Cage of the Beast


『全て飲み干さないと出られません』

目が覚めたら知らない部屋にいた。
その部屋にはベッドとテーブルしかなく、窓もない正方形の部屋だった。扉は押しても引いてもビクともせず、鍵穴すら存在していない。明らかに、閉じ込められていた。
自分達にバレることなくこんな場所に閉じ込めることが出来る人間などこの世には存在しないはずだ。
困惑していると、突然壁にぼうっと現れたその文章に、クラウディオとアルカディアは目を丸くした。
文字が表示されたと同時に、テーブルの上に数本の瓶が置かれていたのだ。
透明なガラスで出来た小ぶりな瓶には、それぞれ違う色の液体が入っているようだった。
ラベルも貼られていないそれは怪しげな雰囲気を放っている。

「全て飲み干さないと…か」

そう呟いたクラウディオは眉間に皺を寄せて、おもむろに手を伸ばして一本を手に取った。
蓋を開けるとふわりと香る甘い匂い。

「毒ではない、と思うが」

「これ、全部飲んだら開くのかな」

とりあえず飲んでみようと、二人は躊躇いなくそれを口に含んでみた。しかし特に何も起こらない。味もよく分からないし喉越しも良いとは言えない代物だ。

「不味い」

「……」

アルカディアは顔を顰めて、べっと舌を突き出していた。
そんな彼の様子に苦笑しつつ、クラウディオは二本目に手を伸ばす。
それから暫くして全ての瓶を飲み干し終えた二人だったが、扉に変化はないようだ。
するとまたテーブルに瓶が数本現れる。

「まだ飲むの…」

げんなりとした表情を浮かべたアルカディアは、深い溜息と共に肩を落とした。
今度は先程と違い、苦味が強く感じられたり酸味が強かったりと様々な味わいのものばかりだった。
飲み進めるアルカディアの様子を眺めていたクラウディオは少しばかり心配になったようで、「無理する必要はないぞ?」と声をかけた。

「ん、平気だよ」

「もし具合が悪くなったりしたらすぐに言え」

「分かった」

こくりと素直に首を縦に振ったアルカディアを見て安堵しながら、クラウディオは再び瓶を傾けていく。
しかし飲んでも飲んでも瓶は増え続ける。
びりびりと痺れるような感覚があったり、身体中から力が抜けてしまったりするものもあった。だがどれも致死性のものではないらしく、意識を失うこともなければ命の危険を感じることも無い。
ただひたすらに飲み続けなければならないという事だけが分かっていた。
一体どのくらいの時間が経過したかなんて考える余裕もなかった。

「………」

「大丈夫か?アルカディア」

「うん…」

返事をするアルカディアの声色は弱々しいものだった。何かの作用が起きているかもしれない。
瓶を持つ手が震えている。今にも倒れてしまいそうだ。

「もうやめろ」

そう言って、彼はアルカディアの手からそっと瓶を取り上げた。
そして残りの中身を全て飲み干す。
ごくっ、ごくっと音を鳴らしながら喉仏が上下していく様を呆然と見つめるアルカディア。
空っぽになったそれをクラウディオが床に投げ捨てると、カランッと音が鳴って転がっていった。
それを目で追っていると、ベッドの下からずるりと何かが這い出て来る。

「……っ!?」

びくりと身体を震わせたアルカディアは、隣のクラウディオにしがみついた。
しかしクラウディオは不思議そうに目を瞬かせているだけだ。

「…?、どうした?」

「ベッド…の下、に、なんか居た、気がして……」

「ベッドの下?」

クラウディオがベッドの下を覗き込んでみるも、そこには何の姿もない。

「何も居ないぞ」

「あ、れ…?」

見間違えたのだろうか。
しかし、やけに体が震える気がする。
クラウディオにしがみついたままのアルカディアは、ゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

「…大丈夫か?」

「だい、じょうぶ」

こちらを見上げたアルカディアの顔は紅潮していて、瞳には涙の膜が張っていた。
明らかに普通ではないその様子に、クラウディオは顔をしかめる。副作用か何かで幻覚が見えたのかもしれない。そうなると危険だ。
しかし、またもやテーブルに瓶が現れる。
今度は二本だ。
片方はピンク色、もう片方は青色の液体が入っていた。
さすがに今のアルカディアに飲ませる訳には行かない、と判断したクラウディオは、まずピンクの瓶を手に取ると蓋を開けて一気に流し込んだ。
どろっとした甘さが口の中に広がっていく。
そのあまりの不味さに思わず吐き出してしまいそうになったが、なんとか堪える。

「お、れ、も…」

「駄目だ、お前は飲むな」

アルカディアは赤い顔のまま、ふらふらと手を伸ばしてきた。
そんな彼を制止すると、クラウディオは青い瓶の液体も一気に飲み干した。
その瞬間、体中に熱が広がるのを感じた。心臓の鼓動も早くなっている。
じわっと汗も滲んできて、下半身にずしりと重さを感じた。

