- 1年に1度だけ、アルカディアの情緒が不安定になる。
毎年、同じ日。
──ルカが死んだ日だ。
その日は決まって、アルカディアはクラウディオを誘う。
いつもならクラウディオの匂いに包まれると嬉しそうに笑うのに、その日は延々と泣き続けるのだ。
普段のように快感で出る涙ではなくて、悲しくて苦しくて泣いているようなそんな涙。
クラウディオの首筋に顔を埋めて、全身で彼にしがみついて、ただひたすらに泣く。
「アルカディア、…アルカディア」
名前を呼んでも返事はない。
まるで幼い子供みたいに声を上げて泣くだけだ。
優しく奥を穿ちながら背中をさすってやれば、更に強く抱きついてくる。
それでも、やはり彼は答えない。
ただ涙を流し続けて、喘ぎながら必死にしがみつくだけなのだ。
その姿を見ると胸の奥がきゅっと締め付けられて痛いほど愛おしくなるのだが、同時にひどく不安にもなる。
今にも消えてしまいそうな程、彼が脆く見えるから。
「…ふ、ぁっ…あ、ぅ…」
やがて、彼の体が大きく震えた。
射精を伴わない絶頂を迎えると、少しだけ呼吸が落ち着く。
だがそれも束の間だった。
すぐにまた息を荒げて、ぼろぼろと大粒の涙を流す。
「…アルカディア、大丈夫か」
優しく優しく問い掛ける。
後頭部を撫でながら頬を寄せて、ゆっくりと何度も髪をすいてやる。
「…ごめ……なさぃ……っ」
嗚咽混じりの声が小さく聞こえてきた。
掠れた弱々しい声で、途切れ途切れになりながらも謝罪の言葉を繰り返す。
「大丈夫だよ、アルカディア。何も謝ることなんてないだろう?」
何に対しての謝罪なのか、分からないわけがない。
だから、出来る限り優しい口調を意識して話しかける。
すると彼は首を振った。
そして、小さな子供が母親を呼ぶように名前を呼んだ。
「くらでぃお……っ」
「ここに居るよ」
「ごめ、なさい…っ、ごめん、なさい…」
何度も何度も繰り返される言葉。
それを聞き流しながら、慰めるように背中をさする。
こんな風に彼が壊れてしまうのは初めてではない。
初めて見た時は驚いたけれど、今はもう慣れてしまった。
それに、これは彼なりの防衛本能のようなものだと思うから。
普段はなんとか押さえ込んでいる感情を1年に1度くらいは吐き出してしまわないと、きっと彼は狂ってしまうだろう。
それほどまでに、この日だけは感情の制御が効かないようだ。
「大丈夫だよ」
何度目かも分からない言葉を囁いて、額にキスをする。
それから、小さく痙攣している身体を強く抱き締めた。
「るか…おれ、の、せい……」
アルカディアはルカの死は自分の責任だと責め続けている。
それは違うと言っても聞き入れてもらえないことは分かっている。
だから、いつもと同じ言葉を返すことにした。
否定するでも肯定するのでもなく、いつも通りの言葉で宥めるのだ
「私はここにいるよ。ずっとお前と一緒にいる」
そう言ってやると、アルカディアの瞳からは更に涙が溢れ出す。
泣きじゃくりながらしがみついてくる姿は子供のようで、本当に可哀想な子だと思った。
──私と出会わなければ、お前はルカを失うことはなかったかもしれないのに。
結果論にはなるが、そう思わざるを得なかった。
「…くらでぃお…」
「…うん」
「もっと、いっぱい…いっしょにいたかった……っ」
絞り出したような声を聞いて、胸の奥がちりりと痛んだ気がした。
だがそれを表情には出さないようにして、優しく頭を撫でてやった。
「ああ、そうだな」
「もっと、いっぱい、るかと…ッ」
「…うん」
「いっしょに、いきたかった……っ」
その願いを叶えてやれないことを心の中だけで詫びて、泣き叫ぶ彼をただ抱きしめ続けた。
ぼろぼろ涙を零す彼の目元を親指で拭ってやってから、唇を重ねた。
そのまま舌を差し込んで絡めてやれば、アルカディアの方からも求めてくる。
「ん、ふぁ…っ、あ、ぅ……」
しばらく口内を弄んでやれば、次第にアルカディアも落ち着いてきた。
ぐったりとした様子でベッドに沈むアルカディアを見て、そろそろいいかと思って動きを再開する。
「あっ、や、まって、」
慌てて制止しようとするアルカディアを無視して、腰を打ち付ける速度を上げた。
「ぁ、ぁ…うっ、ひ、ゃ…」
涙で濡れる頬に何度もキスをして、優しく抱き締めてやる。
