「喜助さーん」 炬燵机へ突っ伏した状態の由里果サンに、リラックスしきった声で呼ばれる。 どうしたのかと帳簿から顔を上げれば、同じ声で「みかん食べたい」とお願いされた。 みかんを入れたカゴは、どちらかといえばボクより彼女に近い方に置いてある。 よって中身を取れない訳がないのだが、要するに甘えたいらしい。 現に、炬燵布団の中に両手を入れたまま、動く気配すら見せない。 「ハイハイ、ちょっと待っててくださいね」 「んー」 帳簿に栞を挟んで閉じ、積まれたみかんの山からひとつを手に取る。 ボクの作業中も由里果サンは机に頬を付けた状態で、このまま寝やしないかと不安になるくらいのくつろぎっぷりだ。 「……みかんの剥き方って、個性出るよねぇ」 「ああ、地方とかによって違うんでしたっけ」 「そうそう」 どちら側から剥くだとか、筋は取るか取らないかだとか、なんの収穫もないくだらないことを議論しつつ、みかんを剥き進めていく。もちろん、由里果サンの御要望どおりの剥き方。 「由里果サン、出来ましたよ」 一声掛けると、密着していた机から離れる頬。 が、一方で両手は変わらず炬燵の中。 ずい、と上半身がこちら側へ乗り出してくる。 そして、口が開いた。 「ん」 「……食べさせろってことで良いんスか?」 小さく頷かれたので、思わずまばたきが増える。 こんなにも甘えてくるのは、さすがに珍しい。 とはいえ、悩んでいたり疲れたりしているから甘えたいという風情でもないので、ひたすら甘やかし放題いちゃつき放題の機会を逃す訳もなく。 「はい、あーん」 開いた口に、みかんを一房放り込む。 咀嚼するのを眺め、食べ終えたのを確認してもう一房。 美味しいとも何とも言わないが、満足そうな表情が全てを物語っている。 可愛い、ひたすらに可愛い。 餌付けのようなこの繰り返しが、終わらなければいいのに。 とはいえ当然、みかんは有限。 「これ、最後っスよ」 「ん」 さて2つ目はご所望か、と覗き込んで見た顔の横に、炬燵布団の中から出された手が突然現れる。 その手はゆっくりと、カゴからみかんを取り上げ。 「今度は、私が食べさせてあげる」 どうしたんスか、今日。 うっかり口に出しそうになって、すんでのところでとどまった。 言ったら、由里果サンは確実に拗ねる。 この至福のひとときが、間違いなく終わる。 衝撃やら何やらでまともなコメントが出来そうにないので、顎を炬燵机に付いたまま器用にみかんを剥いていく様子を、何も言わず見守ることにした。 無言のボクと、集中しているため同じく無言の由里果サンの間に流れる、しばしの静寂。 ややあって、実から離された皮が、先刻ボクが剥がしたそれの横に置かれる。 まったく形の違う2枚を見やって、由里果サンの口角が上がった。 「良いよねぇ、こういうの」 「こういうのって、食べさせ合いっスか」 「それもそうだけど」 言いつつ、打ち捨てられたみかんの皮を2枚とも摘み上げる、ほんのり黄色く染まった爪。 「自分がいる空間に、自分と全然違う誰かの痕跡がある感じ? なんて言ったらいいのかな……とにかく、一緒に居るんだなって実感できて、好き」 甘い色が滲んだ眠そうな目と、ボクの目が合う。 ごく当たり前になった光景の中に、取りとめのないことの中に、そんな幸せを見つけられる。 そしてその幸せを、ボクに分け与えてくれる。 そんな由里果サンというひとが、どうしようもなく愛おしい。 改めて心の底からそう思えて。 ボクも、こういう瞬間が、由里果サンのことが、大好きですよ。 伝えようと開けた口は、残念ながらみかんに塞がれてしまった。 |