
All mine
アルカディアが帰って来ない。
例の如く、彼に渡した端末はテーブルの上に置きっぱなしだ。
クラウディオが帰ってきた時には既に出かけたあとだった。書き置きも、出かける前の連絡もない。それはたまにあることだが、今回は少しばかり長かった。
時間が経つほど、クラウディオの怒りと吸殻の数が増えていく。
探しに行くにしても、この広い街を闇雲に探すのは難しいだろう。それに行き違いになるのも避けたかった。
時計の針が12時を指した頃、かちゃんと小さく玄関のドアを開ける音が聞こえてきた。
リビングの扉を開けっ放しにしていたからか、そろそろと歩いているであろう音がよく聞こえる。
本人もさすがに悪いと思っているのか、遠慮がちに歩いてくる足取りが可愛らしい。しかし、それが余計に怒りを煽った。
リビングのドアが少し開く音がする。
そのまま入ってきて謝ればいいものを、アルカディアはまだ入ってこようとしない。
どうやらこちらの様子を伺っているようだ。
「いつまでそこにいるつもりだ?」
振り向かずに声だけを投げかける。
アルカディアはびくりと肩を大きく震わせて恐る恐るとリビングへ入る。
「……ぁ、あの……」
ソファーの隣までやってきておずおずと話しかけてくるアルカディアの声を無視し、テーブルに置いたままの彼の端末を投げて寄越す。慌てて受け取った彼は、それをじっと見つめていた。
「何のためのものだと思ってるんだ」
苛立ちを含んだ声でそう言えば、また身体が大きく震えた気配がした。
怯えているのは一目瞭然で、その態度にも腹が立つ。
一言でいい。連絡してくれればそれで良かった。ここまで不安になることも、苛つくこともなかったはずだ。
「……ごめ…」
消え入りそうな謝罪の言葉を聞きながらもう何本目かわからない煙草に火をつける。煙と共にため息を吐き出して、立ち尽くすアルカディアを見上げた。そしてクラウディオは目を細める。
擦り傷だらけの顔と体。所々血が出ている箇所もある。衣服には泥汚れが目立ち、破れたところからは生々しい切り傷が見え隠れしている。
「…どこに行ってた」
問い詰めるような口調ではないものの、威圧感はあった。
アルカディアはその視線から逃れるように俯き、黙って唇を噛む。
しばらく沈黙が続いた後、ようやく口を開いた。
「……ストレン、ヴルム…」
「……は?」
彼が口にしたのは得体の知れない魔獣が蔓延る森だ。いくらアルカディアが強かろうと、治癒力が人並外れていようと、一人で行くなとあれ程言っていた場所だ。
そんな場所にどうしてわざわざ行ったのか理解できない。
「なんのために?」
「…………ぅ、あ……」
アルカディアは言い淀みながらも、必死に言葉を紡ごうとする。
しかし上手く言葉にならないようで、口をパクパクさせるだけだった。
それでも何かを伝えようとしているのはわかる。だからクラウディオは根気強く待った。するとようやくまとまった言葉が出てきたらしく、途切れ途切れではあるがなんとか聞き取ることができた。
「ぁ、の……こねこ…いなくなった…って、親のねこが……」
要領を得ない話だったが、要するに子猫を助けに行ったということだろうか。
アルカディアは今にも泣き出しそうだ。
きっとその途中で魔獣に襲われたが、子猫を助けるまでは帰らないつもりだったのだろう。
「おれ、は…どうなっても、大丈夫だから……なんとか、したくて…」
アルカディアの言葉に再び深いため息をついたクラウディオは、灰皿に煙草を押し付けて立ち上がる。
「座れ」
有無を言わせぬ強い語気に気圧されたアルカディアは大人しく従うしかなかった。
クラウディオは棚から救急箱を取り出し、消毒液やガーゼを手にした。それから手際よく治療を始める。
傷に触れる度痛いのだろう。小さく悲鳴を上げるのを無視して処置を続ける。
魔力が勝手に治すとは言え、見ている方が痛々しくなるような怪我だった。
絆創膏やらガーゼやらにまみれたアルカディアを横目に再び立ち上がる。
「風呂に入ってこい」
「え、でも……」
「入れ」
反論を許さない厳しい口調で言うと、アルカディアは諦めたように項垂れて浴室へと向かった。
一人になったクラウディオはキッチンへと向かい、適当なグラスに水を注いで一気に飲み干す。
理由は彼らしいものだった。だが、クラウディオはまだ苛立っていた。
アルカディアのあの言葉が、表情が、頭から離れないのだ。
『俺はどうなっても大丈夫』
まるで自分の命など興味がないかのような言い方だった。
アルカディアが自分を大切にしていないことが、どうしようもなく腹立たしかったのだ。
いくらどんな怪我でも治るとはいえ、痛みはあるというのに。
「………」
深く深くため息をついて、クラウディオは軽いスープを作ることにした。どうせ、出かけてから何も口にしていないだろうから。
アルカディアはシャワーを浴びながら内心とてつもなく焦っていた。
さすがに叱られるだろうとは思っていた。それでもいつも通り、呆れたようにしながらも優しく許してくれるだろうと。
ところが実際は違った。
クラウディオは、見たことがないほど怒っていた。今までに無いほど、本気で怒っていることだけはわかった。
どうしよう。このまま嫌われたら?捨てられてしまったら?
