You're all
I need






自分の意思に反してがたがたと体が震える。
アルカディアの口からは浅い呼吸音だけが漏れていた。
ベッドの上で丸まって、クラウディオの帰りをただひたすらに待っている。
一時間ほど前から、やけに魔力がざわついているのだ。どくどくと脈打って、体内を暴れ回っているような感覚がある。
そのせいでどうにも気分が悪い。目を瞑って、じっとしているのだが一向に治まる気配がない。
ぐるぐると目が回って、吐き気がする。
このままではいけないと思いながらも、動くことが出来ないでいた。
じわじわと意識が遠くなっていく中、寝室の扉が開かれた音がした。
ゆっくりと顔を上げると、そこには愛しい人の姿が見える。
彼は心配そうな表情を浮かべて、こちらへと駆け寄ってくる。
ああ、彼が来てくれたならもう大丈夫だ。
安心感からか一気に力が抜けていく。

「……くら、ぃお…」

彼の名を呼ぶ声も小さく掠れてしまう。
それでもちゃんと届いていたようで、優しく頭を撫でられた。

「大丈夫か?少し辛そうだな」

そう言いながら額に手を当てられる。ひんやりとした手が気持ちよくて思わず頬擦りしたくなった。
しかし、体の震えがなかなか止まってくれない。それどころか先程よりも酷くなっているように感じる。身体が熱くて、息苦しい。頭がぼんやりとしてきて、視界が歪む。

「アルカディア、落ち着いて深呼吸しろ」

クラウディオの言う通り、大きく息を吸おうとしたが上手くいかない。
苦しさに耐えきれず、ぼろりと涙が流れた。それを拭うために腕を動かそうとしたが、びくりともしない。まるで石のように固まってしまっているようだ。
それを見たクラウディオが優しく抱きしめてくれた。背中をさすられて少しずつ落ち着くことが出来たが、まだ体は思うように動かないままである。

「少し酷いな」

ゆっくり頭を撫でられて浅い呼吸のまま目を閉じる。抱き着きたいのに、手すら動かせなくて悲しい。

「…く……ら…」

「無理して喋ろうとするな。いい子だから大人しくしていろ」

そう言われても何かを伝えたいと思う。この胸の中にある不安とか恐怖とかを全部吐き出してしまいたかった。けれど、やはり言葉にならない。
代わりにぽろぽろと涙が流れるばかりであった。

「寝転んだ方が楽か?」

楽かもしれない、がクラウディオから離れたくなかった。いつも以上に、彼の温もりが安心する。ずっとこうしていたかった。
首を横に振ると、またぎゅっと強く抱きしめてくれる。

「焦らなくていいからな」

優しい声で囁かれて、ほっとする。
こくんと頷いて、辛うじて動く首で彼にすり寄る。
そのまましばらくお互い何も言わずに寄り添っていたのだが、不意に違和感を覚えた。

「……?」

体内の魔力の流れが変わった気がする。
それは段々と激しくなり、次第に痛みを伴うようになっていった。
頭の中で火花が散っているかのように視界がチカチカと点滅している。
痛い、苦しい、熱い、怖い。
色々な感情が溢れ出して、どうにかなってしまいそうだ。

「く、…ら……ぃお」

「ん?どうした?」

助けてほしいという願いを込めて彼を見上げる。
しかし、次の瞬間嫌な予感がして動かない腕を無理やり動かして、咄嗟に口元を手で覆った。
異変を感じ取ったクラウディオがアルカディアの肩を掴み引き離す。
そして、顔を覗き込むようにして様子を確認した時。ごぷり、とアルカディアの口から血が零れた。口元を押さえる手から血が溢れ、ぼたぼたと伝い落ち真っ白なシーツを汚していく。

