晴れた青い空から、滴が降る。

天気雨、予報すらされなかったそれを避けて、ひとまず雨宿りできる場所を探した。
町唯一の、大きな神社。その建物の、屋根の下に入り込む。

瓦を打つ雨音を聞きながら、服や髪にハンカチを当てていると、隣に人が立っていたのに気づいた。

背が高くて、少し変わった白い和服を着ている。
髪は綺麗な銀色で、目がすごく細い。


「きつね?」


いつのまにやらそう口にしていた。
その人が気づいて、私のほうを向く。
目が合っているのかそうでないのか、判断がつかない。


「狐、か。まぁまちごうてはないな」


薄い唇が、つり上がる。


「半分は狐。あとはなんやと思う?」


からかうように、笑みが濃くなっていく。
変な人、というのが率直な感想だけど、不気味だとか怪しいだとか、そんな風には感じなかった。
なんとなく、知り合いと話しているようなかんじがしたから。


「半分……人?」


それ以外ありえないし。


「残念。答えはな、」


細くて骨張った指が、小さな看板を指さした。
少し煤けたそれは、神社に昔から設置されているもので、たしか、土着神か何かの解説だったような。
筆文字の文章を、ざっと読み通す。
その中に狐と、もう1つ生き物の名前を見つけた。


「……蛇?」
「正解」


咽の奥で笑う声がする。
やっぱり、からかわれてるのかな。


「あなたは、誰?」
「ここに住んどるモン、って言うべきやな」


ここ、と言いつつ、指先が社(やしろ)に移動した。
はい、からかわれてますね。自分はカミサマだとでも?
いい具合に雨足も弱まってきたし、さっさと帰るべきかな。

ぺこり、頭を下げて、屋根の外へ足を踏み出す。


「……信じへん、か。ならしゃあないな」


背後で、こんな呟きが聞こえた……ような。

――――――――――――――

おかしい、おかしいよ、おかしい!
さっきから、神社の中を無限ループしてる。
屋根、社、鳥居、屋根、社、鳥居!!


「おっかしいわ!!」


大絶叫してごめんなさい、神様たち。


「何これ!! 帰りたい!!」
「帰りたい? ムリやなぁ」
「はぁ!?」


背後に白い人出現した!!


「不審者か、不審者なのか」
「酷いなぁ、そこの住人やって言うたやん」


指先にはやっぱり、社。


「カミサマなの、あんた」
「だらだらしとるだけの神様やけどな。特になぁんもやることあらへんから」
「それニートじゃん」
「にぃと? なんやそれ……ボクのこと信じへんの?」


こいつが本当にカミサマかどうかなんて知らない!!
あんたがこれを引き起こしてるなら、とりあえず帰らせろ!!
白い服の胸元を、おもいっきり掴みあげた。


「……こわ。あかんよ、女の子がそんなことしたら」
「うるっさい帰らせろ私をーーーーーー!!」
「じゃあ信じる?ボクが神様やって」


なんでそんな信じるか否かにこだわるんだ!!
神様ってこんなもんなんですか?


「信じます信じます、もういいよね」
「キミ、神様の扱い雑やな!?」
「はいはい、帰らせて」


がっくんがっくん、白銀の残像がブレるくらいに揺すれば、わかったわかった……と狼狽気味の声がした。


「帰らしたるわ、しゃあない」


指を鳴らす音と同時に、空気が変わる。


「ほら、戻したったで」
「はいさようなら」
「ホンマに雑やわ……」


衿を離して、カミサマに背を向ける。
言ったとおりちゃんと、鳥居を抜けたら敷地外に出られた。


「またな、今度はお供え物持ってきてや」


鳥居の上に座って、足をぶらつかせるカミサマ。
いつの間に移動したんだろう?


「干し柿か、油揚げか、小豆飯がええわ」


リクエストつき!? 大体干し柿って、別に狐の好物でも蛇の好物でもないと思うけど!?


