クラウディオの声が好き。
低くて優しい、上品な声。耳から入ってくるだけで、うっとりとしてしまう。
アルカディアにだけは特別甘い声で話しかけてくれるのだ。その甘さに、つい頬ずりしたくなる。
アルカディアはクラウディオのことが好きで好きでたまらない。
自分の人生を大きく変えてくれた、アルカディアにとって唯一無二の存在なのだ。
「……」
クラウディオの膝の上に横になって、体を支えてくれている左腕に頭を預ける。
書類を確認しながら親指でアルカディアの頬を撫でてくれていた。
目を細めて指先を感じる。
ふわっと香るのは煙草の匂い。甘くて大人っぽい香りだ。
こんなにも優しくしてくれる人は他にいない。
この世界には、もうクラウディオしかいないのではないかと思うほど愛されている実感がある。
「どうした?」
あまりにじっと見つめすぎていたのだろうか、琥珀色の瞳がアルカディアを捉えた。
ああ、たまらない、この声。胸の奥がきゅんとする。
「くらでぃお見てるの、たのしい」
そう言って笑うと、少しだけ困った顔をして笑みを浮かべる。
それからそっとアルカディアの髪を耳にかけた。
「あまり可愛いことを言うな」
彼の言葉にアルカディアは幸せそうに笑って、もぞりと動いてクラウディオの胸に擦り寄る。すると、彼は何も言わずにただ黙って抱きしめてくれた。
この腕の中はとても心地よい。ずっとここにいたいと思ってしまう。
「…ねえ」
「なんだ?」
「俺の名前、呼んでほしい」
甘えたように言うと、クラウディオはすぐに答えてくれた。
「アルカディア」
たったそれだけの言葉なのに、まるで魔法みたいだと思う。
ただ名前を呼ばれただけだというのに、どうしてこんなにも嬉しく思うのか。
きっと彼だけが特別なんだろう。
他の誰にも呼ばれたくない。
彼にしか呼ばれたくない。
「もっかい」
「アルカディア」
「もっとぉ」
ねだるように言うと、苦笑いしながら何度も名前を読んでくれた。
それがとても嬉しい。
「ふへへ」
緩んだ顔で笑ってみせると、クラウディオもつられたように微笑む。
ああ、好きだ。好きすぎてどうにかなりそうだ。この人のためなら何でもできる気がする。
どんなことでもしたい。
不意にクラウディオの腕に力が込められ、ぎゅっと強く抱き寄せられた。アルカディアは無意識に両腕を彼の首の後ろに回す。
幸せすぎる。
「くらでぃおの、こえ、すき」
「ふふ、ありがとう」
耳元で囁かれる低い声に、ぞくぞくとした快感を覚えた。
気持ちいい。
頭が蕩けてしまいそうになる。
「もう、ずっと喋っててほし〜…」
「それはさすがに難しいなあ」
その小さな笑い声も好き。
全部好き。大好き。
愛している。本当に心の底から。
「だいすき……」
ぽつりと言うと、クラウディオはくすりと笑って唇を重ねてきた。
触れるだけのキスをして、すぐに離れていく。物足りなくて、追いかけようとしたけれど、また軽く触れ合うだけだった。
その大きな手で頬や喉元を撫でられると、無意識にくるる、と喉が鳴る。
その音を聞いて、クラウディオは満足げに笑っていた。
「こんな大きな猫も悪くないな」
「ん〜…?」
「なんでもないよ」
そう言いながら、今度は深く口づけてくる。舌先が絡み合い、互いの唾液が混ざり合った。
息継ぎの合間に漏れる吐息さえも飲み込まれてしまうような感覚に陥る。
好き好き。大好き。
そんな想いを込めて、さらにきつくしがみついた。
このまま一つになれたらいいのに。
永遠に一緒にいたい。
あなたがいない世界なんて考えられない。
ずっとこうして、いつまでも二人で過ごしていたい。
「……愛してる」
