「三輪くん、あっち金魚掬いあるよ!!」
「走れないんだから落ち着……おい聞け!!」


下駄を鳴らして駆けて行く海尽。
出店の電球に目が眩んで、花柄の影を見失いかける。
まったく、どうしてこんなことになったのか。



『三門市・秋祭り』
そう書かれたチラシが、そこかしこに貼られていたのが2週間前。
元々の開催場所が警戒区域に指定された関係で中断されていたが、再開の目途が立ち、秋だというのに花火まで上げるらしい。
当日、陽介に引きずられるように連れ出され、着いた先で海尽たちに会って。
気づくと、俺たち二人で取り残されていた。


「陽介君探しに行く?」
「いや、いい……お前こそ、仁礼たちを探さなくていいのか?
そっちは、約束して一緒に来たんだろう」
「"は"って……三輪くんは、もしかして陽介君に連れ出されでもした?」
「そんなところだ」
「そんな気はしてたよ……とりあえず光ちゃんに連絡してみようかな」


海尽が、手にしていた籠から携帯を取り出すと、タイミングよくそれが震える。
電話ではなくメールだったらしく、目を通している間しばらくの沈黙。
突如海尽の顔が、煮あがった。


「何が書いてあったんだ?」
「……え、と、とりあえず、皆は戻ってくる気はないみたい、花火が上がるころまで」
「どういうことだ」
「み、道が混みすぎてて引き返せないんだって、うん」


海尽は目を泳がせながら、携帯を壊れそうなくらいに握りしめている。
どうしようかな、と時折呟きつつ。


「三輪くん帰る? 私ひとりでも大丈夫だから」


そうしようかと一瞬思うが、落ち着きのない様子の海尽が気にかかる。
祭りに便乗した妙な輩がいないとは限らないし、こいつがそれに遭遇しないとも限らない。
戦闘員だった頃ならともかく、今はただの学生とさして変わらない運動能力しかないこいつが。


「……適当に集合場所を決めて、仁礼に連絡しろ。出口あたりなら開けた所のはずだ。
そこに着くまでは付き合ってやる」


決して心配、とかじゃない。
仮にこいつに何かあったら、後味が悪いというだけだ。
何もなくても、置いていくなんてありえないだとか何とか、本人より仁礼や陽介がうるさそうだ。
だからこれは、あくまで打算。
なぜこんな言い訳じみたことを、そもそも誰に向かって言い訳しているのやら。
考えると、変に気分がざわつく。


「いいの?」
「なんだ、そっちが嫌なら帰るが」
「そうじゃないけど」
「だったら早く行くぞ」
「あ、待って光ちゃんにメールする」


携帯がしまわれるのを確認して、出口の方向へ向かう。
人だかりは増すばかりで、確かにこれでは引き返せないのも納得だ。
少し後ろを歩く海尽は、どうも下駄に慣れていないようで、段々と距離が開いていく。
振り返ってみれば、ちょうど何かにつまづいたところだった。
転びはしなかったものの、危なっかしい。
数歩戻って、籠を持っていないほうの海尽の手を握った。


「ど、したの三輪くん」
「見ていられないからだ」
「あの、私に合わせると遅くなるけど」
「怪我をされるよりマシだ」


きょとんとした海尽はすぐに「大げさだなあ」と笑って。
それから、手を握り返してくる。


「はぐれちゃったら困るし、手、借りとくね」
「……そうしろ」


海尽の手が、いつもより熱い気がした。
夜風が冷たい季節のはずなのに、どうしてなのか。
不審な目に気づいたのか、海尽が「ああ、この浴衣はね」と説明しだした。


「玲ちゃんが貸してくれたの、せっかくお祭りだからって」
「玲……那須か」
「玲ちゃんのこと、知ってたんだ?」
「奈良坂の従姉弟だからな、名前くらいは」


俺が聞きたかったのは浴衣の出処ではないが、それはそれで少し気になっていたからまあいい。
夏時期の浴衣よりも、落ち着いた暗めの色で描かれた花柄。
何の花なのか、季節に合わせたものなのかもまったく知らないが、似合ってはいると思う。


「三輪くん、あっち金魚掬いある!!」
「走れないんだから落ち着……おい聞け!!」


本人には、落ち着きの欠片もないが。
握っていた手がするりと抜けて、下駄を鳴らして駆けて行く海尽。
出店の電球に目が眩んで、花柄の影を見失いかける。


「1回お願いしまーす!!」
「っ、なんでこんな時は動きが速いんだ」
「金魚飼いたいの!!」
「居住区画で飼っていいのか?」
「うん、魔改造アクアリウム作ってる先輩が開発室にいるよ」
「ま……?」


