ふと体に重みを感じて目を開けた。
どうやらソファーで眠ってしまっていたようで、リビングの天井が視界に入る。
視線を下げると、アルカディアがクラウディオの胸の上で寝ていた。
いつの間に乗り上げたのかわからないが、随分と幸せそうな顔をして眠っている。
彼を上に乗せたまま、テーブルに置いていた端末を手に取る。時刻は0時を回っていた。
「(……もうこんな時間か)」
仕事があるから早く風呂に入らなければ、と思ったところで明日が祝日だったことを思い出す。珍しく連休が取れたのだ。
それならば多少ゆっくりしても構わないだろう、と再びアルカディアを見下ろした。
アルカディアは長いまつ毛を伏せてすやすやと眠っている。親指で頬をぐりぐりと弄っていると、ぱくっと指を食われた。
思わず声を出して笑う。まるで赤ん坊だなと思いながら、もう片方の手で頭を撫でる。
食われたままの親指で頬の内側をぐにぐにと押してみると、眉間に皺を寄せてうっすらと目を開けた。
「…おはよう」
まだ意識がはっきりしていない様子でぼんやりとしている彼にそう言うと、アルカディアはしばらく瞬きを繰り返した後、漸くクラウディオの存在に気付いたようだった。
「……おあよぅ…」
クラウディオの指を咥えたままもごもごと返事をするアルカディアを見て、また笑ってしまう。彼はそれに気付いて少し恥ずかしかったのか、今度は歯を立てて甘噛みし始めた。痛いという程ではないが、少しだけくすぐったい。
アルカディアは、指を離してゆっくりと体を起こし大きく伸びをした。
「くらでぃお、お風呂沸かしてる間に寝ちゃってたよ」
「みたいだな。起こしてくれてもよかったのに」
「疲れてるのかなっておもって。眺めてたらおれも一緒にねてた」
そう言って微笑む彼の髪を手櫛で整えてやっているとその手を掴まれて、掌にちゅっとキスをされた。
そのまま手首にも唇を押し付けられ、軽く吸われる。
「風呂、はいろうか」
そう口にしたものの、アルカディアはじっと見つめてくるだけで動こうとはしなかった。彼の体を抱えたまま上体を起こし、向かい合うようにして膝の上に座らせる。するとすぐに背中に腕を回してぎゅっと抱きついてきたので、同じように抱きしめ返した。
「風呂は?」
「ん〜…」
先ほどと同じ質問を繰り返すと、やはり曖昧な返事しか返ってこない。
これは暫くこのままだな、と思っていると案の定アルカディアは胸に顔を埋めて動かなくなってしまった。仕方なくその背中をぽんぽんと叩いていると、しばらくしてアルカディアがぽつりと呟いた。
「くらでぃお、いい匂いする」
「…この香水気に入ったか?」
「んん〜?香水っていうより、くらでぃおの匂い?」
ぎゅうと強く抱き着いて、クラウディオの胸に頬擦りしながらそう言った。
その仕草が可愛くて、思わず口元が緩んでしまう。
彼のポニーテールを優しく解き、ふわふわとした赤髪の感触を楽しみながら頭を撫でると気持ち良さそうに目を細めた。
そんな姿を見ながらふと思う。
本当に猫みたいだ。
いつもこうして撫でているせいなのか、アルカディアはすっかり頭や首筋を撫でられるのが好きになってしまったようだ。
今も無意識のうちにクラウディオが撫でやすいように体勢を変えているあたり、彼も自覚はあるのかもしれない。
耳の付け根辺りをそろりと撫でると、ぴくりと肩が小さく跳ねた。
そのまま人差し指を滑らせて顎の下をくるくると掻くと、小さく喉が鳴る音が聞こえる。
「お前、本当は猫だったりしないか?」
「うん〜?」
顎の下を撫でながら尋ねると、アルカディアは目を閉じたまま首を傾げた。
くるる、と喉を鳴らして、ごろごろと甘えるような声を出す。
「ねこかもねぇ……」
「そうか、やっぱりな」
耳の裏を掻いてやるとうっとりと表情を蕩けさせた。
やはり猫にしか見えない。
そんなことを考えていると、アルカディアが不意に目を開けて見上げてきた。
「でもおれ、人間だよ」
「知ってるよ」
「じゃあなんで聞いたの?」
「可愛いから」
正直に答えると、アルカディアはきょとんと不思議そうな顔をした。
それからくすくすと笑い出すと、また胸の中に頬をすり寄せて甘え始めた。
「くらでぃおの方がかわいい」
「私は可愛くない」
「かわいーよ。可愛くてかっこよくて大好き」
「……そうか」
素直な言葉に照れ臭くなって視線を外すと、アルカディアは更に笑みを深めてぐりぐりと額を押し付けてくる。