「もう来ないから!!」


そう叫んだら、また無限ループにはめられた。


「神様は、信仰がないと死ぬんやで? キミが頼みの綱やねんけど」


神様の脅し、こわい。
そうしてここに、私の神社通いが決まってしまったのです。




ぴぃ、ぴぃ、ぴぃ。ふしゅう。

蛇が来るから、泥棒が来るから、大人から色々な理由で禁止される、夜の口笛。
近所迷惑を避けるためだと気づいたのは、いくつになったときだっけ。

ぴぃ、ぴぃ、ぴぃ、ぴぃ、ふしゅう。


「鳴らない……」
「下手やな、たしかに」


さっきまで顔を出していた窓を、反射的に閉めた私は悪くないと思う。
抵抗むなしく、窓枠がみしみし鳴るほどの力でこじ開けられて、カミサマ――もといギンが、部屋に文字通り転がり込んだ。


「本当に蛇呼んじゃったよ……」
「あぁ、そんな迷信あるなぁ。お邪魔すんで由里果」


言いつつ、ベッドに腰掛ける。
なんだか最近、神様の力的なものが高まっているらしく、活動範囲が神社の近辺から広がりつつあるみたいだ。
そりゃそうだ、毎日毎日私がお祈りして(させられて)、色々供え(させられ)てるんだから、力もつくでしょうよ!!
信仰がないと死ぬ、と言われて断りきれない私も私だけど!!


「なんで口笛なんか吹いとんの? 暇潰しか?」
「うん、暇潰し。ギンは口笛吹ける?」
「吹こうと思えばな。山からなんや出てきても嫌やし、普段は吹かへんけど」


ギンの薄い唇が、口笛を奏でる様子を想像してみる。
多分、悔しいけど絵になるんだろうな。


「吹いてみてよ、今」
「今?ええけど……」


不思議そうながらも、要望には答えてくれるらしい。
ギンの唇から、どことなく寂しげな旋律が流れた。
日曜の夕方、プールから上がった後、そんな感覚に似たような、形容しがたい寂寥感。
そして、やっぱり予想どおり、横顔がすごく絵になる。

いきなり部屋に現れるとか、そもそも人間じゃないとか、その辺りを除けば、かなりかっこいいんだよなぁ、ギン。


「……なんかまた、失礼なこと考えてへんか?」
「ベツニカンガエテナイヨー」
「口調からおかしいやん!? いっつもいっつも……」


私の唇に、いきなり冷たい指が触れた。
中指、人指し指が、それぞれ下唇と上唇をなぞる。
細いギンの目が開いて、まっすぐ見つめられて、思わず固まった。


「生意気なんは、この口か?」


息をするのも忘れて、鮮やかな寒色の瞳を見つめ返す。
あぁ、やっぱりムダにかっこいい。


「神様ナメたらあかんよ? 人の心ん中くらい、すーぐわかる」
「うわープライバシー侵害」


なんとか言い返すと、今度は頭をギンのほうに引き寄せられた。
鼻先がくっついて、くすぐったいし恥ずかしい。


「誰彼構わず見とるわけちゃうよ。興味あるコだけ」


口説いているような、囁き声。
こんなかっこいい人にこんなこと言われたら、普通はコロッといっちゃうんだろうけど、私はそうはいかない。


「どっちみちプライバシー侵害じゃない?」
「……ひど」


空いていた片手が、デコピンを繰り出した。
地味に痛いぞ、ひりひりする!!


「なにすんの」
「あんまり由里果が生意気やから、嫌がらせ」
「こいつがカミサマとか納得いかない」
「人をからかうんは、狐の性分や」


悪びれずに言うギンに、デコピンをお返し。


「明日のお供え物は、干し柿無しね」
「嘘やん……」


うっかりドキドキしたのが悔しいから、これくらいは許してよ。




ギンが祀られている神社には、大きな池がある。
鯉や蓮の花なんかもあって、なかなかに本格派な日本庭園のそれだ。
惜しいことに、少し奥まったところにあるからか、周りに人がくることはほぼない。
だから、今の私には好都合だった。

フラれた。しかもアイツ浮気してやがった。
友人と喧嘩した。
任された仕事で、特に何もミスしてないのに、理不尽なくらい怒られた。

色々積み重なって、珍しく結構へこんでいる。
堪えても、涙が勝手に出てくる。
顎までつたった滴が、ぴちゃりと音を立てて池に沈んだ。
それを餌だと勘違いした鯉が、わらわらと寄ってくる。