嫌だ。それだけは絶対に嫌だ。
あれだけ端末を持ち歩けと注意されていたのに、それを怠ってしまったのは自分だ。何もかも自分が悪い。
アルカディアは溢れてきた涙を慌てて拭う。
怖かった。
初めて見る彼の姿に、どうしたらいいかわからなかった。
とにかく謝ろう。そしてちゃんと反省したことをわかってもらおう。
そう決心し、風呂を飛び出す。髪を乾かすのもほどほどに脱衣所を出た時、ふわりといい匂いが漂ってきた。
恐る恐るリビングの扉を開けると、クラウディオはキッチンに立っていた。
「…くらでぃお…」
「ああ、あがったか。食べたかったら食べろ」
そう言ってクラウディオはアルカディアの横を通り過ぎ、リビングを出て行こうとする。
「ぁ…く、くらでぃおは…?」
「私はいい」
短く答えてリビングから出て行ってしまう。
取り付く島もないとはまさにこのことだ。そのまま彼は浴室へ入って行ったようだ。
「………」
一緒に家に居るのに、別々で食べることなんて初めてだ。アルカディアはおずおずと戸棚から二人分の食器を取りだし、テーブルに並べる。
「(一緒にたべたい…)」
鍋を覗き込むとアルカディアの好きなスープが湯気を立てていた。
こんなときでさえ、アルカディアのことを思って作ってくれたのだと思うと嬉しさが込み上げてくる。
それでも一人きりで食事をするのは寂しい。
アルカディアはぽつんと椅子に座って空の皿を見つめていた。
しばらくするとリビングのドアが開き、クラウディオが入ってきた。
アルカディアは慌てて振り向き立ち上がると、ソファーに向かうクラウディオの後を追いかける。
「あ、あの…くらでぃお」
「…なんだ」
「く、くらでぃお…くらでぃお…」
「だからなんだ」
何の用だと聞いているのに、アルカディアはただひたすらに名前を呼ぶだけだった。クラウディオは眉間に皺を寄せ、苛立ちを露わにする。
「……なんだ?」
振り返りながら語気を強めて問い質すと、アルカディアはびくりと肩を震わせた。
「ぁ、の…ごめ、おれ…えと…」
上手く言葉が出て来ない。
アルカディアの焦りはどんどん募っていくばかりで、とにかく何か言わなければと口を開く。
「端末…わすれて、それで、連絡できなくて…ごめ…」
「……それは今に始まったことじゃない。苛立ちはしたが、それに対して怒ってるわけじゃない」
「…ぇ?」
意外な言葉に思わず聞き返す。
では一体何をそんなに怒っているのだろうか。
クラウディオは険しい顔のまま、ため息をついた。
「…さっきお前はなんて言ったか覚えてるか?」
「え…と……」
アルカディアは必死に思い返す。
自分はなんと言っただろうか。
慌てすぎて頭が真っ白になっていたせいでよく思い出せない。
クラウディオはまた大きなため息をつく。
「復唱してやろうか?『俺はどうなっても大丈夫だから』」
「………」
「自分はまだ死なないとでも思っているのか?前より魔力も少なくなってるし、傷が治る速度だって遅くなってる。次何かあれば確実にお前は死ぬ。それなのに『どうなっても大丈夫』だと?ふざけるな」
「……っ」
真正面からクラウディオの怒りをぶつけられ、アルカディアは何も言えなかった。
見たことも無い、顔をしていた。
怒りに燃える琥珀色の瞳が、アルカディアを真っ直ぐに見据えている。
「誰の前で、その言葉を口にしたと思ってる」
低く、絞り出すような声だった。
アルカディアは息を呑む。
どうして彼がそこまで怒っているのか、ようやく理解できた。
クラウディオは昔から何度も何度も、アルカディアに「愛している」と「必要」だと伝えてくれていた。
それなのに、自分は彼に殺してくれと願った。自分の命などどうなってもいいから、早く楽になりたいと。
その時の彼の気持ちはどんなものだっただろう。きっと、想像を絶するものだったに違いない。
自分が傷つくよりも、よっぽど辛かったはずだ。
彼の願いを、愛情を、自分の身勝手で踏み躙った。彼の心を、裏切ったのだ。
それがどれだけ彼を悲しませて苦しめたか、考えるだけで胸が張り裂けそうになる。
いつの間にか、見開いたままの瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。
それを拭うことさえ忘れるほどに、アルカディアは呆然と佇んでいた。
目の前にいる男は、紛れもなく世界で唯一自分を愛し、大切に想ってくれている人だ。
そんな優しい人を、愛する人の心を、自分のせいで傷つけてしまった。
クラウディオは片手で顔を覆い、ぼそりと呟く。
「……本当に、ふざけるなよ」
その声音は怒りというより、悲しみに満ちていた。
こんなに感情を剥き出しにした彼を見たのは初めてだ。
それだけではない。こんなに傷ついた様子の彼を見るのも初めてだ。
