before birthday
「アルカディア」
水面を撫でるように指を遊ばせていれば、後ろから呼びかけられた。浴室に響く甘くて低い声にうっとりと耳を傾けながら、甘えるように寄りかかる。
「ん〜……?」
我ながら間延びした声だと思った。
アルカディアを後ろからしっかりと抱きしめてくれる厚い胸板は、先ほどまで必死に縋りついていたものだ。
適温の湯に浸かりながら、後ろからも大好きなぬくもりに包まれてしまえば、心地よい気だるさを纏う事後の身体が睡眠を欲しがるのは仕方がない。だってここはアルカディアが知っている中で、一番安心できる場所だ。
きっともしこのまま眠ってしまっても、起こさずにベッドに運んでくれるだろう。そう言う男だ。
でももう少し、起きて一緒に話がしたい……。
「アルカディア、……眠いのか?」
「……んん、ごめん…なに?」
男によって作られたその居場所があまりに気持ちのよいものだったから、ついつい微睡んでしまっていた。
一緒に寝起きするようになってもう何年も経つ。どうもこの男の前では気を張るのを忘れがちだ。
返答が遅れたのを詫びるために後ろを振り向けば、クラウディオはなぜか嬉しそうに微笑んでいた。自分の前ではよく笑ってくれる気がする。それが嬉しくて、意味もないのにつられて頬が緩む。
どうやら、自分の前で気を抜いているとクラウディオは喜ぶらしい。それも何年も前に知ったことだ。
「さっきは無理させたからな」
可愛がるように頭を撫でて、こめかみにキスを落とされる。
きゅ、と手を包むように握られる。
先ほど、その手によって己の手がシーツに縫い付けられていた記憶を──その時、奥の奥まで男を受け入れ幸せに感じ入っていたことまでを鮮明に思い出させられ、ひくんと腰が跳ねる。
「んぅ……くすぐったい」
相手の思い通りになるのが少しだけ悔しくて、嗜めるようにそう言う。
「それだけ?」
耳元で悪戯っぽく囁かれる。アルカディアの小さな隠し事なんてわかっていながら、あえて指摘をしないという風に。
逃げようとした指を絡め取られ、付け根の部分を擦られる。
「……ぁ、」
微かに乱れてしまった吐息は、男を満足させたようだった。
調子に乗った舌で耳をべろりと舐め上げられ、男の膝の上で身体が跳ねる。わざとらしく立てられるリップ音と食むような唇の感触に、震えて逃げる様を腕の中で楽しまれる。
「ん…んぅ…っ、ぁ、」
腹の奥は、まだこの男の熱を覚えている。それを十分にわかっている唇が、ついばむような動作のまま肌をなぞり、アルカディアの首筋に軽く吸いついた。
「んあっ……!」
ちゃぷん、と大きく波が立つ。口から漏れた甘い声は思った以上に大きく響いてしまった。だから浴室でするのは嫌なのだ。
でも、クラウディオはアルカディアの声を聞くのが好きらしく、こうやってよく悪戯をされる。趣味が悪い。
「お前はいつもかわいいな」
腹の奥がきゅう、と疼く。
もう一度奥に熱を迎えたい。
そうねだりそうになる欲を抑えて、何気ない風を装って話を戻した。
「……何か話、あったんじゃないの…?」
クラウディオの手をとって、指先に甘噛みをするように軽く歯を立てれば、こら、と窘められた。
「ああ、そうだった。今年は何かほしいものはあるか?」
「ほしいもの?」
やさしく言われたその質問は唐突で、おうむ返しに首を捻る。穏やかな琥珀色が、アルカディアをじっと見つめている。少しだけ考えを巡らせ、意図を理解した。
「……誕生日か」
「そう」
正解を褒めるように頭をもう一度撫でた手が、唇にやさしくふれて、喉元から鎖骨にかけておりていく。思わず目で追いかける。鎮まりかけていたはずの熱は、もうはっきりと思い出させられている。
一番さわってほしいところに、その指がおりてくれるのをひっそりと待っている。
「ん……、」
もぞ、と甘えるように首筋に顔を埋める。さわってほしくて、腕の中で腰が淫らに揺れる。なのに指先はぴたりと胸の上で止まり、それ以上は下がらない。肌のなめらかさを堪能するようにてのひらをくっつけて撫でまわされ、冷えた肩に丁寧に湯をかけてくれる。
どうやら、指の主は、質問の返答が欲しいらしい。会話に集中してほしそうなわりに、こうやって予想外の刺激も与えてくるのだ。
そうやって翻弄されることを心地よく、楽しく思いながら、会話を続ける。
「…クラウディオがくれるなら何でもいい」
「そういうのはなしだ」
「んん…」
きっぱりと予想通りの言葉を告げられ思わず苦笑する。毎年やっている気がするやりとりだ。
誕生日ときいて、それが親しい人からのほしいものを思い浮かべて良い日なのだと知ったのは、彼と出会ってからだ。
「でも毎年たくさんくれるし…俺が言ったもの以外も…」
「それはそうだが、お前のほしいものもあげたいだろう」
「…じゃあ酒」
「却下だ」
「欲しいのに」
「酒はもう用意してある」
「……ふふ。楽しみ」
「ああ。楽しみにしててくれ」
愛しさをにじませた声がそう言って、熱くなった耳にキスを落とされる。
思えば昔から、クラウディオはアルカディアを可愛がるのが好きだった。
組織にいた頃も、ルカの分も一緒に毎年祝ってくれた。
「……もう十分もらってるけど…」
それこそ、一生かかっても返せないほどに。
手のひらを見つめながら、ううん、と唸るように言えば、クラウディオがなぜかおかしそうに笑ってみせた。
