彼女の好物がチョコレートだ、というのは、少し前に知ったこと。 鞄にもポケットにも一口サイズのそれを携帯して、よく幸せそうにかじっている。 ここまでは良しとしよう。 別に菓子類は違反品でもないし、チョコレートを食べる時の雛乃の笑顔は大好きだし。 問題は、唯一つ。 「会長ー、日誌書いてるんです?」 「うん。もう少しだから、待っててね」 「はい!!………あ、黒崎せんぱーい!!」 僕の机の側にいた雛乃が、廊下に駆け出す。 その先には、能天気な髪色のあいつ。 そう、問題とは、共通の好物を通して黒崎と雛乃が交流を深めつつあることだ。 話題といえばもっぱらチョコレート、今日は自販機に新しく入ったチョコレートドリンクの話らしい。 盗み聞きするつもりはないけれど、廊下の声なんて聞こえないはずがない。 「意外においしいですよねー、あれ」 「120円だからってなめてたら駄目だよな」 「安くておいしいとか最高ですよ!! あ、それから」 笑って話しながら、雛乃が何やら携帯電話(ラバスト?とやらがいくつか付いている物)を取り出して、黒崎に画面を見せる。 「貰い物がおいしかったんですけど、どこの店かわからなくて……先輩知ってます?」 「あー……この箱どっかで見た気ぃするような……」 落ち着け、石田雨竜。 距離が近いとか気にするな。 一つの画面を覗きあってるんだから仕方ない。 なぜ黒崎が、雛乃の携帯電話を手にする必要があるのかは理解に苦しむが。 「あ、わかった商店街のケーキ屋だ。たしかあっこ、チョコも売ってたろ」 「それだ!! ありがとうございます!!」 「ホンットーにチョコ好きだよなぁ、一護も雛乃ちゃんも」 ああ浅野くん、なんで君が雛乃を名前で呼ぶ。 「チョコはこの世の大正義だと思ってますから!!」 雛乃も、どうしてそれを受け入れるんだ。 走らせていたペン先が、軽い音と共に砕ける。 頁にも、小さな穴が開いてしまった。 だから、落ち着け、僕。 別に疚しいことは、何もないんだから。 こんなの、普通の雑談だ。 「そうだ春田、ちょっと手ぇ出してくれ」 「?はい」 言われるがまま、黒崎に両手を差し出す雛乃。 なんだ、お前は何をする気だ黒崎!! 「いつも情報もらってばっかで悪ぃから、お礼っつーことで」 ぱらぱら、飴玉のようにくるまれた小さなチョコレートが、手から手へ。 「あ、ありがとうございますっ…!! さっそく食べていいですか!?」 「口に合うかはわかんねーけど」 「いえ、おいしいに決まってますって!! いただきまーす」 包みを解いて、一粒口に運ぶ。 満足げで、溶けてしまいそうな笑顔。 本当に可愛くて、僕はその表情が大好きで。 だから。 僕以外に見せるなんて、耐えられない。 わざと音を立てて席を立てば、耳聡く雛乃が教室の側を振り向く。 「会長、もう日誌、」 「春田さん、おいで」 腕をつかんで、雛乃を連れ出した。 「え、あ、あの、どうか」 戸惑う声には、答えない。 普段なら合わせる歩調も、今日はそうしない。 ほとんど走るようにしてついてくる気配に、少し罪悪感を感じながら、それでも止まらずに歩く。 この階の一番隅の教室――――生徒会室。 誰もいないそこに雛乃を引き入れて、片手で扉を閉めた。 握ったままの細い手首を、冷たい壁に押し付ける。 距離も詰めて、僕と壁の間から逃げられないように閉じ込めて。 現状が理解できていないのか、空いているもう片手で抵抗しようともしない。 少ししてようやく動きを見せたその手も捕らえることなんて、容易かった。 「ねえ、雛乃」 押しのける腕がないのを良いことに、わざと耳のすぐ傍で名前を呼ぶ。 「僕より、チョコレートのほうが好きみたいだね?」 「へっ!?」 「と言うより、黒崎のほうが好きなのかな?」 言い過ぎた、と後悔しても遅い。 視界の端に映る目が、明らかに傷ついた色を宿す。 これじゃ、本当に嫌われても仕方ない。 そもそも、馬鹿げた嫉妬だとは理解している。