翌朝、隊員からの聴取と諸々の解析結果を合わせた報告が、支給端末に届いた。
比較的小型なトリオン兵が数体境界を越えた地区もあったが、建物への被害や死傷者は無し。
本部の誘導機能に異常はなかったが、より本部に近く門が開くよう、調整作業が実行済。
しかし今後の状況次第では、警戒区域の拡張もありえるらしい。

三門ローカルのテレビはしばらくこの話題で持ち切りで、今日も朝から不安げな声を聞くともなく聞く。
切り替わった画面には天気予報が映された。
今日は、この辺りで雨らしい。

本部内では、メディア対策室に慌ただしく人が出入りしていた。
防衛任務に一層尽力せよと、一応通達らしきものもされ。


「とはいえやることは変わらないから、気合入れていくぞ」


しばらくぶりの、海尽がいない任務だ。
今日は、どこか他の隊と組んでいるのだろうか。


「任務にあたる前に、少し聞きたいことがある」


トリオン兵が侵出したのは、海尽の家の近くだった。


「先日の件で、ボーダー批判の流れが少し活性化してしまったみたいでな。
一応隊員と親御さんに、意思確認をしておくことになった」


あの辺りを根城にしている活動家たちが、こんな機会におとなしくしている訳がない。
海尽はまた、あんな悪意を受けて、冷たい家でひとり過ごすのか。


「秀次、」
「……大丈夫、なのか」
「秀次」


少し強めに、肩を叩かれた。
はっとして、東さんに向き直る。
俺は今何を言ったのか、何を聞き逃したのか。


「お前の親御さんは、ボーダーで活動し続けることについて、何か言ってなかったか」
「あ、ああ、それは、特には何も」


ああそうだ、海尽には、こんな時に心配してくれる親もいない。
俺や他の誰かが何を聞いたって、きっと"大丈夫"としか返さない。またあの笑顔で、すべてを誤魔化す。

浮かび続ける顔を、必死でかき消した。
今から任務だ、あいつのことなど考えている場合じゃない。
トリガーを握りしめて、息を吐く。
重たい曇り空に、門が開く。
それを合図に、散開の指示が飛ぶ。
一度戦闘が始まれば、他ごとは意識に上らなくなる。
近界民を、殺す。排除する。その一念を唱え続ける。
近界民より自分が嫌いだと、そう言った声を忘れ去るために。
壊して、壊して、同じように壊れていくあいつの残像ごと斬り刻む。


「消え、ろ」


刻んで、ひたすらに刻み続けて。
門が閉じ、トリオン兵がすべて活動を止めた頃には、雨が降り出していた。
普段と同じように任務をしていたはずなのに、呼吸が切れていることに気づく。
それを落ち着けようと、開けた箇所を探して座り込んだ。

周囲より少し高くなったそこから見えるのは、空とコンクリートの繋がった一面の灰色と、トリオン兵の残骸。
放棄地帯の景色なんてどこもそんなもので、学校の屋上ならともかく、こんなところから辺りを見渡して何が楽しいのか。
それを問う相手は、今日はいない。
整えた息を吸って、立ち上がる、と。


「本部より緊急連絡、警戒区域に一般市民の進入」


珍しく張り詰めた声の通信。


「現場には一人正隊員がいるようだけど、門が開けば市民を守りつつ戦うのは厳しくなるわ。
三輪くん、1番近いあなたがまず増援に向かって」


了解の返事を返すと同時に、視覚に座標が送られる。
その方角を確認した瞬間、


「海尽、」


何も確証などないのに、名が口をついた。
崩れた街を、走り抜ける。
降りしきる雨も、湧き上がる胸騒ぎも、すべて振り切るように。
整えたはずの息が切れるのも無視して。
座標の地点――――門が口を開けた、その場所へ。

耳元で何かしらの会話が聞こえる。
門がトリオン兵を吐き出す。
あと少し、もう少し。
悲鳴と衝撃音は、耳元からか目の前からか。

集っているモールモッドを、一気に背後から斬った。
急所を避けたらしい一体の目玉を突き刺して、次の標的を定める。
狙おうとしたバムスターが、閃光に撃ち抜かれた。
今のは狙撃用トリガーの弾だ。
東さんが、射線の通るところに出てきたのか。


「秀次、一般人の保護に回ってくれ。トリオン兵はこっちからどうにかする」
「了解」


予想通り入った通信に従って、一般人を探す。
トリオン兵は、トリオン能力の高い人間から狙うよう作られている。
まずはさっきモールモッドが集っていたところか、その近辺が目星だ。
背後の爆発音を聞きながら、辺りを見渡す。
瓦礫の中に、見慣れた形状のものが落ちていた。窪みがついた、黒いそれ。
近くに、腰が抜けたらしい人間が二人座り込んでいる。
そして、離れたところに横たわる人間がもう一人。


「っ、あ、」


真っ赤に染まった、白い服。
雨に打たれて、薄赤い水たまりが地面に広がる。
この光景を、知っている。


「いやだ、」


動かない体の温度を、重さを、知っている。


「いやだ、いやだいやだいやだっ、なんで、」


どうして生身で、どうしてお前が、どうしてこんな、


「いやだ、海尽、」


誰かが俺の肩を掴む感覚も、話し声も、何もかもが遠い。
雨音しか、聞こえない。

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