「何も持ってないよ」


水面を見つめて、呟いた。


「ホンマに、なんも持ってきてないみたいやな」
「っ、ギン」


水鏡に浮く、白い影。
考えてなかった、ギンが来ることを。
泣き濡れたままの目で振り返るのは嫌だ、絶対からかわれる。
だから、背中を向けたままでいた。


「ここには、人はあんまりけぇへんからな。気配があんのが変やとおもて」
「そっか」


必死に、涙を止めて、平常心で答える。
餌を諦めた鯉たちが、また散り散りに泳ぎだす。
後ろに立つギンの姿が、よく映るようになった。
ゆらゆら揺れる白が、しゃがみこむ。それでも私より、頭ひとつ背が高い。


「由里果、ええ場所やろ?ここ」
「うん」
「だぁれもけぇへん。だぁれも見てへん。何しててもわからへん」


うつむく私のつむじを、信じられないくらい優しく撫でるギン。
しばらくそうした後、撫でていた所に顎を乗せた。


「痛いんだけど……」
「痛いやろ?泣くほど」


あぁ、そっか。


「痛いよ、ほんとに涙出るくらい……っ」


誰も来ない。誰も見てない。何をしててもわからない。

ギンのわかりにくい気遣いと、悔しさと、悲しさと、あと少し怒りと、たくさんのものが込み上げて、しゃくりあげる声が止まらなくなった。
いつのまにか、ギンが私を後ろから抱きしめていて。
白い服なのに、膝が湿った土につくのも気にせずに。


「ギン、服」
「別にかまへんよ。………なぁ、もし」


耳に、唇が寄せられる。


「もし、ココで生きていくんが、ほんまに苦しかったら……」


言いかけて、口をつぐんだ。


「ごめんな、今のなしや」


苦笑が、耳朶をくすぐる。


「神様やのに、なんもできへんくてごめんな」
「ギン……」


そんなの、ギンが気にすることじゃない。
首に回っていた腕に、そっと自分の手を添えた。


「ありがと、ギン」
「なんや、珍しく素直やん」


すっかり普段通りに戻った調子に、口角が上がった。
取り敢えず、明日のお供えは干し柿増量してあげよう。




神社に、お祭りはつきものだと思う。
金魚すくい、射的、ヨーヨー釣り。

しかしだ。
先日言ったとおり、フラれたもんで。いや、浮気ヤローなんか知らないけど。
友達はみんな彼氏と一緒に行く予定らしい。
つまり、同行者がいない。一人は寂しい。


「ギンってさ、完全に人に化けられる?」


よく考えたら、お祭りで祀られる側の人に何言ってんだろうか。


「まぁ今の姿も、化けとるようなモンやしな。普通に化けれんで」
「私とお祭り行こう!!」
「ええけど……」


普段振り回されてるから、これくらいは良いよね!!


「服……そのままじゃ浮くかな……どうしようか」
「あぁ、手に入るから大丈夫」
「え、どこで?」
「キミらが言うとこの"神域"や。店とかもあんねんで」


意外に進んでるらしい、神様の世界は。
人間から貰うものだけで生活してるイメージは古かったようだ。


「じゃあ、お祭りの日の夜6時半に」
「迎えに行ったるわ。由里果は待っとき」
「いいの?」
「来てもろてばっかりやからな。今回だけ」


社に座ったまま、ギンが笑う。
なんだかごく普通のデートみたいだな、迎えに来てもらうなんて。
別にギンは、恋愛対象ではないんだけど。
せっかく買った浴衣をムダにせずにすんでよかった。
そのせいか、石段を降りる足は軽かった。

――――――――――――――――――

アンタいつの間にあんなかっこいい彼氏出来たの、って母に言われたのはさておき。
ギンは、時間より5分早く迎えに来てくれた。
馴れない下駄を鳴らしながら、玄関先に出る。


「お待たせ、ギン」


ギンのほうはといえば、いつもの真っ白と正反対の黒い浴衣姿。
非常に悔しいんだけど、よく似合ってる。
あと、なぜか既に、頭に狐のお面を装着していた。


「何それ……」
「なんか配っとったから。これ、ボクやねんて」


私に見えるように、ギンがお面を被った。
よく見かける、紅で化粧をした狐の顔。
正直、目付き以外ギンっぽい部分がない。


「本来の姿ってこんなんなの?」
「ちゃうよ!? もっとこう、神様らしい、 白くて神々しいかんじの……森とか似合うわ多分」


私の中のイメージ映像が、完全にもの●け姫になりました。
ていうか、自分で神々しいとか言わないの。


「私ももらえるかなー、それ」
「イヤやわ、ボクの間違った姿が広まるやん……」
「いいんじゃない? 可愛いよそれ。私結構狐好きだし」
「やったらもうちょい、ボクに優しくしてもええんちゃう……?」
「ギンはギンでしょ」