「大丈夫か、アルカディア」

クラウディオは慌ててアルカディアの手を外そうとするが、強い力で押さえつけられていて離すことが出来ない。
その間も血液はどんどん溢れていき、あっと言う間に白い布地を赤く染め上げていった。
アルカディアは必死に堪えようとしているようだったが、やがて耐えきれないといった表情を浮かべると咳き込みながら勢いよく吐血した。

「アルカディア、聞こえるか?」

ひゅうひゅうと喉を鳴らしながら、アルカディアは小さく頷いた。聞こえていることに安堵し、続けて声をかける。

「どこか痛い?頷くだけでいい」

アルカディアは再びゆっくり頷く。
恐らくアルカディアは今、魔力暴走を起こしているのだろう。
魔力が暴発して制御しきれなくなっているのかもしれない。何かの拍子に魔力が反応し、それが身体を傷つけているのだと考えられる。
アルカディアの発作は回復魔法が効かないが故に、静めるための効果的な手段がない。
それに今回は少し状況が悪い。アルカディアの体力的にも精神的にも限界に近いはずだ。
血を吐いたのなんて初めてで、余計にショックが大きいのだと思う。クラウディオですら動揺しているのだ、当の本人は酷く混乱しているだろう。

「大丈夫だ。私がついてる」

少しでも安心させようと、出来るだけ穏やかな口調を意識して話しかける。
すると、アルカディアの瞳からぼろぼろと大粒の涙が流れ出した。
泣きながらもこくこくと素直に何度も首を振る姿に胸が締め付けられる。
ベッドはすっかり汚れてしまったが、そんなことは気にならなかった。
それよりも今は目の前の恋人の方が大事だ。

「大丈夫だ、すぐに良くなる」

「くら……ぃお」

「大丈夫、大丈夫だ」

「……っ、ぅ…くら、ぃお……」

「ここにいるよ」

「くらぃお……、くらぃお…」

「大丈夫」

何度も大丈夫だと繰り返して、ひたすら頭を撫でてやる。アルカディアが喋る度に唇から鮮血が零れ落ちた。それを指で拭ってやれば、またぼろりと涙を流して名前を呼んでくる。
その様子があまりに悲痛で、見ているこちらまで辛くなってくる。
早く何とかしてやりたいと思うのだが、今の自分には何も出来ない。ただこうして側に居てあげることしか出来なかった。

「…は、…っは…」

ぱちぱちと視界が弾ける。
頭が割れそうなくらい痛くて、気持ち悪い。
全身が熱くて、息をすることすら苦しくて仕方がなかった。

「くら、…でぃお…」

「……ん?」

「ご、め…べっど、」

「ああ、これぐらい平気だよ」

「でも……」

血塗れになってしまったのを見て申し訳ないと思った。
せっかく綺麗な部屋なのに、自分の所為で台無しにしてしまった。
そう思うと更に気分が悪くなって、また咳き込んでしまう。

「気にしなくていい。それよりお前は自分のことを心配しろ」

「…ん、」

優しく背中をさすられて少し楽になる。
けれど、やはり体を動かすのは難しいようだ。少し身じろぎするだけでも酷く疲れてしまう。
それでも幾分と喋ることが出来るようになった。先程よりも呼吸がしやすい気がする。
まだ苦しさはあるが、ほんの少しマシになったようだ。
漸く何か考える余裕が出来て、アルカディアはハッと顔を上げた。

「あ……」

「どうした?」

「くら、でぃお…ごはん…」

クラウディオは帰ってすぐアルカディアに付きっきりになってくれていて、まだ夕食を食べていない筈である。
仕事から帰ってきたばかりで疲れているだろうに、こんなに迷惑をかけてしまって本当に申し訳なかった。

