「あちゃー……やっちゃった……」

 ステージ裏にセットとして置いたあった大きな鏡を前に名前は小さく呟いた。
 スカートに隠れてあまり見えないけれど、ストッキングの太もも裏に小さく伝線の跡。イヤモニの機械を少し調整しようと手を伸ばした時に何か引っかかった感触がしたけれどやっぱり。
 
 それほど大きな伝線ではないし場所的にも激しい動きをしなければ穴になることもなさそうなくらいで、名前はどうしようかと小さく唸った。


 
「あれ?名前ちゃん、どうしたの?」

 伝線を確認するのにいっぱいいっぱいで気づいていなかった。ふと振り返るとそこにはお揃いの衣装に身を包んだ大石がいた。

「あ、大石先輩。んーちょっとストッキング引っ掛けて伝線させちゃって」

 「ほら」とスカートをたくし上げれば「わっ‼︎」と声をあげた大石が顔を背ける。

「もーだからスカートの中はちゃんと見せても大丈夫なように履いてるってずっと言ってるのに」
「そ、そうは言われても反射的に……というより名前ちゃんこそ、そういうことは簡単にしちゃダメってずっと言ってるじゃないか」
「はぁい」

 スカートを持ち上げる手を離すとそれを横目で見た大石ともう一度目が合う。つくづくこの人は律儀で真面目だななんて他人事のように思っていると大石が自身の顎に手を当てた。

「うーん、替えはないのかい?」
「あるけどちょっと時間がギリギリかな。そんな見えるところじゃないし、この後コメントだけ撮ったら一旦休憩に入るからその時替えようかなって」
「でも広がったら大変だろう?」
「そんなに動かないから大丈夫ですよ。後ろも向かないし」

 あっけらかんと言ってのける名前とは正反対に大石の額に皺が寄っていく。

「そうは言っても、コメント中に何を求められるか分からないし見えたらどうするんだよ」
「ターンでも指示されない限り大丈夫だと思うんだけどなぁ」

 どこまで行ったって話は平行線。そうこうしている間にも自分たちの番は迫ってきていて、もうどっちみち替える時間はない。

「……はぁ、分かったよ。ちょっと待ってろ」
「え、ちょ、大石先輩?」

 唐突に自身のジャケットを脱ぎ始める大石に名前は困惑で何もできない。
 そうこうしている間に大石は脱いだジャケットを自身へ手渡してきた。

「これ巻いておきな。何もないよりはマシだろう」
 
 名前の返事を聞く前に、大石は腰にジャケットを回し袖を軽く結んだ。

「えー! 大石先輩、またお母さんみたいなこと言ってる!」
「……お母さん?」
「だって、いっつも心配してくれるじゃん!」

 その満足げな表情と行動に、名前は思わず笑みがこぼれた。

「でも大丈夫だよ? そもそも穴が開いたわけじゃないし、これくらい誰も気付かないって!」
「…………」
「だから、そんなに心配しなくても――」

 
「……そういうことじゃなくて」

 
 ふと、声の調子が変わった。

「……え?」

 顔を上げる。
 いつものように困った顔で笑っていると思った。「まいったな」なんて言って恥ずかしそうに頬を掻いているかと思った。
 
 けれど、大石はひどく真面目な顔をしていて名前は息を呑んだ。

「……俺が、見せたくないの」
「……え?」

 どれくらいの時間だろうか。
 たった数秒、数秒も経っていなかったかもしれない。
 二人の間に妙な沈黙が落ちた。

「……あ! いや、その、ほら!」
 
 先に我に返ったのは大石だった。
 急に慌て始める大石を見て、名前も言われたことの意味を理解した。

「衣装が破れたところを見られるのはやっぱり嫌だろうし! あと、ステージの照明だと目立つかもしれないから!」
「……あ、うん」
「それに、途中で広がる可能性だってあるし!」
「……う、うんそうだね」
「だから、その……!」
「…………」

 名前は自分の腰に巻かれたジャケットを見下ろした。
 いつも頼りになる、大好きな先輩。
 優しくて、面倒見がよくて、少し心配性で。
 まるでお母さんみたいな人。

 ……だった、はずなのに。

「……秀一郎さん」
「ん?」
「……ありがと」
「……ああ!」

 ちらりと大石の表情を見ればいつもの優しい笑顔に戻っていた。

「よし! じゃあ本番、頑張ろうな!コメント収録終わったらちゃんと着替えるんだぞ」
「う、うん」

 名前は小さく頷く。
 大石はそんな名前の姿に満足したのかにっこりと笑って他のメンバーの元へ行ってしまった。

「何、それ……」

 誰もいない虚空に向かって一人呟く。
 さっきの声が、表情が、どうしても頭から離れない。

 ——俺が、見せたくないの。

「……ずるいよ」

 呟いた言葉は空に溶けて消えた。

  :
  :

 後日。
 その日名前は別の衣装合わせで顔を合わせていた。
 唯一の女性である名前はどうしてもみんなと部屋が別になる。
 衣装合わせをしたら男性陣の部屋へ衣装を見せに行くのがルーティンとなっていた。
 
 今日も今日とて名前は男性陣の部屋へ向かう。と、そこにはちょうど鏡の前で衣装を確認している大石がいた。
 
「ねえ、大石先輩」
「ん?」
「今日の衣装、どうですか?」
「うん! よく似合ってるじゃないか!」

 そう言う大石もとてもよく似合っている。とは恥ずかしくて口にはできない。
 でも。

「……そっか」
「どうした?」
「……ううん」

 今この場にはたまたま大石しかいない。
 それなら、少しくらいこの前の仕返しをしたいと思うのは悪いことだろうか。
 名前は小さく笑った。

「……大石先輩が見せたくないって言うくらい、可愛い?」
「……えっ!?」

 数秒の静寂。
 そして意味を理解した大石が大きな声を上げた。

「お、お前! あれは……!」
「ふふっ、冗談です!」

 仕返し、成功だ。

「じゃあ、他の先輩にも見せてきますね〜!」
「お、おい……っ!」
 
 名前は満足げに更衣室を後にした。


 
「…………まいったな」

 嵐のようにやって来ては去っていた名前。

「……可愛いに決まってるだろ」

 そんな彼女が出て行った扉を見つめ、大石は小さく呟いた。

伝線注意報
The age of 17