「彼岸花には、毒があるの」 爪楊枝に刺した羊羮を口に入れながら、由里果が言った。 温室の片隅の、白い木製の机と椅子。 そこがいつものボクらの話し場所。 「それから、別名は地獄花」 ふだん表情に乏しいこの子も、得意分野となれば話は別らしい。 珍しく、赤い目が輝きを見せる。 「へぇ、地獄蝶がとまるには相応しいなぁ」 「ギンもそう思う?」 無数に舞う地獄蝶。一匹が、彼岸花で羽を休めた。 「偶然かもしれないけど、素敵でしょ」 それを眺めながら、一瞬閉じた瞼。 白い肌に、彼岸花みたいに赤い睫毛が映える。 「……由里果にも、毒はあるんか?」 ふと、疑問が口をついて出た。 人に毒なんてアホみたいな話、自分でもなんでこんなこと思ったかはわからんけど。 綺麗な花には棘がある、そんな言葉と重なったんかもしれへん。 「私に……毒?」 「変なこと聞いてもうたなぁ、ごめんごめん」 気分を害するどころか、由里果は笑いだした。 「どないしたん?」 「ううん。ただ、おかしな問いだと思って。 私には、毒なんてないよ」 よォ言う、ボクを魅了して離さへんキミが。 一日会われへんだけで、ボクの胸に穴を開けて。 いつの間にやら、ボクの日常の一部になって。 これを中毒と言わずにどうしようか? キミは、立派な毒やわ。少なくとも、ボクにとって。 ボクの考えなど露知らず、話を続ける由里果。 「……彼岸花には、他にも別名があってね」 由里果が左手の親指、中指、薬指を合わせて、後の指を立てた。 要するに、手でキツネの形を作ったらしい。 そのキツネの口が、ボクに向けられる。 同時に、悪戯っぽい笑みが由里果の口元に浮かんだ。 「狐花。狐は、ギンに似てる」 「……なるほどな」 ボクもキツネの指を作って、由里果の額を小突いた。 くすぐったそうに目をすがめる様子が、なんとも可愛い。 「ギンには、毒がある?」 「さぁ? どうやろ」 はぐらかした答えが不満やったんか、仕返しとばかりに由里果がボクの額をキツネでつついた。 ――――――――――――――――――― それから二週間、奇妙なくらいの忙しさで、由里果の温室に顔を出せない日が続いた。 時期が時期やし、地獄蝶の管理長であるあの子も多分、同じように忙しくしとるんやろう。 はよ会いたいなぁ、紙に並ぶ文字や数字を流し見ながらも、それしか頭にない。 「イヅルー、今日の業務、これで全部か?」 「そうですね……はい、今日はもう」 「そうか。おつかれさん、イヅルも帰り」 「お疲れ様です、市丸隊長」 イヅルが綺麗に頭を下げたあと、控えめに再び口を開いた。 「あの、この後よければ、神崎管理長の所へ行って差し上げてください」 「……イヅル、あの子のこと知っとったん?」 「はい、何度か隊長探しに協力していただいたことが」 そう言うイヅルの表情は、笑顔やけど笑顔やない。 温室通いはバレてへんつもりやったけど、そうでもなかったようで。 「今日、三番隊に追加の地獄蝶を持ってきてくださって……隊長のことを気にしてらしたんです」 「由里果が?」 「その時に、今直接お話したらどうかとすすめたんですが、邪魔になっては申し訳ないから、と」 報告に、自然と口角が上がる。 会いたいのはボクの方だけやなかった、そう期待してもええんやろか。 ――――ギンは、特別。この温室にいて良いよ。 ――――誰でも通してるわけじゃない。ここは私の聖域だから。 今までに言われたこんな言葉も、少しは都合よく解釈しても? 「おおきにな、イヅル」 「いえ、僕は何も」 戸締まりはしておきます、と言うイヅルに甘えて、足を早めた。 地獄蝶管理がどこかの隊の専門業務という扱いでない故に、温室は十三番隊舎のさらに先、言ってしまえば辺鄙な所にある。 はよ行かな、帰ってまうかもしれへん。 煌々と灯りのついた温室、その中に目当ての影を見つけた。ただし影はひとつではなく、ふたつ。 誰かと話し中らしく、なんとなく姿を隠した。 相手は、十二番隊の男らしい。というのも白衣を着ているから判断しただけで、名前なんか知らん。 由里果の手には、半分枯れたような様子の彼岸花が束で握られている。プレゼント、な訳ないけど。 この前見せたような楽しげな顔で、何かを語りあっているようで。 どうにも、気に入らん。 由里果がボク以外の誰かと、この場所で二人きりという事実が。 