

「だから邪魔しないでくれ」

「…………」

無言になってしまったアルカディアに、どうしたものかと考える。
このままではいけないとは思うものの、仕事をしなければならないことは確かであるし…。
そこでふとある考えが浮かぶ。
そうだ。ここは敢えて無視しよう。
そうすれば流石に嫌でもわかるはずだ。
そう決めたクラウディオはアルカディアから顔を背けパソコンを立ち上げた。

──それから数時間。時刻は既に22時を回っている。
相変わらず目の前にはアルカディアがいて、ちょこちょこと動いては何かしらの妨害行為をしてくる。
クラウディオはその度に眉を寄せたり手で払おうとしたりして、なんとか誤魔化してきた。だがそれもそろそろ限界かもしれないと感じていた。
というのも、アルカディアは一向に諦めようとはせず、ずっと付き纏ってくるのだ。これは予想以上に辛いものがあるな…と心の中で苦笑する。
しかしおかげでそろそろ終わりが見えてきたところだ。あと一時間もかからないうちに片付くだろうと目処が立ったところで、うろちょろしていたアルカディアの動きが止まる。
そしてゆっくりソファーまで移動していき、クッションを抱いて丸くなった。

​​──ああ、ついに拗ねてしまった。
このままさっさと仕事を終わらせて、機嫌を直してもらおう。
そんなことを考えながら、黙々と仕事を続ける。
やがて最後の作業が終わりパソコンを閉じると、そのまま立ち上がってアルカディアの元へと向かう。
隣に腰掛けるも、アルカディアは丸まったまま動く気配はない。

「アルカディア」

優しく名前を呼ぶも反応はなく、その柔らかい髪を撫でてもぴくりとも動かない。
どうやら完全にへそを曲げてしまっているようだ。

「…悪かったよ」

謝罪の言葉を口にするも、やはり返事はなかった。
こうなってしまったらもう何を言っても無駄だ。
クラウディオは小さく息を吐くと、アルカディアの体を引き寄せ自身の膝に頭を預けさせるようにして寝かせた。
そして彼の髪に触れてゆっくりと撫でていく。
──さて、この子をどうやって甘やかすか。

「…アルカディア」

もう一度名前を呼びながら頬に触れると、アルカディアはやっとこちらを見上げてくる。

「仕事が終わった。構ってあげられなくて悪かったな」

「……別に、いい」

「そうか」

「……ん」

素っ気ない言葉とは裏腹に、どこか寂しげに瞳が揺れているように見えた。
そんなアルカディアに微笑みかける。

「じゃあ、お詫びに今日はお前が満足するまで一緒にいようかな。何してほしい?」

そう訊ねるも、アルカディアの表情は変わらない。

「何でも言うこと聞こう」

続けてそう言えば、アルカディアはじっと見つめてくる。猫のような目で。
──この子は本当に綺麗な顔をしている。
そんなことをぼんやりと考えながら見つめ返す。
アルカディアはしばらく無言でいたが、不意にクラウディオの手を掴むと自分の頭に持っていき、ぐりぐりと押し付け始めた。
まるでもっと撫でてと言っているかのように。

「わかったわかった、好きなだけ撫でてやるから」

笑いながら髪を梳くように撫でてやれば、アルカディアは気持ち良さげに目を細める。
──可愛い。
その愛らしい姿に思わず口元が緩む。
優しく撫でていると、アルカディアの手がクラウディオの袖を掴んだ。そしてきゅっと軽く引っ張られる。それがなんだか催促されているようで、クラウディオは首を傾げる。

「他にも何かあるか?」

「……」

アルカディアは何も言わずにじっとこちらを見上げていたが、ややあってから手を伸ばし、クラウディオの胸元に触れた。

「……どうした?」

「……心臓の音、聞きたい」

そう言われて、クラウディオは少し驚く。今まで一度も言われたことがなかったからだ。
アルカディアは上体を起こして、じっと見つめてくる。クラウディオの返答を待っているようで、その目は僅かに不安の色を帯びていた。
クラウディオは優しく笑ってアルカディアの腕を引く。

「おいで」

そう囁けば、アルカディアは大人しくクラウディオに抱き着き胸元に耳を当てた。そして静かに目を閉じる。
トクントクンという鼓動を聞きながら、アルカディアは無言で抱きつく腕の力を強めた。
──温かい。
生きている者の温もりを感じて、安堵感を覚える。
ひどく心地好くて安心した。

