初めて彼に会ったときのことは、鮮明に覚えている。

笑顔が印象的で、ひよ里さん(当時は猿柿副隊長と呼んでいた)につっかかられても、終始笑っていた。
挙げ句の果てに急所を蹴られても、表情を崩さない。
ひよ里さんは、そんな浦原隊長への苛立ちが限界になったらしく、部屋を飛び出てしまった。


「申し訳ありません!! 浦原隊長……!!」


三席を務めていた私は、ひよ里さんに代わって頭を下げる。
叱責の一言ぐらいはあるだろう、と思っていたら、返ってきたのは笑みを含んだ声だった。


「いやぁ、最初っから信用してもらおうなんて考えてないませんから、大丈夫っスよ。
アナタ、責任感強いんスね、感心しちゃいます」


お名前は?と尋ねられ、苗字を告げる。名も聞かれたので、素直に言った。
隊士を呼ぶなら苗字だけで十分だろうに、といぶかりながら隊長を見る。


「朱野鈴音サン、っスね」


差し出された手。
戸惑っていると、隊長は少ししてそれを引っ込めた。


「スミマセン、嫌でした? こういうの」
「い、いえ!!」


慌てて自分も両手を出し、握手をする。


「そんな焦らなくていいんスよ?」
「はい……」


隊長の手は、私とかなり差があって、両手でもぎりぎり包めるかどうかといったところだ。


「改めて、よろしくお願いしますね」


隊長が、微笑む。
一瞬その笑顔にみとれて。
よろしくお願いいたします、と答えた声が、少し震えた。


「それでは私、猿柿副隊長を探して参ります」


隊長に断り、部屋を出る。
五番隊に所属していた頃から彼女と知り合いであるからか、こういった事態――主に不機嫌な時の対処――は、もっぱら私がどうにかすることになっていた。
1つ曲がり角をまがれば、すぐに小さな背中が見えた。


「副隊長」
「なんやねんアイツ!! ホンマけったくそ悪いわ!!」


どすどす足音を響かせながら隊舎の廊下を歩くひよ里さんに並び、顔を覗く。


「なぁ、鈴音はええんか!? あんなんが隊長でええんか!? 曳舟隊長の後があんなんで!!」


要するにひよ里さんは寂しいのだ、と悟った。
母親のように慕っていた曳舟隊長が突然いなくなり、気持ちの整理がついていないのだろう。
それは私も同じだ。


「私も、曳舟隊長のことは尊敬していますし、すばらしい隊長だったと思います。
ですが、新しい隊長と反目するのは、あまり良くないかと。
まだ職務らしい職務もしていませんし、悪い方と決まったわけでは」


むしろ、彼は"いい人"の側だと感じたが、それを言えばものすごい勢いで反論されそうだ。


「マジメやなぁ、アンタは。ウチと反対やわ」


ため息まじりにつむがれる言葉。
本当は、ひよ里さんも浦原隊長を本気で嫌っているわけではないだろう。
素直になれない性格であることは知っている。


「……まあ、アイツがなんかちょっとでも変なことしよったら、即!! つまみだしゃええ話や!!」


しっかり見張ったる、と息巻くひよ里さんは、一応彼女なりに浦原隊長を認めることにしたらしい。
ひとまず、安堵する私だった。

――――――――――――――――――――――――

その数日後。
私は隊首室に呼び出されていた。
先に入って待っていろ、と言われていたので、襖を開けて入室する。
そこには、見知った顔が1つ。


「ん、来たんか」
「副隊長もですか?」


ひよ里さんはあぐらを組んで、小鉢に盛られた煎餅を食べていた。
いるか、と一枚差し出されたそれを受けとり、口に運ぶ。
焦がした醤油の味が美味しい。
二口目をかじりながら、部屋を見渡した。
計器らしきものや、大きな機械類が並んでいて、曳舟がいた頃とはまったく違う内装。
今自分たちの座っている座布団や、小さな卓袱台は、おそらく普段は出されていないのだろう。


「スミマセーン、お待たせしましたぁ」
「おっっっっそいわ!!」


スミマセンスミマセン、と頭をかきながら隊長は、二人の向かいに腰掛け、話を切り出した。


「今日の話は、鈴音サンの地位についてっス」


思わずビクリと肩を震わせた私に、隊長が優しく言う。


「降格とかじゃないんで、安心してくださいな。実は、三席を二人置くことになりそうなんスよ」
「二人……ですか?」


そんな変則的な編成の隊は、知る限り存在しない。
なにかしら理由があるはずだ。


「えーと、一から解説しますと長くなるんで、要点だけを。
ボク、技術開発局っていう組織をつくるんスよ。
そこの副局長にする人が、なかなか気難しくて……
三席の地位を同時に与えるってことでどうにか説得したんス」


ですが、と重苦しげに隊長が言う。


「その方、実験大好きでしてね。
技術開発局が本格的に動きだしたら、三席としての実務は出来なくなると思うんスよ。
そこで!! 三席を二人置こう、というワケっス!!
えーと、ここまでわかりました?」


何やら聞いたことのない組織の名が出たが、その詳細を除けば理解はできる。


「つまり、私自身は何も変わらないんですよね?」
「その通り!! いやー、話が早くて助かります。
あ、ただ、役職名は変わるんスよ」


隊長が袂を探り、一枚の半紙を取り出した。
そこに踊るのは、『十二番隊 特別副官補佐』の文字。
ちなみに、そこそこの達筆。


「……それ、わざわざ書いたんか」


ひよ里さんの呆れたような問いに、隊長は笑顔でうなずく。


「何かこう、立場が変わるって実感出来る物が必用かと思いまして。
お給金も権限も現状維持っスから」


そして、表情を真面目なものに変え、私に向き直る隊長。


「鈴音サン、引き受けてくれますか?」


即答で肯定の返事をすれば、安堵したのは隊長よりもひよ里さんだった。


「よかったわぁ……ウチあの妖怪白玉団子が補佐官なんか、もっぺん死んでも嫌やったからな」
「ひよ里サン……そこまで言わなくても」
「妖怪……白玉……団子? 何者ですかそれ……」
「あぁ、さっき言った、技術開発局の副局長になる人っス」


それを妖怪呼ばわりとは、ひよ里さんもなかなか酷いな、と苦笑を浮かべる。
なにやらまた隊長につっかかり始めたひよ里さんと、それを宥める隊長を横目に、卓袱台に置かれた半紙を手に取り、改めて眺める。

浦原隊長の、書いた文字。
私の、ために。

そう思うと、何故か顔が熱くなる。
たった六文字の、役職名だというのに。


「浦原隊長、」
「は、ハイ……なんでしょう?」


ひよ里さんに蹴られたのか、赤い鼻を押さえながら隊長が私を見る。


「私、特別副官補佐として頑張ります!!」


決意を告げれば、隊長は、よろしくお願いしますね、と言って、いつもの笑顔を浮かべた。

この笑顔を、もっと見たい。
不思議とそう思った。
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