クラウディオはアルカディアに対して過保護すぎやしないか?とレイスは思う。 アルカディアが出掛ける時は可能な限り送迎するし、食事をその手で食べさせていたり、身の回りの世話を甲斐甲斐しく焼いていたりする。 周りに誰がいようと愛の言葉を口にし、アルカディアを褒め称え、抱き締める。 まるで宝物でも扱うように、誰にも触れさせないようにしているようにも見える。 彼らが再会するまでのクラウディオといえば、ビジネスライクに物事を処理する、冷徹な男だったはずだ。 この二人が恋人同士なのも知っているし、長い長い付き合いなのも知っている。 しかしいくらなんでも、その愛情表現は度が過ぎている気がしてならないのだ。 あぁほら、今も。 「今日帰りに買い物でも行こうか」 「ん。パン屋いきたい」 「ああ、そうしよう」 会話だけなら普通なのだが、クラウディオのその声が、仕草が、表情が、全て甘ったるい。膝の上にアルカディアを乗せて、その腰に腕を回し頬にキスを贈る。 まるで砂糖を煮詰めたような甘さに、レイスは胸焼けしそうだった。 社長室でやってるだけまだマシだろうか。 「あの〜クラウディオさん…書類、ここに置いておきますね」 「ああ、ありがとう」 レイスが声をかけても、視線すら寄越さない。アルカディアの髪に顔を埋めて、キスを繰り返している。 アルカディアもされるがままで、クラウディオの片手を両手で握って遊んでいた。 まるで猫の戯れのような触れ合いだが、すっかり二人の世界に入ってしまっていて、レイスは早々に退散するしかなかった。 付き合ってるのだから、と言ってしまえばそれまでだが…レイスは思うのだ。二人が愛し合っているのはわかるが、なんというか──常に愛情の確認をしていないと落ち着かないのだろうか、と言いたくなるほど過剰に映る時がある。 長い間会っていなかったことは聞いているし、その反動もあるのかもしれない。それにしたって、あそこまでするほどか?とレイスは思うのだが…。 「はぁ…」 廊下に出て、深い溜息を漏らす。 一度クラウディオに聞いてみようか。いや、聞いたら聞いたで怖いな。触らぬ神に祟りなしだ。 レイスは考えることをやめて、仕事に戻ることにした。 自宅でも、クラウディオはアルカディアを離さない。 むしろ自宅だからこそ、誰にも邪魔されない空間だからこそ、クラウディオはアルカディアを離す気はなかった。 アルカディアはそれが当たり前かのように享受する。 クラウディオの膝に座ってテレビを見たり、彼に髪を梳いてもらったり、雑誌を読んだりする時間を気に入っていた。 クラウディオの胸に背中を預けて、彼の体温に包まれているのが幸せだった。 だって漸く、彼と会えたのだから。 もう二度と離れたくない。この幸せを手放したくない。 ずっと、こうしていられたらいい。 アルカディアはクラウディオに寄りかかって、目を閉じてうっとりとしていた。 「アルカディア」 名前を呼ばれて、視線を上げる。 クラウディオがこちらを見下ろして、優しく微笑んでいた。 ああ好きだな。この人が大好きだなぁと、思うのだ。思わず見惚れてしまうほどに、彼の造形は本当に美しくて目を引くものだったから。 でもやっぱり一番好きなのは──その瞳の色だ。光に当たると、金色にも見える。宝石のようで、綺麗だと思った。 「なぁに」 「…なんでもない」 そう呟いて、クラウディオは微笑む。そのまま手を伸ばし、アルカディアの頰を撫ぜて髪を耳にかけた。 さらりとした髪が指先からこぼれ落ちていくのを愛おしそうに見つめて、そのまま頰に手を添える。 くすぐったくて身をよじると、逃がさないとばかりに腰を引き寄せられた。ぴたりと身体がくっついてしまう体勢に困惑しつつ見上げると、彼は悪戯っぽく笑っているだけだ。 「(……かっこいいなぁ……)」 アルカディアはぼんやりとそう思った。クラウディオがかっこいいことなんて、初めて会った時から知っていたけれど、最近はさらに磨きがかかっている気がする。 大人の色気というかなんというか…とにかく、この人はすごくモテるだろうなと思ったし、実際そうだと知っているから納得しているのだけど──それでも不安になる時があるのも事実だ。 彼は自分のものだ。誰にも渡さないし、触れさせたくない。 