
おちちうえ
庭で遊んでいたアルカディアは、屋敷内が少し騒がしいことに気が付いた。
今日クラウディオは仕事で留守にしていて共に遊ぶことが出来なかったのだけど、何かあったのだろうか。
ぴこぴこと頭から生えた獣耳が動き、アルカディアは首を傾げる。
小走りで屋敷内に戻ってみると、使用人たちが忙しく走り回っていた。
「……?」
一体何があったのかとアルカディアはきょろきょろと周りを見渡す。
すると使用人の一人がアルカディアの姿に気が付き、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「アルカディア様…!」
「ばたばたしてる」
「えぇ…実は前当主…クラウディオ様のお父上がいらしてまして…」
「おちちうえ」
「アルカディア様はクラウディオ様のお部屋にいてくださいませね。お会いにならない方が良いと思いますわ」
そう言って使用人はアルカディアの手を引いてクラウディオの部屋へと連れていく。
「何かあったらお呼びくださいませ。すぐに参りますので」
こくんと頷いたアルカディアを見届けて、使用人は部屋から出て行った。
クラウディオが居ないとこの部屋は本来よりも広く思える。ぽつんと一人ソファーに座りながら、アルカディアは窓の外を眺めていた。
「(おちちうえ)」
クラウディオの父親、どんな人物なのだろう。
興味はあるけれど、先程の使用人は会わない方がいいと言っていた。
何故なのだろう。どうして会ってはいけないのだろう。
考えても答えが出るわけもなく、アルカディアはただぼーっとしていた。
すると、廊下がやけに騒がしくなる。使用人の声と共にバタバタとした足音が聞こえてきた。
何事かと思っているうちに部屋の扉が開かれ、一人の男が入ってくる。
「お、お待ちください!」
「……」
男はアルカディアを見て、顔を歪めた。
慌てて男を追いかけてきたらしい使用人が止めようとするものの、その手を振り払ってずかずかとこちらに向かってくる。
びく、とアルカディアは身体を震わせた。彼の目は何故か怒りに染まっているように見えたのだ。
そして、次の瞬間には胸倉を掴みあげられていた。
「…っ!?」
突然の出来事に驚き、息を呑む。抵抗しようと腕を動かすものの、力の差は歴然だ。
恐怖から尻尾の毛が逆立ち、耳もピンと立っていた。目の前の男に対して怯えてしまっていたのだ。
そんなアルカディアの様子に男は更に眉間にシワを寄せる。
「おやめ下さい!」
「何故こんな子供がここにいる?」
アルカディアは怖くて小さく震えていた。男の声音は冷たいもので、それが余計に怖い。
使用人たちはなんとか引き離そうと試みるものの、男は聞く耳を持たないようだった。
「しかもなんだこれは?」
そう言って男はアルカディアの耳を掴んで引っ張った。
「きゃう……ッ!」
アルカディアは悲鳴を上げる。
耳がちぎれそうなほどに強く握られ、アルカディアは次第に声を上げて泣き始めた。
「お離し下さい!この方はクラウディオ様の大切な方です!!」
「あぁ?……この汚らしい子供が?」
「そうでございます…っ!」
使用人たちの言葉を聞いて男は舌打ちをし、彼を乱暴に床に投げ捨てた。
アルカディアは床に打ち付けられ、痛みから起き上がることが出来ない。
「ああ、煩い」
泣きじゃくるアルカディアに対し、男は苛立ったように呟く。使用人たちはアルカディアに駆け寄り、抱き起こした。
男はその場から動こうとはせず、睨みつけるような視線をアルカディアに向けるだけだ。
するとその時、部屋の中にもう一人の人物が入ってきた。
その人物はゆっくりとした動作で男の方へ歩み寄ると、そっと口を開く。
それは普段の彼からは想像できないくらいに冷たく低い声であった。
「……勝手なことをしないで頂きたい」
「…クラウディオ、なんだこの子供は」
アルカディアは彼の声に気付き、泣きじゃくりながら駆け寄った。クラウディオはアルカディアを抱き寄せ、優しく頭を撫でる。
「私の所有物だ。触らないで欲しい」
「お前は相変わらず傲慢で自分本位な奴だ…父親に挨拶もないのか?」
「……あぁ、ご機嫌麗しゅう」
嫌味たっぷりに言い放ったクラウディオの言葉に男は眉間の皺を深めた。
そして次に発せられた声は、先程までの怒りに満ちたものではなく、落ち着いたものだった。
しかし、その口調とは裏腹に目つきは鋭いままである。
「なんの御用で?前当主殿」
「ふん…息子に会いに来ただけさ」
「そうですか」
「用は済んだ。私は帰るぞ」
そう言ってクラウディオの父親は部屋から出て行った。室内は静寂に包まれた。
「……」
使用人たちはほっとした様子で胸をなでおろしている。
「……大丈夫か?」
アルカディアはクラウディオの腕の中でこくこくと頷く。しかし未だしゃくりあげている状態のため、言葉を発することは出来なかった。
「痛かったな。すまない」
すっかり怯えてしまっているアルカディアは、尻尾が足の間に入り込んでしまい、完全に萎縮しきっていた。
「君たちも苦労かけた。ありがとう」
「申し訳ありません、私たちが止められれば良かったのですが……」