「(……なんだこれは)」

明らかにおかしい。
嫌な予感。

「く、ら…でぃお…?」

不安げに見上げてくるアルカディア。
彼の頬に手を添えて、額と自分の額を合わせてみると、やはり熱い。
苦しそうに荒い息を繰り返しているが、その表情は少し恍惚としていた。

「……媚薬か何かか」

そう呟いたクラウディオは、眉間に深い皺を寄せて舌打ちをした。
あまりにもなんの効果も出なかったものだから、気付くことが出来なかった。
今まで飲んできたものが一気に効果を発揮し始めたらしい。

「アルカディア、大丈夫か」

「…からだ、あつい…」

潤んだ瞳で見つめられ、助けを求めるように服の裾を引っ張られてしまえば、理性など簡単に崩れてしまう。
しかし、そこで再びぼうっと壁に浮かんだ文字が目に入る。

『全て飲み干さないと出られません。その間の行為は禁止です』

「……」

この文章が無ければ、きっと自分は目の前の男を押し倒していただろう。
それほどまでに、彼の姿は扇情的だった。
しかし、クラウディオは奥歯を噛み締めると、必死に己を律して立ち上がった。

「くらでぃお……」

弱々しく名前を呼ばれても振り返らずに、彼はいつの間にか部屋の隅に出現していたソファに腰掛けると、ポケットに入っていた煙草を口にくわえた。火をつけて深く吸い込む。煙が肺を満たしていく感覚に少しだけ落ち着きを取り戻した気がした。
気付けば、テーブルには新たな瓶が置かれている。

「……」

クラウディオは煙草を手にしたままテーブルの前まで戻って来ると、黙ってそれを掴んでまた中身を飲み干し始める。
その様子を、アルカディアはじっと見つめていた。

「……くらでぃお」

ぽつりと、彼の名前を口にする。
しかしクラウディオは聞こえていないのか、何も言わずに瓶を傾け続けている。
その姿がまるで自分を拒んでいるように見えてしまったアルカディアは、胸が痛むのを感じながらも静かにベッドから降りる。
そして覚束無い足取りで彼の元へ歩み寄る。

「ねぇ、」

そう言って、背後からぎゅうっと抱きつく。

「っ、危ないだろう」

驚いた声を上げたクラウディオだったが、すぐに平静を装った声で注意してきた。
しかし、アルカディアは離れようとしない。それどころか、さらに強く抱きしめる力を強めた。

「……アルカディア、離せ」

「やだ」

見上げたクラウディオの顔はほんのりと赤く染まっていて、瞳は欲に濡れているように見えた。
アルカディアはその表情にどきりとして、無意識のうちに喉を鳴らす。

「…アルカディア」

「っ」

低い声で名前を呼ばれ、アルカディアはびくりと肩を揺らした。
ぎらぎらとした視線に見下ろされる。

「……離せ」

いつもよりも低い、有無を言わせぬ口調に、アルカディアはおずおずと腕を下ろしていく。それを確認してから、クラウディオはテーブルの方へ向き直り、瓶を手に取った。
煙草を揉み消して蓋を開け、一気に中身を流し込んでいく。

「……っ」

先程までとは比べ物にならないほどの熱が身体中に広がる。頭がぐらぐらと揺れているような気がした。
しかし、ここで倒れるわけにはいかない。
クラウディオはテーブルに両手をついて、背後にいるアルカディアに声を掛けた。

「お前は、座っていろ」

「で、も…」

「いいから」

そう言うと、渋々といった様子でアルカディアはベッドの上に座り込んだ。
そんな彼の様子を見届けてから、テーブルに置かれていた新しい瓶を開けて一気に煽る。
ごく、ごく、と音を鳴らしながら液体を体内に流し込んでいく。甘い香りが鼻腔をくすぐる。
体は燃えるように熱いし、心臓もどくんどくんと脈打っている。
正直、立っているのもやっとだ。
しかし、早くここから脱出しなければ。
そう思って次の瓶を手に取ろうとすると、後ろから伸びてきた手に手首を掴まれた。
驚いて振り向くと、そこには顔を真っ赤にしたアルカディアの姿があった。

「……アルカディア?」

「くらでぃお…もう、のんじゃ、だめ」

「…大丈夫だ」

「…大丈夫、じゃ、ない」

「お前が心配するようなことは何も無い。だから、」

クラウディオが言い終わらないうちに、アルカディアは瓶を奪い取ると、そのまま一気に飲み干した。

「アルカディア」

咎めるような声で名前を呼ぶが、彼は止まらない。
あっという間に次の瓶の中身を全て飲み干したアルカディアは、大きく息を吐いて、瓶を床に投げ捨てた。
体が熱い。視界がぼやける。
それでも、飲まなくては出られない。ならば飲むしかないのだ。
アルカディアはふらふらとした足取りでテーブルに近付くと、次の瓶に手を伸ばした。