金魚の品定めをしている視線が、右往左往。
どうやら狙いを決めたらしく、浴衣をまくった腕が、網を水中に入れる。
ほんの一瞬で、薄い紙が裂けた。


「……あれ」


心底不思議そうにしているが、今のはどう見てもやり方が悪い。


「もう1回……」


今度は、金魚に突っ切られて綺麗に穴が開いた。


「も、う1回」


今度は金魚を掬い上げたものの、捕まえておくための器が水に流され、それを追いかけている間に、逃げた金魚が紙を破いた。
ひょっとしなくても、海尽は金魚掬いが下手だ。


「おっかしいなぁ、昔はお椀いっぱいに捕まえられたのに」
「何年前の話をしてるんだ……」


もう1回やってみるかと店主に吹っ掛けられて、素直に小銭を出そうとするのを制する。
このままだと、カモもいいところだ。
それに、さっさとしないと集合する前に仁礼や陽介が帰りかねない。


「お前じゃいつまで経っても捕れなさそうだ、俺がやる」
「え、それは嬉しいけど、せめてお金」
「俺が勝手にやりたいだけだからいい」


網と器を受け取って、水槽に目をやる。


「さっき、どれを狙ってた」
「えーと、あ、そっちの黒いの」
「……こいつか」


コツなんて元から知らない、とりあえず慎重にいけばどうにかなるだろう。
逃げ回る黒い金魚を、半透明になった紙に載せる。
暴れられるより先に、器に滑り込ませた。


「ほら、これでいいか」
「す、すごいね三輪くん……」
「別に……」


網はまだ破けてはいない、もう一匹くらいは捕れそうだ。


「他、欲しいやつはいるか」
「そうだなぁ……この子」


指さされた斑模様の金魚を追って、網を沈める。
ちょうど器の真上で網が破れて、危ないところで捕まえられた。
持ち帰り用の袋に二匹とも入れてもらって、再び出口のほうへと向かう。
水と金魚の詰まった三角形を、海尽は目の高さに上げていつまでも眺めていて。
もう出店もない暗い通りで、足元も悪いのに。


「またつまづいても知らないからな」
「そしたら三輪くんも巻き添えで転ぶね」
「その前に手を離す」
「ひどいなぁ」


そんな下らない会話をしているうちに、花火が上がる音がした。
結局、花火が始まるまでに合流はできなかったか。


「ねえ見てこれ」
「なんだ急、に」


海尽の眼前にあった袋が、俺の目の前に掲げられる。
水を通して歪む花火と、泳ぐ金魚。
色を変えていく水の中に、黒と斑模様が変わらずに浮いている。


「綺麗じゃない?」
「……そうだな」


背伸びして同じ水をのぞき込む頭に、自然と手が伸びた。
まとめ上げられた髪を崩さないように、撫でてみる。
一瞬驚いたような顔で俺を見たが、嫌がる訳でもなくすぐ水を眺めに戻る海尽。

海尽の兄も、海尽にこうしていたんだろうかとふと思った。
昔、俺もよく姉さんにこうされていたっけ。
不思議と、今は思い出しても苦しくなかった。
それが恐ろしくて、唇を噛む。
忘れることは、許されない。
忘れて、幸せになることなど。
どうして幸せだと感じたのかなんて、それは。


「……あ、」


真暗になった水に、俺と海尽の顔が映る。
黒い金魚は闇にまぎれて、どこにいるのかわからない。
溶けて、消えたかのように。


「花火、終わっちゃったね」


寂し気に笑う顔は、はじめて見た。
またひとつ記憶が増えて、またひとつ幸せだと感じて。
またひとつ、怖くなって。


「あ、いたいた!! 海尽ー!!」
「光ちゃん!!」
「……悪い邪魔した!!」
「え、あ、ちょっと光ちゃん!!」


背後から仁礼の声が飛んできて、一気に静寂が破られた。
勝手に何やら大騒ぎしていて、海尽がいつの間にか仁礼を追い回して、俺の隣から消えていて。


「どーだったよ秀次」
「陽介……勝手に連れ出して勝手に消えるな」
「まあまあ、んで、楽しかった?」


どう答えても、嘘になる。
たのしかった?それだけじゃない。
たのしくなかった?それは違う。
呆れて、綺麗だと思って、懐かしくて、恐ろしくて。
ただ、今日のことを、忘れたくないと思う。


「……悪くは、なかった」


結局それくらいしか、言葉が見つからなかった。



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