「いや、いい。気にすることはない」
「お役に立てず、本当にすみません」
使用人の一人が頭を下げると、他の使用人達も一斉に頭を下げた。
「顔を上げてくれ。もう終わったことだ」
そう言って苦笑を浮かべる。
使用人たちは頭を上げて、困ったように微笑み、そして部屋を出て行くのだった。
「……」
部屋に残された二人。
まだ落ち着かないのか、アルカディアの呼吸は荒いままだ。
「……怖がらせて悪かった」
「…おちちうえ、おこ、てた…」
「……あぁ」
「おれ、わるい、こと、してない…」
「わかっている」
「おれ、もう、きたな、く、ない、もん!」
そう言いながら再び声を上げて泣き出したアルカディア。
大泣きしながら懸命に言葉を紡いでいく。
どうやらクラウディオにいつも綺麗にして貰っているのに、汚らしいと言われたことがとても悔しかったらしい。
「おちちうえ、きらいっ!」
「……はは、そうだな」
アルカディアは必死に訴える。
涙をぼろぼろ流して叫ぶ様子にクラウディオは思わず笑ってしまった。
「私も嫌いなんだよ、お揃いだな」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら何度も頷くアルカディアの頭を撫でてやる。
「くらでぃお、は、すき」
「知ってる。お前は綺麗だよ。私が保証しよう。だから泣くな」
「ん……っ」
ぎゅっと抱きついてきたアルカディアを抱きしめ返し、背中をぽんぽんと叩いてあやす。
しばらくそうしているうちに、ようやくアルカディアの泣き声が小さくなっていった。
「……今日の夕飯はお前の好きな物をリクエストしようか」
「おむらいす……っ」
「わかった」
やっと嬉しそうな表情を見せてくれたアルカディアの頬を伝う雫を指先で拭ってやり、ふっと笑う。
「明日も明後日も、ずっと一緒に居よう」
「うん」
アルカディアはこくりと頷き笑顔で返事をした。
そして、少しだけ躊躇った後、おずおずと口を開く。
「あのね……くらでぃお、」
「どうした?」
「……おかえりなさい」
そう言って、恥ずかしそうに俯いた。
そんなアルカディアを見て、クラウディオは目を丸くし、それから小さく笑って言う。
「ただいま」
クラウディオは椅子に腰掛け、大きなため息をついた。
父親にだけは、アルカディアを会わせたくなかったのだ。根っからの魔獣嫌いで、人間至上主義者。
アルカディアを汚らしいと罵り、胸倉を掴みあげ耳を強く捻りあげたという。
ああ、思い出すだけでも腹が立つ。
以前から来るなら連絡しろと伝えていたはずなのに、毎回突然やって来る。
それも、よりによってクラウディオが外出していた今日に。タイミングが悪いにも程がある。
あれでよく当主が務まっていたものだと、自身の父親ながら思う。
「はぁ…」
またひとつ、深い溜息をつく。
アルカディアはもう先程のことなど忘れたかのように、ソファーで楽しそうに絵を描いている。その姿を見ていると、なんだか怒る気力すら無くなっていくのを感じた。
「……はは」
思わず笑い声が漏れてしまう。
こんな風に感情を動かされたのは久々かもしれない。
「……?」
クラウディオの笑い声に反応して、不思議そうに首を傾げるアルカディア。
「なんでもないよ。それより何描いてるんだ?」
「ねこ」
椅子から立ち上がり、アルカディアの隣に座る。机を覗き込むとスケッチブックには2匹の猫が描かれていた。茶色い猫と赤い猫だ。
「上手だな」
「んふ。こっちくらでぃお、こっちおれ」
確かに言われてみれば、毛や目の色がクラウディオに似ている。隣の赤毛の猫は自分らしく、きちんと茶色の猫よりも小さく描いているのが可愛らしい。
「そうか、私か。ありがとう」
「えへへ」
頭を撫でて褒めてやる。すると、嬉しそうに尻尾を揺らした。
本当に愛しい存在だ。
誰にも渡したくない。
この子が自分の元を離れていくなんて、想像もしたくない。
そう考えると、胸の奥底に仄暗い気持ちが広がるのを感じる。
「……アルカディア」
「なぁに?」
「私の傍から離れてくれるな」
「うん!いっしょ!」
「約束してくれるか?」
「やくそく!」
「いい子だ」
アルカディアの顎の下を撫でると、ごろごろ喉を鳴らして気持ち良さそうにしている。
そのまま抱き上げて膝の上に乗せると、尻尾をぱたぱたと動かした。
可愛い。
本当に、本当に、心の底からそう思う。
甘えるように擦り寄ってくるその身体を優しく抱き寄せた。
そしてゆっくりと顔を近づけ、丸い頬に触れるだけの口付けを落とす。
するとくるりとクラウディオの腕に尻尾が巻き付いてきた。
「どっか、いくのだめ」
「……」
「くらでぃお、いなきゃ、や」
「……あぁ、そうだな」
腕の中に収まる小さな身体は温かく、柔らかな肌が心地よい。
ふわふわとした髪に顔を埋めて匂いを嗅ぐと、甘いミルクのような香りがする。
すっぽりと抱きしめられるくらいの小さな身体。華奢な手足。まだ幼い子供だ。
いつかは成長し、大人になるだろう。
その時、自分は一体どうなっているのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。