少し肩を落としたギンをなだめながら、露店が並ぶ通りのほうに歩いていく。
晩御飯は完全に屋台ご飯にするつもりで、昼から何も食べてない。


「ギン、干し柿と油揚げと小豆ご飯以外に、好きなものとかあるの?」
「基本なんでもええけどなぁ……というか、食べへんくても生きられるし」
「霞食べてたらセーフ?」
「それ仙人の話やん」


ぐだぐだ話してるうちに、リンゴ飴の屋台発見。
ぶどうとみかんもあるけど、ここはやっぱりリンゴにしようかな。
かなり大きめだったから、取り敢えず一個だけ買った。
一口かじれば、甘い味。
その甘みも、中のリンゴも、安っちいといえばそうなんだけど、不思議とお祭りでは食べたくなってしまう。


「食べる?」


二口目を食べてから、ギンに竹串を差し出した。


「ほな貰おか」


赤い実と、透き通った飴が、薄い唇に食まれていく。
なんだか妙に色っぽい光景を直視できなくて、つい視線を反らした。


「甘いな……」


感嘆の息が混じった声も、同じく艶かしい。
飴の欠片を舐め取る舌が、提灯の橙色の灯りに光った。


「なに、目ぇ反らしてどないしたん」


暖色の光に囲まれた中で、ギンの瞳だけが青く浮かぶ。
どうしよう、言葉が出てこない。


「飴、もういらんの?」


串を握る私の手を、ギンの手が包んだ。
そのまま、ひょいっと串だけをさらっていく。


「返事せんかったら、食べてまうで」
「あ、いる!! まだ、食べる」


しどろもどろに答えた口に、リンゴ飴がぶつかった。


「冗談や。焦らんくてもええよ」


笑みを含んだ言葉は、私をからかうときのトーン。


「由里果、今、顔めちゃくちゃ赤いけど、気ぃついとる?」
「え、ちょっと、うそ」
「ほら」


ぴたりと頬に添えられた、ギンの冷えた手のひらが気持ちいい。
おかしい、今夜はそんなに暑くないはずなのに。


「よかったなぁ、灯りが橙とか赤とかばっかりで。ボク以外にわからんですむ」


にぃ、とつり上がった唇が、捕食者じみて見える。


「可愛い」


喧騒の中でも聞き落とせないくらい近くで、そう囁かれた。




「もうすぐ花火やるらしいけど、どないする?」
「み、見るけど、あの、顔近い」
「そうか?」


少しでも動いたら、耳と唇がぶつかりそう。
深い意味なんかないと思うけど、早まる鼓動はどうしようもない。
私の考えていることなんか読めるはずなのに、ギンは離れない。


「はよ行こか。ええ場所知っとるから」


ようやく、耳元から唇が離れた。
いつの間にか手をつないで、ギンが歩きだす。
はぐれないようになのか、私のペースに合わせているから、言うほど早く進んでない。


「ギン、別に急いで良いよ?」
「追いつけるん? 馴れへん下駄で」
「がんばる。花火ちゃんと見たいし」
「足痛めるオチしか見えへんねんけど……」


少し考え込む素振りを見せてからギンが、せや、と呟いた。


「あったわ、足痛めんと、はよ行く方法」
「え?」


戸惑っている間に、ひょいっと背に抱えられる。
視界は、ギンの浴衣の黒一色。


「落ちへんようにな」
「え、え、降ろしてよ!!」
「ほな行くでー」


人の願いは聞いてよこの神様め!!