自分の知らないところで、誰かに取られてしまうのではと考えてしまうのだ。 あぁそういえば、この前も女性社員が彼に気があるような素振りを見せていたことを思い出す。 「……」 突然黙ってしまったアルカディアにクラウディオは首を傾げながら、親指でその頬を撫でた。 「どうした?」 「……あんまり、」 「うん?」 「あんまり、女の人と仲良くしないで」 予想外の言葉だった。今までそんなことを言われたことはなかったからだ。クラウディオは驚いてぱちぱちと瞬きを繰り返す。まさかアルカディアがそんなことを言うとは思わなかったから。 「どうして」 アルカディアはクラウディオの首に手を回し、抱きつくように身を寄せる。そしてその首筋あたりに額を押し付けながら、小さく呟いた。 「くらでぃおは俺のだから、他の人に取られたくない」 その可愛らしい独占欲に、クラウディオは胸がきゅんとしたのを自覚する。 なんて可愛らしいのだろう。愛おしくて仕方がない。 クラウディオは優しく微笑んで、アルカディアの額に口付けを落とした。そしてそのまま強く抱き締める。 「わかった、約束しよう」 その言葉にアルカディアは顔を上げると、嬉しそうに笑った。 ──これだから、この子から離れられないのだ。 平静を装った顔をして、内心は独占欲に塗れているのだから可愛くて仕方がない。 クラウディオは、この男に囚われている。狂おしいほどに、彼の全てを求めているのだ。 アルカディアがクラウディオだけのものであるように、彼もまた、アルカディアのものなのだから。 「嬉しい、ありがとう」 そう言って笑みを浮かべるアルカディアは、本当に幸せそうで──クラウディオは堪らない気持ちになりながらも、それを抑えるように彼を強く抱き締めた。 「ルカさん」 クラウディオの会社の庭でアルカディアは野良猫と戯れていた。今日は快晴で、穏やかな風が気持ちいい。猫は日向ぼっこをしながらゴロゴロと喉を鳴らしている。アルカディアはその毛並みを撫でながら、頰を緩めていた。 そんな時、背後からかけられた声に振り返る。アルカディアをこの呼び方で呼ぶのは、ここでは一人しかいない。 ──レイスだ。 「なに?」 「こんちは。さっきこれ貰ったんすけど、一緒にどう?」 レイスは手に持っていた紙袋を掲げて見せる。中身はどうやら焼き菓子のようだ。焼きたてらしく、ほのかに甘い香りが漂ってくる。 アルカディアはこくりと頷いた。それを見たレイスは嬉しそうに笑う。 二人でベンチに座りながら、焼き菓子を口に運んだ。さくりと軽やかな音を立てて割れたそれは、口の中でふわりと溶けて消えていく。甘さ控えめでとても美味しい。 「聞きたいことあるんすけど」 「ん」 レイスの言葉に、アルカディアはもぐもぐと口を動かしながら首を傾げる。すると、彼は少し躊躇うような素振りを見せながらも口を開いた。 「あの…クラウディオさんて家でもあんな感じなんすか?」 「あんな?」 「いや、なんかほら…会社でもルカさんずっと撫で回してるじゃないすか…あれが家でもそうなのかなって」 「そうだよ」 アルカディアは即答する。実際、クラウディオは自宅でもアルカディアを離さないし、大体くっついている気がする。 「マジかぁ…」 レイスは頭を抱えてしまった。その様子に首を傾げると、彼は苦笑いしながら口を開く。 「いや、なんていうか…俺ちょっと心配で」 「……なにが?」 「いや、あの人ルカさんのこと好きすぎるでしょ。執着しすぎっていうか、重すぎるっていうか…いや、まぁ別に悪いとは言ってませんよ?ただちょっと心配っつーか……」 レイスはそこまで言うと口を噤む。アルカディアはその様子を不思議そうにしながらも、焼き菓子を食べ進めていた。 レイスが知る今までのクラウディオが冷徹すぎる男だったせいで、こんなに愛情表現が激しい人だとは思わなかった。 正直、かなり意外である。まぁ、それだけアルカディアを大切に思っているということだろうか。 「あの人何するかわかんねえんだもん…過激派だし…」 ぼそりと呟いた言葉は、アルカディアには聞こえなかったようだ。彼は美味しそうに焼き菓子を頰張っている。 アルカディアに関してもレイスが知る彼とは随分と違う。 以前の彼はもっと冷たい印象を受けるような人だったが、今はまるで別人のようだ。