「ごめ…」

「謝らなくていい、夕飯くらい食べなくても問題無い」

「でも、つかれて、る、のに…」

「私が一番大事なのはお前だ。わかってくれるだろ?」

「ごめ…なさ、い」

「だからいいと言っているだろう」

困ったように笑うクラウディオに、また涙が出そうになる。
いつもそうだ。彼はアルカディアを優先してくれる。どんな時だって自分よりアルカディアのことを気にしてくれる。
それが嬉しくもあり、同時にとても心苦しい。
彼の優しさに甘えてばかりいて、何も返せていないことが辛いのだ。

「くら、でぃお……すき」

ぽつりと呟く。
ちゃんとした言葉になったのはこれだけだった。もっと言いたいことが沢山あるのに、上手く伝えることが出来ない。
それが悔しくて、悲しかった。

「ありがとう」

しかし、クラウディオはそれだけで十分だったようで、ふわりと微笑むと額に口付けを落とした。それからアルカディアの頬を伝う涙を拭い、再び抱き締めてくれる。
先程よりも動くようになった腕をゆっくり持ち上げると、そっとクラウディオの背中に回した。
ぎゅっと弱い力で彼のシャツを握り締める。

「少しマシになったか?」

「う、ん…ありが、と…」

ぐるぐると渦巻いていた気持ち悪さが段々と落ち着いてきた。
呼吸も随分と楽になっている。
しかし、完全に魔力暴走が止まったわけではないらしい。体は絶えず痛みを発していた。
それに加えて血を吐いた影響か、酷く体が怠い。
呼吸は未だに少し乱れたままだし、頭もぼうっとして思考もあまり働いていないような感じだ。

「……くら、でぃお」

「なんだ?」

「あたま…なで…て…ほし…」

お願いすれば、すぐに大きな手が髪を撫でてくれた。
優しくて温かい手だ。それが心地良くて目を細める。
大好き、愛してる。
ずっと一緒に居て欲しいし、離れたくない。そんな想いを込めて名前を呼ぶ。
すると、優しい声で「ここに居るよ」と答えられた。
その声音を聞いているだけで安心してしまう。まるで魔法みたいに、不安や恐怖が溶けていくのだ。

「くら、ぃお…だい、す……き」

「…ああ」

「くら、でぃお、だけ……すき」

この人だけが特別だ。
他の誰にも渡したくはない。
彼以外の人間なんて必要ない。
アルカディアの世界には、たった一人しか存在しないのだ。
クラウディオはそんなアルカディアの胸中を知ってか知らずか、愛おしそうに見つめながら頭を撫で続けている。
そして優しくアルカディアの頬にキスを落とした。
それだけで不思議と体が軽くなっていく気がするから、我ながら単純だと思う。
クラウディオに抱きついていた体を起こし、彼と目を合わせる。クラウディオは嬉しそうに笑った。

「元気になってきたな。何か温かいものでも食べようか」

「…ん」

「動けるか?無理そうなら作って持ってくるが」

「……へいき……っ」

「…大丈夫か?」

「だ、じょぶ…」

立ち上がろうとした途端、目眩がして倒れそうになった。咄嵯にクラウディオが受け止めてくれたおかげで倒れることはなかったものの、頭がぐらぐらして気持ち悪い。
思わず顔をしかめたが、どうにか耐えてベッドから降りる。
しかし足に力が入らず、またすぐに座り込んでしまった。

「大丈夫じゃないだろう。ほら、掴まれ」

「ぁ…」

差し出された手を恐る恐る握れば、力強く引き上げられる。そのまま横向きに抱えられてしまった。
リビングのソファーまで連れて行ってもらい、ゆっくりと下ろされる。

「くら…でぃお……」

「ん?」

「あり、がとう…」

「ああ」

「……ごめん、なさい」

「気にしないでいい」

振り返ったクラウディオに微笑まれる。
その笑顔を見ると何故だか泣きそうになって、慌てて俯いた。
クラウディオはくすりと笑ってアルカディアの頭を撫でた後、キッチンへと向かっていった。