「好きだよ、愛してる」
耳元でそう告げれば、彼はこくこくと必死に首を縦に振る。
そんな姿が可愛くて、愛おしくて、更に強く抱き締めてやりながら、何度も何度も愛を囁く。
「大丈夫だよ。怖くない。謝らなくていい」
「あ、ぅ……っ、ぁ…」
「私が傍にいるから。だから安心しろ。ずっと一緒にいるよ」
「ぁ、ぁ…っ、ぅ……」
「私のことだけ考えていれば良い。何も心配しなくても大丈夫だよ」
「あ、ぁ…くら、でぃお……っ」
ぎゅっと背中にしがみついてきたアルカディアを優しく撫でてやる。
「愛してる。アルカディア」
愛しい恋人の名前を呼びながら、何度も何度も奥を突き上げた。
「ぁ、ふ、ぅ……ぁ…っ!」
びくんッと跳ねるアルカディアの体をきつく抱き締めて、首筋に噛み付く。
そしてそのまま強く吸い上げて痕を残すと、アルカディアは小さく悲鳴を上げた。
「アルカディア」
名前を呼べば、彼はゆるゆると顔を上げてこちらを見た。
涙でぐちゃぐちゃになった彼の顔を指で拭ってやり、優しく微笑みかける。
「好きだ」
「……っ」
「大好きだよ、アルカディア」
すると彼はくしゃりと顔を歪めて、再び子供のように泣いた。
まるで親を求める迷子の幼子のようなその姿に、胸が酷く苦しくなる。
「お、れ、も……っ」
しゃくり上げながらも、彼は懸命に言葉を紡いだ。
「おれ、も……すき……だい、すき」
「ああ、知ってるよ」
「くらでぃお…っ」
「大丈夫。大丈夫だよ」
「ごめ、なさぃ……」
「大丈夫だよ」
何度も何度も繰り返したやり取り。
そして、今日もまた同じ言葉を繰り返す。
「ずっと一緒だよ」
そう言えば、彼は泣きながら何度も何度も首を縦に振った。
その様子がとても可哀想で、同時にどうしようもなく可愛いと思った。
ホットミルクを作って寝室に戻ると、アルカディアはぼさぼさの頭に泣き腫らした顔のまま、ベッドの上で俯いて座っていた。まだ日は昇っていないのに、珍しい。
「起きたのか」
声を掛けると、アルカディアはゆっくりと視線だけをこちらに向けた。
あのあとアルカディアは泣き疲れて眠ってしまったのだが、クラウディオがキッチンに行っている間に目を覚ましたらしい。
「……うん」
「ほら、これ飲んで温まれ」
隣に座ってマグカップを手渡してやれば、アルカディアは素直に受け取って中身を飲んだ。
それから少しの間沈黙が続いたが、先に口を開いたのはアルカディアだった。
「……ごめんなさい」
「もう聞いたよ」
「……」
苦笑して答えれば、アルカディアは黙り込む。
それからぽつりと小さな声で呟いた。
「…くらでぃお」
「うん?」
「……おいしい」
「それは良かった」
いつも通りの声色で返せば、アルカディアはようやく安心したように小さく息を吐いた。
「いま…なんじ?」
「4時くらいだ。もう少し寝るか?それとも起きるか?」
「おきる……」
「そうか」
「…おふろ…」
アルカディアはホットミルクを飲み干すと、のろのろと立ち上がる。
それからベッドから降りると、着替えを持って浴室へと向かっていった。
その様子を眺めてから、クラウディオも立ち上がってリビングへと向う。
ソファーに座り煙草に火をつける。煙を大きく吐き出してから、先程までのことを思い出した。
「(今年も駄目だったな)」
毎年この日には決まってアルカディアの精神状態が悪くなることは分かっていたが、いつも以上に酷い有様だった。
ルカの死を嘆く姿を見ると胸の奥がちりちりと痛むし、可哀想だと思う反面、愛おしくて仕方がないと思う。
「(本当に私は最低な男だな)」
クラウディオにとっても、ルカという存在は特別なものだった。
彼の小さな兄弟。猫のような見た目をした魔獣。にゃんにゃん鳴きながら駆け寄ってくる姿は今でも昨日の事のように思い出せる。
紫煙を燻らせながらそんなことを考えていると、いつの間にかアルカディアが傍に来ていた。
ソファーの横で呆然としたように突っ立っている。
「どうかしたか?」
「……」
アルカディアは何も言わずにじっと見つめてくるだけだ。
「アルカディア」
名前を呼ぶと、彼はびくりと肩を震わせた。
それから恐る恐るといった様子で目を合わせてくる。
その表情は怯えきっていて、思わず苦笑した。
