My sweet kitty


クラウディオは今、窮地に立たされていた。
今日は平日。勿論仕事がある。
現在時刻は朝の7時過ぎ。顔を洗って朝食を食べて着替えて準備をして​​──とやることが沢山ある。
しかし、今​​──その全ての行動が出来ないでいた。

「…アルカディア、もう起きようと思うんだが」

「嫌だ」

「……そうか……」

アルカディアが自身の左腕に抱きついて離れないのだ。腕を抱き締める力は強く、絶対に離さないという意思を感じる。
この状態になって早15分が経過しようとしていた。

「今日は仕事があるんだ」

「いや」

「そろそろ起きないと遅刻する」

「いや」

何度言ってもアルカディアは同じ言葉を繰り返すだけだった。
こんなことは初めてである。
ぐっと腕に力を込めて動かしてみると、不満そうな声を上げて更に強い力で腕を抱いてくる。
そういえばこんな猫の動画をアルカディアに見せられたことがある。あの時は可愛いなと思ったものだが、まさか自分が同じような状況になるとは…。

「…アルカディア」

「やだ」

「何がそんなに嫌なんだ?」

そう問いかけてみると、アルカディアはぐるぐると喉を鳴らし始めた。どうやら機嫌が悪くなったらしい。
アルカディアからしてみれば、何故わからないのかと言いたいところなのだろう。

「………しごとばっかいく」

そして拗ねたような声で呟かれたそれに、思わず笑みが零れた。
これは可愛らしい。
このままではいけないと思いつつも、つい甘やかしたくなってしまう。

「おれのことほっといて仕事ばっか行く!」

アルカディアは頬を膨らませながら言った。まるで子供のような態度だが、それがまた愛らしく感じてしまう。

「それは悪いと思っているよ」

「思ってない!ぜったい思ってない!!」

ぷんぷんと怒り出したアルカディアを見て苦笑いを浮かべると、彼は更に不貞腐れてしまったようだ。
困ったものだ。

「おれのくらでぃおなのに」

「そうだな」

「いつもいない…!」

「仕方ないだろう?仕事だからな」

「むぅ〜ッ!」

「ふふ、そんなに怒らないでくれ」

「怒ってないもん!」

そう言いながらも彼の顔は不機嫌そのものといった様子だった。
絶対に離すものかと言わんばかりに強く抱きつく姿はとても微笑ましいのだが、ずっとこうしている訳にもいかない。
どうにか説得しようと口を開くと、それより先にアルカディアが動いた。

「いててて」

突然痛みを感じた左腕を見ると、アルカディアが噛み付いていた。
それも結構痛い。
慌てて引き剥がそうとするが、アルカディアはそれを許さない。必死にしがみついて離れようとしなかった。

「こら、噛んでは駄目だと何度も言っているだろう」

「やだーっ!」

完全なるわがままモードだ。こうなってしまえば何を言っても聞かない。
ああ、しまった。対応を間違えたかもしれない。
クラウディオは後悔したが時既に遅し。
アルカディアは完全に臍を曲げてしまっていた。それでもずっと腕にくっついている辺りがいじらしいのだが。
ちらりと時計を見ると針は7時30分を指していた。

「……アルカディア」

「やだ」

「まだ何も言っていないぞ」

「絶対やだ」

取り付く島もないとはまさにこのことか。
こうなれば実力行使しかないだろうと、クラウディオは半ば強引にアルカディアを引き剥がした。すると彼は一瞬悲しげな表情を見せた後、すぐにむっと眉を寄せて睨んできた。

「……怒ったか?」

「おこってない」

「……そうか」

明らかに嘘だ。声音からもわかるくらいに怒っている。困った猫である。
クラウディオが体を起こすと、アルカディアは完全に拗ねてしまったようで布団の中に潜り込んでしまった。

「アルカディア」

「……」

返事はない。
家を出るまでに機嫌を直してくれるかわからないが、とにかく今は時間がないのだ。早く支度をしなくては間に合わない。
クラウディオは足早に洗面所に向かった。



なんとか間に合いそうだ。
腕時計の時間を見ながら寝室の扉を開ける。ベッドの上の塊は動いていなかった。

「行ってくる」

「……」

「アルカディア」

「……」

少し待ってみたが、やはり反応はなかった。
流石にここまで拗ねられると辛いものがある。しかしここで折れるわけにはいかないのだ。
クラウディオは諦めて部屋を出た。



仕事を終えて帰宅したのは午後7時過ぎのことだった。
帰宅して早々、クラウディオは眉を寄せた。
部屋の電気が点いていないのだ。
外灯も玄関もリビングも。全てが真っ暗な状態。普段なら出迎えてくれるはずのアルカディアの姿も見当たらなければ、物音が聞こえることもない。
廊下を進み寝室のドアを開ける。
ベッドの上には誰もいなかった。しかし、布団も見当たらない。
アルカディアがどこかへ出掛けたのだとしても、布団まで消えるのはおかしい。

「アルカディア」

名前を呼んでみるが、やはり返答はない。
試しにクローゼットの中も覗いてみたが、そこにも姿は無かった。小さくため息をついて部屋を見回した時、ベッドの下から何かが出ていることに気がついた。
よく見るとそれは布団の端だ。
まさかと思いつつベッドの下を覗き込んでみると、アルカディアが布団にくるまっていた。