どうしようもなく愛おしさが込み上げて、彼の体を強く抱き締め返した。
結局2人が風呂に入ったのは、それから20分後のことだった。
先程深く眠ってしまったせいで目が冴えた。
何か飲もうかと冷蔵庫を開けて中を覗き込む。
ととと、という足音と共に背後からアルカディアがクラウディオの脇の下に手を回して抱きついてきた。
「何飲むの?」
「冷たいものが飲みたい」
ひょこりとクラウディオの肩から冷蔵庫を覗くアルカディア。中には缶の酒が数本と、缶ジュースが1本。
自身の胸元をまさぐってくる不埒な手を引き剥がしながら、クラウディオは缶ビールと缶ジュースを取り出した。
クラウディオの両手が塞がったのを見て、アルカディアが再び胸元に手を這わせてくる。
「おい」
「えへ」
咎めるように声をかけるが、アルカディアは悪戯っぽく笑いながら止めようとしない。それどころか、胸筋を鷲掴みにして揉んできた。
「アルカディア」
「なぁに?」
「やめろ」
「なんで?」
どうして止めるのかわからないといった様子でアルカディアはシャツ越しに乳首を摘まんだり引っ張ったりし始めた。
その度にじわりと甘い痺れが広がる感覚に眉を寄せる。
「……っ」
「くらでぃおには気持ちよくなって欲しい」
そう言って、くにくにと指先で弄ぶ。
布地に擦れる感触がもどかしい。
時折爪を立てられて、思わず息を呑む。
次第に硬くなっていく突起に気をよくして、アルカディアは執拗にそこを攻め立てた。
片手で片方の乳首を捏ね回し、もう片方の手は反対の乳首を虐める。
そうしているうちに、段々とクラウディオの呼吸が荒くなってくる。
「…アルカディア、いい加減にしろ」
「ん〜?」
「怒るぞ」
「怒るのいや」
そう言いながらも手の動きを止めず、むしろどんどん激しくなる一方だった。
とうとう我慢できなくなって、クラウディオはアルカディアの手首を掴み強引に引き剥がした。
ぐるりと体を反転させてアルカディアに向き直る。彼は驚いたように目を丸くしてこちらを見つめていた。
「怒った?」
「怒ってない。ただ、今は駄目だ」
「ん……」
「あとでなら好きにしても構わない」
そう言うと、アルカディアの表情がぱっと明るくなった。
嬉しそうに飛び付いてきた彼を受け止めて、そのままソファーへと移動する。手にした缶ジュースを渡してやり、自身は缶ビールのプルタブを引いた。
ぷしゅっと炭酸の抜ける音が響く。
「もうこんな時間か」
ふと時計を見ると2時を回っていた。いつもよりだいぶ遅いが、明日は特に予定もない。たまにはこういう日があってもいいだろう。
「め、覚めたね」
「そうだな」
「んふふ……」
隣に座るアルカディアがご機嫌そうに微笑んでいる。
その笑顔が愛らしくて、思わず頭を撫でてやった。
すると気持ち良さそうに目を閉じるので、そのまま髪を掻き混ぜるように撫で回す。
しばらくそうしながら、お互い手にした飲み物を口に含んで喉を潤した。
「…そろそろベッド、行こうか」
時計の針は3時を指していた。
さすがにこのまま起き続けている訳にもいかない。ほろ酔いで気分もいいし、ゆっくり眠くなるまでベッドで寝転んでいよう、というつもりでクラウディオはそう口にした。
「うん」
アルカディアもこくりと素直に頷いて、空になった缶をテーブルに置いた。
立ち上がって2人並んで寝室へ向かう。
枕元の照明だけを残して、部屋の明かりを落としクラウディオはベッドへ乗り上げた。
アルカディアは先に横たわって布団に潜り込んでいる。
彼の横に寝転ぶと、アルカディアはいそいそとクラウディオの体に乗り上げてきた。
「…アルカディア?」
「ん〜?」
「…何してる」
「くらでぃお、さっき、後で好きにしていいって言った」
確かに先程そんなことを口走った気がする。しまった、まさか覚えているとは。しかしもう後の祭りである。
アルカディアは期待に満ちた瞳で見下ろしてきて、もう止められない。
今止めると、確実に臍を曲げてしまう。
「……好きにしていい」
「えへ」
そう告げると、アルカディアは嬉しそうに笑って唇を重ねてきた。
ちゅ、ちゅ、と何度も啄ばむようなキスを繰り返し、それから舌を絡め合う深いものに変わる。
ぴちゃ、くちゅ、と唾液が混ざり合い、水音が鳴る。
「…っ、はぁ……っ」
息継ぎの合間に漏れ出る吐息は、どちらのものだったろうか。
長い口付けの後、ようやく解放された頃にはすっかり身体中が熱を帯びてしまっていた。
