一護との修行を終えた後、鈴音は自室でまどろんでいた。
一護が意識を取り戻すまで一時解散、となり、そのまま昼寝をしてしまったようで、今は目覚めた直後の気だるさに身を任せている。

窓から射し込む夏の日射しを浴びながら、再びこくり、と船をこいだ瞬間、

結界が破られた、その独特の気配で目が冴えた。

仮面の軍勢のアジトを守る"八爻双崖"は、ハッチ独自の鬼道だ。破られるなどありえない。
鈴音が補強したのがまずかったのだろうか。
急いで身を起こし、仲間のいるであろう修行場に向かう。
ふと、慣れない霊圧を感じた。


「え、と……こっち、かな?」


少し前に、何やら独り言を呟く少女がいる。
キョロキョロと辺りを見回しているが、偶然迷い込んだわけでもなさそうだ。
鈴音はそっと瞬歩で忍び寄り、少女の肩に手を置いた。


「ひゃあっ!? な、なに!?」
「あなたは、何者ですか?」


動きを封じたまま、問いかける。
少女は抵抗するでもなく、怯えるでもなく、ごく自然に口を開いた。


「あの、黒崎くんはいますか?」
「黒崎……黒崎一護さんですか?いますよ」


やっぱり!!と嬉しそうに声をあげる少女。
よく見れば"制服"と言ったか、現世の学生の服を着ていて、年もちょうど一護と同じくらいだ。
どうやら、本当に一護の知り合いらしい。


「失礼しました」


少女から離れて、軽く頭を下げた鈴音。
少女もそれにならい、こちらこそ、と謝罪する。


「いきなり人の家に入っちゃってすみませんでした。
あの、それで黒崎くんは?」
「案内します。ついてきてください」


二人は修行場の方向へと、連れ立って歩きだした。
少女に名を聞くと、井上織姫と名乗った。
そういえば、平子の話にそんな名が出ていた気がする。
可愛かったなァ、と冗談めかして(何割かは本気だろうが)言っていた記憶があった。
自分も名乗ったところで、タイミングよく修行場の入り口……と言うよりは階段にたどり着く。
修行を再開したらしく、霊圧のぶつかり合う気配が窺えた。
気づかれるように、少し強めに霊圧を放出する。


「鈴音サン、結界が……」


いち早く階段を振り向いたハッチが、織姫を見つめて目を見開く。
続いてローズ、リサ、拳西も同じような反応を示した。


「…に…人間…!?」


織姫は視線のせいか、軽く汗をかく。
拳西が眉をひそめ、何か言おうとした時だった。

轟音と共に、黒い影が少し離れた岩場に飛んでいった。
ひよ里の怒声が響き、黒い影、もとい一護が立ち上がる。


「黒崎くん!!」
「…井上!?」


織姫が一護に伝えなければいけない話があるらしく、修行は再び中断。
それを終えるとすぐに帰ってしまった。
後には中断のせいで不機嫌なひよ里と、突然の客人に不可解な顔をする数名が残された。
嵐のようにやってきて、いなくなったな、と鈴音は思った。
その嵐は、ほどなくしてまたやってくるのだが。


――――――――――――――――


夕飯の買い出しを終えてアジトに戻ると、また織姫の霊圧があった。
再び一護の様子を見にきたのか、それとも違う用件なのか。
食材などを置き、修行場へ足を運んでみると、ハッチと織姫が向かい合って話し込んでいる。
真剣なその様子に、思わず霊圧を潜めた。
少し遠いせいか、切れ切れに聞こえる内容は、織姫は唯一の攻撃手段を破壊されたために戦線を外された、ということらしい。


鈴音は息と霊圧を殺して、二人に最も近い岩場の死角に潜り込んだ。
行動は見えないが、会話は完全に聞き取れる。


織姫の嬉しそうな声と、ハッチの諭すような声。


「アナタに戦うことは勧めまセン」


ドキリ、と音がしそうなほど、鈴音の心臓が跳ねた。
自分の袖を握りしめ、必死に感情を抑える。
しかし、そこから先の話は、まったくと言っていいほど耳に入ってこなかった。
織姫の霊圧が結界の外側に出たのを感じてやっと我に返る。


『アナタには、これ以上この件で戦うことは勧めない。
というより、外れてください』


思い出すだけで、苦しい。
織姫の気持ちは、簡単に推し量れる。


「こら、何しとんねん鈴音」


突然現れた平子に、こん、と頭をこづかれた。


「盗み聞きするような悪い子に育てた覚えあらへんでぇ」


どうやら最初からバレていたようだ。


「すみません……」
「アホ、今のは"アンタに育てられた覚えないわ!!"てツッコむとこや」


別に咎める気はないらしい。
平子は鈴音の目線に合うようにしゃがみ(それでも差はあるが)、顔を覗きこむ。


「大方、織姫ちゃんの話で、色々思い出してもうたんやろ?」


顔色悪いで、と言いながら鈴音を見つめる。
唇を噛んでうつむく鈴音。


「井上さんを戦線から外したのって……誰なんでしょう」
「……さぁなぁ。一護以外の仲間の誰かやとしかわからんわ」

本当は答えを見つけているが、はぐらかす平子。
織姫にわずかに残っていた霊圧は、間違いなくあの男のものだ。
それを言えば、鈴音はさらに苦しむ。
百年という時間は、彼女の葛藤を解決するには短かった。
無力を呪い、誰より強さを渇望した鈴音。

「なにもできないって……苦しいんです。
事情を知っているなら、なおさら……
自分を外した人に、考えがあるのもわかります……
それに背いて勝手に動いて足を引っ張るのも嫌……」


力のない者が戦えばどうなるかは、あの時に十分思い知った。

声を震わせる鈴音。


「心配あらへん。百年前とはもう、ちゃうんやから。強なったやろ?」


鈴音の頭を撫でて、嗚咽に聞こえていないふりをする平子。
本当に彼女が求めるのは、自分の手でも言葉でもないことはわかっていた。


「仮になんか鈴音がミスしてもうても、だぁれも足引っ張ったなんか思えへん。だぁれもな」


言外にあの男のことを含んでいることに鈴音は気づいていないだろう。

あいつ、今度会ったらしばいたる。
こんなええ子何回も泣かしよって。

密かに決意し、鈴音の肩を抱いた。
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