クラウディオと一緒にいる時のアルカディアは、どこか幼くて無邪気で無防備だ。きっとこれが本当の彼なんだろうな、と思うと同時に幸せなんだなぁとも思う。 「(まぁ…俺が心配するまでもないのかなぁ…)」 レイスは焼き菓子をもう一つ摘むと、それを口の中に放り込んだ。さくりと軽い音が響いて消えていく。 クラウディオがアルカディアを悲しませるようなことは絶対にしないと分かりきっているのだから、これでいいのかもしれない。 あんなに荒んだ目をして、四六時中警戒心を解くことなく、武器を手放さなかったアルカディアが、今はこんなにも無防備で幸せそうなのだ。 「もう一個食べていい?」 アルカディアに声を掛けられて、思考の海から浮上する。彼は小動物のように小首を傾げていて、その様子が可愛らしくて笑みがこぼれた。 「好きなだけどうぞ」 「ん」 アルカディアは嬉しそうに焼き菓子を頰張っている。本当に幸せそうだ。こんな姿を見られる日が来るなんて、夢にも思わなかった。 レイスはそんな感慨深い思いを抱きつつ、缶コーヒーに口をつけたのだった。 今日もまた、アルカディアはクラウディオの膝の上に座っている。彼の膝の上は心地よい。とても安心できる空間なのだ。だから、こうしてくっついていることが多い。 アルカディアは後ろから回されているクラウディオの腕を、両手で掴みながらテレビを見ていた。国際情勢についてのニュースが流れているが特に興味はないようだ。それよりも腕の中の感触を楽しんでいたいらしく、何度かにぎにぎと手を動かしてみたりしている。 そんな彼が可愛くて仕方がないのか、クラウディオは彼の頰や額に何度もキスを送り続けていた。 穏やかな時間の中、ふとアルカディアの頭に昼間のレイスの言葉が過ぎる。 『執着しすぎっていうか、重すぎるっていうか』 今思い返してみると、確かにそうかもしれない。 クラウディオは自分のことをとても大切にしてくれているし、愛してくれてもいる。それはわかっているけれど、彼がこんなにも自分のそばに居続ける理由は何なのだろうと思う時があるのも事実だ。 「……ねえ」 「うん?」 「くらでぃおは、なんでずっと俺のこと抱き締めるの?」 それは純粋な疑問だった。彼がここまで自分に執着する理由が知りたいと思った。だから、直接彼に聞いてみる。 その問いに、彼は愛おしそうに目を細めて口を開く。 「お前が好きだからだよ」 即答だった。迷いのない返答に、アルカディアは思わず目を丸くする。まさかそんな簡潔な答えが返ってくるとは思わなかったからだ。 向かい合うように身体を反転させて、アルカディアはクラウディオを見上げる。 彼は優しく微笑んで、アルカディアの頰に手を添えた。 「私の人生で、これほどまでに誰かを愛したことはない」 そう言って、彼はそっと唇を重ねてくる。ちゅ、と音を立てて唇が離れると、こつんと額同士を合わせてきた。至近距離で視線が絡み合う。 「愛してるよ」 甘い声で囁かれる愛の言葉。それを聞く度に、アルカディアの心は満たされていく。彼の想いが伝わってくるからだ。 「愛してる」 もう一度告げられる言葉。それは呪文のように、アルカディアの心を支配する。 アルカディアだってそうだ。彼の人生で、ここまで誰かを愛したことはない。 自身の弟のように、魂の片割れのように、愛おしいと思えたのは彼だけだ。 彼に出会わなければ、きっとこんな感情を知ることはなかっただろうと思うほどに、アルカディアにとって彼はかけがえのない存在なのだ。 「やっとお前を手に入れたんだ。離すことなんてできないし、逃がすつもりもない」 その言葉には、確かな執着が滲み出ていた。それを感じ取り、アルカディアはぞくりと背筋を震わせる。 「だからずっとここにいればいいんだ」 ああ、これは──駄目だ。 本当にこの人は自分なしでは生きていけないのだと、そう確信できた。まるで、呪いのように絡みつく執着。きっともう、彼からは逃れられないのだろうと思うほどに強い想いを感じた。 けれど、それすらも心地よいと、それが当然なのだと思えてしまうあたり、自分も大概なのだろうなと思う。 「アルカディア」 ──その声音は蜂蜜のよう。 粘度と甘さが喉に絡みついて離れないような錯覚に陥るほどの、恋情が滲んだものだった。