耳元でそう呟かれた瞬間、胸の奥がきゅんとして、思わず泣いてしまいそうになった。涙が零れ落ちないように、ゆっくりと瞼を閉じる。
「おれ、も」
掠れた声で返事をすると、再び優しく頭を撫でてくれた。
ああ、幸せだ。
ここに、ルカも居て欲しかった。三人で幸せな時間を過ごせたら良かったのに。
「……」
ルカのことを思い出した途端、急に寂しさに襲われた。
ずっと一緒に居られるはずだったのに。
「…どうした」
不安になったのを察してくれたのか、クラウディオの声色が少しだけ心配そうなものに変わる。
アルカディアはその優しい声に安心して、甘えるように頬をすり寄せた。
「ルカに会いたい」
「……」
クラウディオは何も言わなかった。ただ黙ってアルカディアの背中をさすってくれている。
その手つきがあまりにも優しくて、余計に泣きたくなった。
会いたくても会えない。
もう二度と会うことはできない。
それがたまらなく悲しい。
「アルカディア」
名前を呼ばれ、アルカディアがゆっくり顔を上げると、クラウディオがじっと見つめていた。
それからアルカディアの頬を両手で包み込むようにして撫でる。
「泣くんじゃない」
そう言われ、自分が涙を流していたことに気付いた。
ああ、いけない。泣かないと決めたのに。
慌てて目を擦ろうとすると、それを制止するように手を掴まれる。
「お前のそばには私がいる」
「…うん」
「だから、大丈夫だ」
「ん……」
こくりと小さく首を縦に振ると、クラウディオはほっとしたように笑みを浮かべた。
「よし、良い子だ」
そう言って頭を撫でてくれる。
この人の優しさに、いつも救われるのだ。
「天国で元気にしてるかなあ…」
「きっとな。走り回って疲れて寝てるんじゃないか」
「んふ…そうかも」
ルカらしくて笑ってしまう。
自分はきっと同じ場所に行くことはできないだろうけれど、彼が幸せに過ごしてくれていることを願うばかりだ。
まるで縋るようにクラウディオの胸に顔を押し付けると、彼は何も言わずに抱きしめてくれた。
この温もりを感じられることが何よりも嬉しい。
首筋に鼻先を擦り寄せると、ふわりと煙草の匂いがする。
やっぱり、この香りが一番好きだ。
そのまま首に腕を巻き付けて、彼の身体にぎゅっと抱き着く。
すると、応えるように強く抱きしめ返された。
「アルカディア」
耳元で囁かれる声に、ぞくぞくと背筋が震える。
この声が好き。
もっと。もっともっと。
指の背ですりすりと頬を撫でられて、それだけでも気持ちよくなってくる。
それから耳の裏をくすぐられると、甘い痺れのようなものを感じた。
「ふぁ…」
変な声が出てしまったけれど、気にならないくらい頭がぼんやりとしている。
もっと触ってほしい。
もっと撫でてほしい。
もっと、もっと、もっと。
「アルカディア」
まるで愛しい我が子でも呼ぶかのように、赤ん坊をあやすかのように、何度も名前を呼ばれる。
「…アルカディア」
その表情は普段の冷静な社長からは想像出来ないくらい、蕩けたものだった。アルカディアしか知らない顔。アルカディアだけが知っている彼の姿。
とにかくアルカディアのことが愛おしいと、そう言っているようだった。
するりと手首を掴まれ、その手のひらに口付けられる。
「アルカディア……私の可愛いアルカディア」
うっとりとした声色で囁かれ、動かないはずの心臓が大きく跳ね上がった気がした。
どうしてこんなにもどきどきするんだろう。
彼の声は麻薬のようだ。一度聞いたらもう忘れられなくなる。中毒になる。
クラウディオの唇が掌から手首に伝っていく。
ちゅっ、というリップ音が聞こえてきて、その度にぞくぞくとした快感が全身を駆け巡った。
そして指を絡めて繋がれると、いよいよ逃げられなくなってしまう。
ああ、もうだめだ。
