
はじめてのぼうけん
「アルカディア、明日一緒に外に出てみようか」
クラウディオの言葉にアルカディアはぱちりと瞬きをして、こてんと首を傾げた。
ゆらりゆらりと尻尾が揺れる。
クラウディオはくすっと笑ってから続けた。
「屋敷の外にはまだ出たことがないだろう?ここに来る時に車で一瞬見たくらいで」
「……そと」
「ああ」
しかしアルカディアはうろうろと視線をさ迷わせ俯いた。ぎゅう、と自身の尻尾を握り締めて小さく呟く。
「……でも、おれ、みみもしっぽも、かくせないよ」
アルカディアなりに自分が他の者たちと違うことは理解しているのだろう。彼はまだ耳や尻尾を隠すことが出来ない。人間たちはきっと自分を見て驚くだろうと。
クラウディオはそんな彼を安心させるように優しく微笑むと、机に置いていた紙袋から丁寧に包装された袋を取り出した。
「そんなお前にプレゼントだ」
「ぷれぜんと?」
「開けてごらん」
きょとんとしながら受け取ったアルカディアは袋を開ける。中に入っていたのは三毛猫柄のレインコートだった。
「それはレインコートと言ってな、雨の日に着るものだ。それなら裾も長いしフードもついてる。耳も尻尾も気にしなくていい」
アルカディアはぱっと顔を輝かせて早速袖を通した。すっぽりと全身が隠れてしまった様子にクラウディオは思わず笑ってしまった。
「明日は小雨が降るらしいからな、それを着てお出かけしよう」
「うん!」
裾から覗く尻尾が嬉しそうにぴんっと立っている。その姿を見たクラウディオは再び満足げに笑うのであった。
翌日、外は予報通りの小雨だった。
アルカディアは嬉しそうにレインコートを羽織って準備万端である。
いつものように手を繋いで玄関に向かうと、使用人がクラウディオの傘を準備して待っていた。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ああ」
「アルカディア様も、楽しんできて下さいね」
「うんっ」
使用人に見送られ、アルカディアは初めて外の世界へと足を踏み出した。
大きな建物。どこを見ても人、人、人。
見慣れない光景に目を丸くする。
ふわぁ、と感嘆の声を上げながらキョロキョロと見渡した。
「すごい…いっぱいひとがいる」
「そうだな」
隣に立つクラウディオを見上げると彼は優しい表情をしていた。繋いだ手からも彼の温もりを感じる。
雨が降っていても、この街は人が多い。
初めて見る景色に胸が高鳴った。この世界にはまだ知らないことがたくさんあるのだ。
アルカディアは楽しそうに水たまりを飛び越えたり、道行く人々を眺めたりしていた。
レインコートの中に隠しているものの、その尻尾はゆらりゆらりと揺れている。
しばらく街を散策すると、 一軒の花屋の前を通りかかった。
「あらあら、クラウディオくん」
「ああ、こんにちは」
店先で花の手入れをしている高齢の女性に声をかけられる。父親の代から世話になっている花屋の店主、グレイス夫人だ。
「あら、その子は?」
「私の息子…のようなものです」
「そうなの〜、いい出会いがあったのねぇ」
グレイス夫人は穏やかに笑う。
アルカディアはクラウディオを見上げて首を傾げた。
「この人はグレイス夫人だ。私がよく買って帰る花は、全部ここで用意してもらっているんだぞ」
「ふじん。アルカディアです」
「アルカディアくんって言うのね〜。よろしくね」
「赤いばら、玄関とごはんたべるところと、くらでぃおの部屋にかざってあるよ」
「あら、嬉しい!ありがとう」
グレイス夫人は嬉しそうに微笑む。
優しい笑顔だ。心が落ち着く。
自然とアルカディアも笑みを浮かべていた。
「アルカディア、せっかくだから花を買っていこうか」
「うん!」
アルカディアは嬉しそうに店内に入る。
色とりどりの綺麗な花たちを一つ一つ丁寧に見て回る。
その様子をクラウディオとグレイス夫人が見守っていた。
「可愛い子ねぇ…」
「ええ、自慢の子ですよ」
「ふふ、あの子は幸せ者ね」
グレイス夫人は優しく微笑んでアルカディアを眺めている。
やがて一つの花の前でアルカディアの動きが止まった。
大きなアジサイだった。紫や青などカラフルな色が鮮やかでとても美しい。
「これ、きれい」
「ああ、これは珍しい品種なんだ。雨に濡れるとさらに美しくなる」
「うつくしい」
「気に入ったか?」
「うん!」
「じゃあこれにしよう」
「お目が高いわね、お二人さん」