「ギン、重くない?」


しばらく歩いて、もう降ろしてもらうのは諦めたから、気がかりだったことを聞いてみる。


「重くはないな。軽いってわけでもあらへんけど」


そりゃどういうことだ!? なんだか女子としては微妙な答えなんだけど。

歩くたびに揺れながら、いつもより高い視線で眺めるお祭りは、なんだか新鮮。


「自分が祭られてるって、どんな気分?」
「さぁ……なんとも。まだ忘れられてへんねんな、くらいには思うわ」
「神様ってそんなもん?」
「ボクの知る限りはみんな。人間が思うほど、祭りとか気にしてへんで」


そんな程度の認識の行事に、連れ出してきてよかったのかな。
ていうか、神様連れ回しちゃってる。
今さらながら、自分がしていることのとんでもなさを思い知る。


「……なんかしょうもないこと考えてへん?」


しまった、"読まれた"。


「それ、杞憂やから安心し。
うまいこと言われへんけど、人間が祭りをやりたがる理由がわかった気ぃすんねん。由里果のおかげや」


その理由自体は口にせず、親が赤ちゃんをあやすみたいに、おぶさった私を揺するギン。
器用にもそのまま、石段を上がっていく。
見覚えのある、この階段は。


「ギン、花火にいい場所って、ギンの神社?」
「裏手の、ちょっと高いとこあるやろ?あっこからよお見えんねん。
階段しんどいから、ほとんど人おらへんし」


段を登りきったところで、ギンが私を降ろした。
また手をつないで、裏手に向かう。
小さな木製のベンチに腰かけたところで、ちょうど花火の一発目が上がった。

次々うち上がるたびに、夜空が明るくなって、私たちのいる場所も少しだけ光に満ちる。
ふと、隣のギンを見てみれば、花火に照らされた横顔が目に入った。

神社通い、約半年。今日まで、色々話してきたな。
掴めないこの神様に、よく半年頑張ったな。
不思議と懐かしむような気分にさせられるのは、花火のせいだろうか。

ギンの低い体温の手が、ベンチに置いた私の手に重なる。
もう片手が、何やらごそごそ動きだした。


「これ」


急に、視界が狭まる。
何事かと顔をぺたぺた触ると、プラスチックの感触。
さっきまで、ギンがつけていたお面だ。


「あげるわ。欲しかったんやろ」


斜めじゃなくて真正面につけられたから、花火があんまり見えない。
ずらそうとお面に当てた手を、やんわり制された。


「ちょっとそのまま……」


また、声が近い。気配もますます近づく。
そして。
プラスチックの、私の口にあたる場所の上で、唇の鳴る音がした。


「今は、ここまでや」


きっと、いつもみたいに唇をつり上げて、意地悪く笑ってるんだ。
お面を取ったらその真偽はわかるんだろうけど、今はもう少し、このままでいよう。


「ギンのバカ」
「ゆうとき。耳赤いくせに」


赤いのは耳だけじゃないって、バレてしまうから。




「きつね、さん?」


由里果がそう声をかけてきたのは、何年前やったか。
最近の人間には珍しく、ボクが見えるようで。
からかったろ、最初は単純にそう考えた。

結果として振り回されたのは、ボクのほう。
質問攻めに始まり、本来の姿が見たいとか、狐のふわふわに触りたいとか、とにかく無茶ぶりばっかりで。
いいかげんに疲れて、鳥居の上に逃げれば


「また明日来るねー!!」


頼むから勘弁してや。


「ねぇねぇ狐さんに戻って!!」


あの姿見せるわけないやん、人間に。


「ふわふわ触らせてよー」


なんでわざわざそんなこと。


「そういえば、お名前は?」


今さらかい、それ。


「ギン」


あれ、なんでボクも名のってんの。


「ぎん?にあってるね」
「……そんなん言われたことないな」


ああもう、調子狂うわ。

毎日毎日飽きずに神社に通い、たまに何かしら持ってくるほかは、ひたすらに話していくだけ。
どこの野良猫が可愛いとか、あの人はお菓子くれるとか。
なんでボクに話すん、他には相手おらんの。
なんとなくそれを言いそびれたまま、気づけばキミは二つ三つと年を重ねて。