「待て」

しかし、それは阻止されてしまう。

「くらでぃお……」

「駄目だと、言っただろう」

「でも、」

ぎり、と音が聞こえるほどに強く手首を握られる。痛みに顔を上げると、鋭い眼差しをした彼と目が合った。

「これ以上飲むな」

「だって、出れない」

「私がなんとかする」

そう言って、彼はまた新たな瓶に手を伸ばす。
それを掴んで止めようとしたが、力が入らずに手が滑り落ちてしまう。
そして、また一口飲んでしまった彼の体からは、ぶわりと汗が滲み出てきた。

「…くらでぃお」

思わず、手を伸ばしてしまう。
しかし、触れる前にぱしんと払い除けられてしまった。
それにショックを受けている暇もなく、彼の瞳がこちらに向けられる。
その瞳の奥に見えたのは、明らかな怒りの色だった。
こんな目を向けられたのは初めてで、アルカディアは言葉を失ってしまう。

「……私に触れようとするな」

「……っ」

「触るな」

「……」

アルカディアは眉を下げて震えながら俯く。彼は小さく舌打ちをして、自身の顔を覆った。

「…違う、悪い。言い方が悪かった。今は、触らないでくれ」

「……」

「今お前に触られると、自分でも何するかわからん」

「……ん」

こくん、と小さくアルカディアが頷いたのを確認してクラウディオは再びテーブルに置かれた瓶に目を向けた。
それからすぐに中身を飲み干すと、瓶を投げ捨てる。
その光景を見て、アルカディアは胸が苦しくなるのを感じた。

「……くらでぃお」

名前を呼んでみるものの返事は無い。
その代わりに、彼はまた新たな瓶を手に取って、蓋を開けた。
それを、止めることはできなかった。

「っ……」

ごく、ごく、と喉が鳴る音だけが部屋に響く。
瓶の中の液体を飲み干したクラウディオは、深く息を吐き出して、空になった瓶をテーブルに置いた。
もうほとんど意識が飛びかけている。
満足に目も開けていられずに、ぼんやりとした頭で目の前のテーブルを見つめていた。
しかし、まだ終わりではない。
テーブルの上にある瓶は全部で5本あったはずだ。
あと1つ残っている。

「……」

ぐらぐらと揺れる頭をどうにか動かして、最後の瓶を手に取った。
そして、蓋を開けると、一気に中身を流し込む。
体に入ってきた液体をゆっくりと嚥下していく。
喉が焼けるように熱い。しかし、耐えなければ。

「……はぁ、」

片手で顔を覆って、呼吸を整える。
もう、限界だ。
このまま倒れてしまいたい。
しかし、ここで倒れるわけにはいかない。
ここで倒れたら、アルカディアを守れなくなる。
それだけは絶対に避けなければならない。
その時だった。
かちゃん、と扉の鍵が開くような音が聞こえたのは。

『お疲れ様でした』

壁に浮かび上がったその一言。
ごそりとベッドの上にいたアルカディアが、扉の方へ恐る恐る歩いていくのがぼんやりと見える。
かちゃりと扉が開く音が聞こえた気がした。
無事に開いたらしい。
…あぁ、終わったのか。やっと。
………終わった?



「……開いた」

扉を少しだけ開けて隙間から外を覗いてみれば、部屋と同じ真っ白の廊下が続いていた。
恐らくここを真っ直ぐ進めば出口があるのだろう。
未だに頭はくらくらとするが、漸く出られるのだと思うとほっとして、少しだけ気が楽になる。
早くクラウディオに教えてあげないと、と振り返ろうとした時。
視界に、大きな掌が映った。

「ん、ぐ…っ!?」

がばりと口元を覆われ、そのまま後ろに引き戻される。
抵抗しようともがくが、強い力で押さえつけられていて全く身動きが取れなかった。

「ん…んぅっ!」

ばたばたと暴れるが意味は無く、ずるずると引き摺られてベッドの上に放り投げられる。
ぼふんっと柔らかい衝撃を感じているうちに、上にのしかかられる。
そして、見上げた先に見えたのは、いつもよりも鋭く光る琥珀色の瞳。

「……くら、でぃ、お?」

「アルカディア」

低く、冷たい声が鼓膜を刺激する。
その視線だけで殺されそうだと思った。
ただ、本能的に恐怖を感じる。
逃げられないという絶望感。それは初めて感じるものだった。

「ゃ…くら、でぃお……やめ、」

恐ろしいほどの無表情だったクラウディオは、怯えた様子のアルカディアを視界に入れると、ニィッと唇の端を吊り上げて笑みを浮かべた。

「……ぁ…」

​​かちゃん、と扉が閉まる音が遠くに聞こえた、気がした。