「…くらうでぃお」

「…うん?」

「くらでぃおが、いきてる」

──うれしい。
ぽつりと呟かれたその声に、クラウディオは微かに目を見開く。
そしてアルカディアを抱きしめ返しながら、その小さな背中をぽんぽんと叩いた。

「……ああ、生きてるよ」

甘えるようにぐりぐりと頭を押し付けられ、優しく髪を撫でてやった。するとアルカディアはやっと嬉しそうに笑う。
幸せそうに笑っているアルカディアを見て、クラウディオも自然と笑みがこぼれる。

「……なぁ、アルカディア」

「…んー?」

「キスしてもいいか」

「……」

アルカディアはぴたりと動きを止めて、少し困ったような顔で見上げてきた。

「…それは、ダメ」

「どうして」

「……」

答えに窮して、アルカディアは視線を逸らす。

「嫌なのか」

「…いやじゃない」

「ならいいだろう」

「だめ」

頑なな態度に眉を寄せると、アルカディアは言いづらそうに口を開く。

「だって、とまらなくなるもん」

きっと、もっと欲張りになってしまう。
そう言って、アルカディアは俯く。
そんなアルカディアを、クラウディオは強く引き寄せた。
驚いたアルカディアが反射的に離れようとするも、すぐに顎を掴み固定する。そしてそのまま唇を重ねた。
──柔らかい。
触れ合った箇所から伝わる熱に、頭の中が痺れていく。
一度離してから、また重ねて。角度を変えて何度も啄ばんだ。

「んっ、ふっ、んぅっ」

呼吸をしようとアルカディアが口を開けば、すかさず舌を差し入れて深く口付ける。逃げ惑うアルカディアのそれを絡め取って、吸い上げ、そのまま上顎を舐め上げてやれば、びくりと肩を震わせた。

「んっ、んんっ、んっ」

息苦しさに喘ぐアルカディアの声すら飲み込むように、貪るように、口腔内を蹂躙していく。やがて力が抜けたのか、抵抗していた手が弱々しくクラウディオの服を掴んでくる。それを無視して更に口付けを深めていけば、とうとう限界が来たらしく、アルカディアはクラウディオの胸を叩いてきた。
仕方なく解放すれば、アルカディアは息を荒らげてこちらを睨みつけてくる。

「っは、はぁっ、はあっ」

「悪い」

謝りながら額に口付けてやれば、アルカディアは小さく息を飲む。

「……ずるい」

「何が」

「そういうとこ」

「どういうところ?」

「わかってやってるところ」

「さあ、なんのことだかな」

惚けてみせるも、アルカディアにはお見通しだったようだ。
──可愛い。
潤んだ瞳で見つめられて、思わず喉が鳴る。
だが、まだだ。ここで理性を失うわけにはいかない。
──もっとこの子を甘やかしたい。
そう思いながら、優しく頭を撫でる。すると、アルカディアは再び胸に耳を当ててきた。

「……心臓の音、好き」

「そうか」

「落ち着く。ずっと、聞いてたい」

「じゃあ、もっと聞かせてやろうか」

「え?」

不思議そうな顔をしているアルカディアを抱き上げ、寝室へと運ぶ。ベッドに寝かせて覆い被されば、アルカディアは戸惑いながら見つめ返してきた。

「く、らでぃお?」

「もっと聞きたいんだろう?私の心臓の音」

耳元で囁いてやれば、アルカディアは顔を真っ赤にして黙ってしまう。その初心な反応が可愛くて、つい意地悪をしたくなる。

「どうした?」

わざと低い声で訊ねてみれば、アルカディアは慌てて首を横に振った。

「ちが、いま、あの…」

「遠慮はいらないぞ」

微笑みながら頬を撫でると、あわあわとアルカディアは目を泳がせる。
その姿に嗜虐心をそそられながら、ゆっくりと首筋に手を伸ばして指先で軽くなぞれば、ぴくんと体が跳ねた。
そのまま手を移動させていき、鎖骨に触れる。そして胸元へ手を這わせ、薄い腹を撫でる。
そこで手を止め、じっと見下ろした。

「……くらでぃお」

「なんだ」

「…あの、」

「うん?」

「……さわっても、いいよ」

消え入りそうな声だったが、確かに聞こえた。
恥ずかしそうにしながらも許してくれたことが嬉しくて、思わず口元が緩む。

「ありがとう」

優しく囁き、その細い体を抱きしめた。