※喜助さん出ません、読み飛ばしても(おそらく)支障ありません※ 砂埃に混じる、血の臭い。 鬼道の残り火が、枯葉の山を燃やす。 その炎をものともせずに、虚は歩を進めてくる。 苦痛を訴える呻き声、散らばる瓦礫、死覇装の破片、赤い池。 空気を揺らす、虚の鳴き声。 乗り越えたはずの記憶が、手を震わせる。 ────────── 目的地の廃寺に着いてすぐに、その虚は現れた。 手足が白骨化した獣とでも呼べばいいのか、そんな外見の虚の仮面は、半分ほどがなくなっている。 その奥から覗く、ぎらついた瞳。 漂う獰猛さと飢えた気配に、既に結構な数の魂を捕食したのだろうと直感した。 取り囲むより先に、虚が隊士に飛びかかる。 飛びかかられた隊士は斬魄刀で防御したらしく、刀からはとても皮膚がぶつかったとは思えない音がした。 報告どおり、刀は通りそうにない。 いち早く誰かが放った赤火砲が虚に当たるも、火傷のひとつも負っていない。 地を這うような声が聞こえたと思うと、目の前の地面が抉れた。 「な、」 虚は、まだ私には四肢が届きそうもない距離にいる。 味方の攻撃が反れた訳でもない、だったら今のは何? その答えは、すぐに出た。 虚の胴体から、触手が伸びている。 それが視認できない速さで振り回されて、あたりを攻撃しまわっているんだ。 連携を取ろうにも、見えない攻撃で隊士が飛ばされる。 高い番号の鬼道を放とうにも、詠唱の隙に触手に打たれる可能性が高い。 先刻見たように、鬼道1発では歯が立たない。 ならば、一人で連携技を放てばいい。 持ってきていた鬼道用斬魄刀を引き抜いて、鋒を虚に向ける。 「破道の三十三・蒼火墜!!」 反動が手首に返ってきて、痺れが走る。 すかさずもう片手で、黄火閃を放つ。 範囲を絞ったから、通常より多少は威力も上がっているはずだ。 黄火閃に目が眩んだのか、はじめて隙を見せた虚に、他の隊士からも連続で鬼道が叩き込まれる。 叫び声と煙があがって、やがて何も聞こえなくなる。 攻撃を止めると、虚は焼け焦げて動きを止めていた。 終わったと、誰もが思ったのに。 焦げた皮膚がひび割れて、その中から外見は変わらず元より少し小さくなった虚が出てくる。 耳元で風が吹いた次の瞬間、 「………あ、」 隣に立っていた隊士の、腕が飛んでいた。 私の死覇装に降りかかる、生ぬるい液体。 片腕を失くした隊士が倒れると、次々他の隊士も狙われる。 小さくなった分機敏になった本体と、攻撃力を増した触手に、ただでさえ疲弊していた私たちは窮地に陥ったのだ。 ────────── 霊力は、そこまで残っていない。 刀は自分の元々の斬魄刀と、鬼道用斬魄刀が一振ずつ。 仲間のうち戦える者は、片手で数えるほど。 暴れまわる触手をある程度封じて、かつ本体を討つ方法さえ見つかれば、勝機はある。 なのに、震えが止まってくれない。 「朱野さん!!」 警告に、固まりかけていた脚を叱咤して、本体の突進を避ける。 どういう訳か、私には触手が襲ってこない。 その点では本体に近寄りやすい私が触手を落としてしまえば、全員で本体を叩ける。 そして触手には、柔軟性はあまりない。 大丈夫だ、今の私なら、やれる。 「こいつから離れて!!」 何の打ち合わせもなしに発した命令に、仲間はすぐ反応してくれた。 「破道の十二・伏火!!」 崩壊した建物や木々に端を結びつけて、伏火で虚を包囲する。 すぐさまわざと空けておいた空間に飛び込み、伏火の隙間から鬼道用斬魄刀で縛道を撃ち込む。 触手を動かせば伏火の餌食、本体には六杖光牢の拘束。 このまま私が伏火の隙間を縫って、触手を切り離せばいい。 伏火で焼けた触手を見て事態を把握したらしい虚が、切断しようともがきはじめた。 