台所の床に、無惨にぶち撒けられた水。転がるコップ。
その周囲と、私の口元は茶色い粉まみれ。
ついでに咳が止まらない。
ひどく咳き込む声を聞きつけて飛んできたらしい喜助さんも、さすがにこの状況にきょとんとしている。


「事件ではないみたいっスけど、どうしたんスかこれ」


背中をさすりつつ投げかけられた質問に、なんとか答えた。


「く、薬が」
「薬が?」
「……すっごくまずい」







「つまり、不味い上に妙に量が多い薬を飲もうとしたら、見事に喉に引っかかって、味と粉っぽさで噎せた結果がコレだと」


諸々の始末を済ませたあと口をゆすいで、事情をざっくり説明。
薬の説明書をしげしげと眺めていた喜助さんが「こりゃ不味くて当たり前っスねぇ」と呟いた。成分だけで、なんとなくの味はわかるものらしい。
さて、薬を1回分丸ごと無駄にしてしまったけれど、それでも飲まないといけないことに変わりはない。
正直、飲みたくない。ため息が止まらない。


「のみたくない」
「残念ながら、ちょっと聞けないお願いっス」
「なんでこういうときは甘やかしてくれないの」
「それがアナタの為、ってやつですかね」


にこやかに新しい薬包を持ち出してくる喜助さんが、今だけは悪魔に見える。
そもそも、喜助さんと薬の組み合わせというのはなんだか物騒……もしくは、口移しとかを期待してるんじゃないかと思えて。
そういう前科が無いでもないので、ついつい後ずさる。


「ちょっとちょっと、なんで距離とるんスか泣きますよ」
「……薬、口移しで飲ませるとか言わない?」
「万一アタシが噎せたら惨事じゃないっスか、粉薬ではやりません」


つまり粉薬じゃなかったらやるのか。
ツッコミどころは有るけど、ひとまず今は警戒しなくて良さそうだから、とった距離を戻す。
改めて差し出された薬包を睨みつけていると、不意にあることが頭を過った。


「雨ちゃんが具合悪かったときに使った、薬の味をごまかすゼリーみたいなのあったよね?」
「余り分なら、とっくに使用期限切れで捨てましたよ。
ついでに、近所の薬局の品揃えからも消えちゃいました」


希望は、数秒で砕け散った。
いや、まだだ。一応うっすら希望は残っている。


「じゃあ喜助さん、それっぽいの作れない!?」
「作れないことは無いっスけど、すぐには出来ませんね」
「うぐ……」


アイスやゼリーみたいな、薬と同時に口に入れて味をごまかせそうなものは、冷蔵庫に無し。
今手に持っている分は、何をどうしたってこのまま飲まなければならないらしい。


「イヤなことはささっと終わらせましょ、ね?」


諭すように言われてしまえば、諦めるしかなかった。
いつの間にやら汲みなおされていた水を煽り、封を切った粉薬を流し込む。
息を止めて、全力で意識を逸らしても、やっぱり不味い。


「まっっっずい……」
「はいはい、よーく頑張りましたねぇ」


子供にするみたいに頭を撫でられて、思わず唇を尖らせたら「子供くらい駄々こねてた癖に」と、考えたことも全部筒抜けの言葉を貰った。
困ったような声を出しながら喜助さんは、尖ったままの私の唇を指でつっつく。


「むくれないでくださいよ、次回分から薬用のゼリー作ってあげますから、テッサイサンが」
「人任せなの!?」
「アタシは監修っス。
あとそのゼリーを由里果サンに食べさせる役割」


いや、重病人じゃないし、ゼリーくらい自分で食べられるんだけど。
言ったところでたぶん聞き入れられないし、ゼリーの監修に対する正当な報酬としてだとか何とか、そんなかんじで丸め込まれそうな気がする。


「由里果サンに"あーん"できる機会なんて、滅多にありませんからね」
「やるならもっと美味しいものが良かった……」


うっかりこぼした言葉を拾われて、「"あーん"自体は拒否しないんスか」なんてニヤつかれてしまった。
大好きな人に甘やかされるんだから、嫌な訳が無い。
そう言おうとしたけどやっぱり恥ずかしくて、コップに残った水を無意味に飲み込んでごまかした。

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