今のアルカディアにも食べやすいものを、と戸棚を開ければ彼が気に入っているコーンスープの素があった。
それを二つ取り出して湯を沸かす。沸騰を待つ間に足早に寝室に向かい、手早くシーツを新品に取り替えた。汚れてしまった分は処分してしまっていいだろう。
ついでに洗面所で濡れタオルを作り、リビングへ戻ると湯が沸いていた。
カップに粉末と湯を入れ、スプーンでかき混ぜてやる。

「アルカディア、先にこれで手を拭いておけ。服は後で着替えよう」

先程作った濡れタオルを手渡せば、アルカディアは血まみれになってしまった両手を丁寧に拭っていく。
その間にテーブルにカップを置き、アルカディアの隣に腰掛ける。

「さっきよりだいぶ顔色も良くなったな」

「ん…」

「もう平気か?」

「うん…たぶん…ありが、と……」

「どういたしまして」

ふわっと微笑みかけられて、胸が高鳴ると同時に心が満たされる。
好きだ、大好きな人。
誰よりも強くて優しい、アルカディアだけの王子様。

「熱いから気をつけて飲めよ」

「ん……」

冷ましながらちびちびと飲み進めているアルカディアを見守りつつ、自分も同じように口に含む。

「おいしい…」

「良かった」

「ありがと、くら…でぃお」

「お前が美味しいと言ってくれると嬉しい」

「ほんと…?」

「ああ」

「えへ……うれし…」

ふにゃりとはにかんで笑うアルカディアを見て、クラウディオも自然と表情が緩んだ。
久しぶりに笑顔を見たような気がする。
可愛い、愛おしい。
もっと甘やかしたい。大切に慈しんでやりたい。
そんな思いが溢れてきて、衝動的にアルカディアを抱き締める。

「くら…でぃお……?」

「…少しこのままでいさせてくれ」

「ん……」

こくり、と小さく頷いたアルカディアを抱きしめる腕の力を強める。
すると嬉しそうにすり寄ってきたので、さらに腕に力を入れる。
苦しくないか、と聞けば問題無いという答えが返ってきて安心した。

「アルカディア」

「…なに?」

「私はずっと傍にいるからな」

「……っ」

「愛している」

「…ぅん」

「だから何も心配するな」

「……っ」

「大丈夫だ」

「……っ!う、ん…っ!」

「ふふ、泣くな」

「だ、ってぇ……っ」

ぼろぼろと涙を流すアルカディアの目元に口付けを落とす。
それから頬や額、鼻先、顎など、至る所にキスを落としていく。
最後に唇を重ねれば、ちゅっ、と可愛らしい音が響いた。



ぱちりとアルカディアの目が開く。
昨夜どうやって寝たのか覚えていない。アルカディアはがばりと勢いよく起き上がった。

「おはよう、元気そうだな」

隣にはコーヒーを飲みながら本を読んでいるクラウディオがいた。
そういえば、あれだけ酷かった頭痛や吐き気はすっかり無くなっていた。体も軽いし、気分も良い。

「くらでぃお…仕事は…?」

「昨日の今日で行けるか。昨日のうちに休む連絡はした」

「ご、ごめん…」

「気にするな。それより体はどうだ?」

「だいじょぶ……」

「なら良かった」

そう言って優しく微笑むクラウディオは本当に格好良い。
こんなに素敵な人が自分の恋人だと思うと、何だか不思議な気持ちになる。

「くらでぃお…」

「うん?」

「どうしよう…」

「どうした?」

「おれ…今嘘みたいに元気だよ」

「ふふ、そうか。なら、今日は買い物にでも出かけようか」

「……ん」

嬉しくて笑えば、クラウディオは優しく頭を撫でてくれた。
大好き、この手が。
声が。
匂いが。
全部、全部、大好き。
アルカディアは嬉しさを耐えるようにぎゅっと目を閉じた後、クラウディオに飛びついた。
その様子にくすくす笑いながらも受け止めてくれる彼はやっぱり優しかった。