いつも余裕があって、優しく微笑んでくれていた。
自分なんかには勿体無いくらいに、彼はとても素敵な人だった。
こんなにも優しい人を、自分のような存在が傷つけてしまった。
「お前が居なくなるのが怖い」
ぽつりと、小さく呟かれた言葉にアルカディアはくしゃりと顔を歪めぼろぼろと子供のように泣き出した。
クラウディオは驚いたように目を丸くして、すぐに苦笑を浮かべる。
「怒って悪かった、泣くな」
アルカディアは大泣きしながらクラウディオにしがみつく。
怖かった。嫌われてしまうと思った。捨てられると、思った。
そう言ってわんわんと子供のよう泣きじゃくるアルカディアを、クラウディオは優しく抱き締めた。
そのまま頭を撫で、背中をさすってやる。
そんなふうに泣かれてしまっては、怒りもどこかへ行ってしまう。
彼はこんな見た目をしているのに、本来の種族ではまだまだ幼い子どもなのだ。
普段は大人びているように見えるが、中身はやはりまだ未熟で幼く、危うい。
自分の前でだけ幼子のような姿を見せてくれることが、たまらなく嬉くて、たまらなく可愛い。
ああ本当に。
「お前は、困った子だなあ」
笑いながらアルカディアの頭を撫でる。こんなに誰かを大切に思う日が来るとは、思わなかった。
アルカディアは力の限りクラウディオにしがみついて、肩口にぐりぐりと額を押し付ける。
「くらでぃお…ごめん…すき……だいすき……」
そう言って何度も繰り返すアルカディアを、クラウディオは強く抱きしめた。
「もうぜったい…いわない…ごめん…くらでぃお…」
「うん、ありがとうアルカディア」
アルカディアはしゃくりあげながらも、一生懸命に謝っていた。
逐一返事をしてやりながら、クラウディオは少し身体を離すと、アルカディアの頬に手を添えて顔を上げさせる。
アルカディアは目元を真っ赤にさせながら不思議そうな表情をしていた。
そんな様子が可愛らしくて、思わずくすっと笑う。
「スープは飲んだのか?」
「まだ………」
「なら早く飲め。もう2時前だ」
「…あの…いっしょに……のみたい…の…」
そう言われて、ふとテーブルに目を向けると二人分の食器が並べて置かれていた。
ああ、もう。なにも言えない。
愛おしくて、仕方がない。
「分かったよ」
「あの…おれのすきなやつ…作ってくれてありがと……」
「どういたしまして」
ぐしぐしと服の袖で涙を拭うアルカディアの頭をわしわしと撫でたあと、彼の手を引いてテーブルへと向かったのだった。
翌日。
仕事から帰宅したクラウディオが寝室でスーツを脱いでいると、アルカディアがぱたぱたと駆け寄ってきた。
「くらでぃお」
「どうした?」
「あの…これ見て」
そう言って紙袋から取り出したのは赤いネックストラップだった。
「これにね、端末つけてぶら下げることにした。家の鍵と一緒に置いてたら忘れないかも!」
誰にでも思いつくようなことをさも名案であるかのように語るアルカディアに、クラウディオは思わず笑った。
それでも、端末を忘れないように努力しようとしてくれるのは素直に嬉しい。
「良いんじゃないか?それなら私も安心できる」
「ほんと!?よかったぁ」
にこにこと無邪気に喜ぶアルカディアを見て、自然とクラウディオの口角が上がる。
「それで…あと、もう一個あって…」
いそいそと紙袋から何かを取り出すアルカディア。今度は何が出てくるのかと見守っていると、それは綺麗にラッピングされた箱だった。
「今日ね、高い報酬の魔獣退治してきた…。それで、帰りに買ってきた…」
開けて、と言われて包みを開ける。
アルカディアが好きな猫のキャラクターが描かれた食器セットが入っていた。
「くらでぃお、この前食器新しいの、欲しいって…言ってたから…。おれの、趣味のやつだけど…プレゼント……と、お詫び…」
「…そうか、ありがとう」
アルカディアは俯いて、嬉しそうにはにかんだ。
彼なりに昨日のことをいろいろ考えていたらしい。わざわざ働いて、買いに行ったのだからなんて健気な子なんだろうと、思わざるを得ない。
「昨日のことはもういい。気にしないでくれ」
「…うん」
「許してほしい」
驚いたように顔を上げたアルカディアはぶんぶんと首を横に振った。
「悪いのはおれ…気をつける…」
「…ありがとうアルカディア。お前が居てくれるだけで私は嬉しい」
そう言うと、アルカディアは照れたように笑ってくれる。
その笑顔を見る度に胸の奥に暖かいものが広がっていく気がした。
「お前がそこまで好きなら、このキャラクターのこと私も調べてみようか」
「ほんとっ?あのね、日曜日の朝にアニメやってる!今度見よ」
うきうき話すアルカディアの可愛いこと。クラウディオはくすくす笑いながら、アルカディアと共にリビングへ向かった。
こうして、二人の日常は続いてゆく。