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アルカディアは長い長い片思いをしていた。
自分を見つけて拾ってくれて、たくさんのことを教えてくれて、兄弟であるルカも一緒に愛してくれた。そしてその気持ちはいつしか恋心へと変わっていたのだ。
愛だの恋だのはアルカディアにはわからなかったけれど、ずっと側に居たいと強く思った。けれどアルカディアはそのことをずっと伝えられずにいた。

伝えられないまま“あの日”から10年が経ち、再び共に居られるようになった。
10年歳を重ねたクラウディオは相変わらず美しくて、格好良くて、優しくて、多分自分は彼のことをますます好きになっている。
じ、と横顔を見つめると視線に気付いたのかこちらを見て微笑んでくれる。

「なんだ?」

「ううん…なんでもない」

好きだなあと思っただけ。そう言おうとして恥ずかしくなってやめた。
自分たちは恋人ではない。自分はクラウディオの家に居候している身で、養われている立場なのだ。こんなことを言ったらきっと困らせてしまうだろう。
思わず俯いたアルカディアの頭を、クラウディオはそっと撫でた。

「どうした?」

優しい声音だった。

「……なんでもない」

本当はもっと触れて欲しい。
抱きしめてほしい。
キスしてほしい。
そんな欲望が湧き上がるけれど、言葉にはできないままだ。
だってクラウディオにとって自分はただの子供だから。
それに自分がこの想いを伝えたところで受け入れてくれるかわからない。嫌われたくないし、拒絶されるくらいなら今のままでいいと思う。
こうして側に居るだけで幸せだと思わなければ。
これ以上を望むなんて贅沢すぎる。
それでもやっぱり少し寂しくて悲しかった。



リビングのソファーで眠っていたアルカディアは、ふわりと風を感じて目を覚ました。体を起こして辺りを見回すと窓が開いているらしくカーテンが揺れている。テラスを覗いてみるとクラウディオが柵にもたれて煙草を吸っていた。

「……クラウディオ」

名前を呼ぶと彼はゆっくりと振り返った。月明かりに照らされた彼の姿はとても綺麗で神秘的に見える。

「悪い、起こしたか?」

ふるふると首を横に振る。まだ夜中だし寝ていても良かったのだが目が冴えてしまった。
煙草を灰皿で揉み消しているクラウディオの姿を眺めていたら、何だかもどかしくて胸がきゅうっとなった。
抱き着いてもいいかな?でも迷惑かもしれない。嫌がられるかも。
なんて迷っているうちにアルカディアは無意識に手を伸ばしていて、気づいた時にはぎゅっとクラウディオの背中に腕を回して抱きついてしまっていた。

「…アルカディア?」

突然の行動に驚いたらしいクラウディオの声が頭上から降ってくる。けれど振り払われることもなかった。それどころかぽんぽんと頭を撫でられて、それが心地よくて嬉しさを感じると同時に安心する。

「何かあったのか?」

優しく低い声で尋ねられる。アルカディアは先程と同じように首を振る。
何もないよ。
ただ貴方に触れたかっただけ。
それだけだよ。
そう言いたかったけれど言葉が出なくて、代わりにぽろりと涙が零れた。
一度溢れ出したそれは止まらない。次々と頬を流れ落ちていく。
ああ駄目だ。泣きたくなんかなかったのに。
どうして泣いているんだろう。自分でもよくわからなかった。悲しいわけじゃない。苦しいわけでもない。なのに何故か無性に泣けてきたのだ。
泣いていることを隠そうとすればするほど嗚咽混じりになってしまう。

「どうした、アルカディア」

優しい声と共に大きな手が頭に触れる。その手の温かさにまた涙腺が緩む。

「…っ」

大丈夫だよ、ごめんね、何でもないんだよ。
そう伝えたいのに口から出てくるのは意味のない声だけだ。せめて顔を見せないようにと思いっきり胸に顔を押し付ける。
するとクラウディオは困ったように笑ったようだった。
ぼろぼろこぼれ落ちる涙がクラウディオのシャツを濡らしてしまっていて、早く止めなきゃいけないと思っているのに全然止められない。
どうしよう、嫌われちゃう。面倒臭い奴だと思われたら、もうここに居られなくなる。
そんな不安が過って余計に焦ってしまう。