会計を済ませると、小さな花束にしてもらった。
それを大事そうに抱えるアルカディアをグレイス夫人が微笑ましそうに見つめながら、彼女は二人に手を振った。
「またいつでもいらっしゃい」
「はい、ありがとうございます」
「ありがとーございました」
二人はグレイス夫人に見送られて店を後にした。
再び手を繋ぎ、ゆっくりと歩く。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
アルカディアは手に持ったアジサイの花束を大切に抱えて屋敷に向かって歩き出す。
しかし数歩進んだところでぴたりと立ち止まった。
不思議に思ったクラウディオが振り返る。
「どうした?」
「…あれなに?」
アルカディアの指さす先には、小さな店があった。
最近できたドーナツショップらしい。
「ああ、ドーナツという食べ物を売っている店だよ」
「どーなつ?」
「甘いお菓子だ。食べてみるか?」
「うん」
クラウディオは少しだけ寄り道をすることにした。
その店は持ち帰り専門らしい。店先にメニュー表が飾られている。
アルカディアは目を輝かせて興味津々といった様子だった。
「どれにする?」
「これ!」
きらきらと振り返りながらアルカディアが選んだのは、カスタードクリームがたっぷり入ったドーナツだ。クラウディオはチョコがかかったものを注文し、出来上がるのを店先にあるベンチに座って待つことにした。
「早く帰って家で食べよう。雨が強くなってきた」
「ほんとうだ」
ぽつぽつと降っていた雨は次第に強くなっていく。
二人で身を寄せ合い、しとしと降る雨を眺めていると──。
「お待たせしました〜」
店員が紙袋を持ってやって来る。
クラウディオは代金を支払うと、それを受け取った。
「ありがとう」
「お買い上げありがとうございます!」
クラウディオはアルカディアの手を引いて、雨の中を並んで走る。
傘をさす人々の間をすり抜けて、足早に自宅へと向かった。
玄関を開けると、すぐにタオルを持った使用人が駆け寄ってきた。
「おかえりなさいませ。強くなる前に帰宅できて良かったですね」
「ああ、なんとかな」
クラウディオはアルカディアのレインコートをタオルで拭いてやり、そのまま抱きかかえて自室に向かう。
ソファに座らせると、使用人が温かい紅茶を用意してくれた。
「ありがとう」
「ごゆっくりどうぞ」
使用人はにこりと微笑むと、静かに部屋を出て行った。
アルカディアが抱えていたアジサイの花束を手早く花瓶に移し、テーブルの上に置く。
「さて、ドーナツ食べようか」
「うんっ」
楽しみなのだろう、ゆらゆらと尻尾が揺れている。
そんなアルカディアを微笑ましく思いながら、クラウディオはドーナツを一つ手渡してやる。
ふぅ、と息を吹きかけて冷ましながら、アルカディアは嬉しそうにドーナツを口に運んだ。
「おいしい!」
「そうか、それはよかった」
「さくさく」
もぐもぐと咀しゃくする姿はまるで小動物のようだ。
その姿をクラウディオは目を細めて見守る。
「くらでぃおのやつなにあじ?」
「チョコだよ。ほら」
アルカディアの口元に差し出してやると、ぱくりとかぶりつく。
もぐもぐと口を動かし、美味しそうに顔を綻ばせている。
「おいひい」
「そうか、いっぱい食べるといい」
「ん」
アルカディアは夢中でドーナツを食べ進めていく。
そしてあっという間にクラウディオの分まで平らげてしまった。
「ドーナツすき」
「ふふ、そうか」
「もっとたべたい」
「また今度買ってあげよう」
「やった」
無邪気に喜ぶアルカディアの頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を瞑って擦り寄ってくる。
しばらくすると、眠くなってしまったのか、こくりこくりと船を漕ぎ始めた。
「少し疲れたか」
「んん…」
「夕飯まで寝てもいいぞ」
「うん……」
アルカディアの体がふらふらと傾き始めたため、クラウディオはその体を優しく受け止める。
そしてそっと自身の膝の上に頭を乗せて、ゆっくりと髪をすいてやった。
次第に穏やかな寝息を立て始めるアルカディアを愛おし気に見つめながら、クラウディオは優しく微笑む。
──あの子は幸せ者ねぇ
「幸せ者……か」
クラウディオは先程グレイス夫人に言われた言葉を小さく呟き、アルカディアの額に優しくキスを落とした。
「おやすみ、アルカディア」
雨の音だけが響く静かな部屋に、優しい声が響いた。