「おいで」
煙草を消し片手を伸ばしてやれば、アルカディアは躊躇いがちに腕の中に収まった。
そのまま抱きしめて頭を撫でてやる。すると彼は甘えるようにして胸に顔を埋めてきた。
「大丈夫だよ」
そう言って優しく背中をさすってやる。
「私がいる。お前を置いて何処にも行かない。ずっと一緒にいる。だから安心しろ」
そう言うと、アルカディアの腕が弱々しくこちらの首に回された。
ぎゅっと抱きつかれて、胸が苦しいような気がした。
「愛しているよ」
耳元で囁けば、彼はこくりと小さく首を縦に振った。
その仕草に愛しさを感じて、強く強く抱き締めてやる。
「ずっと一緒に居よう」
そうすれば、アルカディアは何度も何度も首を縦に振る。まるで幼子に戻ったかのようなその姿に、愛おしさが募る。
「大丈夫だ」
何度でも、いつまでも、繰り返し囁いてやる。
「愛してる」
アルカディアは静かに泣きながら何度も首を縦に振った。
「(ああ、可哀想に)」
愛しい恋人の背中を優しく摩りながら、心の中でひっそりと呟く。
「ずっと一緒にいるよ」
アルカディアは震える声で何度も口にする。
「……くらでぃお、だいすき」
その言葉を聞く度に、心の中がどろりと黒く染まっていくのを感じた。
──アルカディアにはもう、私しかいないのだ。
あの日からずっと、彼は私のものなのだ。
彼の世界の中心は、私でなくてはならない。
だって彼は、私を愛してしまったのだから。
「なぁ、アルカディア」
「ん…」
「私が怖いか?」
「……こわくない」
彼はふるふると首を振る。
そしてそのまますり、と頬を胸元に寄せた。
それが可愛らしくて、そっと髪を撫でる。
するとアルカディアは嬉しそうな顔をして、更に身を寄せてきた。
可愛い。なんて可哀想な子なんだろう。
愚かで、憐れで、とても可愛い。とても愛しい。
「くらでぃおは、こわくないよ…。やさしくて、あったかい…」
「…そうか」
クラウディオの背中に回した腕に、力を込める。
──怖いなんて、とんでもない。
こんなに優しい人、他にいない。
俺のことを一番に考えてくれる。
一番に愛してくれる。誰よりも、大切にしてくれてる。
それに、きっと。
俺がどんなにおかしくなっても、見捨てたりしない。
絶対に、そばにいてくれて、助けてくれる。
他の誰でもない、彼が良い。
俺が一番。俺が特別。
「おれ以外、見ないで」
アルカディアはゆっくりと顔を上げて、真っ直ぐにクラウディオを見据えて言った。
クラウディオはぱちりと目を瞬かせる。
これも、自分しか見られない表情。アルカディアの優越感が満たされる。
「おれ以外の人のこと、考えないで」
「……」
「おれだけが、くらでぃおの特別で、いい」
「……アルカディア」
「くらでぃおのいちばんは、おれだけ」
「……そうだな」
「うん」
「お前は、私のものだ」
「うん」
アルカディアは満足そうに笑って、再び胸に顔を埋める。
そんな彼を抱きしめたまま、クラウディオは考える。
──この男は、どこまで堕ちるのだろうか。
もう既に、引き返せないところまで来てしまっている。
それでもまだ、彼は止まらない。
このままでは、いつか壊れてしまうかもしれない。
だが、それで構わないだろう。
どうせ、もう戻れないのだから。
──ならばいっそこのまま二人で、地獄に落ちてしまおうか。
そう思いながら、クラウディオは口角を上げた。
アルカディアは、今日も私に愛されている。
それは神に愛されるよりも幸福で、甘美で、素晴らしいことだ。
「アルカディア」
名前を呼べば、彼はこちらを見て微笑む。
その笑顔が眩しくて、愛おしくて、胸がいっぱいになる。
「死に場所はどこがいい」
「海」
即答されて、思わず苦笑する。
聞く前からわかっていたことだけれど。
「そう言うと思ったよ」
アルカディアは無邪気な子供のように笑う。
ああ可愛い。
この子だけは、何があっても手放さない。
この子だけは、ずっと自分の傍に置いておかなくては。
アルカディアは私を裏切らない。
彼は決して、離れることは無い。
この子だけが、私の特別なのだから。
「くらでぃおだいすき」
俺は今日も、クラウディオに愛されている。
それだけが、生きる理由。
死神の寵愛を受ける青年は、ただ幸せそうに笑っていた。