結局坂頼は任務後に体調を悪化させ、今日は今日で、学校に来たはいいものの早退したらしい。
なぜ別のクラスの俺の耳にそんな話が入ったかというと、坂頼の担任から、提出期限が週明けだか何かの書類を渡すよう頼まれてしまったからで。

住所も渡しとく。
土日でもボーダーのほうで会ったりするだろう、悪いが頼んだ。

つい先日もしたようなやり取りで、断りきれず今に至る。
こんなところが"妙に律儀"と言われた所以なんだろうと、一応の自覚はあるのだが。
担任は言い淀んでいたが、同じクラスには届け物を任せられるほど、坂頼と親しい者がいないようで。
そういえばあいつを見かけるときは、いつもひとりだった。

それにしたってなぜ、ボーダーで渡すのでなく、今からあいつの自宅へ向かうことになってしまったのか。
原因、むしろ元凶ははっきり言って、隣を歩く人物だ。


「なんで、加古さんがあいつの家に行くんですか」


住所の覚書を握って歩く俺の横には、スーパーの袋ともうひとつ、がちゃがちゃと鳴る紙袋を携えた制服姿の加古さんがいる。
道中彼女に出くわし、坂頼を見舞うから、ついでだし同行しろと半ば引きずられたのだ。


「あら、別にいいじゃない。それともお邪魔だったかしら?」


意味するところを理解して、盛大に溜息をつく。
それを返事代わりに受け取ると、加古さんは笑いだした。


「本当は、私も心配だし、東さんにも様子見を頼まれたのよ。
学校は午前終わり、任務もなくて暇だったから好都合だわ」
「……はあ」
「暇なのは二宮くんもだけど、彼はこういうのに向いてないもの」


本人不在の場所で散々な言いようだが、俺から見てもそれは事実だ。
心の中で謝りながら、再び覚書に視線を落とした。

これが正しければもうすぐ着くはずなのだが、この辺りは警戒区域ぎりぎりの地区だ。
侵攻からの安全は保証されているが、地価は暴落し、元々の住人は、市外や市内のより警戒区域から遠い所に引っ越し。
残された住居を市が買い上げて格安で貸しているそうだが、半ばゴーストタウン化している。
そのせいか治安も良くなく、不良や過激なアンチボーダー活動家達の根城になっているとさえ聞く。
実際、ついさっき通りがかったアパートのドアのひとつには、ボーダーを詰る言葉が、塗料でいくつも書かれていた。


「……三輪くん」
「はい?」
「ここじゃ、ないかしら。海尽ちゃんの家」


少し後ろで立ち止まった加古さんは、件のアパートを見上げていた。
よく見れば、近くの電柱に掲げられている番地は覚書と一致する。
建物に刻まれたアパート名も、同じく。
心臓が、嫌な音をたてた。
部屋番号は、203。
敷地内に入って、錆びついた古い階段を登る。
原色の、どす黒い悪意。
それが"203"と書かれたドアを、びっしりと彩っていた。

市民を守れなかった無能、子供を危険に晒す外道、お前らもネイバーと同罪、お前たちがあいつらを呼んでる……
ご丁寧に、表札の"坂頼海尽"の名前の周りにも、取り囲むように誹謗中傷。
下の名前の部分は以前汚されたのか、上からテープを貼って書き直す有様だ。


「ひどいこと、するわ」


小さなポストから溢れそうになっているのもきっと、同じような罵詈雑言の書かれた紙なのだろう。


「こっちもなんとかしたいけど、ひとまず海尽ちゃんのことが先ね」


インターホンを押しても、反応はない。
すると加古さんが紙袋を俺に預け、ポケットからごく普通に取り出したのは、小さな鍵。
この局面で出てくるということは、坂頼の部屋の合鍵だ。


「これも預かったのよ。倒れてちゃ、インターホンにも出られないだろうからって」
「預かったって、」
「東さんから……開いた、チェーンとか掛けられてないといいんだけど」


幸い、引っかかることなく扉が引かれる。
靴が一足だけ置かれた他何もない玄関は、二人で入るとかなり手狭だった。


「海尽ちゃーん、お見舞いに来たわー」


呼んでみても、返事はない。
加古さんを先導に、玄関から近いドアを開くと、布団にくるまった坂頼がいた。
さすがに気づいた様子で、ぼんやりした目が驚愕に開く。


「え、なんで、っ、え?」
「ごめんなさいね、勝手に入らせてもらって」
「かこ、さん、それに、みわくんまで」


坂頼が咳き込むと同時に、手に冷たいものを握らされた。
そして、紙袋が加古さんのもとに戻る。
握らされたものは、スーパーの袋の中にあったであろうスポーツドリンク。


「海尽ちゃん、今日何か食べた?今はおなか空いてる?」
「たべてない、ので、ちょっとおなか空きました、」
「なら、お粥を作ってくるわ。キッチン借りるわね……あ、三輪くんは、それを飲ませてあげて。
それから、ちゃんと見ててあげてね」


言うなり加古さんが、すたすたと別のドアの向こうへ消えた。
昨日の今日だ、さすがに気まずい。
どうしたものかと泳がせた視線が、運悪く坂頼とかち合った。

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