アルカディアの細い指がクラウディオのシャツのボタンを外していく。
露わになる上半身。
鍛え上げられた肉体美にうっとりと頬を染め、アルカディアはそこへ吸い寄せられるように顔を近付けた。
ぺろりと舐めてからちゅうと強く吸われ、チクリとした痛みが走る。
痕を付けられたのだと気付いた時には、既にいくつも印が刻まれていた。
それを眺めながら、アルカディアは自分の下半身に熱が集まっていくのを感じていた。
クラウディオの体を見ていると興奮する。
特に、普段あまり露出していない場所だと尚更だ。
普段はきっちり着込んでいるスーツの下の裸体を知っているのは自分だけだと思うと、独占欲も満たされる。
もっとたくさん自分の痕跡を残したくて、夢中でそこに吸い付く。
「んぅ……」
胸元に顔を埋めたまま、アルカディアは腰を揺らめかせた。
無意識のうちに太腿をクラウディオの脚に擦り合わせ、下腹部を押し付けるようにして刺激を得る。
やがて、ズボン越しにでもわかるほどそこは硬く張り詰めていった。
「…っ、ふ……」
布地を押し上げる昂りを擦り付けて快楽を得ていると、頭上から押し殺した声が聞こえてくる。
ちらりと見上げてみれば、そこには眉を寄せて何かに耐えるようにしている男の姿があった。
「っ、……」
その姿を見た瞬間、ゾクッと背筋が震えた。
それは恐怖ではなく、紛れもない快感だ。
「…くらでぃお」
「……なんだ」
「……勃った?」
「ああ」
「…っ」
短く答えた彼のその一言で、アルカディアの全身が歓喜に打ち震える。
嬉しい。彼が自分に反応してくれていることが。
「…すき」
アルカディアは堪らず、その言葉を口にしていた。
クラウディオの全てが好きだ。
声も、手の感触も、匂いも、体温も、笑顔も、全部好き。
食べてしまいたいくらい大好き。
クラウディオの体なら、骨まで残さず食べられる自信があった。
「くらでぃお」
「どうした」
「ん、ん……」
再びその体に抱き付いて、甘えるように鼻先を首元に押し付ければ、優しい手つきで頭を撫でられる。
「アルカディア」
「なに」
「お前は可愛いな」
「んふ…」
嬉しくて、思わず笑みが溢れてしまう。
アルカディアは上機嫌で、クラウディオの肩口に噛み付いてみた。
歯を立てて軽く食い込ませると、少しだけ血の味がした。
「こら」
「んー……」
「アルカディア」
叱るような口調とは裏腹に、その手は相変わらず優しく頭を撫でてくれている。
「くらでぃお食べる時は、そのままでたべる」
「……うん?」
突然のアルカディアの言葉に、クラウディオは不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。
「あたまとか、腕、そのまま」
「……」
「焼いたりとかしないで、生のまま」
そう言って、アルカディアはゆっくりと目を細めた。
そしてまたすぐに瞼を閉じると、今度は口を開いて、ガブリと目の前の首に食らいつく。
そのまま、じゅっと音を立てながら肉を引き千切らんばかりに顎に力を入れた。
「っ、」
「……」
無言のまま、アルカディアは咀しゃくするように何度か顎を動かした。
それから口を離し、滲んだ血液をぺろぺろと舐める。
口の中に広がる鉄の味に、アルカディアは陶酔しきっていた。
美味しい。こんなにおいしいもの、他にない。
そうして何度も、彼はクラウディオの肌に牙を立てた。
「くらでぃおのぜんぶ、おれがひとりじめできる」
独り占め。誰にも渡さない。
「くらでぃお、だいすき」
愛してる。
この世で一番好き。
だから、全部欲しい。
「アルカディア」
「ん〜?」
「……少し、痛い」
苦笑いしながらそう告げられて、アルカディアはハッと我に返った。
見れば、クラウディオは困り果てたような顔をしてこちらを見つめている。
慌てて体を起こせば、そこにはくっきりと噛み跡が残されていた。
加減を忘れていたせいか、かなり深く噛んでしまったらしい。
傷口からは赤い鮮血が滴っている。
「ごめんなさい」
「大丈夫だ」
「うそ」
「本当だよ」
「だって、いたかった」
「これくらい慣れてる」
「……」
慣れている?どうしてそんなことを言うのだろう。
まるで痛みに慣れてしまっているかのような言い方ではないか。それがとても悲しかった。
「……くらでぃお、もっとやさしくする」
「ああ」
