「ファーストキスはレモンの味……ってさ、どこから来たんだろ?」

ふと湧いた疑問の答えは、向かいに座る喜助さんも知らないらしい。何かの帳簿に目を通しながら、「確かに、どこ発祥なんスかねぇ」とつぶやいている。
話しながらキャンディの欠片を飲み込んで、ふたつめの包みを開けた。瓶の中を見ずに適当に取り出したから、さっき食べたのと同じ味。向こう側の透ける黄色が綺麗な、レモンのキャンディ。
これとファーストキスは、どう考えても同じ味じゃないと思う。

「喜助さんは、ファーストキスの味って覚えてる?」
「由里果サンは覚えてないんスか?」
「えー……どうだっけ……」

相手や場所は覚えていても、そんなところまで気にかけている余裕なんてなかったような気がする。
当時は、未婚の男女がキスしている場なんて見つかる訳にはいかない時代だったから、そういう緊張感の記憶のほうが強かったのが正直な感想。
そこまで思い出して、喜助さんが自分の回答を避けたことに気づいて。

「喜助さんこそ、どうだった?」

目を合わせて話題を振りなおすと、逃げたのがバレたと言わんばかりの、微妙に気まずそうな苦笑が返ってくる。

「聞いても面白くないと思いますよ?」
「そのフリってことは、聞かないほうがいい内容?」
「単に覚えてないんで、聞いたところでつまらないって話っス」
「なーんだ、私といっしょ」

それならそうと最初から言ってくれればいいのに、なんだか含みを持たせるから、無駄に身構えてしまった。
たぶん、私たちのようにファーストキスの味を覚えていない人たちが抱く"甘酸っぱい"イメージが、なんとなくレモンになったんだろうなぁとひとり納得する。レモンだって、甘酸っぱいというか、酸っぱい寄りだと思うんだけど。実際いま食べているキャンディは、あんまり甘くない。
ずいぶん縮んだ球体を噛み砕いて、ばらばらになった塊を飲む。3つ目を食べるか食べないかで迷っていたら、喜助さんが帳簿から視線を上げて、こっちを見ていた。

「俗説ですけど、飴を噛み砕いちゃう人って、ストレスが溜まってるらしいっスよ」
「……そうなの?」
「そこで、手っ取り早いストレス解消法が!!」

勢いの良い音を立てて、帳簿が閉じられる。
それと入れ替わるように広げられる、持ち物がなくなった喜助さんの手……というか腕。
言動と行動がまったく結びつかなくて不審がっていると、「まあこれも俗説なんスけど」と話が続く。

「1日のストレスのうち3分の1は、ハグで消えるらしいんスよ。という訳で、こっち来てくださいな」
「なんか怪しい!!」
「いやいや、一応科学的根拠もあるんですって!!」

物は試しと言わんばかりにアピールしてくるので、別に減るものでもないから、付き合うことに決めた。
ハグは、別に嫌いじゃないし。
とはいえ、それ自体を目的にハグすることなんて滅多にないから、なんとなく照れてしまう。
「失礼します……」と謎の一言を添えつつ前に座った私の胴に、喜助さんの両腕が回る。「こちらこそ、失礼しますね」なんて言ってるのに反して、けっこう遠慮ない力が込もっているような。

「どうっスか、ストレス消えてる感じします?」
「うーん……?」

ここは肯定してあげるべきところなのかもしれないけど、正直に言うと何もわからない。
密着しているのは安心するから、癒やされるのは確かにそうかも。春先の太陽に当たった体温が、いつもより温かいのも心地いい。
ただ、喜助さんの開いた胸元が近づくのには慣れなくて、いつまで経っても緊張してしまうから、それで差し引きゼロになっている気がする。触れているところから、私の鼓動や息、高鳴っている何もかもが筒抜けになっているのも。

「まあ分かんないっスよねぇ」
「うん……」
「もう一つ、試してみてもいいっスか?」

私の髪を撫でていた手が移動して、顎に触れる。そのまま引き上げられて、帽子の陰になった目と視線が合う。
何度かそのまま瞬きしていたら、喜助さんの口元が緩んだ。

「キスにもストレス削減効果があるとされてるんスけど、いかがです?」

首を傾げながら尋ねられて、つい「なんでわざわざそういうこと聞くの」なんて可愛くない反応をしたのに、喜助さんは相変わらずニコニコ、むしろニヤニヤ。
終いには「こういう可愛い反応が見たかったから……って言うともっと怒っちゃいますかね」だとか言い出すので、背中に回していた手の平でそのまま攻撃を加える。
それをいつものようにわざとらしく痛がりながら、ハグの力を強めてきたせいで、先にこっちがギブアップする羽目になってしまったけど!!

「で、どうしますか?由里果サン」

改めて聞いてくる様子はすごく楽しげで、もう答えを知られていることが丸分かり。私から言わない限り、その答えのとおり行動する気はないんだろう。ずるいなぁと思うから、また可愛くない反応を返しそうになるのをこらえて、「…………オネガイシマス」と言ってみる。
するとすぐ、ご機嫌な笑い声が降ってくると同時に、呼吸を奪われた。思ったより長く重ねられて、口の中に残っていた味が消えていく。しょっちゅうゆるっと笑っている唇は、こういうときでも優しいけれど、優しくない。

「ほんのりっスけど、レモンの味しますね」
「全然ファーストキスじゃないけどね」
「今日分のファーストってことでひとつ」
「夜中に寝ぼけてキスしてきたの忘れてる?」
「アレはギリギリ昨日っスよ?」
「……バッチリ起きてたんだ?」
「そういうことっス」

もう一回腕の力を強めながら「これは忘れないでくださいね?」と不意に、さっきまでより真剣な声で言われる。
一瞬はかりかねた意味に気づいて、今度ばっかりは素直に頷くことにした。


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