「……アルカディア」

「…………」

「そんなところで寝るんじゃない」

「……やだ」

「風邪を引くだろう」

「……いいもん」

「良くないだろう」

「やだ」

アルカディアは依然として動こうとしない。
まさか朝クラウディオが出てからずっとここにいたのか。
呆れつつも、こんなに寂しがり屋な猫を一人にして仕事に行った自分にも非があると思い直す。

「アルカディア」

もう一度名前を呼ぶともぞもぞと布団を頭から被って動かなくなった。見たことがないくらい拗ねているらしい。さてどうしたものか。

「…アルカディア」

「……」

「私がいない間、ずっとここにいたのか?」

「……」

「出てきてくれないと、キスをしてやれないんだが」

「……」

「……仕方のない奴だな」

全く。本当に手のかかる子だ。
そう思いながらも、こんなにも愛しく感じるのだから不思議なものである。
ゆっくりと手を伸ばして優しく布団の上から頭を撫でると、ぴくりと体が震えた。

「ほら、出ておいで」

「やだ」

「どうして?」

「だってくらでぃお怒る」

「怒らないよ」

「うそだ」

「本当だよ」

布団から目元だけを覗かせてこちらを見るアルカディアの目の前で指先を動かすと、彼はそれをじっと見つめてきた。そして恐る恐るというふうに手を伸ばすと、きゅっと掴んでくる。頭を打たないように気をつけながら引っ張ると、アルカディアは素直に従って出てきた。
そのままぐっと引き寄せて抱きしめると、抵抗せずに大人しく腕の中に収まってくれた。

「ただいま」

優しく頭を撫でながら、頬に口づけを落とす。
するとアルカディアは体の力を抜いて、甘えるように胸板に顔を擦り寄せてきた。

「おかえり…」

小さな声で呟かれたそれに、思わず笑みが零れる。

「…ほんとは」

「うん?」

「くらでぃおかえってきたの、すぐわかった。玄関、会いに行きたかった」

「そうか」

「でも意地はった…」

そう言ってしゅんとするアルカディアを見て、クラウディオは苦笑いを浮かべるしかなかった。
なんというか、この子は。

「おれいなくて、びっくりすればいいのに、って思って」

「それでずっと隠れていたのか」

「ん……」

本当に可愛いことをするものだ。
布団ごとベッドの下に潜り込んでしまう詰めの甘さも、こうして素直に白状してしまうところも、全て可愛くて堪らなかった。
腕の中の温もりをぎゅっと抱き締める。

「そうだ、お前に言っておかなければならないことがある」

「…?」

ゆっくりと顔を上げたアルカディアの表情は、まるで叱られるのを待つ子供のようだった。
何を言われるのだろうかと思っているのがありありと伝わる。
じっと見つめていると、みるみる小さくなってゆく体。
怒られると思っているのかもしれない。縮こまっていく様が面白くて、つい笑ってしまわないよう気をつける。

「あのな、アルカディア」

「…なに」

クラウディオは意地悪な男である。
だから、こうやって少し神妙な顔をしてみたり、声音を変えて話したりして、アルカディアの反応を楽しむ傾向がある。

「実は」

「……じつは…」

アルカディアは完全に術中に嵌っているようで、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえてきそうなほど緊張している様子だった。可愛い。

「明日休みにした」

「あした…やすっ…………え?」

目を丸くさせてぽかんとしているアルカディア。
一体どんな話が飛び出してくるのかと身構えていたアルカディアにとって、その言葉は予想外だったに違いない。

「……やすみ…?」

「ああ」

?が飛び交っているアルカディアを見ながらクラウディオは楽しそうに微笑む。

「今日随分拗ねてたみたいだからな、機嫌を直すにはこれが一番かと思って」

「…………ばか!」

少し考えてからようやく意味を理解したのか、アルカディアは頬を膨らませて睨んできた。
しかし真っ赤に染まった耳が隠せていないあたり、あまり迫力はない。

「深刻な感じで言うのやめて!」

「なんだ、嬉しくなかったか?」

「うれしい!でもなんか事件おこったのかとおもった!」

「はは、悪い」

ふしゃーっと威嚇してくる猫のようなアルカディアを宥めるように頭を撫でると、今度はぺしぺしと叩いてきた。
やはりアルカディアをからかうのは楽しい。可愛くて仕方がない。

「からかうのやめてください」

「悪かったよ、夕飯にしよう」

「ん」

立ち上がるクラウディオの手をアルカディアが握ってくる。ぐいっと引っ張りあげてやると、そのままクラウディオの体に飛びついて離れなくなってしまった。
しっかりその体を支えてやりながらリビングへ向かう。

「くらでぃおだいすき」

「うん、知ってるよ」

「もっとちゃんと言って」

「好きだよ」

「ん」

嬉しそうに小さく笑ったアルカディアの頭を撫でてやる。
そのまま唇を重ねると、アルカディアは幸せそうに瞼を閉じた。

寂しがり屋の猫は、飼い主が大好きなのです。