ある日、いつもと違って泣きながら、ボクのところへやって来た。


「みんな、私のこと嘘つきっていう」


いずれこうなるのを、どっかではわかっとった。
誰も彼もが、ボクを見れるわけやない。
むしろ見られないのが大多数の人間の中で、この子があぶれると。

震える小さな頭を、ボクの両手で包んだ。
撫でるように、耳を塞ぐように。


「由里果、キミに見られたんは、正直間違いやった」


人と関わるべきではない。
それが当たり前の、ボクらの世界。
いつの間にかそれ以上に、由里果の存在が当たり前になっとって。

でも、おしまいやね。


「お別れや」


いやだ、と動いた唇を無視して、記憶も何もかも、キミからボクに関する一切を消した。
人間の生活を、邪魔してはならない。
これもまた、ボクらの常識。
ボクと関わり続けることで、キミの短い人生を壊すわけにはいかへんから。
そう思って、忘れさせたのに。


「きつね?」


なんでまた、ボクのとこに来たんや。
久々のキミは、びっくりするほど綺麗になっとって。
ただ、変わったのは中身のほうもそうで、あの純粋さはどっかに捨ててきたらしい。
揺すぶられた頭が、いまだにクラクラする。

信仰がないと死ぬ、なんて大げさすぎたか。実際まだまだ信じてもろてるし。
ほんまは、キミに会いたいだけ。

キミが毎日階段を上ってくるのを眺めて、他愛ないことを話して。
まるで、昔をなぞるような日々を繰り返す。

ある日、またキミは、泣いとった。


「もし、ココで生きていくんが、ほんまに苦しかったら……」


ボクのとこに、連れてったるから。
そう言おうとして、やめた。
キミは人間であるべきで、それらしく、人の世で生きるべきや。
多分ボクは、キミのことが何より大事やから。キミのこれまでを壊すようなマネは、したくなかった。


夏祭りに一緒に行くなんて、普通の人間どうしみたいなことして。
キミがおれば、今までなんとも思わんかった祭りも、奇妙なくらいにええもんに見えてくる。
大事な人と、特別な時間を楽しく過ごしたいから。
多分祭りを開く人間の考えはそうなんやろう。
やっと、理解できた。

花火を見るキミに、狐の面をつける。
わたわたと取ろうとする手を、制した。
そっと、面の上から唇を重ねる。
冷たい人工物の感触は、なんとも形容しがたい。


「今は、ここまでや」


いずれは、全部ボクにちょうだい?
好きなもん前にして、ボクがいつまで堪えられるか、キミが陥落すんのが先か。


「ギンのバカ」


多分、後者が先な気ぃするけど。

――――――――――――――――――

「ギーン、今日は小豆ご飯だよー」


愛しい声に、鳥居から飛び降りて、社のほうへ向かう。


「干し柿は?」
「はいはい」


差し出された干し柿に、指ごとかじりついた。
想像通り、柔らかい肌。


「ギンのバカーーー!!」


空いているほうの手が、ボクに弱い拳を降り下ろす。


「バカ!! もう来ない!!」


昨日もそれ、ゆうとった。
ふーん、そうか、と生ぬるく返事をすれば、とたんに慌て出す由里果。
可愛くて可愛くて仕方ないから、今度は額に直接唇を当てる。
すると、干し柿を入れた袋だけをボクに叩きつけて、石段のほうへ駆けていく背中。
早足のその背は、すぐに視界から消えた。


「可愛いなぁ」


きっと真っ赤になっていた顔を想像すれば、笑みが止まらない。
明日もキミが来ると、さらにそう思えば、ますます口の端がつり上がった。

Happy birthday Gin!



解説
1日目『狐の嫁入り』
天気雨の別名ですね。単に狐雨とも言うそうです。
晴れているのに雨がふる怪現象を、狐に化かされたものととらえた故にこの呼び名だとか…

2日目『夜に口笛を吹くと蛇が来る』
小さいころに言われましたね……
昔日本で人身売買がされていた際に、売人を呼ぶ合図が口笛だったためだという説があるらしいです。

3日目『水辺や家の中に蛇がいる夢』
夢占いでは、まだ自分の気づいていない味方がいることを暗示しているそうです。
他にも、蛇が出てくる夢には色々な謂れがありますね。

4日目『蛇とリンゴ』
アダムとイヴに、知恵の実=リンゴを口にするようそそのかしたのは蛇。
ただリンゴ飴かじるギンを書きたかったというのもあります!!

5日目
とくに何もないです!! すみません!!

6日目『狐に小豆飯』
好物を目の前に出すと、すぐに食いつくことから、油断ならず危険なさま……だそうです。

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