「お前はもっと欲張りになっていい」
ぽんぽんと頭を撫でる手は、なんだか得意げで、まるでアルカディアの胸中なんてお見通しのようだった。
振り返って、唇をねだるように顎を上向ければ、すぐに愛しい男がほしいものを重ねてくれる。
これ以上ほしいものなんて何もない。
今の生活は、アルカディアにとって十分すぎるほどに幸せなのだ。
ずーっと一緒にいた家族は居なくなってしまったけれど、唯一心を許せる相手が心の隙間を埋めてくれている。
関係性の名前は、アルカディアにとってあまり興味のないことだった。クラウディオの傍にいられたら、それで十分。それ以上はいらない。
なのにクラウディオは毎日、アルカディアにたくさんのものをくれる。体も心も隅々まで明け渡して甘えても、ちっとも怒らない。毎日、調子に乗らないように自分を諫めているほどだ。
「……うーん……」
強情な男だ。何か言わないと納得してもらえないだろう。
そう思いながら、もう一度考える。
ほしいもの。
誕生日。
……あ。
「……じゃあ、」
一つだけ思いつく。
いかがなものかとすぐに思ったけれど、同時に、とてもいい思いつきだとも思った。
「うん?何だ?」
嬉しそうに顔を覗き込んでくるクラウディオに、思いついたものをどう欲しがるべきか、少しばかり慎重に考えなければならなかった。
きっと今直接言っても、もらえないものだ。
あげられないと言われてしまうだろう。
そもそも、曖昧で、自分の中でもまだ具体的に何がほしいのだと言える類ではなくて。
それでもアルカディアは、『それ』がとても欲しかった。
そう自覚してしまえば、誤魔化しようがないくらいに。
ずっと前から、それが欲しくてたまらなかった。
「あー……えと……その…」
「ん?」
言いよどむアルカディアに、クラウディオが不思議そうに首を傾げる。
問いただしたそうにしながらも、アルカディアの言葉をじっと待ってくれる。
その期待まじりの瞳を見つめ、アルカディアは、少しばかり、勇気を奮う必要があった。
ずっと迷って。踏み込めずにいた。
『それ』は、アルカディアだけでは決して得られない。
アルカディアはそれを、他ならぬこの男から教わった。
だけど、この男からじゃないともらえない。
この男からでないと、意味がない。
アルカディアが、この男に、どうしてもあげたいもの。
もうあげられないと諦めていたもの。
「何でも言っていいぞ、アルカディア」
「ううん……」
甘やかすようなやさしい声に、小さく唸ることしかできない。
ずっと勇気がでなかった。
大丈夫だ、と心の中で呟く。
いつの日かクラウディオが、自分にそう言ってくれたように。
クラウディオがアルカディアにくれた勇気は、臆病な自分の心をいつだって、少しだけ背中を押してくれる。
「……クラウディオ」
「ああ」
「……。…その…クラウディオの時間…欲しい」
「うん?」
「一日…クラウディオとずっと一緒に過ごしたい」
言いづらそうに告げられた言葉に、クラウディオがきょとんとして、長い睫毛を瞬かせる。
「もちろん構わないが……それだけでいいのか?」
「…うん。これがいい」
「最初から予定は空けていたけどな」
笑って言われた言葉に、嬉しさを伝えるためにほほ笑んで、感謝のキスをする。
「……それ、と…」
「ん?」
「……その…」
人知れずうろうろと視線をさ迷わせながらアルカディアは、遠慮がちに後ろを振り返りながらクラウディオの手を取る。
「…いま…クラウディオ…が、ほしい…」
クラウディオの手を湯船に突っ込んで、自分の腹の下あたりに導くと背中にふれた体温がぐっと熱くなる。
甘えるようにすり寄り、ついでに尻をクラウディオのそれに押し付ければ、質量も硬度も一気に増した。
悪戯を叱るように、ぐっと体を逞しい腕が掴む。熱い指先が湯に沈んだアルカディアの中心にのばされ、緩く握られる。
「ひ、ぁ……!」
「もう勃たないだろう」
湯の中で柔らかいままの性器を扱かれながら問われ、腕にぎゅっと縋りつくように抱きついた。
「んっ……!でも、さわら、れると、……あっ、」
「嬉しい?」
「ん……ッ!」
言葉に出せぬまま、必死に頷けば、「いいこ」と囁かれる。それだけでパチパチと光が弾ける。痺れて、震えて、クラウディオのこと以外、考えられなくなっていく。
いいこにしたら、褒めてもらえることを、アルカディアはもう知っている。
「くらでぃお、おく、もさわって……」
「素直だな、アルカディア」
跳ねた身体を逃さないというように抱きしめられながら、ぐり、と尻に孤立を押し付けられ、きゅんきゅんと穴が疼く。
過敏な反応を楽しむように後ろから吐息で笑われ、たったそれだけでゾクゾクと官能が駆け上がる。
「幾らだってあげるよ、お前がもういらないって言っても」
これからまた、身体中を好きにさわってもらえる。きっと恥ずかしいことをたくさん言わされてしまう。恥ずかしいところまでしっかり暴かれてしまう。
「ぁ……っ♡」
期待に身体が震え、熱い溜息がこぼれ出る。
心もからだも芯まで幸せに蕩けさせてくれる。
そんな予感に、涙目の視界で頬が緩む。
「くらうでぃお」
水音にまざる自分の吐息が乱れるのを自覚しながら、アルカディアはうっとりと目を細め、大好きな熱をもっと欲しがるように、彼の名前を呼んだ。
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