特別副官補佐としての日々は、思ったよりも苦労はなかった。
隊長の言ったように、実務は三席の時とほとんど変わらない。
ただ、技術開発局での手伝いが増えたくらいだ。


「鈴音サーン、ちょっとそこの薬品棚の、上から四つ目、右から二つ目の瓶をとってくれますー?」
「は、はい!!」


何故か隊長の手伝いに回ることが多いので、段々物の配置も理解できてきている。
目的の瓶を手に取ると、隣の部屋から聞き慣れた怒鳴り声が響いてきた。


「あらら……ひよ里サンてば、まーた涅サンと喧嘩してますねぇ」


もはや日常茶飯事と化しているので、驚くこともない。


「お待たせしました」
「ありがとうございます、鈴音サン」


隊長は瓶を受け取ると蓋を開き、中の薬品を器具で吸い出す。
その表情は真剣そのもので、普段とは違う人間のようだった。
小さな水音がして、吸い出された薬品が他の薬品と混ぜられる。


「……よし、と」


隊長の唇が、わずかに弧を描く。
これも普段の笑みとは違う。
不埒な話だが、なんともいえない色気があるのだ。


「そうだ鈴音サン、この後暇っスか?」
「ふ、はい」


すっかり上の空だったところに声を掛けられ、舌を噛んだ。
隊長がその様子を見て微笑む。
その笑みはすっかり普段通りで、少し残念な気もした。


「鈴音サン、鬼道がお得意だって平子サンに聞いたんスけど、あってます?」


そういえば、五番隊にいた頃に鬼道を褒められたことがあったな、と思い返す。
当時はようやく席次が十になったところだったので、隊長に話しかけられたことのほうに驚いたが。


「はい。贔屓目に見て中の上くらいだと思いますけど」
「十分っスよぉ!
一つ、協力してほしい実験があるんス。白衣置いて、隊舎の門前に来てくれますか?
別に急かさないんで、ゆーっくり支度してくださって構いませんから」


お願いします、と再び微笑んでから、隊長は白衣を脱ぐ。
上司を待たせるわけにはいかないので私も実験室を後にしようとする。
―――――――と。


「……スイマセン、ひっかかっちゃいました」


隊長の頭のあたりで、中途半端にひっくり返った状態の白衣がつっかえている。
髪がからまりでもしたのか、自分ではどうにもできないらしい。


「た、隊長、お手伝いしましょうか」
「お、お願いします……」


さきほどの同じ言葉とは打って変わってし弱々しく呟く隊長。
駆け寄って、白衣がどうなっているのかを見てみた。
背中の側に一つだけある留め金が、頭頂部付近の髪に複雑に絡んで、下手に触れば留め金にも髪にも損害が起こりそうだ。


「隊長、あの、動かないでくださいね?」
「はいッス……」


白衣を左手で持ち、右手で留め金にかかった髪を外していく。
癖があるからか、予想よりもさらにほどきにくい。


「だいじょぶスか?切っちゃってもいいっスよ?」
「いえ、もう少し」


最後の一束をほどき、もう一度同じことが起こらないように、完全に白衣を脱がせた。


「いやぁー、ホントにスミマセン……」


死覇装だけになった隊長が、硬直していた首を鳴らす。
そして、私の頭にポン、と手を置き、そのままくしゃりと撫でた。


「ありがとうございます。お時間取らせちゃいましたね。
鈴音サンも準備してきてくださいな」
「はい!」


一礼してから、小走り気味に研究室を後にする。
その最中、頬がずっと熱かった。

隊長の髪に、あんなに長い時間触れた。
はじめて見た隊長の死覇装だけの姿。
白という膨張色をまとっていないせいか、普段よりも華奢にみえた。
そして、頭を撫でてくれた。
温かくて、少しだけ骨張った手のひら。
就任挨拶の日に握手を交わした時よりもずっと、あの手の感触が特別なものに思えた。

揺れる懐でカサリ、と音がする。
発生源は隊長の書いた「特別副官補佐」の任官状だ。
彼の文字が、彼がくれた地位が愛しくて、ずっと持ち歩いている。
―――――きっと、おそらく。


私は浦原隊長のことが好きだ。

それは隊長へ抱く部下としての敬愛ではなくて、恋愛感情として。

一目惚れ、分類するならばそうなるのだろう。

あの笑顔に、私にくれた言葉に、文字に、どうしようもなく溺れてしまった。


今から二人でどこかへ行く。
目的が実験でも、ついつい笑みがこぼれた。
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