「もっとあまく、たべてあげる」
「そうだな」
眉を下げて抱き着いてくるアルカディアの頭をよしよしと撫でながら、クラウディオは小さく息を吐いた。
この子の行動に、クラウディオは時折背筋が凍るほど恐ろしくなる時がある。
アルカディアの言動は、比喩とか冗談などでは無く本気だと分かるからだ。本気で、自分を食べようとしている。文字通りの意味で。
「でも私を食べてもきっと美味しくはないぞ」
「くらでぃおのからだはぜんぶきれいだから、おいしくいただけるの」
アルカディアは迷い無く言い切った。
純粋な好意は時に残酷だ。
しかし、それで良いと思う。
自分だけを見ている方が、余計なものを目に映すよりずっといい。
「…そうか」
「…おれはね」
クラウディオの肩口に顔を埋めたまま、アルカディアは呟くように言った。
「おれ、は、…くらでぃおの、…ぜんぶ、ほしいの」
「……うん?」
「心、とか…体、だけじゃなくて…魔力も、記憶も、…たましい、まで。なにもかも。くらでぃおの、ぜーんぶ、おれだけのものに、なりますようにって」
ふわふわとした口調とは裏腹にその内容はあまりにも狂気的だった。
ぞくりと背筋が震える。それは恐怖ではなく歓喜によるものだ。
ああ、この子はなんて恐ろしいことを口にするんだろう。
記憶や魂までも欲するなんて。
そこまでして自分を繋ぎ止めようとするなんて。
狂っているとしか思えない。だが同時に、どうしようもなく興奮した。
この子さえいれば何もいらない。
そう思えるくらいに、自分はこの子を愛してしまっていた。
「くらでぃお、すき」
「ああ」
「すき、すき、すき」
「分かってるよ」
好きだと言ってくれる度に、胸が高鳴る。
この子が愛おしくて堪らなかった。
「ねぇ、くらでぃお」
「なんだ」
「…おれの、こと、…あいしてくれる……?」
「勿論」
「…ずっと、いっしょ、に、いてくれる…?」
不安げに揺れる瞳を見て、クラウディオは微笑む。
そして優しくその頬に触れて、額に唇を落とした。
「ああ、いいよ」
その言葉を聞いた瞬間、アルカディアは嬉しさのあまり泣き出しそうになった。
涙を堪えて、クラウディオの体を強く抱きしめる。
「ずっといっしょ」
幸せそうに笑って再びクラウディオに口付ける。
まるで誓いの印のように。
けれど、それは呪いのような響きを伴って、クラウディオの心に絡み付いた。
アルカディアに愛されている。
愛されすぎて、息が出来なくなるほどに。
愛が重すぎるとはこういうことを言うのだろう。
その愛を向けている当の本人はきっと気付いていない。
自分がどれだけ愛されていて、愛しているのかを。
その愛が歪んでいることを。
愛に飢えた子供は、愛情というものを知らない。
だから、自分の中にあるそれが異常なものだと気付かないのだ。
「くらでぃお…」
「っ、」
首元に再び噛み付かれて、今度は声が出そうになるのをぐっと我慢した。
鋭い牙が肌に食い込んで、じわりと血が流れ出す。
アルカディアは、クラウディオに無償の愛を求めている。
それが自分の全てであるかのように。
自分の居る地獄へ堕ちてこいと言っている。
だから、愛してると囁き続ける。
愛してるから、一緒に死んでくれと。
「いいよ、アルカディア」
その言葉はアルカディアが心から望んでいるものだった。
アルカディアは幸せそうに微笑む。
その笑みは、幼い子供が母親に褒められて喜ぶ姿に似ていた。
「お前になら殺されてもいい」
そう言って、クラウディオはアルカディアの頭を撫でた。
その手付きはどこまでも優しい。
「私を殺してくれ、アルカディア」
アルカディアは、それを聞いてゆっくりと目を細めた。
「だいすき、くらでぃお」
アルカディアがそう言うと同時に、首筋に激痛が走る。
皮膚を突き破って肉を裂かれる感覚が全身を駆け巡った。
「……ッ!」
痛みに思わず息が詰まる。
呼吸をしようと口を開けばすぐに塞がれてしまった。
「ん、ぅ……」
アルカディアの舌が自分のものと絡まり合う。
痛みすら忘れてしまうくらいの快感を覚えた。
ゆっくりとアルカディアが離れていくと唾液の糸が二人の間を繋いでいた。
「は、ぁ……」
「は…くらでぃお…」
アルカディアはうっとりとしながら、傷口に指を這わせた。
首筋に、お揃いの、傷。
傷跡を撫でて、アルカディアは笑う。
まるで宝物を扱うように。
「これで、ずうっと、いっしょ」
怪物は歌うように言った。