だけど。 君の、大好きだというキャラクターの名前がいつの間にか変わるように、いつかは僕からも離れていくんじゃないかって。 その"いつか"が今日、今この瞬間なんじゃないかって。 それが、いつもいつも恐ろしくて堪らないんだ。 「……ごめん、こんな、君を疑うような真似」 「ほんと、そうですよっ」 泣き出しそうに揺らいだ声に、胸を刺される。 思わず緩んだ拘束から両手が抜け出して、僕の服にすがった。 「私が一番好きなのは、会長に決まってるじゃないですかっ」 抑えきれなくなった雫を零す両目。 それを隠すように、顔を僕の胸元に埋める。 「こういうことしたいと思える人は、会長だけなんですっ。 いつも、バカな私の話聞いてくれて、引かないでくれて、一緒にいてくれて、そんな人、会長以外にいないですよ、これからもずっと。 会長に私の代わりがいても、私に会長の代わりはいないんです」 そこまで一気に話して、涙の波が来たらしい。 必死に声を殺そうとして上下する背を、壁につけたままになっていた手で撫でた。 彼女の言葉に、今更のように自分の言動の軽薄さを思い知る。 「君の代わりなんて、いるわけないだろ」 「だって、かいちょ、が」 「うん。無神経だった……ごめん、雛乃」 抱き寄せた体は、壁の温度で冷え切っていて。 「わ、悪かったと思うなら、二度とさっきみたいなこと聞かないでくださいっ……そ、それから」 一気に、雛乃の顔が赤くなる。 「や、やっぱりいい、です。なんでもないです」 「どうしたの? 気になるじゃないか」 「え、いや、その……引かないでくださいよ?」 仲直りのキス、とか。 「それくらい、遠慮しなくていいのに」 「え、遠慮っていうか、そもそもこれってケンカかどうか微妙だし」 「じゃあ、喧嘩してたことにしよう。これで良いだろ?」 反駁しようとした唇を、塞ぐ。 ほんの少し甘い味がして、元凶に思い至った瞬間、それが憎らしくなった。 「口、あけて」 黒崎に手を差し出したのと同じように、なんの疑問もなく、僕の声に従った雛乃。 まさかそのまま、再び唇を合わせられるなんて思ってもいなかったらしい。 反射的に離れようとするのを、また壁に追い詰める。 全部全部、奪いつくしてやる。 頬の内側も、歯茎も、その裏側も、逃げる舌も捕まえて、味わいつくしてあげるから。 チョコレートの甘さを全部僕で塗り替えて、甘い欠片を口にするたびに、僕のことで頭が一杯になってしまえばいい。 貪るうちに、苦しげな息が聞こえるようになる。 服を握り締められる感覚も、その呼吸も、僕にとっては何より甘い。 とうに口の中からは甘みなんて消えうせているのに、まだまだ足りない。 「まだ、黒崎からもらったの、あるだろ」 「っ、あり、ます、けど、」 壁伝いにへたりこんで、肩で息をする雛乃。 チョコレートを食べている時なんかより、ずっと溶けた顔。 いっそ、全部、たべてしまいたい。 潤んだ瞳と僕の視線が重なって、危険な感情に支配されそうになった、その時。 「春田さーん、ケータイ、一護に持たせっぱなしだったよー」 「こ、こじませんぱいっ!!!!????」 大げさなくらいの勢いで、扉が開いた。 ハイ、と呆然としている雛乃の手に携帯電話を返して、僕のほうに歩み寄る侵入者、もとい小島君。 「女のコ、泣かせたらダメだよ?」 「な、」 「それから、こういう時はカギまで閉めたほうが良いと思うな……ああ、安心してよ、一護たちには何も言わないから」 ニコリ、と笑う小島くんと反対に、僕の表情は固まる。 いつからいたんだ、と聞く前に、颯爽と去ってしまった。 「…………え、と」 入ってきたのが黒崎じゃなかっただけマシだ、それくらいしか救いが見当たらない。 「か、会長?」 「誰か僕を埋めてくれ……」 「え!?」 この日が『会長のいろんなネジが飛んだ日』として雛乃の記憶に残されたのは、また別の話。 後書きのようなもの |