至近距離で見つめられると、目が離せなくなった。
「くらでぃお」
名前を呼ぶと、優しく微笑んでくれる。
この笑顔も大好き。
「キスして」
ねだるように言うと、すぐに唇が重ねられた。
触れ合うだけのキスなのに、脳髄まで溶けてしまいそうになるほど気持ちいい。
角度を変えて何度か啄むようなキスをした後、ゆっくりと唇を食まれた。
ああ、食べられてしまう。
そんな錯覚に陥る。
まるでスローモーションのようにゆっくりと離れていくのを、名残惜しいと思いながら目で追っていた。
ゆるゆると琥珀色の瞳を見上げる。
綺麗な瞳。アルカディアが、世界でいちばん好きな色。
「(……いちばん…)」
ああ、違う。
瞳だけじゃない。
彼の髪の色も世界でいちばん好き。肌の色だって世界でいちばん好き。
「……ん?」
じっとこちらを見つめたまま動かないアルカディアを不思議に思ったのか、クラウディオが首を傾げる。
「世界でいちばん…って…いっぱいあっちゃだめなのかな…」
「うん?」
アルカディアはそろそろとクラウディオの髪に手を伸ばし、優しく撫でた。
「くらでぃおの髪の色も目の色も、世界で一番好き…」
髪の隙間に手を差し込んで、頭皮に触れるか触れないかのところで手を滑らせる。綺麗なローズグレイの髪。奥に黒や銀が混じっているのも好きだ。
「でも…ルカの毛並みの色も、世界でいちばん好き…。目の色も……」
赤と白が混ざったふわふわの毛並み。宝石のような真っ赤な瞳。
だからアルカディアは、ルカと同じ色をした自分の髪や瞳が気に入っている。
「世界でいちばんがいっぱいあるのはだめかな…」
「駄目じゃない。お前の世界だ。お前が決めるといい」
「うん……」
「私がお前の世界で一番なのは気分がいい。それにルカなら私と同列でも構わん」
くすりと笑ってそう言われると、なんだかくすぐったかった。
アルカディアの世界には、クラウディオとルカしかいない。
ルカがいるだけでよかったはずなのに、いつの間にか欲張りになってしまったらしい。
「私もいつの間にか赤色が一番好きになっていたな」
ぽつりと独り言のように呟かれたクラウディオの言葉に、アルカディアの全身に幸せだとか嬉しいだとかそういう感情がぶわりと広がった。
自分も、クラウディオの一番になれている。
そう思うとたまらなく嬉しくなって、目の前の首筋に顔を埋めた。
「はぁ……くらでぃおぉ…」
ぐりぐりと額を押し付ける。
どうしよう。本当に、すごく、ものすごーく、だいすきだ。
「ふふ、何だ?甘えん坊め」
ああ、好き。この声。たくましい腕。大きな手。優しいところ。意地悪なところ。全部。ぜんぶ。
「だいすきぃ…」
「はは、そうだろうな」
その自信満々な態度すら愛おしいと思ってしまうのは、やっぱり惚れた弱みなんだろうか。
「んふ…へへ…」
ふにゃふにゃな笑い声を漏らすと、つられるように彼も笑っているのがわかった。
リラックスしている猫のように、自身にひっついて溶けているアルカディアが可愛くて仕方がない。こんな可愛い子を、どうして愛さずにいられようか。
髪を撫でると、気持ちよさそうな声が聞こえてくる。
「(……このまま寝そうだな)」
今日はとくに、アルカディアはご機嫌らしい。幸せそうにうとうとと微睡んでいる。ああ可愛い。
「ん〜……」
ぎゅっと抱き着いてこられて、思わず頬が緩んだ。
そのまま抱きしめ返して、頭を撫でる。
「おやすみ」
囁きかけると、返事の代わりに胸元で頬ずりをされた。
猫のようにも、赤ん坊のようにも見える仕草だ。
夢の中でも幸せを感じられるようにしてやりたい。
そんなことを考えながら、アルカディアの背中をぽん、ぽん、と一定のリズムで優しく叩いてやった。