「……アルカディア」

名前を呼ばれてびくりと肩が震えた。
呆れられただろうか。怒らせただろうか。それとも嫌いになっただろうか。
怖くなって恐る恐る見上げると、そこには想像していた表情はなかった。

「お前はいつも我慢ばかりだな」

クラウディオはまるで愛し子でも見るかのような優しい眼差しでこちらを見下ろしていた。
その瞳からは愛おしいという感情が伝わってくるようで、アルカディアは驚いてしまう。
見開いた真っ赤な瞳からぼろぼろと大粒の雫が零れ落ちていく。

「あ…」

慌てて袖で拭おうとしたけれど、それよりも先にクラウディオの手が伸びてきて優しく目元を拭った。

「私の前ではなんの我慢もいらない」

彼の言葉にアルカディアは目を大きくしたまま固まってしまう。

「私はどんなお前も受け止めてやるから、だから全部吐き出せばいい」

「…っ、ぅ……ぁ」

優しく語りかけながら髪をすくようにして頭を撫でられる。

「……俺、」

「うん」

「……っ、」

喋ろうとすればするほど声が詰まってうまく出てこない。涙も止まってくれない。
アルカディアはクラウディオの胸元に顔を埋めて、そのままぎゅっと強く強く抱きついた。

「くらでぃおの、いちばんになりたい……」

やっと出てきた言葉は情けないほど弱々しいものだった。
一番側に居たい、特別でありたい、他の誰よりも自分を見て欲しい。
そんな欲がどんどん膨れ上がっていく。でもそれを言ったら嫌われてしまいそうな気がして、ずっと言えなかった。
本当はもっと触ってほしい。抱きしめてほしい。キスしてほしい。もっとたくさん愛して欲しい。
でもそんなことを望むのは贅沢だ。我ままだ。
だから言っちゃダメだと思っていたのに、一度言葉にしてみれば次々欲望が湧き上がってくる。

「……そうか」

クラウディオは小さく呟くと、強く抱きしめ返してくれた。
クラウディオの体温が、匂いが、鼓動がすぐ近くにある。
それがたまらなく嬉しい。
ああ、どうしよう。
やっぱり自分はこの人が好きだ。
どうしようもなく好き。
大好き。

「ずっと前から、一番だったがな」

「え……?」

耳を疑った。
今、なんて?

「私がこんなにも執着するのは、この世界でただ一人、お前だけだ」

クラウディオの言葉を理解するのに、少し時間がかかった。
そしてアルカディアの顔は一瞬で茹で蛸のように赤く染まる。

「ぇ、あ…、そ、んなこと……ない」

「ある」

「おれ…何もできない、よ?」

「知ってる」

「迷惑、ばっかりかける」

「構わない」

「わがまま、言うかも」

「いくらでも言えばいい」

そう言って微笑んでくれる彼が、どうしようもないくらい愛おしくて、胸がいっぱいになる。

「おれ、の体…おかしい、よ?」

「それがどうした?」

「気味悪く、ないの?」

「全く思わない」

「それに、」

「それでいい」

遮るように言われてアルカディアは黙り込む。

「私はお前を愛している。だから何も問題はない」

「……!」

「何か問題があるなら全て私が解決してやろう。だからもう泣くな」

そう言いながら優しく頭を撫でてくれる。
アルカディアの目にはまた涙が溜まってきて、けれど今度はさっきとは違う意味で溢れ出した。
嬉しくても涙が出るなんて、知らなかった。

「う、……っうう〜……」

アルカディアはクラウディオにしがみついて泣きじゃくった。それでも涙は止まらない。嗚咽混じりの声で何度も彼の名前を呼ぶ。

「くらでぃおぉ…」

「うん」

「おれ、くらでぃおのことすきぃ…」

子供のように泣きながら必死に言葉を紡ぐアルカディアが可愛くて、クラウディオはくすくすと笑いながらその頭を撫で続けた。

「知ってるよ泣き虫さん」

そう囁けば、腕の中のアルカディアはますます泣き出してしまう。
ああ可愛い。本当に愛らしい。
このまま閉じ込めてしまおうかと考えてしまうほどに。
ぐすぐす鼻を鳴らしながらもアルカディアはゆっくりと顔を上げた。その瞳はまだ涙で濡れていて、頬もまだ赤い。