六杖光牢のおかげで、それはほとんど空を掻くだけの無意味な行動と化している。 柔軟性のない触手では、伏火の網目を掻い潜ることもできない。 まずは、1本。 触手の付け根は他の皮膚ほど硬くないようで、斬魄刀で簡単に落とせた。 再生を警戒したが、それもない。 残り少ない霊力で作った包囲と拘束が保っているうちに、すべて落とさなければ。 3本目を落としたところで、仲間が虚に別の拘束を掛けてくれた。 「六杖光牢を解いて、切り落とすのと伏火に集中を!!」 「ありがとうございます!!」 言葉に甘えて、4本目、5本目と落としていく。 いよいよ残り2本となったとき、視界がかすんできた。 高い密度で張った伏火が、思いの外霊力を食っているらしい。 「っ、」 短い触手が、顔の真横で薙ぐ。 頬に弱い痛みが走り、その感覚と疲労感が体に満ちていく。 必死に意識を持ち直して、もう一度攻撃してきた触手を根元から切る。 もう少し、もう少しだ。 最後の、1本。 「こ、れで!!」 肉を断つ感触と、地面に重たいものが落ちる音。 武器を失くした虚が、一際大きく鳴いた。 拘束が保たれているのを確認してから、仲間が近寄れるように伏火を解く。 また疲労感が押し寄せるのを堪えて、刀を構えなおす。 あとは、本体を────── 言葉が、頭の中でさえ続かなかった。 「っえ、ぁ」 すべて切ったはずの触手が、どうして私に突き刺さって。 さっきまで触手に狙われなかったのは、まさか罠? 痛い、痛くてたまらない。 疲れ切った脳内で、雑多に思考が散らばる。 背後で悲鳴が上がったのは、仲間も触手に打たれたんだろう。 よく見れば、触手は本体の口の中から数本生えていた。 触手が本体のほうに引き戻されて、私も強制的に虚に近づく。 傷口がすられて、苦しさに息が詰まる。 「っ、かは、」 「残念、残念、お前は生意気にも私に傷を付けたから、私が直接手を下してやろうと思ったのに、」 狙われなかったのは、そういう理由か。 ひひひ、と嫌な笑い声が、耳に突き刺さる。 「この程度か、死神め、」 笑い続ける虚の触手に、握っていた斬魄刀を振り下ろす。 すかさず他の触手が現れて、それを叩き落として。 ぱきん、と乾いた音が、足元でなった。 「死ぬのは、怖いか、みじめに足掻くほど」 もう少しで食われるほどに、距離が縮まる。 「……怖くは、ないですね」 六杖光牢を放ったきりしまっていた鬼道用斬魄刀を、舌にある触手の根元に突き刺した。 「は、どうの十一・綴雷電」 意識が朦朧とする中では調節がうまくいかず、自分にも少し電流が流れる。 血走った目玉が睨んでくるのを見ながら、虚に両手を向けた。 腹を突き刺されただけで、手足が自由でよかった。 「君臨者よ 血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ、っ、蒼火の壁に双蓮を刻む、た、いかの淵を遠天にて待つっ…………… 破道の七十三・双蓮蒼火墜っ!!!!」 目の前が、炎で真っ白に光る。 爆風で触手が抜けて、激痛が走る。 投げ出された土の上で、荒く息を繰り返していると、数人仲間が駆け寄ってきた。 あちこちから血が流れているし、骨が折られたのか顔色が真っ白な人もいる。 先に倒れた他の仲間は、大丈夫なのだろうか。 虚は今度こそ死んだのだろうか。 確認したいことがあるのに、声が出ない。 肺が、痛い。 隊長、申し訳ありません。 あなたの言葉に反して、無理をしてしまったかもしれません。 けれど、これが私に出来る最善だったんです。 帰ってありのままを報告したならば、どんな言葉を返してくれるだろうか。 怒られてしまうだろうか、それとも。 |