あの子が聖域と呼ぶこの場所に踏み入って良いのは、あの子のあんな顔を見られるのは、ボクだけやと、そう信じてたのに。 「由里果」 出ていったもう一人と入れ違うように、温室の後ろ側の扉を開く。 振り返った勢いで、黒髪が弧を描いた。 「ギン、仕事終わったの?」 「由里果は、ボクをなんやと思ってるん?」 漂わせた剣呑な気配は、気づかれない。 由里果はまたくるりと背中を向けて、仕事の後片付けを始めながら言う。 「サボり魔の、悪戯好き」 「そうか……」 瞬歩を使うまでもない距離。 警戒心なんか欠片もない由里果に忍び寄る。 背後から、身動きをとれないように四肢を封じた。 「……ギン?」 ごとん、取り落とされた如雨露の落下音がいやに響く。 「ボクに毒があるか……って聞いたな? あるよ。ボクは蛇やから」 どろどろに溶けた、真っ黒に濁った毒。 「ギン、どうしたの…?」 花を踏み荒らし、食い散らす蛇の性が囁く。 いっそこの毒で、花を枯らしてしまえ、と。 「ギン、」 ボクの方に向けられた顔、その唇を捕らえた。 甘い、柔らかい、離れたくなくなるような感触。 「っ、ギン、」 「黙っとき……」 そう言った声は、自分のものでないような低さで。 萎縮したのか、由里果の肩がすくんだ。 それでも逃れようとする足元が、ざりざりと床を鳴らす。 「ぎ、ん」 「黙っときって言うたやろ……?」 涙に濡れる赤い睫毛。 いつか見た、水の滴る彼岸花とそっくり。 背徳さえ感じるような、恐ろしいまでの美しさ。 「やっぱりキミは、毒やな」 唇を離して呟けば、揺らぐ瞳。 そこから、決壊した雫が垂れる。 「1回口にしたら、それ無しじゃ生きていかれへん……」 白い肌を転がる雫を、舌ですくう。 そのまま、頬にかじりついた。 明らかに恐怖した気配にさえ、もう罪悪感はない。 さあ、食い散らせ。 「ぎん、ギンっ、」 隊首羽織に、皺が寄る。 今度は前に回り込んで、指で輪郭をなぞった。 赤い目、睫毛、それから、ボクの残した痕。 「ギン、待って、」 「遅いわ、全部。逃げようとするんも、止めんのも」 それから、ボクの心と、残忍さに気づくんも。 後ずさる由里果の草履が滑る。 狭い通路、少し左右に反れれば、彼岸花の花壇。 赤い残像が、視界に鮮やかに浮かんだ。 「っ、痛」 倒れ込んで打ったらしい頭を抑えて、由里果が呻く。 折れた彼岸花が、わずかにみしりと鳴った。 その花に、先刻の男に渡された花束が重なる。 「……さっきのは誰やったん」 「十二番隊の、阿近三席。研究用に、彼岸花の毒が欲しいっていうから渡したの」 「ほんまに、それだけ?」 「それ以外、何があるの?」 心底不思議そうに尋ねられて、ため息がこぼれた。 「ギン以外はあまり通したくなかったから、外で渡そうかと思ったんだけど……待たせるのも悪いかと思って」 視線をそらしながら、ばつが悪そうに言う由里果。 やがて、決心したようにボクと目を合わせた。 「なにか勘違いしてるみたいだけど、ここに踏み入っても構わないのはギンだけ。 最初に逃げなかったのは、ギンが特別だから。 止めなかったのは………」 咬み痕とは別の赤色が、由里果の頬を染める。 「なんや、ゆうてみ」 「……さっきは、黙れって言ったのに」 「ええから、はよ」 「っ、止めなかった、のは」 ギンになら、何をされてもいいから。 「……自分が何ゆうてるかわかってんの、それ」 「わかってる」 「今この状況で、それゆうか……」 あぁ結局、この子には敵わへん。抱えた毒が、消える、消される。 花茎のような腕をほどいて、細い身体を抱きしめた。 花壇の土が死覇装を汚しても、気にも止めずに。 ボクの頭が、ちょうど由里果の肩の上に収まる。 「由里果、好きや……愛してる」 返事を聞くより先に、また唇を重ねた。 身じろぎするたび、二人の下敷きになった花が悲鳴を上げる。 一旦離したところで、由里果が独り言のようにこぼす。 「ギンのほうが、私よりよほど毒」 「なんでそう思うん?」 「だって、もうギンしか見えない」 「……キミはもうちょい、発言を考えよか?」 また、食い散らしたいなんて、ボクが考えんように。 「まぁ、ずっと中毒のままでおり。ボクから離れへんと、な」 「ギンは私から離れない?」 「当たり前やん、今さら」 とっくに中毒や、由里果に。 煮上がった顔を見て、やっぱりキミには赤が映えると、そう感じた。 狐花中毒 毒し、毒され。 後書きのようなもの [ 一覧へ] |