「だいじょうぶ、かなぁ」

「何がだ?」

「くらでぃおの、めいわくに、ならない……?」

「ならないよ」

「でも…」

アルカディアは眉を下げて不安げな表情を浮かべる。
可愛い。いじめたくなってしまう。

「……私と一緒に居てくれないのか?それは悲しいなぁ」

わざとらしく寂しげな顔をして見せれば、アルカディアは慌てて首を横に振った。

「いる!いっしょにいたい!!」

あまりにも必死な様子で叫ぶものだから、つい笑ってしまった。

「ありがとう、アルカディア」

「……っ」

優しく微笑みかけられて、アルカディアは顔を真っ赤にして俯いた。
恥ずかしくなってまた顔をクラウディオの胸に埋めると、突然ふわりと体が浮いた。

「ふわっ!?」

驚いて慌ててクラウディオの首に手を回すと、彼はアルカディアを抱き上げたまま歩き出す。

「ぇ、ちょっ、あの、自分で歩けるから降ろしてっ…」

「断る」

「な、なんでぇ…」

「お前は私のものだと自覚しろ」

その言葉の意味を理解した瞬間、アルカディアはボンッと音を立てて赤面する。
それを見たクラウディオは満足気に笑うと、そのまま寝室へと足を進めた。



優しく柔らかいベッドの上に降ろされると、アルカディアはすぐに起き上がって逃げようとした。けれどクラウディオの手がそれを阻む。

「何故逃げる?」

「ぁ、あのっ…びっくり、して、その…」

しどろもどろになりながらなんとか説明しようとするが、うまく言葉が出てこない。
そんなアルカディアを見て、クラウディオは楽しそうに笑っている。

「今日から一緒に寝ようか」

「ぇ…」

「お前いつもソファーで寝てるだろう。ここで寝ろ」

じわじわとアルカディアの顔が赤くなっていく。
クラウディオと一緒に寝るって?そんなの無理だ。緊張して眠れなくなってしまう。

「ぁ、ぅ……えっと、」

「嫌なのか?」

「ぃ、いやじゃないけど、でも、」

「じゃあ決まりだな」

そう言って微笑まれると何も言えなくなる。
ずるいなあ、と思う。
結局こうやって甘やかされてしまうのだ。

「……ん」

こくんと小さく頷くとまた強く抱きしめられた。
ああ幸せだなあ、なんて思いながら目を閉じる。こうして彼の体温を感じていると安心できる。
ずっとずっと、この温もりに包まれていたい。

「アルカディア」

「なーに?」

クラウディオを見上げると同時に、顎に手を添えられ上を向かされる。そして唇に何か柔らかく温かいものが触れた。
それがキスだと気付くまでに少し時間がかかった。

「ん……っ」

キスをされたと認識してから、ぶわりと魔力が激しく脈打った。
驚いて目を開けたまま固まっていると、目の前にある琥珀色の瞳と目が合う。
するとその目は三日月のように細められ、ゆっくりと離れていった。

「…お前はほんとうに可愛い」

「……っ」

耳元で低く囁かれて、ぞくりと背筋が震える。
駄目だ。欲張りになってしまう。もっと欲しいと思ってしまう。
もっと、もっと、 あなたに触れたい。
ああ、やっぱり自分はおかしい。
こんな感情知らない。こんな気持ち初めてだ。
どうしようもなく胸が苦しい。
動かないはずの心臓が痛くて壊れてしまいそうだ。
なのに嬉しい。幸せなんだ。

「ぁ、……の、」

「うん?」

「…もういっかい、したい」

消え入りそうな声でそう言えば、彼は一瞬驚いたような顔をして、それからまた微笑んでくれた。

「もちろん」

再び口付けられる。
今度は先程よりも長く、深く。

「…っふ…、…ぁ……」

息苦しくて声が漏れてしまう。けれどクラウディオはやめてくれない。
舌先で唇の間をつつかれると、自然と開いてしまった。そこからすぐに熱いものが入り込んでくる。

「っ、ふ、……ん、」

頭がくらくらする。呼吸の仕方がわからない。
けれど必死に彼に応えようと自分からも絡めていく。
好き。大好き。愛してる。
そんな思いが頭の中いっぱいに溢れて、無意識にクラウディオの背中に腕を回していた。

「っは、……」

やっと解放されると、アルカディアはぐったりとクラウディオに寄りかかった。
はあはあと荒くなった自分の吐息がうるさい。

「可愛い」

「う、うう〜…」

顔が熱くなるのを感じる。きっと真っ赤になっているのだろう。
恥ずかしすぎて死にそうだった。

「も、だめ…」

「何が?」

「は、はずかしぃ…」

「これから毎日するのに?」

「……へっ?」

きょとんとした顔で見つめると、クラウディオは楽しそうに笑ってアルカディアの頭を撫でた。

「私は独占欲が強いよ」

「え、ぁ、」

「覚悟しておけ」

そう言って妖艶に笑う彼に、アルカディアは真っ赤になって口をぱくぱくさせるしかできなかった。
ああ、本当にずるい人だ。
そんな風に言われたら期待してしまうじゃないか。
そんなの、まるで自分が求められているみたいで嬉しくなってしまう。

「っ、ぁ…ぅ、」

「返事は?」

「…へ…ぁ……はひ…」

情けないくらい小さな声で答えると、クラウディオはとても満足そうに笑った。
その笑顔にきゅうっと胸の奥が締め付けられて泣きそうになる。
ああ好きだ。彼が大好きなのだと実感させられる。

「さて、そろそろ寝るか」

「ぁ…」

「うん?」

名残惜しそうな声を上げたアルカディアに、クラウディオは微笑みながら首を傾げる。

「も、もう…ねる…の?」

伺うように尋ねれば、彼は少し困ったような表情をした。

「…あまり煽ってくれるな」

「あおって、ない……」

恥ずかしそうにぼそぼそと小さな声で呟いたアルカディアは、きゅっとクラウディオの服を掴んだ。そして上目遣いでちらりと視線を向けてくる。

「はあ……」

それは反則だろう。
溜息をつくと、クラウディオは片手で額を押さえた。
無自覚だから質が悪い。可愛すぎるにもほどがある。
気づけば、再びアルカディアの唇を奪っていた。

「んっ…」

何度も角度を変えてキスをする。次第に激しくなっていくそれに、アルカディアの思考がぼんやりと霞んでいく。

「ぁ…ん、んぅ……っ」

酸素を求めて僅かに開いた隙間から、すかさず舌が侵入してくる。歯列をなぞられ、上顎や頬の内側まで舐められる。
その度にびくびくとアルカディアの身体が反応してしまい、羞恥心からぎゅっと目を閉じた。
ゆっくりとベッドに押し倒されて、そのままクラウディオが覆い被さってくる。

「んん…っ、ふ……ぅ…」

ちゅく、という水音が耳を犯す。
飲み込みきれない唾液が顎を伝っていく感覚がした。
もう限界だと彼の胸を軽く押せば、ようやく解放された。
銀色に輝く糸が伸びて切れる。それをどこか遠くの出来事のように感じながら、アルカディアは必死に空気を吸い込んだ。

「…アルカディア」

「っ、…ん……、」

名前を呼ばれ、とろりとした瞳で見上げる。すると優しく髪を撫でられた。それが心地よくて、思わず目を細める。

「愛している」

「……っ」

「お前だけだ」

「……っ、」

その言葉に涙が出そうになった。
どうしてこの人はこんなに優しいのだろうか。こんなに幸せでいいのだろうか。
胸が苦しい。けれどこの痛みすら愛しい。
ああ、やっぱり自分はおかしいのだ。こんな気持ち初めてだ。
こんなの、もっと好きになってしまう。
もっとあなたが欲しくなる。
こんな自分は嫌だ。でも仕方がない。だって好きなんだ。どうしようもないんだ。
好きで、好きすぎて、もうどうしようもないんだ。

「おれ、も…あい…してる…」

掠れた声で囁けば、彼は嬉しそうに微笑んだ。
その顔を見て、胸が温かくなると同時に切なくなる。
ずっとこうして傍にいたい。あなたに触れていたい。あなたを愛したい。
ああ、自分はなんて欲張りなんだろう。
でも、クラウディオならきっと、許してくれるんだろうな。

「……しあわせ」

そう言ってふわりと微笑むと、彼は驚いたような顔をした後、何かに耐えるような顔をして抱きしめてきた。

「……私もだよ」

耳元で囁かれた声が少し震えているような気がしたのは、アルカディアの願望が見せた幻だったのかもしれない。